親からまっすぐな愛情を与えられた過去/子としてまっすぐな愛情を与えられる現在

 

 

 6月にはじめたバイトを8月に辞めた。また仕事が続かなくて本当にダメな人間だとか、好条件だったためにもったいないなとか、いろいろ思ったけれどもパワハラに耐えたり告発したりまでしてしがみつきたくもなかった。

 それをある日父親に話したところ、「おまえはいつもナメられていいように使われてすぐ辞めるからあかんねん」と言われた。

 たしかにわたしはナメられやすい。年齢のわりに佇まいがフニャフニャしているし、高圧的な態度をとられると萎縮してしまうし、おまけに労働となるとADHDの特性が丸出しの無能なので、パワハラ常習犯からすればターゲットとして都合がよすぎると自分でも思う。

 しかしこれらの特性はべつに自ら望んで獲得したものでもないし、これまでの人生においてさまざまな局面を乗り越えてくる中で染みついたものなので、すぐに変えられるわけではない。

 

 

 ずいぶん前には、「いつまでそんな子供じみた生き方をしてんねん」と父親から言われた。2つ前の交際相手の家を出て、次の交際相手の家に飛び込んだときだったと思う。わたしは「大人になる」というものがよくわかっていない。大人になりきれていないことだけはわかっているけれど、大人の振る舞いだとか大人の責任だとか、みんながどうしてそれらを当たり前のように獲得しているのかが不思議でしかたない。どこで何をすれば身につくのだろうか。

 そのときは「子供時代に子供らしく過ごさせてくれなかった人に言われたくない」と答えた。いつまでも親のせいにしているのは情けないけれど、わたしの中には親子関係におけるトラウマを与えられたところで時間が止まったままの子供がいることも否めない。
 べつにそれがわたしのうまく生きられない原因のすべてではないにせよ、他者との健康的な関係構築を苦手としているところはそこが由来だと思う。

 案の定、「いつまでそんなこと言うてんねん」と返ってきた。ここでわたしは完全に対話を諦めた。この人は「おまえに対して罪の意識がある」とさんざん言っておきながら、けっきょくは何が問題だったのかを本質的には理解していないのだ。これ以上、こちらから歩み寄りをしたところでトラウマをえぐられるだけだと思った。

 もともと自分からは両親に連絡をしないほうだったし、誘いがあれば断らないぐらいの頻度で会っていたが、このことがあってからは父親にもこころを閉じることを決めた。
 このときすでに母親のことはわりとどうでもよくなっていた。罪の意識のまったくない人とは、対話をしようにもそもそも前提条件を共有できないので、和解を期待したところで無駄である。
 その点、まだ罪滅ぼしをしようとがんばってくれている父親には、彼のその善意に応えるぐらいのことはしようと思っていたのだけれど、なんだかそうも思えなくなってきたのだった。

 

 

 そしてその罪滅ぼしイベントとして、大阪から日帰りで名古屋に行く提案をされた。わたしは親にかぎらず他人の誘いを断ることが大変に苦手なので、こころを閉ざしてはいるものの肉体だけでも持っていこうと、誘いに乗った。

 往路は「特急ひのとり」という近鉄特急に乗せてもらった。しかもプレミアム車両である。いまのわたしの生活水準ではとうてい乗れたものではない。そして「ひのとり弁当」まで買ってくれていたという太っ腹である。帰りは新幹線の予約を取ってくれていた。

 自分の暮らしと照らし合わせると、やはりうちの実家は経済的に豊かなほうなのだろうと思った。まあきょうだいで私立中を卒業しているのでそれはそうという話ではあるのだが、母親からはつねづね「うちにはお金がない」と聞かされていたので(ここにも母親の狂気エピソードがあるのだが割愛する)、いまでもあまりお嬢さん育ちの実感がない。

 

 名古屋に着いたらまずオールドコメダコメダ珈琲2号店)に行く予定だったが、なんと臨時休業で閉まっていた。運が悪すぎる。とりあえずそこから近い喫茶店に入った。

 父親は自分の父親(わたしの祖父)が喫煙者だったことから、わたしが煙草を趣味にしていることをあまり好ましくは思っていないが、特にやめさせようともしてこない。しかし、ふたりで喫茶店に入っても特に話すことはない。毎度のことだ。なんせわたしがこころを閉ざしているからである。

 グルメ旅行ということになっているので、とりあえずお腹を空かさなければならない。わたしはさっきの「ひのとり弁当」でかなりお腹が苦しい。あんかけスパの老舗店まで2駅ぶんぐらい歩いた。

 

 そのあとは大須を散歩した。夜には矢場とんに行く予定があるので、とにかく歩きまわってエネルギーを消費するしかない。かわいい古着屋さんの前を通りがかって、店前に陳列されているワンピースが気になったので立ち止まる。たいした額ではなかった(学生でもバイト代で買える程度)のだけれど、いかんせんわたしは先月の支払いがカツカツだったので、生活費を残すためにはこんなところで服を買っている場合ではなかった。

 そこで何気なく「世の中、お金がないと何もできへんね」と父親に向かってつぶやいた。父親は「資本主義ってそういうことや」と言う。「がんばって働かないとなあ」と返したら、また「おまえはいつもナメられていいように使われてすぐ辞めるからあかんねん」と言われた。

 わたしは前回と同様にへらへらと笑ってごまかしたが、内心では本気でイライラしていた。誰のせいで、と思う。しかも旅行中にそれを言ってくるデリカシーのなさにもイライラした。しかし父親に対してこころを閉ざすことに決めているので、笑ってごまかしたのである。

 

