喫茶店を愛しているという気持ち

 

 

 

 今日は喫茶店バイトの4日目だった。 

 わたしの働いている喫茶店はとにかくランチタイムが忙しい。しっかり食べ応えのあるプレートにスープとドリンク付きで990円。他にもサンドイッチやオムライスやナポリタンやケーキやパフェなど、喫茶店らしいメニューはほとんどある。もちろんクリームソーダもある。なぜかクラフトビールもある(瓶ビール・缶ビールがある喫茶店はたまにあるけれど)。

 コスパがいいこと、そして近隣に喫煙可能な飲食店があまりないことから、平日はサラリーマンやOL、土日はなんば周辺に遊びにきた人でいっぱいになる。

 

 

 飲食店の忙しさとADHDは相性が悪い。ADHDは、一をやろうとすれば十をだめにする生き物だ。

 学生時代の飲食バイト歴が長かったからか、「仕事覚えるの早いなあ」「まだ4日目やんな?」とは言ってもらえるが、店内が大忙しになるとポンコツになる。頭が真っ白になってその場でうろうろしたり、脳内を整理するために一人でぼそぼそ呟いていたりするので、側から見たわたしは本当に変だと思う。

 

 毎日40分前出勤(煙草を吸う時間の確保のためではあるが)をしていて、しかも「やる気満々です!」みたいな顔と声をしているので、自ら信用のハードルを上げにいっている気がする。真面目にやろうと意気込んだあまりに、図らずしも「期待の新人」感を演出してしまっている。

 一方で、例えばお客様の顔面にめがけてアチアチのコーヒーをぶちまけるとか、下げものをしたお盆をすべてひっくり返してめちゃくちゃにするとか、そういう破壊的な妄想の強迫が止まらない。いつかその妄想の通りに手が動いてしまうんじゃないかと毎日びくびくしている。

 

 

 人間関係の調子はわりといい。やはり喫煙可能店ということでスタッフのほとんどが喫煙者で、いつでも喫煙所コミュニティにいるような感覚がある。変なイキリ大学生とか、意識高い系フリーターとかがいなくて本当に助かった。ムカついて殺してしまうから。

 店長のおじさんはいつも機嫌が悪そうな顔をしていて、話しかけるときはいつもおどおどしてしまうのだけれど、店長は実は大の酒飲みで、あの機嫌の悪そうな顔はだいたい二日酔いだということを今日知った。みんなが「お父さん」と呼ぶ理由がなんとなくわかった。

 

 ただ、今日はひとり寝坊してきたスタッフがいて、その人は週1しかシフトに入らない上にほとんどの確率で遅刻や欠勤をするらしいのだけれど、その背景もあってか、喫煙所コミュニティ感のある和やかなみなさんが、その人に対してだけはめちゃくちゃ冷たくて怖かった。

 わたしも遅刻したらあんな感じに扱われるのだろうな、と思うと、自身の”時間感覚の欠如”という特性をよく理解して、毎日40分前出勤を心がけているわたしは正解なのだろう。喫煙者であることによって助かる命があります。

 

 

 今日はなぜか先輩が大量の缶ビールを持ち込んでいて、退勤後に同じシフトのみなさんで飲んだ。酒飲みばかりで会話もおもしろい。退勤後にお酒が飲みたい人は各自持ち込んでいいらしい。なんだそれは。

 あとたまに失敗したオムライスや焼きすぎたハンバーグ、賞味期限が近いケーキなどを店内が暇なときに食べさせてくれるのもうれしい。そしてドリンクは何でも飲み放題なのもうれしい。店内の忙しさが落ち着いたら煙草休憩を取っていいのもうれしい。

 本当にこんな職場に恵まれてしまっていいのだろうか。こんな労働環境、いったい働きに来てるのか遊びに来てるのかがわからなくなる。

 

 

 という感じで最近はかなり調子のいい日が続いている。わたしは、飲食店で働くと客に殺意が湧くタイプ(易刺激性)なので、喫茶店を愛しているという気持ちが、このままそれをカバーしてくれることを願う。

 みんな遊びにきてね。DMをいただければ店名とシフトを教えます。

 

 

資本主義社会の失敗作

 

 

 障害者雇用の求人に落ちまくる。正直なところ、障害者向けの就活をかなりナメていた。どうせどこかは拾ってくれるだろうと思っていた。現実はそう甘くない。

 まあ求人に書かれている採用実績一覧を見ると、身体障害者のことばかりが書かれていて、精神障害の採用実績を持つ企業は少ない。精神障害を採用している企業はIT系が多く、経験者を探しているようだ。

