おもしろいと思われるインターネット

 

 

 こんな時間にカフェインでバキバキに覚醒しています。

 カフェイン過敏症なので、コーヒー牛乳2杯とウーロンハイ3杯で手が震えてしまう。生えかけの親知らずが痛すぎるのでカフェインで痛みをごまかそうという試みだったのですが、カフェイン耐性のほうが先に限界が来ました。

 下を向けばゲボが出てくる気配がする。

 この家に住んで約3年とちょっと、一度もゲボを吐いたことがないままもうすぐ引っ越しを迎えるので、できればノン・ゲボで退居したいところ。

 

 

 最近、自分という人間があまりにもおもしろくないことに驚きつつ悩んでいます。

 わたしのツイッターは、(持ち上げるにしてもアンチするにしても)コンテンツとしてはそれなりにおもしろいと思う。おもしろいと思われるインターネットを心がけているので、刺さる人から見ればおもしろくて当たり前なのだけれど、それを提供しているいわゆる”中の人”の現物がおもしろいかといわれるとそうでもない。

 現在進行形でバーチャル空間にアーカイブされていく”一浪二留ADHD躁鬱メンヘラコンカフェ(元キャバ)嬢芸大生”という看板がレア種なだけで、現実のわたしはそれ以上ではないしむしろそれ以下でまである。

 

 来週以降、フォロワーがごはんを食べさせてくれる予定がぽつぽつ立っていて、奢らせてくださいとまで言われていて大変にありがたいのだけれど、フォロワーがわたしに割いてくれる時間と払ってくれるごはん代に見合うほど、質の高い時間を提供できる自信がないので困っています。

 救済(たす)けてください。

 インターネットがないとわたしってほんとうにおもしろくないんですよ。オタク特有の早口で概念的な理詰めをする中の下ぐらいのブスです。

 

 

 おもしろい人間になるにはどうしたらいいのだろうと考えて、そういえばおもしろい人間ってみんな頭がいいなあという結論にたどり着き、頭をよくするためにとりあえず芸術や思想の本をいっぱい買ったり借りたりしているけれど、もう絵に描いたように典型的な頭でっかちのバカすぎて悲しくなる。

 インプットがなければアウトプットはできないのに、インプットをしているとアウトプットをしていない時間への焦りで消費どころではなくなる。質の低い出力をする暇があるならば、質の高い消費をするべきなのは十分わかっているはずなのに。

 

 ゲボ吐きそうになりながらはてなブログを書くぐらいなら、水を飲みながら積読のひとつでも消化しなさいよ。

 

 

 おもしろい人間になりたいです。でもそれは、インターネットコンテンツをそのまま現実に持ってこればいいという話でもない。

 現実で「ワロタ」とか「草」とか声に出している人間が痛々しいことに代表されるように、インターネットで「エグいてェ!」とか「勝たんしか酒」とか言っても何も盛り上がらないように、インターネットはインターネットだからこそおもしろいし、現実には現実にしかないおもしろさがある。

 早く、インターネットだけでおもしろく生きていればすべてが許される世界を望みます。現実のわたしは、飲酒と喫煙と不審な挙動ぐらいしかできないので……。

 

 

 

 今日、フォロワーに「今までおもしろいと思う人間に出会ったことある?」と聞かれて、「よく考えたらいない」と答えたら、「じゃあ君が誰よりもおもしろいってことだよ」という旨のことを言われたけれど、別にわたしはおもしろくないし、そして仮に今までわたしが出会った人間の誰もわたしよりおもしろくないとすれば、この世でおもしろいのはいったい誰なんだ?

 おもしろい人間って何だ?

 我こそはおもしろい人間だぞ、というフォロワーがいたらDMください。どうしたらあなたのようにおもしろい人間になれるかを勉強させていただきます。

 

 よろしくお願いいたします。

 

 

 

よくも毎日こんなに生きるとか死ぬとか考えられるなあ

 

 

  眠れなくてムカついている。

 一度寝たら15時間とか寝るくせになかなか寝付けない。眠剤を飲んで翌日をポカにするほど暇じゃないし昼からバイトがあるので起きなければならない。

 過眠よりは不眠のほうがマシだというのは眠剤で学んだ。

 

 薬つながりで言うとエビリファイの食欲増進にもムカついている。

 最近なんでか食べたい気持ちを制御できないなと思ったらラモトリギンを減らしてエビリファイを増やしたのだった。

 「デブは甘えではありません!薬で太る人もいるんですよ!」というのをよく目にしていたが、薬で太ってもデブは甘えだと思う。

 夜中に豆腐をあけて塩昆布とごま油で和えてボウルのまま食べてしまった。糖質オフではあるのであまり太らないでいただきたい。

 

 日記をつけているのでわざわざはてブに書くことが少なくなった。誰にも見せるつもりのない文章だからこそ生まれてくる美しい言葉もあったりするのでそれをいくつか紹介して寝ようかな。

 

 