 諸事情で1時間半ほど別行動をすることになり、集合時刻と場所を決めていったん別れた。フォロワーである名古屋の活動家にバカデカい愛として対談を申し込まれたからだ。謝礼が出るというのでそちらを優先させてもらうことにした。あまりにも手元にお金がないからだ。さすがに活動家がどうこうとは言えなかったので、適当に濁した。

 そして無事に対談を終えたところ、父親との集合時刻に間に合わなかった。わたしの時間管理が甘い癖もももちろんあるのだけれど、何よりもさっきのことでイライラしていて合流したくなかったので、なかなか父親のほうに向かう決心がつかなかったのだ。

 そして父親は待たされることが大嫌いな性分なので、もちろん怒られた。それでこちらもイライラを我慢できなくなった。なんで旅行中にわざわざ喧嘩に持ち込むのかが意味不明だった。たまの旅行ぐらい楽しく過ごすように努めろよ。

 「さっきの発言でイライラしてるのでもう合流しません」と言った。父親は「じゃあ自力で帰れよ」と言う。「もちろんそうさせていただきます。予約してくれてる新幹線のチケットもいりません」と返すと「そういうのは自立してから言え」ときたので、もういよいよ限界である。誰のせいで、がまた出かけた。しかしもう対話は放棄しているので言わない。

 

 その後、いろいろあってけっきょく新幹線は同乗することになったのだが、いっさい会話をしなかった。わたしはヘッドホンをつけることで「話しかけるなオーラ」を出して、完全に父親を拒絶した。もう善意に応えるとかどうでもいい。二度と会いたくないと思った。

 

 

 翌日、父親から「よけいなことを言って悪かったな」とLINEがきた。しかし、不適切な行動を形式的に謝罪されても、何がわたしをそうさせたのかを理解していなければ、また似たようなことが起こると思ったので、もういっそ全部話してやろうと思った。

 以下、LINEのスクショの一部である。

 

 しかし、これを送ってからものすごく後悔した。やっぱり対話を拒否していたほうが楽だったと思う。いろいろな感情はあれど育ててもらった恩はあるので、子から親として(人間として)否定されるというショッキングな体験を与えたくはなかった。立派に育った娘をロールプレイすることで幸せな老後を送ってもらいたかった。わたしが我慢さえすれば、父親が自身の人生を悔いる要素はひとつ少なかったのだ。

 わたしは大変な罪を犯してしまった。あと20年ぐらい黙ってヘラヘラしていればよかったのに。

 

 

 「つくづく身勝手なことをしてきたと思う。ずっとつらい思いをさせてきてすまなかった」というような内容の返信がきた。話が抽象的すぎて何を返せばいいのかがわからなかったので、既読無視をすることにした。

 すると翌日、ものすごく長文の感謝・謝罪・懺悔の追いLINEがきた。「生まれてきてくれてありがとう」「劣悪な環境にめげずに立派に育ってくれてありがとう」「親になってはいけない人間が親になってしまってごめんなさい」「苦労ばかりの人生を歩ませてしまってごめんなさい」などのことがたくさん書いてあった。

 「もうこんなやつと過ごすのも嫌だと思うし、厚かましいお願いにはなるけど、よかったら2回残っているライブをいっしょに行ってください」。11月・12月に、中学生のときから大阪公演はほとんど親子ふたりで観にいっていたバンドのライブがある。

 父親は、わたしのご機嫌をとれるイベントを罪滅ぼしにしてきた。昔のつらい記憶は新しいハッピーな記憶で塗り替えられるだろうと思っていたようだ。じっさいにはまったくそんなことはなくて、むしろその過去と現在のねじれに苦しくなるだけだということをわたしは言わないようにしていたし、それを知らない父親はまたわたしのご機嫌をとりつづけた。そしてわたしはまた苦しくなる。そんな悪循環を何年もやっていた。

 文章は「傷つけてしまった心は戻らないですが、せめてもの埋め合わせに送ります。生活費の足しにしてください」「健やかに生活を過ごせることを願っています」と締めくくられていた。

 

 本当にこれでよかったのだろうか。わたしはこんなことがしたかったわけじゃない気がする。もう自分の感情もめちゃくちゃでよくわからなくなっているけれど、べつに父親を親として(人間として)責めたかったわけじゃなくて、ただトラウマを抱えて生きていることを知ってほしかっただけだ。

 父親だって父親としての立ち回りに苦労してきたと思う。なんせうちは母親が無自覚におかしいからだ。そんな中でもごはんには困らないような生活を用意してくれたこと、不本意ではあったが教育を受ける機会を与えられたこと、そういうことの積み重ねでいまのわたしがいるわけで、だから育て方をまちがっていたと責めたいわけじゃない。足りないところはあったけれど、父親なりにできることをしてきてくれたと思っている。

 そしてわたしがほしかったのは、いまさらどうしようもないことについての謝罪でも、関西脱出計画の資金にしたところでまだ残るぐらいのお金でもなくて、親からまっすぐな愛情を与えられた過去と、子としてまっすぐな愛情を与えられる現在だ。そんな過去と現在はいまさら手に入れられないから、どうしようもなく悲しい。

 

 

 というわけで、思いもよらぬかたちで親殺しをしてしまった。ここ3日ほどめそめそ泣いて過ごしている。しかし、これでいよいよ自立するしかなくなった。もう親のせいにはできないし、自分の人生の責任は自分でとっていく。親から人生を取り戻すのではなく、自ら生まれなおして人生をはじめる。

 いまのところ残念ながら「生まれてきてよかった」とは思えたことがないけれども、いつか親にそう言えるような人生にしていくことが、親を殺した先でできるいちばんの親孝行だといまは思っている。