 まあそりゃあそうだろうな、と諦めはつく。社会は、身体に障害はあれど継続的にまともに働ける障害者か、精神に障害はあれどスキルを持ち合わせている障害者を求めているのだ。

 これが”ホンモノ”の弱者王決定戦なのかもしれない。

 

 

 数少ない大学時代の友人に「障害年金ってどんなシステムなん?」と聞かれて、「障害があって就労できない人に月6万〜払われる年金よ」と説明すると、「いいなあ」と言われた。

 至極真っ当な感想だと思った。働かずして1週間分ぐらいの給料に当たる額が振り込まれるのだ。普通に生きていたらありえない話だ。うらやましいと感じて当然である。

 「まあ障害もつらいからねえ」と返すので精一杯だった。

 

 薬さえ飲めばほとんど健常にいられる(と自分では思っている)ので、精神障害者の中でも比較的楽に生きているほうだと思う。薬でどうにかなる程度の生きづらさなのだ。

 だから、障害年金を取得することに一種の後ろめたさのようなものがある。

 今は働き口に困っているだけで、フルタイムで働こうと思えば働ける。おそらく。たった2ヶ月間ではあるができていた。

 

 

 だからこそ、先日までいっしょにいた同居人に「君は社会に向いてないからなあ」と言われたのには驚いた。

 わたしの生きづらさはたぶん自己責任だ。自分で認知を歪ませているのだから、そんなところにまで社会にケアを求めるのは過剰要求だと思っている。

 はたから見てそんなに生きづらそうなのだろうか。確かに生きづらいなあとは思うけれど、薬を飲んでもどうにもならない人に比べれば大したことはないのではないかと思う。

 

 この認識が正しいのか、自分の苦しみを矮小化しているだけなのか、もはや自分では判断がつかない。謙虚でいることと自責的になることの違いがわからない。

 もしただの甘えなのだとしたら、それで障害年金を取得するのはほとんど詐欺ではないか?

 

 

 まあ当分は生活が苦しいだろうから、週末の精神科で主治医に相談するつもりだ。

 少しずつジャブは打っていた。以前、「もし本当に必要ならまた言ってくださいね」と言われたので、たぶんなんとかなる気がしている。

 ただまあ障害年金は申請から取得まで数ヶ月〜半年かかると聞くので、それまで食いつなげるかどうかは微妙だ。どうしたらいいのだろう。

 

 そんな状態で無職でいるわけにもいかないので、今日は夕方からなんばの喫茶店のアルバイトの面接に行く。なんばで喫煙場所に困ったときにしばしば訪れていた喫茶店だ。

 応募の折り返しに来た電話で「うちは全席喫煙可の店ですが大丈夫ですか?」と言われた。そんなものわたしの大好物だ。絶対にここで働きたい。少なくともおしゃれで映えるキラキラカッフェでは働けない。そんなところにいたら気が狂ってしまう。

 

 

 どうにかなればいいなあ。どうにかするしかない。でもどうしたらいいのかわからない。

 エリート志向の母に育てられて、たくさんのものを犠牲にしてきた人生で、こんな修羅の道を歩くことになるだなんて、あまりにも皮肉がすぎる。

 資本主義社会の失敗作。以前、「中学受験は子の人生を狂わせる」というnoteを書いたけれど、あの頃よりももっと狂っている。どこまで狂っていくだろうなあ。もはや逆に楽しくなってきた。

 

note.com

 

 まあいつまでも親のせいにしているわけにはいかない。この人生を生きると決めたのは自分なのだから、自己責任だ。

 

 

 統一教会の件にしろ、京アニ放火の件にしろ、幼少期の家庭環境というものはその後の人生に大きな影響を与える。その親の影響が社会にとっての悪を生み出した。たまたまわたしはあちら側に行かなかっただけで、狂ってしまう気持ちは手に取るほどよくわかる。

 これらを個人の過激思想だと切り捨てるのにはもう限界がある。社会構造の問題だ。親になる可能性をもっているすべての人は、「おかしい人やね」と他人事で済ましている場合ではない。

 誰だって狂う可能性を秘めている。それの程度が違うだけで、たまたま運よく判断がつく状態でいられるだけで、少しでも歯車がずれてしまえば、明日は我が身なのだ。

 

 

 先日、東京藝大の「ヤニカス」展示でツイートが拡散されたときも、引用RTで「ヤク中」「大人しく薬を飲んでろ」という旨のヘイトを受けた。

 社会の認識なんてその程度なのだ。自分のまわりにはメンタルヘルスに問題を抱えた人が多いだけで、蓋を開けてみればものすごくマイノリティで、健常な人にとっては理解の及ばない存在なのだろう。