2021/2/14

 生き残ったらまたランチでもスイーツでも何でも行きましょう。

2021/02/25

 われわれも(煙草と同じように)どんどんなくなっている。時間軸に前方に。わたしたちは死ぬために生まれてきている。

2021/03/023

 あの子は人の0.8倍くらいのスピードで生きているし、あたしは人の1.2倍ぐらい生き急いでいる。スピード感が合わなかった。

2021/03/08

 「よるのふゆのうみ」は概念としては美しいけれど、実物は寒くてなんにもなくて夢は夢のままがいちばん美しいのだと思った。

2021/03/29

 3月のにおいは希死念慮を運んでくるので見て見ぬふりをするのに必死だ。

2021/03/30

 メンクリもバイトもめんどくさい。積極的に生きるって感じがしてすごく嫌だ。積極的に生きるってダサい。

2021/04/04

 早く終わりになってほしい。

2021/04/05

 人間だれしも嘘のひとつやふたつ抱えて生きているぐらいがちょうどいいでしょ。

 

 

 読み返してみたけれど、他にもよくも毎日こんなに生きるとか死ぬとか考えられるなあと思った。

 わたしはきっと躁鬱病ではなくても死にたがりの健常者(=ただのメンヘラ)だったと思う。それが行き過ぎて躁鬱病になったのかもしれないけれどもうそれは誰にもわからない。

 生きるとか死ぬとかについて考えることがアイデンティティレベルに染みついているのだ。

 これはもう10代前半の頃からの癖なので仕方がない。

 

 

 最近はたばこを吸うたびに力をなくしていくパッケージがかわいそうであまり吸いたくないと思うぐらいには感受性が豊かだ。わたしが絵描きだったら大量のくたばった空箱をキャンバスで油彩にでもしていると思う。

 たばこってなんでなくなっちゃうのかな。

 ケチだから諸行無常で美しいなんて思えないよ。むしろどうせなくなるものにお金を払っている意味(しかもべらぼうに高い)がわからないぐらいだ。

 

 

 積読がどえらいことになってきた。人から借りた本、美術館のショップで衝動買いしたもの、好きな作家がリリースしたもの。

 これは本当によくないところなのだけれど、消費している暇があれば生産したいと思ってしまって、読書のスイッチを入れてもすぐ消費していることへの焦りで気が散ってやめてしまう。

 インプットがなければなにもアウトプットできないのに。

 しかもその割には𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻に浮遊しているし。もうはちゃめちゃだ。

 

 今は幻冬舎新書の「平成精神史─天皇・災害・ナショナリズム」を読んでいる。

𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻の声デカおもんなアホリベラルのアンチでいるためにはさまざまな思想を勉強しなければ説得力がない。生存戦略だ。

 

 

 別にリベラルは悪いことではないけれど。勝手にやってくれていればいいのに「声を挙げずに見過ごすことは差別に加担していることに同じ」みたいなことを言われるとクソほど腹立つ。

 見過ごしているわけじゃないけれど、わたしは他人の粗探しが趣味で𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻をお気持ち表明で荒らすことで日々のストレスを発散しているお前らよりもよっぽど必死でギリギリで生きてるんだよ。

 マイノリティみたいにマクロな視点で見て生きづらそうだと同情される奴らがうらやましいね。社会から手を差し伸べられる余地があるんだから。わたしにはそういう属性の生きづらさはないので。強いて言えばメンヘラぐらいですか?笑笑

 

 

 全然眠くないな~どうしよう。シン・エヴァのために今更ヱヴァンゲリヲンを履修しているけれど途方に暮れそう。

 Tinderの男の子の家でやっと「破」を見たのでがんばって「Q」を見ているけれどたぶんシン・エヴァを見るなら「Q」よりも旧劇を見たほうがいいんだろう。

 

 その男の子がえらくわたしのGUCCIの香水の匂いを気に入ってくれてよかった。「会った瞬間にいい匂いだなと思った」なんて言われたら、うれしくてたまらないよね。

 なんべん訂正してもCHANNELと言い間違えるところがかわいかった。

 

 まあキャバ時代のお客さんに買ってもらったものなのであまり自分の手柄という気持ちはしないけれど。

 図々しいくせに微妙な謙虚さがあって小さいサイズを買ってもらったことを少し後悔している。どうせなら大きいほうを買ってもらえばよかった。期間限定みたいだし……。

 

 

 期間限定の香水の存在意義がわからない。

 どうせ気に入られてもなくなってしまう匂いならはじめからいなくていいじゃないか。

 せっかく誰かの記憶に残ることができるのに、もう会えなくなるなんて悲しすぎるよ。

 

 

 

他人を否定することしか知らない人たちの暴力性

 

 

 ここ数日、四月末に引っ越しをするべく断捨離に取り組んでいる。

 収集癖と所有欲の最悪のコンボによって我が家の1Kには物が多すぎる。収集癖によってたくさんの物が搬入されるし、所有欲によって物を捨てられない。

 物に命が宿っている、とまでは思わないが、物にも四次元的な要素は存在する。誰かのものとして時間を過ごした彼らには、その時間の分だけ人間でいう人格に近しい何かが備わっていると思う。

 京都市指定のゴミ袋の45リットルが6袋パンパンになってもなお物が多い。多いとは思うけど捨てられないのだ。ゴミ袋の中からこちらを覗く"所有主によってゴミ(=価値のないもの)と認定されたものたち"ににらまれるとひるんでしまう。

 

 

 引っ越したい理由のまずひとつは部屋に洗濯機がないことだ。うちのマンション(ハイツ)は部屋に洗濯機置場がなく、ベランダらしいベランダもないので室外にも洗濯機置場はない。その代わり、屋上に共同の家庭用洗濯機が置いてある。