 

 幸せな人生というものは、きっと自分のさまざまな選択を正解にしていくことの連続によってできているのだろう。

 

 

 

音楽を聴くということは、耳から世界に参加するということ




 音楽というものは本当に素晴らしい。身体が重くてお布団から起き上がれなくても、視覚的な世界を拒絶するために目を閉じていても、スピーカーから流しているだけでなんとなくラクになれる。音楽を聴くということは、耳から世界に参加するということであり、つらいときに感じたくない世界をシャットアウトしながら好きな音だけを聴くことによって、世界のすべてまでもを憎んでしまわずに済む。世界に対する希望や期待を捨て去りそうになるところを、最後のところで踏みとどまらせてくれるのが、わたしにとっての音楽だ。


 今回は、鬱のときにひたすら聴いているプレイリストから3曲を紹介していく。

 


 1.天国なんて全部嘘さ/ANTENA
 
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 仙台で活動するバンド、ANTENAがメジャーデビューする際にリリースしたアルバム「モーンガータ」の中でも特に愛されている楽曲だ。
 この曲に出会ったとき、まずタイトルに惹かれた。 わたしは天国や地獄など死後の世界を信じてはいないものの、「天国ぐらいはあったらいいけど、まああるわけがないよな」ぐらいには考えていた。おそらく一定数の人も死後の世界にかんしては「ある/ない」と考えるところで立ち止まるだろう。彼らは「ある」とした上で、それを嘘だと言うのである。発想の斬新さには感動させられる。
 ボーカル・渡辺諒のやわらかくハスキーな声がエレクトロ・サウンドに乗って、甘いメロディとともにやさしいことばが囁かれる。 

  「排水溝に流れていく渦に呼吸しづらくなって」というフレーズは、まさに鬱のときの身体感覚をうまく表現していると思う。鬱になるとシャワーを浴びることすらままならなくなり、ようやく浴室に向かうことができてもやはり苦しい。閉じた空間とぬるい湿気に息がつまる。そして思わず俯くと排水溝にこころを吸い込まれそうになる。わたしは一時期、シャワーを浴びるとパニック発作を起こしてしまうことがあった。あのときの感覚をことばにするなら、まさにこのフレーズがぴったりだと思う。
  水というものは不思議なもので、良くも悪くも精神状態を左右する。少し前に「鬱には水辺が効く」という記事をmondのメンバーシップ限定ブログで書いたが、やはり湖や海や川などのデカい水が凪いでいるのを見ると、こころも穏やかになる。逆に、激しく流れる水を見るとどこか不安になる。排水溝に流れていく水は激しく流れながら吸い込まれていくので、こころまでもを同時に持っていかれそうになるのだ。

 そして、サビのたびに登場する「ここへおいでよ」以上にわたしが言われたいことばはない。わたしはいつだってどこかに行きたいし、どこにも行きたくない。その「どこ」じたいがどこかもわからない。ただ、この世界にどこにいても居場所がないという感覚があるのは確かだ。もちろん、「ここへおいでよ」も明確な場所を示されているわけではない。それでも、「ここ」という居場所があることを教えてくれること、「おいでよ」と待ってくれている誰かがいることは、この世界をひとりでさまよっていても帰る場所があるのだと安心させてくれる。



 2.タクシードライバー/Mom

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 MomのX公式アカウント(@karibe_mom)のbioにある「ラッパーでもバンドマンでもないです」という一言が好きだ。われわれは自身の輪郭を確かめるときに、自分を構成する要素(ジェンダー、職業、世代など)についてまず考えるが、「○○である」と考えることはあっても、「××ではない」と考えることはあまりないだろう。そういった否定形からのアプローチがおもしろく、またこういった視点は彼のシニカルな歌詞にも表れている。

 この曲が収録されているアルバム「PLAYGROUND」は全楽曲がGarageBandiPhoneに標準でインストールされている楽曲制作アプリ) で制作されていて、彼の実験的なDIY精神を覗くことができる。
 「PLAYGROUND」は活動初期のアルバムで、現在の彼の音楽性よりもトラックメイキングの要素が強いが、過去から現在が地続きになっていることを確かに感じられる1枚だ。

 その中でもわたしは「タクシードライバー」 が特にお気に入りで、メロディと歌詞が融合して演出するセンチメンタルな世界に浸ることができる。ひとつひとつの音が繊細で、少しでもずれると崩壊してしまいそうなトラックの儚さが魅力的だ。ぽろん、ぽろん、と切なくつづく音がわたしのこころを撫でる。
 「悲しい時だけ開けるドア そこで出会える仲間も消えていった」というフレーズには考えさせられるものがある。具体的なわたしの事情をことばにすると陳腐になるのでここでは割愛するが、そういった経験には思い当たるふしがたくさんある。どんな人間関係も気づかないうちに消えていくものであり、それはどれだけ深い悲しみを共有した相手でも例外ではない。自分のせいであることもあれば、相手になんらかの理由がある場合もあるが、どちらにせよ「消えていった」ことをそれそのものとして引き受けて、過剰に絶望したり感傷に浸ったりしてその場に立ち止まることなく、ひたすら生きていくしかないのだろう。そんな諦念と希望が入り混じったこころを肯定してくれる、素晴らしいフレーズだ。