 

 

 誰もが生きづらさを抱えていると言われる社会で、生きづらさ比べをして、足を引っ張り合っている場合ではない。

 自分がどうにか助かるようになるのにも、社会がどうにか助かりやすくなるのにも、膨大な時間がかかるのだろう。その過渡期にいる人間がいちばん苦しい。

 どうにかなればいいな。どうにかするしかないのだけれど。

 

 

 

絶望ごっこをしていたって、誰も助けてはくれない

 

 今日はわたしの人間関係でいちばんと言っていいほど大好きな友達と、ジャズ喫茶に行ったり、おいしいと評判のうどんを食べたりして、とてもいい日だった。

 昨日は、お昼に「デカ愛さんに一度お会いしてみたいと思っていて……」と言ってくれたフォロワーと喫茶店をはしごした。初対面だったけれど、社会に対する問題意識(特に芸術に携わる学生についての悪口)や、音楽というものの素晴らしさについて語って、喫茶店1件では足りないぐらいに盛り上がった。

 夜はずっと仲良くしてくれているフォロワーと朝まで飲んでいろいろな近況報告をしたり、転職活動の相談をしたり、政治思想について議論したりした。「まうちゃんと社会の話をする日が来るとは思っていなかった」「まうちゃんには社会のことを考えてほしくない」と言われて、わたしのことをよくわかってくれているなあと思った。わたしもまさか自分が社会に迎合して生きていくことを志す日が来るとは思ってもみなかった。

 

 わたしは本当に人に恵まれているなあと実感する。他人といると、生きることの苦しみを一時的に忘れられる。

 一人でいるのが好きなのに、ひとりぼっちでいるのは寂しいというわがまま極まりないスタンスで人間関係をやっている。わたしと交友関係にあるみなさま、振り回してしまって本当にすみません。

 無職になって数日が経つが、人に恵まれているおかげで毎日誰かしらがいっしょに時間を過ごしてくれて、暇せずにやっていられる。こんなにもありがたいことはない。

 

 

 やはり労働は心身に悪い。労働をやめてから生活に余裕ができて、精神が安定している。まあ躁鬱を悪化させないためには必要な時間なのかもしれない。

 とはいえずっとこうしているわけにはいかない。実家も頼れないし、手っ取り早く稼げる夜職ももうやらないと決めたし、お金を得る手段が本当にない。なんとかしなければいけない。

 

 転職活動では障害者雇用を探している。しかし、職歴がほぼない精神障害者を雇ってくれるところはあまりにも少ない。

 だいたいの求人は、職歴と専門的なスキルを持っているが職場の環境を変えたい人向けに用意されている。IT系の求人がかなり多く、その次に事務職。ゆるめの条件でも「社会人経験(一年以上)」。

 第二新卒で探してもいいけれど、4月入社ではそれまで食いつなぐことができない。今すぐに働けるところを探しているのに、条件も相まって全然見つかりそうにない。本当に困っている。抜け道がなかなか見つからない。本当に困った。

 

 

 社会があまりにも健常な人向けにできていて辟易する。心身ともに健康で、ストレートで大学を卒業していることが前提だ。ドロップアウトすると、復帰するための道のりそのものがかなりハードモードになる。

 まあ別に死ぬまでフリーターでもわたしはいいのだけれども……。主治医の反応もやんわり感じたところではあるが、障害年金を前向きに検討してくれているように見える。使える福祉は使っていったほうがいい。変に気張って精神障害が悪化するほうが厄介だ。

 

 

 生きるというのはこんなにも難しいのか。自分の”普通”があまりにも通用しない。どんな属性の人でも健やかでいられることが保証されていればいいのにな。

 誰しもが、自分のままで幸せになる権利を持っているのだ。その権利は誰にも妨害することはできないはずなのに、なんだかみんな不幸比べをして、不幸な人間同士で足を引っ張り合っていて、救いがないように見える。

 社会はおかしいなと思うけれど、闘う気力もない。自分のすこやかさを維持するだけで精一杯。きっと社会にはそんな人だらけだから、みんなヒーローを待ち侘びてその場で足踏みをしているだけだから、社会はどんどんおかしくなっていく。もうこの先どうにもならないのだろうか。

 

 

 本当に、わたしは自分のことだけで精一杯だけど、せめて自分のまわりにいてくれる人だけでも幸せにしたい。全員がそういうふうに心がければ、回り回って全員が幸せにならないかな。さすがに夢見がちすぎるかな。