 

 ひとり暮らしをはじめたときは、「洗濯機買うお金浮いた~♪」という思いで嬉々としてこの物件を選んだのだが、3年も経つと生活が限界レベルに怠惰になるので、数キロの洗濯物を抱えて階段をのぼるのが面倒で洗濯をしなくなる。

 しかし洗濯をしないわけにはいかない。わたしにはまだ社会に適合しようという意思が残っているから、服を着替えなければならないのだ。

 

 

 そもそもひとりぐらしを始めた理由は、毒親(母)から逃げるためだった。

 うちの母は端的に言うと頭がおかしい。詳細は省くが、アスペルガー気質と認知の極端な歪みによる最悪のコンボが人格において繰り広げられている。

 数少ない友人のうち、さらに少ない何人かの友人は母と顔を合わせたことがあるのだが、みんながそろって「……qusai_sochiのお母さん、やばい人だね(笑)」というような感想を後日聞かせてくれる。

 

 頭のおかしい人は自らの頭のおかしさゆえに、自分の頭のおかしいことを知らない。

 18年間ともに暮らしてきたが、あいにく双極性障害まで患ってしまって(当初は適応障害だった)、人生をいわゆるイージーに過ごすことが厳しい。

 

 このままではわたしはわたしの人生の主人公になりきれないことを確信をして、実家から大学が遠いこと(片道2.5時間)を口実に、大学の単位を捨てて週7のアルバイトに魂を売って25万ぐらい貯めて、なんとか父の協力を得て水面下で動いて突然家を出た。3年前の年末年始には14連勤をした。

 

 母はいまだにわたしが家を出た理由が実家と大学との距離だと信じ込んでいるので、わたしが母をよく思っていないことを知らないし、定期的にランチに誘ってくる。貧乏大学生としてタダ飯にあやかり毎回なんとか精神をすり減らしながら行っているが、いつも実家に帰ってこないかと打診される。そのたびに無自覚の暴力に悲しくなる。

 アスペルガー気質によって友達がおらず、わたしや弟のために生きることが人生の主題になっている彼女からそれを奪ってしまうことに罪悪感がある。産んでくれてありがとうとは一切思わないけれど、わたしを心の拠り所にしていることを平然と否定する残酷さは持ち合わせていない。

 

 

 はじめてこの部屋に住むことを決めたとき、内覧に来て一発で決めた。ほかにも候補はあったのだが、とにかくお金が25万円しかないので初期費用を浮かすことがまず最優先だったため、家賃が安く、敷金礼金もなく、コンロとエアコンと共同洗濯機が設置済みというこの部屋で即決した。

 今思えば、それがよくなかった。最低条件と妥協点は紙一重である。

 次の部屋の候補はすべて室内または室外に洗濯機置き場がある。そこだけは譲れない。エアコンはほしいけれど、コンロはなければ自分で買うつもりだ。

 

 

 昨年からうっすらと引っ越したいなあという気持ちを高めつつあったのだが、今年に入ってからその気持ちが明確になった。騒音の苦情が入るようになったからだ。

 どうもわたしの部屋はうるさいらしい。

 まずドアの音がうるさいらしいのだが、それはこの部屋のドアが悪いと思っている。古いハイツなのでドアの仕組みなのか錆なのか判断のつかない何らかの原因で、静かにドアを閉めることが難しい。初めてうちに来る人はまずドアの閉め方に苦労するし、そのたびに大きな音が鳴る。

 

 一方で、うるさいと言われれば確かに納得する。基本的に生活リズムが夜型にずれているし、仲のいい友人もたいがいそうなので、深夜帯が一日のうちでいちばん暇だから、いちばん人を呼ぶことに適している。

 だいたいわたしはお酒を飲んでいるので声が大きい。それは友人も然り。

 さらにわたしはTinderで遊ぶ趣味があるので家にいろいろな男性を連れ込んでいた時期もあるし、その果てにはもちろんセックスもしていた。

 そして騒音の極めつけはADHDムーブの鈍臭い生活音だ。今さっきも思い切りギターを倒した。

 

 深夜の客呼びと飲酒とセックスとADHDが揃うこの家がうるさくないわけがないのだ。

 うちのハイツの隣には大家さんの一軒家があるので、クレームを直訴できる仕組みになっている。そして最近、大家さんを通じてクレームを入れられる回数が増えた。

 

 正直、ムカつく。

 わたしがわたしらしく生活しているところに他人から文句を言われる筋合いがない。わたしがうるさいんじゃなくてお前らが静かにしようとしすぎるんだよ。みんなで好き勝手に暮らせば平等に騒がしくもできるのに、静かな暮らしを正しさとして他人を捻じ曲げようなんておこがましいにもほどがある。

 実際、わたしの上の階の住人は明らかに生活音ではない床との衝突音が定期的に激しく鳴るのだが、わたしはクレームを入れたことはない。おそらく男子大学生だと思われるが、彼は彼で楽しくやってくれればいいと思っているからだ。

 

 

 自分の正しさをもって他人を否定する人たちがほんとうに怖い。みんな正しいんだよ。自分の正しさを証明する方法として、他人を否定することしか知らない人たちの暴力性には常々辟易する。