 そして、「怖がりなあの子の足元も照らせるだろうか(中略)いっぱいの光で」という一節もたまらない。わたしはポエムに引用されがちな「光」なる概念をどうしても嫌いになれない。ありきたりで使いまわされすぎてきたことばではあるが、それでも「光」には惹かれてしまう。それはきっとわたしがいつだって「光」を探しているからで、容易に手が届くわけではないが、それでもたどりつくことを諦めないでいたいと常日頃からギリギリのところで踏みとどまっているからだと思う。「光」はそれだけで成立するものではなく、暗がりの中にいることで相対的に認識できるものだ。わたしは「光」を見たいのである。



 3.スピリット/ベランダ

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 ベランダは、現在は東京を中心に活動しているバンドだが、わたしが大学生の頃は京都市内で活動していた。当時京都に住んでいたわたしは、しばしば彼らのライブに足を運んでいた。歌詞にも京都の風景がよく出てきていて、その親近感も愛おしかった。その後しばらくは沈黙の期間がつづいたが、昨年6年ぶりに「Spirit」というアルバムをリリースした。
 最初にこのアルバムを通して聴いたときは、やはり6年も経っているのでわたしも彼らも変化しており、それに戸惑ってしまった。はじめはあまり好きになれないかもしれないと思っていたのだが、それでも聴きつづけていたら彼らの真髄のところはまったくずれていなかったことに気づいた。彼らが変わりながらも変わらないでいてくれたことが本当にうれしい。今は、このアルバムを死ぬまで愛していける自信がある。

 王道のギターロックと言われるとそうなのだが、しかしけっしてありきたりなどこにでもいるバンドではない。特段にひねくれた技巧や曲展開をするわけではないが、それでもリスナーにどこか「らしさ」の印象を残していくのがベランダというバンドである。
  この「スピリット」は言うまでもなくアルバムの表題曲で、1曲目に収録されている。繊細なアルペジオにはじまり、終盤に向かって音が大きく厚くなっていくという曲の展開だ。この先にどのような曲が待っているのだろうと期待をもたせる、まさに1曲目にふさわしい楽曲である。
  ベランダの魅力は、何といってもボーカル・高橋颯心の透き通った声で淡々とまっすぐに歌われることばだ。基本的に素朴なことばが選ばれるのだが、それらのひとつひとつに存在感がある。何気ないことばで人のこころを動かすことばの能力がすばらしい。

 何よりもこの曲ですばらしいのは「世界が君を待っている あくびしながら待っている」という歌詞だ。「世界が君を待っている」というようなニュアンスのフレーズはJ-POPのさまざまな曲で登場するが、そこで「あくびしながら待っている」とつづく歌詞をわたしは聴いたことがない。
 世界はわたしを待っているけれど、けっして急かしてくることはなく、あくびをするほどに退屈であってもずっと待ちつづけてくれる。どれだけこの世界に絶望してドロップアウトしそうになっても、焦って早とちりの決断をしなくてもいい。その道中を肯定も否定もせず、ただ待ちつづけてくれるのがこの世界であることの安心感。意外と世界はおそろしいものではないのかもしれない。わたしが勝手におびえているだけという可能性もある。じつはこの世界のすべてがわたしにとって安全基地だとしたらどうだろう。もしかしたら、わざわざ死を望まずとも生きたままでラクになれるのではないか。そんな提案をしてくれるのが「スピリット」だ。



 このプレイリストにはまだほかにも曲が入っているのだが、そろそろこころの感覚をことばとしてひねり出すことに疲れてきたので、この3曲でひとまず終わりにしておく。
 わたしは「○○に救われた」という言い回しが好きではない。言わんとしていることはわかるが、「救われた」ということばの裏にはとてつもなく広い世界があるからだ。もちろんその世界は人によってちがう。わたしは他人のそれをもっと見たいと思う。人間の数だけ認識される世界がある。それを「救われた」というたったのひとことで片づけてしまうのは、その世界を矮小化することにほかならない。
 だから、このブログを読んでくれたあなたは、あなたの「救われた」が意味する世界をぜひ教えてほしい。あなたの見ている世界が知りたい。下世話な好奇心と言ってしまえばそれまでではあるが、わたしはこの世界の多様さに圧倒される体験を愛している。どうかよろしくお願いします。


 

ようやくふつうの親子になれた気がしている

 

 

 昨日の朝、神経過敏っぽい全身の痛みと、寝ても寝ても起きられないだるさがあって、これはコロナだ!と思った。5年前、変異株が出る前の純・コロナにかかったときの感覚を肉体が覚えていたのである。

 病院に行ったらやっぱりコロナだった。先生が「マスコミはぜんぜん言わんけどねえ。めっちゃ流行ってるからねえ」とやや思想をまじえて言ってきたのがおもしろかった。

 そのときはほんのり微熱があったぐらいなのだが、「今晩は熱が上がると思うので解熱剤だけ出しときます」とのことで、アセトアミノフェンをもらって帰ってきた。コロナ専用薬は基礎疾患のある人だけが保険適用という制度は変わっていないらしい。

 

 それを母に報告したら、なんと自宅に支援物資を届けにきてくれることになった。もうすぐ実家を出て8年になるが、自宅に母を呼んだことは一度もなかった。テリトリーを侵食される気がしていたからだ。

 しかし今は特にそんな気もしないので、今日の昼に来てもらうことにした。

 

 

 母との関係性を再構築してからというもの、あのときに経ておくべきだったマザコンがぶり返している気がする。

 月に一度ぐらいの頻度で食事に行くが、解散するときはいつも「このあと事故に遭ったりして二度と会えなくなったらどうしよう」と不安になる。その日の夜に、母が死ぬ夢を見て泣きながら起きることもたびたびある。

 やはりわたしの心の中にはいつまでも子供のわたしがいるのだなあと思う。

 