 どうにかなれ、と思いながらもどうにもできないことに対しての絶望。だけど、絶望ごっこは怠惰だ。この上ない快楽だ。絶望感に酔うことで現実から目をそらすことは簡単だ。

 

 絶望ごっこをしていたって、誰も助けてはくれないんだ。なんとかしなきゃ。

 明日もまた人に会う予定がある。その人になるべくたくさん幸せに過ごしてもらう。それもまたおかしな社会へのひとつの反抗ということにならないかな。

 

 

 

幸せになることがいちばんの恩返し

 

 

 次の仕事が見つかっていないのに、職場を辞めてしまった。

 辞めた理由としては、いま精神状態が悪いからというよりも、これから正社員登用の条件を満たすための生活をするのが厳しくなりそうだからだ。そして今が現場の入れ替え期なので、新しいプロジェクトに関わるようになる前のこのタイミングで辞めるしかなかった。

 採用後に、試用期間中に普通運転免許を取らないと正社員になれないという条件を説明されて、しかも次の現場は不定休の夜勤が2ヶ月続くので、夜勤をこなしながら昼に教習所に通うことになってしまったのだ。

 ただでさえ双極性障害は不規則なリズムで生活することが推奨されないのに、不定休かつ夜勤かつ休みの日に教習所に通うというのは、健常な人でもまともにやるのがかなり難しいと思う。

 

 おそらく躁鬱を自覚する前の自分だったら何も考えずに挑戦していただろうし、どれだけしんどくても鬼の精神力で達成はしていただろうけれど、反動でものすごい鬱にもなってしまっていただろうし、こうやって後先のことを考えて早めに決断を下せるようになったことは、よい傾向だと思う。

 一方で、向こう見ずでアグレッシブな生き方を控えるようになったことは、寂しくもある。

 浪人も、一人暮らしも、転専攻も、すべて賭けの気概でやってのけたし、自分の人生を大きく変えてくれたのはいつも躁転だった。

 躁鬱を飼い慣らすということは、波風の立たない生き方を選ぶということだ。

 躁鬱的な生き方がアイデンティティの奥深くにまで食い込んでいるので、これを手放すということは自分の根っこをひっくり返すようなものであり、少し戸惑いがある。

 

 

 しばらく無職を謳歌したいものだが、なんせ貯金もなければ、障害年金も受け取っていないので、わりと真剣に詰んでいる。

 先日のコンカフェ卒業イベントで稼いだお金がそれなりにあるのが救いだ。それも来月の生活費に回せば一瞬でなくなってしまう。

 

 

 夜職はなんだかんだで5年続けた。キャバクラ、コンカフェ、ガールズバー、メンズエステ、チャットレディ、いろいろな業種をやってきたが、コンカフェがいちばん向いていたと思う。

 わたしはものすごく人間が嫌いだけれど、それと同じぐらい人間が大好きなんだろう。夜職のおかげで男も女も大嫌いになったし、男も女も大好きになった。

 お酒をいっしょに飲んでおしゃべりするだけの仕事ではあるが、「だけ」で括ってしまうにはもったいないほどのたくさんの経験を、たくさんの人に用意してもらった。それは何もおいしいご飯に連れて行ってもらうというような実利的なことに限らず、人を愛するということはどういうことなのか、素敵な人間とはいったいどんな人間なのか、いろいろなことを考えさせてくれる貴重な機会だった。

 わたしは本当に人に恵まれている。キモいオタクに粘着されることもあったけれど、大半は素敵なお客様だった。ものすごく有意義で楽しい時間だった。吐くほど飲んだり、変なおじさんに説教を食らったり、嫌なこともたくさんあったけれど、それ以上に得たものが大きい。

 

 

 自分が素晴らしい経験をしたからといって、心身ともにリスクが大きすぎる仕事なので、他人に勧める気はまったくないけれど、決して悪い仕事ではなかったなと思う。

 「生活を優先させるために効率的にお金を稼ぎたい」という動機だけで始めたこの仕事が、こんなにも精神的に素晴らしいものだったなんて、想像すらもしなかった。

 わたしに会いに来てくれていたすべてのお客様が、わたしに会う機会はなくなっても、どうかどこかで幸せに生きてくれていればいいなと心から願っている。本当にありがとうございました。おまえらがまるちゃんを好きでいてくれた以上に、おれはおまえらのことが大好きだよ。またどこかでばったり会えたら声をかけてね。

 

 

 わたしは本当に人に恵まれすぎていて、その人たちに何も返せていないことが心苦しい。

 わたしは人に寄りかかってばかりで、いつまで経っても自分の足で立てない。もちろん誰しもが多かれ少なかれ他人に依存していて、そもそも健全な人間関係というものは軽い相互依存の分散であるとはいえ、わたしは他人を搾取してばかりで、それに見合った価値のある何かしらをまったく提供できていない。

