いつまでも未熟さを捨て切れない

 

 久々にはてなブログを書く。定期的に文字数制限を意識しない文章を書かないと、脳がTwitterに最適化してしまって、思考が140字×n個の枠組みに囚われてしまう。

 

 

 最近の生活はいい感じだ。喫茶店と珈琲豆専門店でのバイトは、ADHDが丸出しながらも、心の広い人たちに恵まれて、理不尽に叱られることも詰められることもなく、日々反省しながらうまくやっていけている。

 勤務中に煙草休憩を心置きなく取れるのが何よりもうれしい。ニコチンが切れてイライラするのを防げるからとかそういうのではなくて、そういう許し合い的な連帯のできるコミュニティに属することができるのは、すごく貴重な体験だから。

 

 そして休みの日には大好きな友達(同居人)と喫茶店でモーニングを食べる。彼はバイク乗りなので、ちょっと遠い喫茶店にも連れて行ってくれる。そして、いま住んでいるエリア周辺には喫茶店がめちゃくちゃ多くて、まだまだ行きたいところが100件以上あるのに、時間と身体が足りなくてほとんど行けていないことが最近の悩みだ。

 明日(というか今日)はどこに行こうかな。どこの喫茶店に行くかを大好きな友達といっしょに悩むところから1日が始まるのは、すごく豊かな暮らしだと思う。

 

 死ぬまでずっとこの暮らしが続けばいいなと思う。経済的な貧しさ以外の困難が一切ない。

 

 

 インターネットのほうもかなり順調で、昨日は某新聞社の教育虐待についての取材を受けた。

 過去について話しながらフラッシュバックしてつらくなるだろうかと覚悟して臨んだけれど、案外ひょうひょうと話すことができた。むしろ、わたしのこの苦しかった体験が、どこかの誰かに届くことで、教育虐待に苦しむ子供が一人でも少なくなれば、それよりもうれしいことはない。

 

 取材のきっかけは、過去に殴り書きしたnoteの記事だった。

note.com

 どうやら某新聞社で中学受験についてのコラムを書いている記者たちに届いたようで、デスク周辺でわたしのnoteのさまざまな記事が共有されたらしく、「この経験が本当だったら、今頃亡くなっていてもおかしくない」という感想がのぼったとのことで、「何を大袈裟な!」と思ったけれど、それは自分の苦しみを矮小化して抑圧することに変わりないので、「わたしってよく生きてきたんだな〜」と思うことにした。

 

 「それだけ過酷な環境を生き延びられて、今ではポジティブに生きていらっしゃる強さは、本当にすごいです」と言われて、うれしさ半分、もやもや半分、といった感じだった。

 うれしいのは、もちろん自分のやってきたことを肯定されるのが大変にいい気持ちだったから。

 もやもやしたのは、わたしの人生をここまでめちゃくちゃにしてきた過去も、今わたしがポジティブに生きているからということで、美談として回収されてしまうのではないか、という不安があるから。

 わたしは認知の歪みを治すのにひどく苦労したし、今のようにポジティブな生き方ができるようになるまでにものすごい時間と気力を費やしたから、ハッピーエンドのようにお手軽に語られるのは癪にさわる。

 

 しかしそれは、「可哀想な子」として評価されたいという未熟で子供じみた欲望なのだろう。かわいそうだね、がんばってるね、えらいね。わたしがかつて教育虐待の渦中にいた頃に言われたかったことば。結局は、子供時代に欲しかったものを大人になった今でも求めている。

 わたしのインナーチャイルドはなかなかしぶとい。いつまでも未熟さを捨て切れない。若くて尖った感性についての未熟さなら芸術的に昇華すれば美しいのだろうけれど、わたしの場合は、親から得られなかった承認という愛情に飢えて、ただ人間関係を転々としているだけなので、ちっとも美しくなどないのだ。

 

 当面の目標は、「可哀想な子」だと思われたい(そして傷を慰められたい)という欲望と折り合いをつけることだ。一刻も早く解決したいところだけれど、焦っても仕方がないので、ゆっくりやっていくぜ。

 

 

 話は変わって、Youtubeを始めただけでTwitterが燃えたのはさすがにおもしろかった。バカデカい愛ってつくづくコンテンツ力が高すぎる。

 たくさんの心無いことばを浴びせられるたびに、自分の正しさを実感できて非常に気持ちがいい。そもそもまともな人間ならば、わざわざ嫌いなコンテンツを自ら受け取りに行って、さらには本人に見えるところで悪口を叩くなど、そんな時間の無駄遣いはしない。

 どうしようもないやつらのおかげで、わたしはまだまともに生きられているのだなと自信を持つことができる。本当にありがとう。

 

 明日(というか今日)は休みなので、喫茶店の撮影にでも行こうかしら。更新頻度は月2~3本ぐらいのつもりだったのだけれど、そもそも喫茶店でのんびりする以外に大した趣味がないので、趣味をしに行くついでにカメラを回せばよいだけだし、しかも動画編集をする時間はたっぷりあるということで、わりと高頻度で更新できそうだ。このまま失速しなければよいのだけれど……あと躁転じゃないといいな……。

 

 

 過去のさまざまな経験もあって、人間関係の構築が本当にヘタクソで、穴モテ以外のコミュニケーションがかなり苦手なので、インターネットがなければ今頃は孤独を拗らせて、無敵の人にでもなっていただろう。

 わたしが今わたしとして気を保っていられるのは、インターネットを介して”バカデカい愛”に関心を向けてくれて、コミュニケーションを図ってくれる人たちがいるおかげだ。おれはおまえらが思っている以上におまえらに救済(たす)けられています。ありがとうねえ。

 

 

 近況はこんな感じだ。わたしは毎日はつらつと生きている。とても幸せ。これらの幸せはきっと、今まで苦しんできた分のご褒美なのだろう。そう思うと苦しんできた過去も報われる。

 生きるって楽しいな、と思える日がようやくやって来てくれて、本当にうれしい。

 今この記事を読んでいるおまえも、いつかそう思えるようになったらいいな。その日が来るまではデカ愛ちゃんといっしょに生きていようね。おれはずっと大阪某所からおまえを応援しているよ。