 けっきょく昨晩は熱が出なかったので、解熱剤の使い道がなくなった。朝起きても熱はなかったし、なんならほとんどいつもと変わらないぐらい元気になっていた。ちょっと喉に違和感があるかも?ぐらいで、ふつうに動けるし、煙草も吸える。

 母は昼すぎにきた。うどんとクーリッシュ3つと健康食のゼリー2つを近所のスーパーで買ってきてくれた。

 「せっかく来てくれたところにごめんやけど、もうめちゃくちゃ元気やねん」と言ったら、「拍子抜けしたわあ」と笑っていた。

 

 2時間ほど他愛もない雑談をして母は帰った。特筆すべきことが何もない。強いて言えば、母はいつも昔話を美しく語るが、それを聞いていちいち傷つくことはもうない。

 当時の母にとっては、子育てが日常のすべてだったのだと思う。母はいま57歳で、人生の3分の1が子育てだったのだとしたら、昔のわたしの話は引き出しに入っていて当然だろう。過去のことはいつだって美しく思い出されるのである。

 

 

 母とどうでもいい会話ができるようになったことが本当にうれしい。ようやくふつうの親子になれた気がしている。これからもトラウマはトラウマとして残りつづけるだろうし、ときどきフラッシュバックして抑うつになることもあるだろうが、べつに目の前の母がどうこうとはいっさい思わない。

 10年ほどかかったが、わたしの中の子供のわたしが、5分の1ぐらいは成仏したと思う。あとはまだ父の問題が残っているけれども。

 

 今年の冬には、母に日帰り温泉旅行をプレゼントできたらいいなと考えている。このまま行くと経済面で挫折しそうなのだが、母が元気なうちにやっておかないときっといつか後悔することになるだろう。老後を元気に過ごせるとはかぎらない。

 母はとにかく身体が強靭なので、57年を生きてきてインフルエンザにもコロナにもかかったことがないらしいのだが、さすがに老いには逆らえない。白髪がだんだん増えてきている。消化器官も衰えてきたのか、会うたびに痩せていっている。死に近づいているのだなと思う。

 「この強い遺伝子の髪が1本1億円!タイムサービスで3本2億円!」という冗談のLINEが送られてきて、母の絶妙なギャグセンスに笑いつつ、これがいつまで続いてくれるのだろうとちょっと泣きながら、このブログを書いている。

 

 

 

健康でさえあれば何だってできる

 

 

 最近はあまりにも健康だ!健康すぎてブログに書くことがない。とはいえ何かを定期的に書き残しておきたいのだ。

 やはりわたしは不幸でないと何かを作れない人間なんだろう。それがよいほうに運べば文章や作品として表現することができるけれども、悪いほうに運べば何かを表現するかぎり不幸だということになる。だからわたしは作品をつくらなくなった。

 

 とはいえ、健康でさえあれば何だってできるな。始発でラーメンを食べに行くことも、ずっと楽しみにしていた大好きなバンドどうしの対バンライブに行くことも、選挙に行くこともできる!

 しかし双極性障害の怖いところは、この健康がまやかしである可能性がぬぐえないところだ。健康で楽しい日々を送りすぎた先に待ち受けるのは、生という地獄を突きつけられるだけの日々。

 どうにかこのまま死ぬまでこれでいられたらいいのに。まあでも健康寿命まであと60年ほどはあるし、一度たりとも地獄を見ないで済むなんてことはないのだろう。いまのうちに覚悟しておくことがいちばんの予防策だなあ。

 

 双極性障害には大変に苦しめられてきた。いまでも寛解しきったわけではないので過去形にはできない。たくさんの人を振り回しては信用をうしなったり、わけのわからない言動で傷つけてしまったり、病気さえなければうまくやれていた人間関係は(気づいていないものも含めて)たくさんある。

 いまさら悔いてもしかたないし、当時のわたしはあれがせいいっぱいでギリギリの生き方だったのだろうが、それでも手放してしまったことは悔しいし、巻き込んでしまった人たちへの申し訳なさがつのるばかりだ。そういう人たちにはもう二度とかかわらないことがいちばんの償いなのだろう。

 

 双極性障害についても発達障害についても、セルフスティグマはもうだいぶ軽くなったし、自分に障害があることを意識するタイミングはバイト中にやらかしたときぐらいしかない。これもこれでかなり死にたくなるので苦しくはあるが、四六時中つねに思考を支配されていた日々に比べれば立派な成長である。

 わたしはこういう日々を夢見ていたのだ。

 情緒に生活を破壊されずに生きていけるというのはすばらしい。社会生活も人間関係も何もかもを情緒で破滅させていた日々は、こんな薬を飲んだところでよくなるわけがないと思っていた(しかし格段に調子がよくなったのは生活スタイルを障害に合わせてからなので、薬だけでよくなったわけではないと思う)。

 あのとき諦めずに生きていてよかった!