 どうすればいいのだろうか。これほどまでにたくさんの大きな愛をもらえる人生で、わたしがやるべきことは何なんだろうか。だらっと生きているだけではいけない気がする。

 

 きっと生きることを諦めずに幸せになることがいちばんの恩返しなのだろうな。どうしても自殺がしたくなったら、これまでわたしに愛を向けてくれた人たちのことを想って、なんとか踏ん張らなければならない。

 とにかく今は耐えるべきタイミングなのだろう。仕事がなくても、お金がなくても、めげずに生きていかなくちゃいけない。少しずつ前向きに舵をとってやっていく。

 

 

 この前向きな気持ちが躁転でないことを祈る。早く健康になりたいよ。

 

 

 

死ぬ勇気もないし、生きる気概もない

 

 

 

 会社でやることが何もないから(上司は何も指示を出してくれないし、勝手に何かをして怒られるほうが厄介なので)、ずっとネットサーフィンをしている。
青空文庫でいろいろな本を読む。自殺した作家の話ばかりが気になる。作家のWikipediaに飛んで、自殺のエピソードを片っ端から読む。そのまま心中事件や殺人事件のページに飛んで、死んだ人に思いを馳せている。
 死というものに限りなく近づこうとしたって死にたくなるだけだし、どうせ死なないのだから無駄な時間でしかないのだけれど、死というものの持つ莫大なエネルギーに引っ張られてしまう。ほとんど自傷行為のようだと思う。

 

 


 入社してたった2カ月ではあるが、転職活動をしている。面接時と入社後で条件が違うからだ。給料があまりにも低い。これでは人間らしい生活がままならない。
 この低賃金で生きていくのは、実家暮らしならまだしも、わたしは実家を頼れないから厳しい。頼るなと言われているわけではないし、母にはいつでも帰ってきなさいとは言われているけれど、どうせ帰ったって精神状態を悪くするだけなのだ。母は、今も昔も悪意がないからこそ「帰ってきなさい」と言えるのだろう。わたしが今でも苦しんでいることにまったく気づかないのだ。


 母はわたしが公立大を卒業したことで鼻が高々であるようだ。事あるごとに「あんたは公立大卒やからなあ」と言う。母は最終学歴こそ国立大の修士号ではあるが、学部は私立の通信大卒だ。自分にないものを持っている娘はさぞかし華やかに映るのだろう。母は学歴さえあれば自分の人生はもっと豊かであったはずだと信じてやまず、わたしに学歴をつけようとしたのだろうなと推測している。
 でも、心を病んでまで手に入れた学歴が何の意味を持つのだろう。


 社会は、学歴なんかよりも、すこやかな人材を求めている。浪人も休学も留年もしないストレート卒業で、新卒から職歴にブランクがなく、心身ともに健康な人間が求められているのだと、就職活動を通して強く実感した。
 浪人休学留年あり職歴なし精神疾患という肩書きが災いして、低賃金の重労働しか選択肢がないというのが、なんともわたしの人生をよく表しているなと思う。
 全部これまでのツケだ。
 母は、ヒステリーと暴力を用いてまでわたしの人生をよりよくしようとした。その結果がこれだ。とても皮肉が効いている。

 


 ただ、ここ数日で教育虐待や機能不全家族に関する本を数冊読んだのだけれど、昔よりは心が引っ張られなくなったように思う。そろそろ母の呪縛が解けてきたのかもしれない、と希望的観測をしている。
 でもそれは、先日ふいに露呈した父の現在進行形のおかしさが、母の過去の狂気を上書きしたからなのだろうとも思う。ひと段落したというよりも、問題の軸がずらされただけのような気がしている。


 帰省した際に言われた「いつまでそんな(過去の)こと言うてるねん」という父のことばがずっと突き刺さったまま抜けない。おまえからすれば過去のことなのだろうね。娘が後遺症とも言える過去のトラウマに今でも苦しんでいることなんて想像すらしたこともないのだろう。すべては地続きだというのに。
 憎しみが止まらない。家族のLINEグループを抜けて、父のLINEもブロックしようかなと思うけれど、それでいちいち理由を聞かれても(おそらく弟を介して詮索が入る)、もうわたしにはすべてを説明する気力なんて残っていないのだ。いまさらこの苦しみに気づいてほしいとも思わない。ひとりよがりな罪滅ぼしをするぐらいなら、もう関わらないでほしい。

 


