絶望ごっこをしていたって、誰も助けてはくれない

 

 今日はわたしの人間関係でいちばんと言っていいほど大好きな友達と、ジャズ喫茶に行ったり、おいしいと評判のうどんを食べたりして、とてもいい日だった。

 昨日は、お昼に「デカ愛さんに一度お会いしてみたいと思っていて……」と言ってくれたフォロワーと喫茶店をはしごした。初対面だったけれど、社会に対する問題意識(特に芸術に携わる学生についての悪口)や、音楽というものの素晴らしさについて語って、喫茶店1件では足りないぐらいに盛り上がった。

 夜はずっと仲良くしてくれているフォロワーと朝まで飲んでいろいろな近況報告をしたり、転職活動の相談をしたり、政治思想について議論したりした。「まうちゃんと社会の話をする日が来るとは思っていなかった」「まうちゃんには社会のことを考えてほしくない」と言われて、わたしのことをよくわかってくれているなあと思った。わたしもまさか自分が社会に迎合して生きていくことを志す日が来るとは思ってもみなかった。

 

 わたしは本当に人に恵まれているなあと実感する。他人といると、生きることの苦しみを一時的に忘れられる。

 一人でいるのが好きなのに、ひとりぼっちでいるのは寂しいというわがまま極まりないスタンスで人間関係をやっている。わたしと交友関係にあるみなさま、振り回してしまって本当にすみません。

 無職になって数日が経つが、人に恵まれているおかげで毎日誰かしらがいっしょに時間を過ごしてくれて、暇せずにやっていられる。こんなにもありがたいことはない。

 

 

 やはり労働は心身に悪い。労働をやめてから生活に余裕ができて、精神が安定している。まあ躁鬱を悪化させないためには必要な時間なのかもしれない。

 とはいえずっとこうしているわけにはいかない。実家も頼れないし、手っ取り早く稼げる夜職ももうやらないと決めたし、お金を得る手段が本当にない。なんとかしなければいけない。

 

 転職活動では障害者雇用を探している。しかし、職歴がほぼない精神障害者を雇ってくれるところはあまりにも少ない。

 だいたいの求人は、職歴と専門的なスキルを持っているが職場の環境を変えたい人向けに用意されている。IT系の求人がかなり多く、その次に事務職。ゆるめの条件でも「社会人経験(一年以上)」。

 第二新卒で探してもいいけれど、4月入社ではそれまで食いつなぐことができない。今すぐに働けるところを探しているのに、条件も相まって全然見つかりそうにない。本当に困っている。抜け道がなかなか見つからない。本当に困った。

 

 

 社会があまりにも健常な人向けにできていて辟易する。心身ともに健康で、ストレートで大学を卒業していることが前提だ。ドロップアウトすると、復帰するための道のりそのものがかなりハードモードになる。

 まあ別に死ぬまでフリーターでもわたしはいいのだけれども……。主治医の反応もやんわり感じたところではあるが、障害年金を前向きに検討してくれているように見える。使える福祉は使っていったほうがいい。変に気張って精神障害が悪化するほうが厄介だ。

 

 

 生きるというのはこんなにも難しいのか。自分の”普通”があまりにも通用しない。どんな属性の人でも健やかでいられることが保証されていればいいのにな。

 誰しもが、自分のままで幸せになる権利を持っているのだ。その権利は誰にも妨害することはできないはずなのに、なんだかみんな不幸比べをして、不幸な人間同士で足を引っ張り合っていて、救いがないように見える。

 社会はおかしいなと思うけれど、闘う気力もない。自分のすこやかさを維持するだけで精一杯。きっと社会にはそんな人だらけだから、みんなヒーローを待ち侘びてその場で足踏みをしているだけだから、社会はどんどんおかしくなっていく。もうこの先どうにもならないのだろうか。

 

 

 本当に、わたしは自分のことだけで精一杯だけど、せめて自分のまわりにいてくれる人だけでも幸せにしたい。全員がそういうふうに心がければ、回り回って全員が幸せにならないかな。さすがに夢見がちすぎるかな。

 どうにかなれ、と思いながらもどうにもできないことに対しての絶望。だけど、絶望ごっこは怠惰だ。この上ない快楽だ。絶望感に酔うことで現実から目をそらすことは簡単だ。

 

 絶望ごっこをしていたって、誰も助けてはくれないんだ。なんとかしなきゃ。

 明日もまた人に会う予定がある。その人になるべくたくさん幸せに過ごしてもらう。それもまたおかしな社会へのひとつの反抗ということにならないかな。