 

 しかし、こういうことを言いたくなるときほど躁転しているのだ。躁転していると世界が美しく見える。この世のすべてがわたしを祝福してくれている気がする。だからわたしもこの世界に対して何かができると思い込み、たくさんの人を巻き込むような任意のデカいことに手を出して、途中で力尽きるのだ。

 何回これをやるんだろうと思う。でも情緒の変化に波風を立てないように低空飛行をだらだらつづけるだけの生に意味はないだろうとも思う。どうしたらいいんだろうな。

 とりあえずしばらくは様子見で行こうと思う。できることだけをやって、負荷はなるべくかけない。いまやりたいと思っていることの熱意が半年連続でつづいたら実行する。

 

 まだまだこの人生でやりたいことはたくさんある! ひとつ残らずやり尽くしてから死ぬぞ。

 

 

すべてがなかったことになってほしい

 

 2年ぐらい前に橋から川に飛び降りようとして、通行人に通報されて警察沙汰になったことが大変にめんどうくさかったので、もう自分で死のうとするのはやめようと決めていた。

 しかし本物の希死念慮はそんな決意など容易に忘れさせてしまうのである。

 

 前の晩に宅飲みしていた友人が自宅に泊まっていたのだが、朝起きた瞬間から世界のすべてに絶望するあの感覚がひさびさにあって、友人に朝ごはんを作ったりくだらない話をしたりしているあいだも、救急箱に入っている過去に服用を中断した精神薬をずっと頭の中で数えていた。

 べつにこれらはいつか服薬自殺を図るために残していたわけではなく、ただお金を払って手に入れたものを捨てるのが気に食わない性分によって9年間かけて溜めてきただけだ。

 近所の川辺に散歩に出ようと声をかけて外に出たが、友人がそのタイミングで帰ることになったので、これはチャンスだとすぐさま自宅に引き返して、救急箱を開いた。

 

 自殺に成功するにせよしないにせよ、誰かがわたしを発見したときに吐瀉物の処理をさせるのは大変に申し訳ないので、嘔吐の副作用が出る確率の高い薬(デパケンアモバンなど)は避けて、血圧を下げたり身体を眠らせたりする薬(クエチアピンやリポスミンなど)を集めた。血圧が下がってそのまま身体機能が壊れることを目論んでのことだ。

 しかし、結果は19時間睡眠という健康すぎる結果に終わった。念の為トイレの前で薬を飲んでそこに横たわっていたのだが、起きたときにはしっかりベッドにいるなどの夢遊移動までしている。もともとわたしの肉体は強靭なほうではあるし、もちろん飲む量も足りなかったのだろう。

 また失敗してしまった。幸い通報されることもなかった(交際相手が様子を見にきてくれたがふつうにすやすや眠っていた)ので、離れて暮らしている親にはバレていない。死のうとすればするほど生きることを望まれてしまうため、未遂に終わるかぎりは親にバレたくないのである。

 

 そして生活がつづいてしまう。とりあえず水辺を見に行こうと、JR湖西線で琵琶湖に向かった。死にたいときには水辺に行くのがいい。とりあえず入水自殺はしない。ただなんとなくそういう気分になる。大きな水はわたしに干渉しないし、わたしを突き放すこともないし、ただそこに流れていてくれるから心地よい。

 ヘッドホンで死にたいとき用のプレイリストを聴きながら琵琶湖を眺める。この時期の琵琶湖のコテージはまだ空いているため遊びにくる人もほとんどおらず、水際をつたない足取りでふらふら歩いても、ベンチに座って煙草を吸っても何も言われない。

 2時間ぐらいぼうっとして、日差しに疲れてきたため退散した。いきさつを心配して連絡をくれた京都のお友達の家に保護されに行くことになった。

 

 ほかにもたくさんのお友達から連絡がきていた。この人たちを悲しませないために死なないと決めていたのにもかかわらず、わたしはまた裏切ろうとした。本当にどうかしている。

 過去に交際相手と別れ話になったときに、彼が死をちらつかせたので「おまえの命はおまえだけのものじゃない」とあんなにも強い説教をしたのに、自分のこととなるとそんなに悠長なことも言っていられなくなる。死への使命感でいっぱいになるのだ。

 こんなにも心配と叱られをたくさんいただいているのに、いまこの瞬間も死にきれなかったことへの悔いに支配されている。誰かに助けてもらって生きながらえたいというよりは、ただこの命から解放されて楽になりたい。もう生きていたくない。すべてがなかったことになってほしい。

 

 それでもやはり死なないかぎり生活はつづく。それからはユニクロに行って夏に着たいTシャツを買った。ネイルサロンを以前から予約していたので爪も梅雨仕様にした。スナックにも出勤して月末の引き落としに備えた。

 こうやって生きていく理由をさがしていかなければならない。未来に生きる自分との約束を積み重ねて、とにかく死を先延ばしにする。それぐらいしかできることがない。

 正直、これも正しいとは思えない。なんでこんなことせなあかんねんと思っている。どうせ死ぬならいまでもええやんけ。

 

 調子が悪いので、本も読めないし、インターネットも見たくないし、タイミーにも行きたくないし、映画も観たくないし、寝てもすぐ起きるし、ただただ存在するしかない。時間はたっぷりあるが、お金はそんなにない。散歩や食事で時間をごまかすにも限界がある。存在への苦痛がひたすら引き延ばされていく。そして長い長い1日が終わって、またあたらしい1日がはじまる。

 この希死念慮が人体のエラーとは思えない。精神薬を処方されに行ってどうにかするべきものなのだろうか。どれだけ脳を化学物質で矯正しても、この肉体で生きているかぎりは苦痛がつづくし、生きれば生きるほど苦痛が鮮明になっていくだけなのに。

 

 救いの手を払いのけるわけにもいかないが、助けてもらいたいとも思えなくなってきた。生きろという呪いにかけられている。どうせまっとうに生きられるわけもないのに。

 

 

 

幸運には永久保証がない

 

 ついに自宅をゲットした!