 自分が正しいというのは大前提だけれど、それはみんな同じだ。みんな自分が正しい。正しさと正しさがぶつかり合っていざこざは起きる。いざこざの起きないぶつかり合いというものを想像できない人たちがあまりにも多い。

 自分が正しく生きることと、他人が正しく生きることの中庸について考えることのできる人がどれほどいるだろうか。

 

 わたしは己の正しさに則って正しく生きていきたい。でも、他人の正しさを否定しない形で正しくいたいと思う。

 固定のアンチが湧くほどに人格がひねくれていて、お世辞にも善人とは呼べないが、それでもわたしは世界中のすべての人たちの精神世界の平和を祈っている。

 

 

 明日(日付が変わって今日)、不動産会社に候補の部屋の内覧の予約を入れた。近々、新生活がはじまる。この時期に物件を探していると、まるで新入生や卒業生のようだけれど、しっかり留年して5年生になる。

 家賃は現在より2万ほど高くなるが、ないお金は稼げばいいということを14連勤で学んだ。

 コロナ禍の接客業アルバイト収入では限界がある。もっともっとクリエイターとしての質を高めて、需要の絶えない副収入でなんとか補いたい。精進します。

 

 

 

誰かにとっての神様になって救いを与えること

 

 

 4~5日前に友人が自殺未遂をした。日程から死への道のりをきちんと知らせてくれていて、なんて確固たる意志で積極的に死に向かう子なんだと感心するほどだった。

 いろいろアウトな部分があるので詳しくは書かないけれど(とはいえ察しのいい人ならわかると思う)、わたしはとある手段で彼女の背中を押した。

 死にたい人の死を応援することがその人のいちばんの救いだと思うから。死にたい気持ちを自己満足のきれいごとで無責任に否定されることほど胸糞の悪いことはない。

 

 自殺を引き留めるということは、その人の生き地獄が続くことを祈っているに等しい。残酷にもほどがある。

 結局その子は死ねなくて、生きて目を覚ましたときにご丁寧に電話をかけてきてくれて、自殺の実行から失敗までの流れも説明してくれた。おもしろい。本人も笑っていた。

 

 すると今日の昼ごろに弟から「友達が自殺未遂してんけどどうしよう」というラインがきて、自殺未遂が流行っているのか?と思った。

 同じ家に住んで同じ親に育てられて同じものを食べて育っても、こうも自殺についての価値観が違うのかと驚いた。

 弟はどうしても引き留めたいらしかった。理由は、死なれると悲しいからみたいな感じだったと思う。

 

 わたしは、友人が自殺をすると聞いたとき、ちっとも悲しくなかった。やっとこの子が苦しみから解放されて楽になれるのだなと、これまでいろいろな話を聞いてきたわたしまで報われる思いだった。

 わたしと弟のどちらかだけが正しいなんてことはない。どっちも正しい。死生観なんて人の数だけある。弟のような考え方がマジョリティだから、自殺者を減らそうなんて風潮が社会に蔓延しているのだろうけど。

 自殺者数が減ったところで、生き地獄に救われない人間の数は変わらない。

 

 

 感情論で自殺を引き留めるのは残酷だ。その人の本質を絶対的な救済に導くほどの約束もできないのに、他者の生死に干渉するなんて無責任な一方通行の執着でしかない。こんなものは愛と呼ぶわけにはいかない。

 人が死んで会えなくなることと、疎遠になったかつての旧友に会えなくなることの違いがわからない。最後というものはひっそりと日常に溶けている。もう二度と顔を合わせることがなくなるという点では何ら変わりはない。

 大切な人の死と、どうでもいい他人に会えないことはたしかに精神的なエネルギーを考えると並べるべきじゃないのかもしれないけれど、それにしても遅かれ早かれ人間は死ぬ。自分が先か大切な人が先かはわからないけれど、いつか二度と会えなくなる日がくることは産まれてきた瞬間から決まっている。

 

 自殺とは、その最後の日を自らの手で決めるというだけなのだ。いのちの上でもっとも尊重されるべきものである。

 自殺幇助が罪に問われる意味が分からない。誰かにとっての神様になって救いを与えることには無償の愛がある。死んだら何も返ってこないので。

 わたしはれっきとした無宗教であるが、神様ということばがとても好きだ。二十数年生きてきて、たくさんのことを知ったけれど、神様には会うことができないから、存在しない概念に無限の夢を見ることができる。

 

 

 弟はその子に死なないでほしいそうなので、まあ死にたがりが思いとどまろうとしそうなことばをいろいろ送ってなんとか今日は引き留められたらしい。

 「わたしがいなければこの世の何もかもがうまくいったのに」に対して「もういてしまっているのでそんなたらればは実在しないし、少なくとも他人を悲しませるという影響力がすでにある」的な返しをさせた。

 メンヘラにはド正論が効く。

 

 なんとかうまくいきそうな流れになったらしく、姉がメンヘラでよかったね、と言った。持つべきものはメンヘラの姉。大事なことはなんでも教えてくれる。

 

 

 わたしは冬にしては元気だ。年末と二月前半に爆裂な鬱がくるのがもう毎年のことだったけれど、いまはとてもはつらつとしている。いろいろな案件の〆切を抱えて、誰かに会う予定もいろいろ立っていて、生きる気力に満ち満ちている。未来の日付の約束とは、その日まで生きていますよという誓いである。

