次の仕事が見つかっていないのに、職場を辞めてしまった。
辞めた理由としては、いま精神状態が悪いからというよりも、これから正社員登用の条件を満たすための生活をするのが厳しくなりそうだからだ。そして今が現場の入れ替え期なので、新しいプロジェクトに関わるようになる前のこのタイミングで辞めるしかなかった。
採用後に、試用期間中に普通運転免許を取らないと正社員になれないという条件を説明されて、しかも次の現場は不定休の夜勤が2ヶ月続くので、夜勤をこなしながら昼に教習所に通うことになってしまったのだ。
ただでさえ双極性障害は不規則なリズムで生活することが推奨されないのに、不定休かつ夜勤かつ休みの日に教習所に通うというのは、健常な人でもまともにやるのがかなり難しいと思う。
おそらく躁鬱を自覚する前の自分だったら何も考えずに挑戦していただろうし、どれだけしんどくても鬼の精神力で達成はしていただろうけれど、反動でものすごい鬱にもなってしまっていただろうし、こうやって後先のことを考えて早めに決断を下せるようになったことは、よい傾向だと思う。
一方で、向こう見ずでアグレッシブな生き方を控えるようになったことは、寂しくもある。
浪人も、一人暮らしも、転専攻も、すべて賭けの気概でやってのけたし、自分の人生を大きく変えてくれたのはいつも躁転だった。
躁鬱を飼い慣らすということは、波風の立たない生き方を選ぶということだ。
躁鬱的な生き方がアイデンティティの奥深くにまで食い込んでいるので、これを手放すということは自分の根っこをひっくり返すようなものであり、少し戸惑いがある。
しばらく無職を謳歌したいものだが、なんせ貯金もなければ、障害年金も受け取っていないので、わりと真剣に詰んでいる。
先日のコンカフェ卒業イベントで稼いだお金がそれなりにあるのが救いだ。それも来月の生活費に回せば一瞬でなくなってしまう。
夜職はなんだかんだで5年続けた。キャバクラ、コンカフェ、ガールズバー、メンズエステ、チャットレディ、いろいろな業種をやってきたが、コンカフェがいちばん向いていたと思う。
わたしはものすごく人間が嫌いだけれど、それと同じぐらい人間が大好きなんだろう。夜職のおかげで男も女も大嫌いになったし、男も女も大好きになった。
お酒をいっしょに飲んでおしゃべりするだけの仕事ではあるが、「だけ」で括ってしまうにはもったいないほどのたくさんの経験を、たくさんの人に用意してもらった。それは何もおいしいご飯に連れて行ってもらうというような実利的なことに限らず、人を愛するということはどういうことなのか、素敵な人間とはいったいどんな人間なのか、いろいろなことを考えさせてくれる貴重な機会だった。
わたしは本当に人に恵まれている。キモいオタクに粘着されることもあったけれど、大半は素敵なお客様だった。ものすごく有意義で楽しい時間だった。吐くほど飲んだり、変なおじさんに説教を食らったり、嫌なこともたくさんあったけれど、それ以上に得たものが大きい。
自分が素晴らしい経験をしたからといって、心身ともにリスクが大きすぎる仕事なので、他人に勧める気はまったくないけれど、決して悪い仕事ではなかったなと思う。
「生活を優先させるために効率的にお金を稼ぎたい」という動機だけで始めたこの仕事が、こんなにも精神的に素晴らしいものだったなんて、想像すらもしなかった。
わたしに会いに来てくれていたすべてのお客様が、わたしに会う機会はなくなっても、どうかどこかで幸せに生きてくれていればいいなと心から願っている。本当にありがとうございました。おまえらがまるちゃんを好きでいてくれた以上に、おれはおまえらのことが大好きだよ。またどこかでばったり会えたら声をかけてね。
わたしは本当に人に恵まれすぎていて、その人たちに何も返せていないことが心苦しい。
わたしは人に寄りかかってばかりで、いつまで経っても自分の足で立てない。もちろん誰しもが多かれ少なかれ他人に依存していて、そもそも健全な人間関係というものは軽い相互依存の分散であるとはいえ、わたしは他人を搾取してばかりで、それに見合った価値のある何かしらをまったく提供できていない。
どうすればいいのだろうか。これほどまでにたくさんの大きな愛をもらえる人生で、わたしがやるべきことは何なんだろうか。だらっと生きているだけではいけない気がする。
きっと生きることを諦めずに幸せになることがいちばんの恩返しなのだろうな。どうしても自殺がしたくなったら、これまでわたしに愛を向けてくれた人たちのことを想って、なんとか踏ん張らなければならない。
とにかく今は耐えるべきタイミングなのだろう。仕事がなくても、お金がなくても、めげずに生きていかなくちゃいけない。少しずつ前向きに舵をとってやっていく。
この前向きな気持ちが躁転でないことを祈る。早く健康になりたいよ。