 元同居人(パートナー)の家から逃げ出して、1ヶ月の実家暮らしにも無事に耐え、2年ぶりのわたしのお城である。

 

 病的な恋愛依存症由来の寂しさに狂いかけていた当時のわたしは、大学卒業とともに京都を出て、大阪市内で元彼との同棲をはじめた。夜職の人間同士だったころは生活がうまく回っていたが、わたしが夜職を上がったために価値観のずれが生じ、家出も同然で同棲を解消し、元同居人の家に転がり込んだわけだが、こちらもこちらで家族として生活するには相性が悪すぎたため、先月末に家を失ったのである。

 正直、引っ越しができるほどの経済的余裕はなかった。しかしクレジットカードの鬼の分割払いという強行手段に出れば何とかなった。家具・家電はジモティーとリユースショップで集めた。あとはフォロワーからのほしい物リストやmondのお布施にもかなり助けられた。
 本当にみなさんありがとう。いまやわたしの命はわたしだけのものではないということを理解したし、またひとつこの生にしがみつくための理由になった。

 

 2回も同棲に失敗してからようやく気づいたが、どうもわたしは他人との暮らしに向いていないようだ。他人といると気を張るので希死念慮からは一時的に逃げられるが、そもそも他人との関係性を構築するスキルが終わっているので、生活のさまざまなところで問題が発生するのである。

 狂いそうなぐらいに寂しいときは、誰かに助けてもらえばよいということに気づくのに2年もかかった。わたしはつくづくSOSを出すのが苦手で、他人からのアクションがないと身動きが取れない。
 こちらからアクションして断られたときに傷つきたくないという自尊心の脆さと、自分には誰かに助けてもらうだけの価値があるはずだという傲慢な試し行為なのだと思う。これでたくさんの人たちがわたしの元から離れていったのだろうと思うと、離れることを決意するほどに苦痛を感じた人たちには本当に申し訳ない。
 直接的に謝りにいくのもわたしがすっきりしたいだけなので、もう二度とその人たちの前に姿を現さないというかたちで詫びたいと思う。

 

 わたしのお城は2DKで、風呂・トイレ別、駅チカという好条件にもかかわらず、4万円台であまりにも破格だ。さすがにここまで安いと事故物件かもしれないが、まあいまのところは特に問題はない。大島てるの事故物件マップは怖すぎて見れていない。見たところで再引っ越しできるわけでもないので見ないでおこう。

 

 

 換気扇のある1部屋を喫煙可能ダイニングにした。4畳なのでヤニ汚れで弁償することになっても大した額にはならないだろうし、7~8年住めば経年劣化ということにして逃げ切れると聞いた。わたしはもうこのお城に骨を埋める気でいる。というかそれまでに南海トラフが来ると思う。

 前の住人がなぜかこの部屋だけ電気を外していった(残りの2部屋は残置物としてあった)のだが、電球を取りつけるのも面倒くさいし、デスクライトのほうが安価で済むだろうという算段で間接照明にしたら、ものすごくスケベな雰囲気が漂う空間になってしまった。まあここで煙草を吸ったりコーヒーを飲んだりするのは落ち着くのでよい。いまもこの部屋でこの記事を書いている。

 フォロワーがほしい物リストで贈ってくれた電気ヒーターが大活躍している。築年数の古い物件なので隙間風があり、暖房があまり効かない。2DKと広いのでなおさらである。本当にありがとうございます。

 

 

 最高のお城だ。毎日行きたい!

 というわけで、ちゃんと毎日帰るようになった。無駄な外泊癖をやめられたので節約にもなっている。そしてみんなに見せびらかしたくて毎日お友達を呼んでいる。最近の爆裂躁転も相まって、入れ替わり立ち替わりで誰かが来てくれるので、しばらくひとりで寝ていない。わたしは本当に人に恵まれているな。

 

 毎日来てくれているお友達のうちの一人に、「まうちゃんはこころの安全基地を作ろうとして失敗したときに傷つくのを回避してるだけで、ポリアモリーではないでしょ」という趣旨のことを言われた。しっかり見透かされていた。本当にその通りだ。わかる人にはわかるのだな。

 わたしは誰かひとりを深く信じて裏切られるぐらいなら、うっすらと複数人を信じたほうがリスク回避になるという算段のもとに、ポリアモリーっぽいことをしているだけだ。ずっとわかってはいたが、いまは特に困っていないということで目を逸らしつづけていた。「依存先の分散」を盾にしていただけで、真に博愛主義的なポリアモリーとはわけがちがう。

 

 所詮は穴モテの延長線上でしかない。このまま歳を食って「若さ」という価値を失うと、これほどまでに満たされることはきっとなくなってしまうだろう。死ぬまで愛されるババアもいるし、そうして逃げ切れる可能性もなきにしもあらずだが、それになり損なう可能性も十分にある。そのときのわたしは、かつて「若さ」という特段の努力をせずとも得られる価値によって回収してきた承認の気持ちよさを失うことに耐えられるだろうか。

 完全に「若さ」という価値を失っていないうちに、少しずつ改善していかなければ手遅れになる。人生がどうなろうとも最終的には自己責任なのだから。

 

 べつにひとりの人を愛し抜くことだけが唯一の美徳ではないとは思う。どのような関係性の愛であれ、当人らが合意していれば何ら問題はない。そこで問題になるのはモノガミーとかポリアモリーとかのイデオロギーではなくて、愛を裏切るような行動をとることだ。

 わたしはいまのところ愛を裏切る対象がいないから問題が表面化していないだけで、ただの幸運のたまものでしかない。

 幸運には永久保証がない。いつか途切れるかもしれないし、途切れることなくつづくかもしれない。こればかりはそのときが来るまでわからない。いまのわたしにできることは、幸運が途切れたときに転落する先の地獄がマシな地獄であるように準備しておくことである。

 

 