 これが躁転なのか寛解なのかはもはや自分ではわからない。のちのち鬱になってから、そのコントラストではじめてあれが躁転だったことに気づく。

 もし寛解だとしたらとてもうれしい。とんでもない量の薬を飲んでいるけれど、元気でいられるならなんでもいい。

 

 そういえば自分はもともとはつらつとした人間で、好奇心に向かってまっすぐで、あれこれ手を出す子供だったのだ。そのときのマインドを取り戻しているようで、やっと本当の自分を取り返すことができた。とてもうれしい。おひさしぶりです、おかえりなさい、と言いたい。

 

 

 これが死ぬまで続けばいいなと思う。死に向かって生きているのだから、楽しいほうがいい。

 どうか寛解でありますように。

 

 

 

メンヘラとは思えん図太さ

 

 今日も今日とて酩酊しております。あんまり何がなんだかわからないのですがぎりぎり正気です。なんたって記憶を飛ばしたことのない女ですから。

 ただ机の上が汚すぎて、物を避けながらタイピングをしているととっても誤字ります。うっとうしいですね。

 やっぱりタイピングとフリック入力には精神のところにちがいがあるとおもいます。タイピングのほうが、長文を書くぞ!!!というきもちになります。いまもタイピングです。

 フリック入力は、短いことばを濃縮して、いらないことばをたくさん削って削って削りまくるぞというきもちになります。画面がちいさいから、まっしろな画面に特有の緊張感がある。短歌の三十一文字は、ちいさい画面じゃないと書けないな。

 

 

 コロナ禍ってすごいですね。掛け持ちしているバイトの片方が、時短営業のおかげでシフトが全タコになりました。もう片方のメインのバイトも、人件費削減のためにゴリゴリに削られて、週1ぐらいでしか働けなくなっています。

 収入見込みは5万円以下。家賃は3.5万円。先月のクレカの請求は8万円(光熱費・食費込)。どうがんばっても無理ですね。誰かどう見ても大赤字。

 幸い学費のために数十万円を貯金をしているのでそこから崩せば生きてはゆけますが、学費のはずだったお金を、生命維持に使ってしまうことの虚無感。自分の人生を豊かにするために貯めてきたお金を、貧しい最低限の暮らしを維持するために使うことのみじめさ。

 

 今の社会の非常事態は、は誰も悪くないんですよ。マスク警察だったり自粛警察だったりがインターネットにはびこっていますが、結局抑圧される日々のうっぷんを晴らすために他人に八つ当たりしているだけ。

 

 

 というわけで、最近はもっぱら制作をおろそかにして、Tinderでごはんを食べさせてくれるひとを漁る乞食と化しています。いま4日目で、あと5日間は約束されています。毎日外食していてそろそろ太りそう。あしたのランチは韓国料理。女ってイージーフェミニスト死ね!

 若い女というステータスに救われて生きています。夜職にも2年半お世話になっているし。

 ネオフェミたちは女性の性的搾取を撤廃しようと必死でヒステリックになっておりますが、性的搾取のおかげで救われている命をガン無視しているので大嫌いです。結局ブルジョワなんですよ。性的搾取さえなければ心を豊かにして生きていけると思っているので。心の豊かさを二の次にしなければ生きてゆけないプロレタリアートが見えていない。

 視野が狭い人間ほど、意見が簡潔なので、言いたいことを言った気になるまでの段階が短いから、思っていることも簡単にすぐ言えちゃって、声をデカくする余裕がある。嫌になっちゃうな。

 

 

 そろそろ進級制作展の〆切がちかづいてきて、@mauchiii_のフォロイーにも限界を迎えそうなひとたちがちらほら散見されるようになってきました。一方、1日の半分以上を眠剤で溶かしているあたし。いまも眠剤をなくして焦っています。どこにいっちゃったの、あたしのドラール。あたしはおまえが大好きなのに、すぐいなくなっちゃうんだから。片想いが止まらない。捨てちゃったのかなあ。

 あ、見つけた。

 

 Tinderによくいるんですよ。「おもしろそうな人だなあと思ってライクしました笑笑」みたいなの。おもしろいのはあたしの人生じゃなくてお前の人生だよ。おまえのおもんない人生からすればそりゃあ機能不全家庭育ち一浪二留精神障害者美大生なんておもしろく映るだろうな。

 おまえの人生が薄っぺらいから、あたしがおまえの人生を豊かにするコンテンツになるんだよ。おまえの人生は微塵もおもしろくなってない。

 何者かになりたいけど何もできないから、何かをした気になれる西野プペルさんのオンラインサロンに乗っかるアホ共となんも変わらん。しょうもね~~~。

 

 

 たばこの本数が増えました。ちょっと前まで3日に1箱だったのに、いまとなっては1日1箱弱。毎日コンスタントに500円が飛んでゆきます。収入、5万円しかないのにね。

 コロナ禍で引きこもりを推奨されれば、もう家でバンバカ吸うてしまう。オンライン授業もたばこを吸いながら聞けてしまうから。たばこ会社もウハウハですね。喫煙者は、たとえ喫煙所が封鎖されても、喫煙可能な飲食店を減らしても、喫煙所をつくるんですよ。

 