 ただまあそれでも死なずに生きることを選んでいるのは自分の責任だし、もういい加減に親のせいにするのはやめようと思ってはいるものの、人生が行き詰まるたびに、自分の狂ったバックグラウンドが今のわたしをここに導いているのだなと思い知らされる。


 ピアノやバレエや水泳や英会話などの狂った数の習い事で友達と遊ばせてもらえなかったことも、夕食後にテレビを見ていたら「そんな暇があったら勉強しなさい」と殴られたことも、山積みになった中学受験用のテキストが終わるまで家から出してもらえなかったことも、五ツ木模試がC判定の高校は受験すらさせてもらえなかったことも、部活動をやめて勉強に専念するようにと交通費の支援がなくなったことも、芸大に行くと言ったら「うちに浪人生がいるなんて恥ずかしい」と罵倒されたことも、せっかく第一志望に合格したのに人間が怖くて引きこもるしかなく不登校になったことも、本当に自分がやりたいことが何なのかわからなくなって留年したことも、留年分の学費を払うためにアルバイトに夜職を選んだことも、ようやくやりたいことが見つかって大学院に進学したいと思ってもそもそもの生活がどうにもならなくなったことも、全部、全部地続きだ。


 そして、いつまでもそんなことを言って、前向きに生きることを検討しない自分のことも大嫌いだ。早く前向きになれよ。いつまでうじうじしているんだ。その間にも社会は回っているというのに。どんどん置いて行かれたって、いつまでも後ろ向きに生きることを選んでいるのは自分なのだから、自業自得だ。自分で自分の首を絞めている。

 

 


 人生の選択も対人関係も何もかもがうまくいかない。破滅する不健全な恋愛と、その場しのぎの消費的な友情ばかりしている。支配するか依存するかの二択しかわからない。
 加害性にまみれた被害者気取り。もう誰とも関わらないほうがいいのかもしれない。わたしはすぐにそうやって白黒思考に走る。だけど宙ぶらりんがいちばん苦しい。すべてを拒絶できればどれほど楽だろうか。そんな強さも持ち合わせていないくせに、ない理想ばかりを追いかけて、現実から目を逸らしつづける。


 今まで傷つけてきたたくさんの人たちに謝りたい。許されるとは思っていないけれど、謝るというコミュニケーションを取れることが自分に残された唯一の人間らしさだと思っている。いや、人間らしくいさせてほしいから謝りたいだなんてとんでもない自分中心主義だな。許すか許さないかを決めるのは、わたしの人生に巻き込まれた当事者たちだ。それはわたしが謝ろうが消えようが変わらない。

 

 


 あー本当に苦しい。人生を一時停止させたい。仕事も人間関係も何もかもをやめて休みたい。だけど休んでいるうちにも社会は回る。立ち止まっている間にいよいよもう追いつけなくなってしまう。だからしがみつくしかない。スタートダッシュの残り滓みたいなエネルギーの惰性だけで動いている。


 本当に、どうにもならなくなってきた。死ぬ勇気もないし、生きる気概もない。とにかく苦しい。

 

 

 

お前にとっては終わったことかもしれないけれど

 

 実家に帰ると精神状態が最悪になるのは毎度のことだ。それでもわたしは、元気な顔を見せに帰って、親の作ったごはんをおいしそうに食べることが親孝行だと思っているので、お盆休みということで今回も懲りずに帰省した。

 

 母はほとんど無害だった。わたしは最近また恋愛で大失敗をしてしまったのだけれど、「あんたは大丈夫や」と励ましてくれた。わたしのことをほとんど理解していないからこそ投げられる無関心なことばも、時には救いになる。

 人生がうまくいかないことはわたしが一番しんどいし、責めるでもなく干渉するでもない無関心な母の態度は、今のわたしにはとてもありがたいものだった。

 

 

 今回、厄介だったのは父のほうだった。わたしがまた恋愛で失敗したことを責めた。

 失敗したことを話すと(なるべく言いたくはなかったが、話さざるを得ない流れだった)、父は「だから言うたやろ」「お前はいつも親の忠告を無視する」と言った。

 独りよがりで誰にも相談せずに物事を事後報告で進めて破滅するわたしを許せないようだった。

 

 そもそも、わたしの心は親に閉じている。独りよがりも何も、はじめから期待も信用もしていないのだ。それは幼少期の頃からずっとそうだ。いちばん助けてほしいときに助けてくれなかった人を、どうして頼ることができようか。

 どうせ助けを求めたところで、そんなことになったお前が悪いと否定されるだけなのだ。否定されるのをわかっていて助けを求めるはずがない。それならば干渉されないように一人でやる。

 どうにも立ち行かなくなったところで、困るのはわたしだ。親には関係ない。

 