 ポリアモリーとか「光のバカマンコ」とか言って、他者との愛着関係の構築から逃げるのをやめたい。いつかくじかれたときに立ち直れないほどの傷になることは避けたい。

 そのときがきたら、誰かひとりを深く信じようと思う。人間関係には練習がなくていつだって本番だからこそ怖いけれど、目先の問題から逃げていてもただ先延ばしにしているだけで、いつか大きな災いとなって降りかかるかもしれない。

 

 わたしにとって「愛」は人生をかけたテーマだ。「バカデカい愛」を名乗りはじめたころにはここまで自分が「愛」について試行錯誤することになるとは思っていなかった。「世界を愛する気持ちが足りないからわたしは苦しいのでは?!」とふんわり気づいただけで、こんなに具体的な諸問題にまで適用されるとは予想していなかった。

 「わたしはバカデカい愛だ」という自己紹介ではなくて、「わたしはバカデカい愛になりたい」という決意なのだ。人生は目標があったほうが刺激的なので、これからもドシドシ邁進していく。

 いつか誰かを深く愛して信じられる日が来ますように。

 

 

 

ハズレなりのワハハを目指して

 

 年が明けた! 2025年がきた!

 ここ数年の年末年始は、シンプルに周期的に冬は鬱に陥りがちであることに加えて、「今年も何もなしとげなかった」という自責の念が乗っかって、メンタルヘルスが最悪であることが多かった。今年はそういう感じではなかったものの、前記事にあるように実家暮らしを余儀なくされているので、べつのベクトルでメンタルヘルスがよくない。でも10日ほど経ったからか、感覚が麻痺してきてそれなりでいられている。

 

 母は相変わらずわたしを歓迎してくれる。「お茶入れようか」とか「お腹空いてないか」とか、ささいなことでもとても気にかけてくれる。とてもゴキゲンそうで何よりである。

 記憶の中の母親と現実の母親の解離にももうそろそろ慣れてきたな。わたしや弟に暴力を振るっていた記憶がないというのは、きっと子育てという20年間もの異常事態を心理的に抑圧するための防衛機制なんだと思う。過去を思い出さないでいることで、いまの幸せに浸れるならそれでよいだろう。

 わたしがA型事業所で絵を描いていることについても、「才能を仕事にできるあんたはすごい」「あんたみたいなプロ同然の子がいたら会社もうれしいやろね」という具合なのだ。何でもかんでも自分にだけ都合よく解釈する母親に苦しめられてきたところも大いにあるが、すべてを好きなように解釈できるために詳しいことを聞こうとしないところに救われてもいる。もし「どうしてわたしが精神疾患をわずらったのか」という話になってしまったら、確実に揉めることが目に見えているから。

 母親にとってわたしは「誇らしい我が子」らしいので、もうそういうことにしておこうと思う。たとえそれが彼女の「出来のいい子に産み育てた母親」という自己肯定のためのねじれた認識だとしても、それを邪魔するのは得策ではないし、親不孝だと思う。いい子を演じるのはそれなりに得意だ。これまでと同じようにやっていくだけ。

 

 

 ここのところようやく「誰かにほんとうのところでぜんぶを理解されたい」という気持ちが薄れてきて、楽になった。ここに来るまでの過程で、たくさん失敗してきたな。たくさんの人を傷つけてきたと思う。ごめんなさい。

 でも、たくさん失敗してきたおかげで、これはきっとわたしには得られないものなんだろうなということに気づけた。世は公平を目指すべきだが、けっして平等たりえない。ガチャでハズレを引いてしまったら、ハズレなりのワハハを目指して生きていくほかはない。最後に自分を救えるのは自分だけだ。べつに「理解のある誰か」を手に入れた人の徳が高いわけでもなければ、手に入れられない人の徳が低いわけでもない。ただ現象と現象がぶつかってたまたまそうなっただけで、それ以上の意味はない。

 

 

 月末には高校時代の部活の同窓会がある。本当は新年に集まる予定が、あまりにも参加者が少なく流れてくれそうになったのに、一人が「でもみんなに会いたいから月末に再企画するね!」とか言い出して、行かないほうが不自然なことになりやがった。こんなことならLINEグループを抜けていればよかったな。存在を忘れていた。

 どんな顔をして行けばいいんだろう。高校生の頃はまだそこまで躁鬱がひどくなかった。高3の卒業直前におかしくなってしまったが、浪人とともに姿をくらませることに成功したために、特に誰にも異変に気づかれることはなかった。

 当時は、学年内でもかなりオベンキョーができていたほうで、いつも明るくゲラゲラ笑っていて、クラスの内外問わずお友達もたくさんいた。そのまま順風満帆に生きていそうと思われている気がする。それがいまや精神疾患でA型事業所に通所、結婚の見込みもなし(べつにわたしはそれでいいがやはり現実のコミュニティでは少数派になる)、将来はおろか半年先のビジョンも見えていない。

 こんなふうでは誰にも会いたくない。みんなそれなりにうまくやっていそうだから、じつはひっそり誰知らぬところで人生が転落していたことに気をつかわせるだろうし、気をつかわれることでさらにしんどくなる。

 

 

 ふだんは自分の人生には納得しているつもりでいるが、ときどきふとした瞬間に「こんなはずじゃなかったのに」と思ってしまう。こんなはずじゃなかった。何のためにあらゆるものを犠牲にして努力してきたんだろう。人生の調子がいっこうによくならない。

 しかし努力は報われるものだという思い込みは認知バイアスなのだ。べつに努力せずとも幸せになれる人もいれば、死ぬほど努力しても不幸のままの人もいる。これもまた現象でしかないし、それ以上の意味はないのだ。

 2025年もハズレなりのワハハを目指してやっていくしかない。今年の抱負は「生存」だ。生存をやっていくぞ!