 そういう行為って、とてもデザイン的だと思います。ゼロから自分の居場所を作り出して、自分の居心地のいいようにカスタマイズしていく。

 わたしは京都市立おもんなボケ芸術大学が死ぬほど嫌いですが、あの手作りの喫煙所だけは愛してやみません。はじめはただの灰皿があっただけの場所なのに、誰かがブロックを持ち込んで積み上げて椅子にする。おそらく彫刻専攻とおもわれる人のつくった没作品を持ち込んでちょっとだけ彩る。

 デザインをするってそういうことだと思います。誰もがデザイナーなんですよ、生きている限り。自分の豊かな人生を自分で作って生活していく。とってもデザイン的。

 

 

 人のお金でお酒を飲んで酩酊を目指したので、摂取した水分量が尋常じゃなく、尿意が止まりません。吐くほどじゃないので。全部下から出ていく。おしっこ行ってこよ。

 そういえば洗濯機をまわしたままだったな。共同だからはやく取りにいかないと。かなり前、「1時間以上待っています。早く代わってください。」というお手紙をもらいました。ものぐさで忘れっぽいもので。洗濯機をまわしたことですら忘れてしまう。

 

 次に住む家は、部屋に洗濯機がほしいなあ。誰にも邪魔されず、好きなときに洗濯したい。脱いだ服をそのままぶちこめるように、浴室のすぐそばにあると尚よし。

 まだお金も貯まっていないのに、物件をさがしています。いい感じの物件をいくつか阪急大宮駅のちかくで見つけました。大宮は快速急行が止まるから便利だな。桂とか長岡天神で乗り換えなくていいし。

 

 

 そろそろ飽きてきました。あしたのランチは12時半にJR大阪駅付近で集合。はやく寝なきゃ起きれない。そもそも眠剤を入れているので起きられるかどうか不明ですが、気合で起きます。

 気合で生きてきた人生なので。メンヘラとは思えん図太さ。

 わたしが104歳になる年に、22世紀がきます。1997年生まれなので、当時は20世紀。いま、21世紀。22世紀まで生きて、3世紀を股にかける女になりたいです。

 こんだけお酒とたばこに溺れてたら無理かな。肺か肝臓が精神より先にだめになっちゃうかな。

 

 躁鬱病って、躁のときは本当に人生が楽しくて、生きていることを実感するためにいろんなことに手を出してしまう。

 病院で主治医に「最近どうですか?」と聞かれても、躁を止められたくないから、「調子がいいです」と答えます。「過活動ではないですか?」と聞かれても、「寛解だとおもいます」と答えます。全然そんなことないのにね。クソデカい鬱が待ち受けているのを知っているのに。

 破滅的に生きることで、人生そのものを自傷行為に利用している気がします。でもこの生き方が大好きだからな。躁になるとまず第一にTinderをインストールします。いつ無理矢理レイプされてもおかしくないのに。リスクを楽しんでいるのかな。

 

 鬱になることの恐れを知らなければ、もっと幸せになれるのに。

 くれぐれもみなさまは健康でいてくださいね。身体と精神どちらかがおかしくなると、人生がまるごとおかしくなります。

 自分に悪影響をおよぼすと察知したものからはドシドシ逃げてください。神様からの試練などと思わないでください。壊れます。

 

 

 いい加減そろそろ洗濯物をとりにいきます。3000字も書いちゃった。やっぱりあたしには文章しかないな。資本主義の奴隷の誰かがひろってくれないかな。これで生きていきたい。

 収入がほしいよーん。がんばります。Tinderでメスとして生きます。おやすみなさい。

 

 

 

メンヘラとは思えん図太さ

 

 今日も今日とて酩酊しております。あんまり何がなんだかわからないのですがぎりぎり正気です。なんたって記憶を飛ばしたことのない女ですから。

 ただ机の上が汚すぎて、物を避けながらタイピングをしているととっても誤字ります。うっとうしいですね。

 やっぱりタイピングとフリック入力には精神のところにちがいがあるとおもいます。タイピングのほうが、長文を書くぞ!!!というきもちになります。いまもタイピングです。

 フリック入力は、短いことばを濃縮して、いらないことばをたくさん削って削って削りまくるぞというきもちになります。画面がちいさいから、まっしろな画面に特有の緊張感がある。短歌の三十一文字は、ちいさい画面じゃないと書けないな。

 

 

 コロナ禍ってすごいですね。掛け持ちしているバイトの片方が、時短営業のおかげでシフトが全タコになりました。もう片方のメインのバイトも、人件費削減のためにゴリゴリに削られて、週1ぐらいでしか働けなくなっています。

 収入見込みは5万円以下。家賃は3.5万円。先月のクレカの請求は8万円(光熱費・食費込)。どうがんばっても無理ですね。誰かどう見ても大赤字。

 幸い学費のために数十万円を貯金をしているのでそこから崩せば生きてはゆけますが、学費のはずだったお金を、生命維持に使ってしまうことの虚無感。自分の人生を豊かにするために貯めてきたお金を、貧しい最低限の暮らしを維持するために使うことのみじめさ。

 

 今の社会の非常事態は、は誰も悪くないんですよ。マスク警察だったり自粛警察だったりがインターネットにはびこっていますが、結局抑圧される日々のうっぷんを晴らすために他人に八つ当たりしているだけ。

 

 

 というわけで、最近はもっぱら制作をおろそかにして、Tinderでごはんを食べさせてくれるひとを漁る乞食と化しています。いま4日目で、あと5日間は約束されています。毎日外食していてそろそろ太りそう。あしたのランチは韓国料理。女ってイージーフェミニスト死ね!