 父親が心配しているのはわかる。愛する娘が自ら破滅まっしぐらに進んでいくのを見ているのはつらいと思う。しかもわたしはそれを何度もやっている。

 だけどわたしはこうやってしか生きられないのだ。今、生きている実感を得るために必死で、後先のことなど考える暇もない。慎重に生きたところで幸せになれる保証もないのだから、衝動で生きることをいつも選んでいる。

 エリート街道を慎重に生きることを強いてきた母を裏切って初めて、わたしは自分の人生を取り返したのだ。親の言うとおりに生きることによって発生する不具合を教えたのは、誰でもない親だ。

 他責思考でしかないけれど、今のどうしようもないわたしを作り上げた要素に、かつての親の仕打ちがあることは否めない。

 

 

 父親は、かつてのわたしを救わなかったこと、そしてわたしが精神を病んだことをとても悔やんでいる。俺が死ぬまで背負う罪だと言っていた。

 だからこそ正しさに導きたいのだろうし、どう考えても幸せにはなれないルートばかりを選ぶわたしを見て苛立つのだろう。

 

 父親は、「いつまで後先のことを考えへん子供みたいな生き方してるねん」と説教した。「子供時代に子供らしく生きることを許さなかった人間がそれを言うな」と返すと、「いつまでそんなこと言うてるねん」と叱られた。

 これが本当につらかった。

 わたしを救わなかったことを懺悔している父親からすれば、わたしの苦しみは過去のものなのだろう。けれど、わたしにとってはまったく過去のことではない。すべては地続きだ。今でも苦しい。アダルトチルドレン愛着障害境界性人格障害。どれひとつとして解決していない(かなりマシにはなってきているが)。これらは正直、躁鬱やADHDよりもずっとしんどい。

 

 父親は元から共感性に欠ける人で、相手の立場になって考えることが苦手だ。人と人は究極的なところでは分かり合えないと思っていて、それ自体はべつに間違ってはいないのだけれど、それがエスカレートしてわかろうとしなくてもいいと思っているように感じる。

 そして、親である立場を利用したポジショントーク気味な人でもある。他愛もない会話よりも、説教の方がやや多い。

 共感性の欠けたポジショントークほど精神衛生に悪いものはない。権威的な正論。正論がいつでも正しいとは限らない。正しくない選択に起因する感情に寄り添って、その感情の根源を紐解くことに協力することが必要なときもある。

 

 

 わたしは、しばらくは上記の発言を許せないだろう。

 さんざん無視してきたわたしの絶えない苦しみを、「そんなこと」で片付ける人間が、わたしを救えるはずがないのだ。お前にとっては終わったことかもしれないけれど、わたしは今でも後遺症が苦しくて、うまく生きられなくて、死にたくて、それでも死ぬわけにはいかなくて、なんとか生きている。

 それをちっとも想像しようとしたこともないくせに、「お前には幸せになってほしいんや」などと説教されたって、無責任すぎてうんざりするだけだ。

 父親がわたしのことに必死になればなるほど、わたしの心には悪影響で、わたしはますます心を閉じる。

 

 

 暴力的な母のヤバさに隠れていたけれど、父もかなりヤバい人なのかもしれないと気づいた。そもそも虐待を見て見ぬふりをしてきた人に、まともさを期待するほうが間違っているのかもしれない。

 だけど父がわたしをちょっとでも楽にしようと尽力してくれているのも知っている。父はわたしの大好きなバンド・Galileo Galileiのファンクラブに入っていて、大阪のライブには必ずいい整理番号で連れて行ってくれる。1~2ヶ月に一度、地方都市までドライブで連れて行ってくれて、喫茶店や古着屋の新規開拓に協力してくれる。

 

 愛されていないわけではない。ただ愛の表明の仕方がわからないだけだ。だから疎遠になれない。疎遠にすることは、今わたしに向けてくれている愛を無碍にすることに他ならない。

 だけど、そうやって不器用な愛を表明してくれるたびに、今更遅いよ、と思ってしまうのも事実だ。トラウマも、異常をきたした精神も、今になってやさしくされたところで元には戻らない。

 こんなに今と過去がちぐはぐならば、むしろずっとおかしくあってくれたほうが、親を責めることで苦しみの置き場ができて楽なのに、と思う。

 

 

 親との距離感は本当に難しい。ある程度は定まったと思っていたけれど、そうでもなかったようだ。

 離れるのも苦しい、近寄るのも苦しい、宙ぶらりんでいるのも苦しい。何を選んでも苦しい。

 早く助かりたい。

 

 

 

