少しずつ棘がなくなって、無難なものに回収されていく

 

 

 そういえばさっきの記事が26歳になって初めて更新したブログだったので、仕切り直して26歳の始まりらしい(?)記事を書こうと思う。

 昨年度、ようやく周囲に3年遅れで大学を卒業した。長い闘いだった。6年通った。浪人を合わせると7年かかった。それらを振り返ろうと思う。

 

 <19歳>

 親の反対を押し切って芸大受験に挑んだ。

 正直、不真面目な浪人生だったと思う。ボーダー気質が猛威を奮うのもこの頃が始まりだ。それまではただの恋多き女(笑)だったのだが、モラハラ気質なセフレに爆裂に依存して、ホテル代を全額負担してまで会ってもらったり、予備校で放課後に鉛筆を削る用のカッターでリストカットしたりしていた。今思えばおもしれー女である。当時はそれでも全力で生きていたのだ。

 1年でぬるっと合格したので、まあこれらの不真面目な受験生生活も許されただろう。

 

 

 <20歳>

 人生を狂わせるほどの大恋愛をした。簡潔に言えば、共依存から相手が醒めて、見捨てられる形で別れたのだが、この呪縛から逃れるのに4年ほどかかった。

 「依存先を1つにするから傷つくのであって、依存先を分散すれば傷つかない」という理論でバカマンコになったのもこの年だった。半年ほど遊びまくって、その中で引っ掛けてしまった男と交際に至る。しかし、バカマンコがやめられずに、浮気しまくる最悪の女となり別れる。

 京都に引っ越したが、大学にはあまり行かなくなった。躁鬱の投薬治療を本格的に始めた。木屋町のキャバクラで働いていた。

 

 

 <21~22歳>

 あまり記憶がない。ハライチの岩井氏に顔が似すぎている男と交際して、バカマンコは次第に落ち着くようになる。しかし、彼が”理解のある彼くん”になってくれないことに苦しむ。

 復学して専攻を変えたところでコロナ禍にぶち当たる。不登校だったので、大学が家に来てくれることに大喜びし、素晴らしい出席率とレポートで、最高の成績をおさめるようになる。

 大学に行く手間が省けたので、鬼のようにコンカフェとラーメン屋に出勤した。

 

 

 <23歳>

 京都の大学生界隈(?)に属するようになり、デルタでお酒を飲みまくる。

 働いていたコンカフェのオーナーが捕まって、店が潰れたため、経済的に不安定になる。

 ハライチ岩井似と別れたところでマッチングアプリに見切りをつける。数ヶ月後に、Twitterのフォロワー(無職)と交際を始める。統合失調症の兆しがある人で、被害妄想によってしきりに浮気を疑われるようになり、強制的にバカマンコを終了させられる(結果的に言えばこの強制終了に今でも救われている)。

 

 

 <24歳>

 これもまたあまり記憶がない。Twitterの規模が大きくなりはじめ、「デカ愛ちゃん」というコンテンツが一人歩きするようになる。

 度重なる被害妄想による、罪のない責められに辟易して別れると、自殺未遂をされた。さすがに恋愛に疲れた。

 またもや、働いていたコンカフェが経営不振で潰れる。店選びがヘタクソなのか?

 

 

 <25歳>

 コロナ禍が明けはじめてキャバクラを再開しようかと思ったが、いろいろあって結局メンエスで働くようになる。

 大学院進学などがどうでもよくなり、貯金をホストクラブにぶっ込むも、3ヶ月で枯れた。ホス狂はずっとこの生活をしているのだと思うとすごい。

 ギリギリで大学を卒業して、京都を出る。貯金がなくなってから、やっぱり大学院に行きたくなる。貯金をスタートし、フリーターを始めるが、実家を出てフリーターをしながら貯金するのは無理だと気づく。就活を始める。

 

 

 ざっと振り返るとこんな感じで、男とお金に振り回されまくった7年間だった。パワー系メンヘラにガクチカなんてものはない。学生生活だけでなく、生きること全てに力を入れているのだから。

 

 26年目はどうなるのだろう。変な恋愛もしなくなったし、就活に成功すればお金に振り回されることもなくなる。

 わたしの人生も少しずつ棘がなくなって、無難なものに回収されていくのだと思うと、なんとも寂しい気持ちになる。本当はもっと破天荒に生きていたいのだけれど、どうにもならなくなったときに戻ってくるのが難しくなる。学生時代とは違って、親から自立しなければならないので、ひとまずは経済的安定を目指そうと思う。

 

 強く生きるぞ〜!