 若い女というステータスに救われて生きています。夜職にも2年半お世話になっているし。

 ネオフェミたちは女性の性的搾取を撤廃しようと必死でヒステリックになっておりますが、性的搾取のおかげで救われている命をガン無視しているので大嫌いです。結局ブルジョワなんですよ。性的搾取さえなければ心を豊かにして生きていけると思っているので。心の豊かさを二の次にしなければ生きてゆけないプロレタリアートが見えていない。

 視野が狭い人間ほど、意見が簡潔なので、言いたいことを言った気になるまでの段階が短いから、思っていることも簡単にすぐ言えちゃって、声をデカくする余裕がある。嫌になっちゃうな。

 

 

 そろそろ進級制作展の〆切がちかづいてきて、@mauchiii_のフォロイーにも限界を迎えそうなひとたちがちらほら散見されるようになってきました。一方、1日の半分以上を眠剤で溶かしているあたし。いまも眠剤をなくして焦っています。どこにいっちゃったの、あたしのドラール。あたしはおまえが大好きなのに、すぐいなくなっちゃうんだから。片想いが止まらない。捨てちゃったのかなあ。

 あ、見つけた。

 

 Tinderによくいるんですよ。「おもしろそうな人だなあと思ってライクしました笑笑」みたいなの。おもしろいのはあたしの人生じゃなくてお前の人生だよ。おまえのおもんない人生からすればそりゃあ機能不全家庭育ち一浪二留精神障害者美大生なんておもしろく映るだろうな。

 おまえの人生が薄っぺらいから、あたしがおまえの人生を豊かにするコンテンツになるんだよ。おまえの人生は微塵もおもしろくなってない。

 何者かになりたいけど何もできないから、何かをした気になれる西野プペルさんのオンラインサロンに乗っかるアホ共となんも変わらん。しょうもね~~~。

 

 

 たばこの本数が増えました。ちょっと前まで3日に1箱だったのに、いまとなっては1日1箱弱。毎日コンスタントに500円が飛んでゆきます。収入、5万円しかないのにね。

 コロナ禍で引きこもりを推奨されれば、もう家でバンバカ吸うてしまう。オンライン授業もたばこを吸いながら聞けてしまうから。たばこ会社もウハウハですね。喫煙者は、たとえ喫煙所が封鎖されても、喫煙可能な飲食店を減らしても、喫煙所をつくるんですよ。

 

 そういう行為って、とてもデザイン的だと思います。ゼロから自分の居場所を作り出して、自分の居心地のいいようにカスタマイズしていく。

 わたしは京都市立おもんなボケ芸術大学が死ぬほど嫌いですが、あの手作りの喫煙所だけは愛してやみません。はじめはただの灰皿があっただけの場所なのに、誰かがブロックを持ち込んで積み上げて椅子にする。おそらく彫刻専攻とおもわれる人のつくった没作品を持ち込んでちょっとだけ彩る。

 デザインをするってそういうことだと思います。誰もがデザイナーなんですよ、生きている限り。自分の豊かな人生を自分で作って生活していく。とってもデザイン的。

 

 

 人のお金でお酒を飲んで酩酊を目指したので、摂取した水分量が尋常じゃなく、尿意が止まりません。吐くほどじゃないので。全部下から出ていく。おしっこ行ってこよ。

 そういえば洗濯機をまわしたままだったな。共同だからはやく取りにいかないと。かなり前、「1時間以上待っています。早く代わってください。」というお手紙をもらいました。ものぐさで忘れっぽいもので。洗濯機をまわしたことですら忘れてしまう。

 

 次に住む家は、部屋に洗濯機がほしいなあ。誰にも邪魔されず、好きなときに洗濯したい。脱いだ服をそのままぶちこめるように、浴室のすぐそばにあると尚よし。

 まだお金も貯まっていないのに、物件をさがしています。いい感じの物件をいくつか阪急大宮駅のちかくで見つけました。大宮は快速急行が止まるから便利だな。桂とか長岡天神で乗り換えなくていいし。

 

 

 そろそろ飽きてきました。あしたのランチは12時半にJR大阪駅付近で集合。はやく寝なきゃ起きれない。そもそも眠剤を入れているので起きられるかどうか不明ですが、気合で起きます。

 気合で生きてきた人生なので。メンヘラとは思えん図太さ。

 わたしが104歳になる年に、22世紀がきます。1997年生まれなので、当時は20世紀。いま、21世紀。22世紀まで生きて、3世紀を股にかける女になりたいです。

 こんだけお酒とたばこに溺れてたら無理かな。肺か肝臓が精神より先にだめになっちゃうかな。

 

 躁鬱病って、躁のときは本当に人生が楽しくて、生きていることを実感するためにいろんなことに手を出してしまう。

 病院で主治医に「最近どうですか?」と聞かれても、躁を止められたくないから、「調子がいいです」と答えます。「過活動ではないですか?」と聞かれても、「寛解だとおもいます」と答えます。全然そんなことないのにね。クソデカい鬱が待ち受けているのを知っているのに。

