死ぬ勇気もないし、生きる気概もない

 

 

 

 会社でやることが何もないから(上司は何も指示を出してくれないし、勝手に何かをして怒られるほうが厄介なので)、ずっとネットサーフィンをしている。
青空文庫でいろいろな本を読む。自殺した作家の話ばかりが気になる。作家のWikipediaに飛んで、自殺のエピソードを片っ端から読む。そのまま心中事件や殺人事件のページに飛んで、死んだ人に思いを馳せている。
 死というものに限りなく近づこうとしたって死にたくなるだけだし、どうせ死なないのだから無駄な時間でしかないのだけれど、死というものの持つ莫大なエネルギーに引っ張られてしまう。ほとんど自傷行為のようだと思う。

 

 


 入社してたった2カ月ではあるが、転職活動をしている。面接時と入社後で条件が違うからだ。給料があまりにも低い。これでは人間らしい生活がままならない。
 この低賃金で生きていくのは、実家暮らしならまだしも、わたしは実家を頼れないから厳しい。頼るなと言われているわけではないし、母にはいつでも帰ってきなさいとは言われているけれど、どうせ帰ったって精神状態を悪くするだけなのだ。母は、今も昔も悪意がないからこそ「帰ってきなさい」と言えるのだろう。わたしが今でも苦しんでいることにまったく気づかないのだ。


 母はわたしが公立大を卒業したことで鼻が高々であるようだ。事あるごとに「あんたは公立大卒やからなあ」と言う。母は最終学歴こそ国立大の修士号ではあるが、学部は私立の通信大卒だ。自分にないものを持っている娘はさぞかし華やかに映るのだろう。母は学歴さえあれば自分の人生はもっと豊かであったはずだと信じてやまず、わたしに学歴をつけようとしたのだろうなと推測している。
 でも、心を病んでまで手に入れた学歴が何の意味を持つのだろう。


 社会は、学歴なんかよりも、すこやかな人材を求めている。浪人も休学も留年もしないストレート卒業で、新卒から職歴にブランクがなく、心身ともに健康な人間が求められているのだと、就職活動を通して強く実感した。
 浪人休学留年あり職歴なし精神疾患という肩書きが災いして、低賃金の重労働しか選択肢がないというのが、なんともわたしの人生をよく表しているなと思う。
 全部これまでのツケだ。
 母は、ヒステリーと暴力を用いてまでわたしの人生をよりよくしようとした。その結果がこれだ。とても皮肉が効いている。

 


 ただ、ここ数日で教育虐待や機能不全家族に関する本を数冊読んだのだけれど、昔よりは心が引っ張られなくなったように思う。そろそろ母の呪縛が解けてきたのかもしれない、と希望的観測をしている。
 でもそれは、先日ふいに露呈した父の現在進行形のおかしさが、母の過去の狂気を上書きしたからなのだろうとも思う。ひと段落したというよりも、問題の軸がずらされただけのような気がしている。


 帰省した際に言われた「いつまでそんな(過去の)こと言うてるねん」という父のことばがずっと突き刺さったまま抜けない。おまえからすれば過去のことなのだろうね。娘が後遺症とも言える過去のトラウマに今でも苦しんでいることなんて想像すらしたこともないのだろう。すべては地続きだというのに。
 憎しみが止まらない。家族のLINEグループを抜けて、父のLINEもブロックしようかなと思うけれど、それでいちいち理由を聞かれても(おそらく弟を介して詮索が入る)、もうわたしにはすべてを説明する気力なんて残っていないのだ。いまさらこの苦しみに気づいてほしいとも思わない。ひとりよがりな罪滅ぼしをするぐらいなら、もう関わらないでほしい。

 


 ただまあそれでも死なずに生きることを選んでいるのは自分の責任だし、もういい加減に親のせいにするのはやめようと思ってはいるものの、人生が行き詰まるたびに、自分の狂ったバックグラウンドが今のわたしをここに導いているのだなと思い知らされる。


 ピアノやバレエや水泳や英会話などの狂った数の習い事で友達と遊ばせてもらえなかったことも、夕食後にテレビを見ていたら「そんな暇があったら勉強しなさい」と殴られたことも、山積みになった中学受験用のテキストが終わるまで家から出してもらえなかったことも、五ツ木模試がC判定の高校は受験すらさせてもらえなかったことも、部活動をやめて勉強に専念するようにと交通費の支援がなくなったことも、芸大に行くと言ったら「うちに浪人生がいるなんて恥ずかしい」と罵倒されたことも、せっかく第一志望に合格したのに人間が怖くて引きこもるしかなく不登校になったことも、本当に自分がやりたいことが何なのかわからなくなって留年したことも、留年分の学費を払うためにアルバイトに夜職を選んだことも、ようやくやりたいことが見つかって大学院に進学したいと思ってもそもそもの生活がどうにもならなくなったことも、全部、全部地続きだ。


 そして、いつまでもそんなことを言って、前向きに生きることを検討しない自分のことも大嫌いだ。早く前向きになれよ。いつまでうじうじしているんだ。その間にも社会は回っているというのに。どんどん置いて行かれたって、いつまでも後ろ向きに生きることを選んでいるのは自分なのだから、自業自得だ。自分で自分の首を絞めている。

 

 


 人生の選択も対人関係も何もかもがうまくいかない。破滅する不健全な恋愛と、その場しのぎの消費的な友情ばかりしている。支配するか依存するかの二択しかわからない。
 加害性にまみれた被害者気取り。もう誰とも関わらないほうがいいのかもしれない。わたしはすぐにそうやって白黒思考に走る。だけど宙ぶらりんがいちばん苦しい。すべてを拒絶できればどれほど楽だろうか。そんな強さも持ち合わせていないくせに、ない理想ばかりを追いかけて、現実から目を逸らしつづける。


 今まで傷つけてきたたくさんの人たちに謝りたい。許されるとは思っていないけれど、謝るというコミュニケーションを取れることが自分に残された唯一の人間らしさだと思っている。いや、人間らしくいさせてほしいから謝りたいだなんてとんでもない自分中心主義だな。許すか許さないかを決めるのは、わたしの人生に巻き込まれた当事者たちだ。それはわたしが謝ろうが消えようが変わらない。

 

 


 あー本当に苦しい。人生を一時停止させたい。仕事も人間関係も何もかもをやめて休みたい。だけど休んでいるうちにも社会は回る。立ち止まっている間にいよいよもう追いつけなくなってしまう。だからしがみつくしかない。スタートダッシュの残り滓みたいなエネルギーの惰性だけで動いている。


 本当に、どうにもならなくなってきた。死ぬ勇気もないし、生きる気概もない。とにかく苦しい。