わたしでなくてもいい誰かになってしまいたくない

 

 

 母と食事に行った。会うのは4ヶ月ぶりだった。

 わたしの記憶の中にいるヒステリックで会話のできない母はもうそこにいなくて、ただただ穏やかなよく笑うおばさんという感じだった。

 記憶の母と現実の母が違うことにはもうずいぶん慣れた。ボコボコにされていた頃の自分の悲しみの置き場に困ることも減った。目の前の母を愛することに徹していられている。

 自分の心の底の部分がどんどん穏やかになっているのを感じる。いい傾向だと思う。怒るのは疲れるから。なるべく怒らないで生きていたい。

 

 しかし、なるべく怒りたくはないけれど、怒りという感情が薄くなることを残念に思う自分もいる。

 怒りという感情は間違いなく自分らしさを構成するものだった。怒るたびに敵は増えるし、他人に向けた怒りの刃がふとした瞬間に自分に向いて苦しくなることも多々あったけれど、理不尽なことに理不尽だと言って、自ら自身の生きやすさを手に入れてかかる自分のことも好きだった。

 丸くなったと言われるのは(そこに悪意がなくても)ちょっと悔しい。なんだか上流から下流に行くにしたがってまんまるとした形になっていく石のようで、あれだけ威張っていたのに自然の原理には逆らえなかったのかと、結局自分も型にはまった生き方をしてしまうのだな、と思う。

 

 フォロワーやウォッチャーが増えたことによって、自分の考えていることが人の目に晒される機会が多くなって、価値観がゆるやかに変わっていくことは、喜ばしくもあるけれど悲しくもある。

 このままどんどん当たり障りのないことしか言えなくなっていくのかな、と思うと怖い。自分の芯を見失いそうになる。世界に対して都合のいいことだけを言う、わたしでなくてもいい誰かになってしまいたくない。

 

 

 

 マシュマロに恋愛相談がよく届くことについて、縁を切ったかつての友人に「ろくでもない恋愛ばっかりしてるくせによく偉そうなことを言えるな」と陰で揶揄されていたことがずっと忘れられない。本当にその通りだと思う(ただしそれは他人がとやかく言うべきことではないので許してはいない)。

 

 これはさっき気づいたのだけれど、わたしはマシュマロに届く質問について他人事でありすぎた。当事者性に欠けていた。他人事だから好き勝手言えるのだ。

 相談者は第三者の客観的な視点が欲しくてマシュマロを送ってくるのだろうけれど、もっと寄り添って考えることが必要なのではないかと思った。

 もちろんそれで自分が何か得するわけではない。金銭も発生しないし、インターネットで得られる信用なんてくだらない承認欲求ぐらいしか満たしてくれないし、どこまで親身になるかというのは線引きが難しい。気持ちを入れすぎるとわたしのほうが破滅してしまう。

 けれど、それにしても返信が作業的になっていたことは事実だ。今のわたしは、同じような意味の内容をことばを変えて繰り返しているだけである。もっとひとつひとつのマシュマロに真摯に向き合って、自分の編んだことばに責任を負えるようになりたいと思う。

 

 かつての友人が言ったように、本当に他人の相談に乗っている場合ではないぐらいにろくでもない恋愛ばかりしているのだけれど、わたしが悩んでいる様子の一部始終を見ている友人は、「まうちゃんが一番幸せになれる決断なら他の人間がどうなってもいい」と言ってくれた。こんなにもやさしいことばをかけてくれる友達がいるだけで、わたしはもうすでに幸せ者だと思う。

 しかし強欲なので、恋愛の面でも幸せになりたいと思ってしまうのだ。わたしは本当に幸せになれるのだろうか。そもそも幸せって何なんだろう。いっときは幸せを感じていても、時間が経つとそれに慣れてしまって、幸せでないところを探すようになってしまう自分が本当に嫌だ。

 幸せになるって難しい。

 

 

 

 最近はそんな感じのことを日々考えている。社会人になると、考えるトピックは自ら探しに行かないと見つからない。同じような毎日で、考えることをサボりそうになる。

 

 今日、母と食べたフルーツサンドはとてもおいしかった。阪急三番街の地下2階にあるフルーツパーラー。順番は逆だろうと思いつつも、そのあとフードホールで牛タン定食を食べた。嫌煙家の母との解散後、大阪駅前4ビルで喫茶店を新規開拓した。

 なんだかんだ充実はしていた気がするけれど、どこかまだ虚しさも残っている。とはいえ特にやりたいこともない。お金も行くあてもないので何もできない。起きていても腹が減るだけなので、寝るしかないなあ。

 おやすみなさい。