 破滅的に生きることで、人生そのものを自傷行為に利用している気がします。でもこの生き方が大好きだからな。躁になるとまず第一にTinderをインストールします。いつ無理矢理レイプされてもおかしくないのに。リスクを楽しんでいるのかな。

 

 鬱になることの恐れを知らなければ、もっと幸せになれるのに。

 くれぐれもみなさまは健康でいてくださいね。身体と精神どちらかがおかしくなると、人生がまるごとおかしくなります。

 自分に悪影響をおよぼすと察知したものからはドシドシ逃げてください。神様からの試練などと思わないでください。壊れます。

 

 

 いい加減そろそろ洗濯物をとりにいきます。3000字も書いちゃった。やっぱりあたしには文章しかないな。資本主義の奴隷の誰かがひろってくれないかな。これで生きていきたい。

 収入がほしいよーん。がんばります。Tinderでメスとして生きます。おやすみなさい。

 

 

 

睡眠薬と言う魔物

 

 睡眠薬と言う魔物と闘っているので、睡眠薬の話をします。

 かれこれ3年ほど中途覚醒に悩まされております。入眠から2~3時間後に勝手に目が覚めて、そこから即寝落ちできることもあればそのまま覚醒することもありますが、どのみち快眠ではないので、起きた瞬間に毎日イラっとしています。

 こういう小さなイライラのかたまりでクオリティ・オブ・ライフは下がっていくのです。

 

 中途覚醒に悩まされているということで、中~長時間作用型の眠剤を処方してもらっているのですが、結局どれを転々としても夜中に目が覚めるので、まだ"""解"""にはたどりついていません。

 コンプリートする日もそう遠くはないかもしれない……。

 

 いちばん有名な睡眠薬といえばマイスリーじゃないでしょうか。よくアルコールと組み合わせたODで脳みそをふにゃふにゃにして暴れまわり、健忘を起こして周囲の人間各位に呆れられるメンヘラというのはインターネットのあらゆるところで見かけられます。

 躁鬱病マイスリーが禁忌なので(躁状態で悪用する可能性が高いためだと思われます)、今年で通院5周年になるわたしは処方されたことがありません。やってみたいねんけどなあ。

 

 今飲んでいる薬はドラールで、その前はクエチアピンでした。厳密にはクエチアピンは眠剤ではないのですが、副作用の眠気を利用すれば爆眠することができます。個人差はありますが。何度も覚醒をしながら、トータルで23時間ぐらい寝ました。

 ドラールは最近飲み始めたのですが、これもまあよく効きます。きのうの夜0時半頃に飲みましたが14時半現在まだ眠い。

 

 

 睡眠薬のよくないところはそれなんですよね。

 眠れるけど、眠りすぎる。怠惰なのか遺伝子レベルの性質なのかはわかりませんが、わたしは放っておくと朝日が昇るまで起き、夕方手前まで寝るというリズムになります。

 一応まだギリギリ社会にしがみつく気持ちは持っているので、大学生は朝起きなければ講義を受けられません。なので、寝る前には眠剤をぶち込んで意識を強制終了させています。

 

 強制終了させた意識は、完全覚醒にも時間がかかります。

 中途覚醒を何回か起こして、この覚醒がちょうど社会のみなさまが起きるころかなというところでn度寝をやめて起きるのですが、昼間の眠気がどうにもなりません。頭がぼうっと働かなくて、目のあたりがずっとだるい。

 本調子を取り戻すのは夕方。夕方が夜になって眠剤を入れて強制終了。朝から昼まで眠い。また夕方に調子がよくなる。最高のパフォーマンスで生きられている時間が1日のうち8時間ぐらい。

 健常者とは真逆ですね。彼らは8時間睡眠で、16時間の社会生活を送っていらっしゃるので。すげ~。

 

 というわけで今は昼の2時なので、とろとろの眠気と闘いながら文章を書いています。こうすることでしか起きられない。勉強をしようものならすぐに寝てしまいそうで、かろうじて意識だけでも社会参加したい。

 

 

 ちなみに市販の睡眠薬と処方の睡眠薬は飲んだ感覚が違っておもしろいです。

 処方薬をODするほどの貴族ではないので(残りの日数分が足りなくなると困る)、市販薬でしかやったことがありませんが。

 

 処方薬の睡眠薬は脳がとろけていく感じです。自然発生的な眠気に近い気がします。一方で、市販の睡眠薬ジフェンヒドラミン塩酸塩系)は、脳よりも先に身体が寝ます。

 身体が先に寝るので、立ち上がったり動作をしたりすると筋肉が働かず、重力が地球の何倍にもなった別の星に生きている心地がします。あの気持ちいいだるさがおもしろくて何回かやっていたんですが、好奇心で飲む量をドシドシ増やしていると、ある日耳鳴りと幻聴が鳴りやまなくなるラインを超えてしまったので、それ以来それがトラウマでやっていません。

 みなさまもODは自分の身体と相談して行いましょう。

 

 

 生物の根源的な欲求こと睡眠ですら、脳味噌魔改造おくすりのめたね療法でしか解決できないの(しかも解決してない)、いよいよ生物として終わりじゃないですか?

 ──俺って、どうしたらいいですか?笑笑

 

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 いらんくなった精神薬、売りてえ~~~(泣)