都会暮らしに疲れたら

 

 

 急に思い立って、「琵琶湖に行こう」と思った。高校生のころ、急に学校に行けなくなって、逆方面の電車に乗って近畿を一周し(大回り乗車というバグ技を使えば初乗り運賃で可能)、17時頃に琵琶湖を通りがかったときの夕焼けを思い出したのだ。

 そういえばわたしのまわりの人たちは、滋賀県にゆかりのある人が多い。父方の実家が大津だったり、弟が通っていた大学が彦根だったり、大学生のころに片思いをしていた女の子が近江八幡から通っている子だったりした。

 なんとなくいつでも脳内にはぼんやりと琵琶湖の存在がある。

 

 父親に「琵琶湖の景色をみにいく」と伝えると、「変な気を起こすかもしれんからやめとけ」と止められた。自殺しにいくと思われたっぽい。たしかにいつだって自殺はしたいし、青春の思い入れのある琵琶湖で死ぬのはロマンがあるが、入水自殺は発見者に申し訳ない。というか、どんな自殺もそうだ。

 

 

 

 大阪駅から1時間半ほど、JR京都線とJR湖西線を乗り継いで、志賀駅に向かう。この駅は、歩いて2~3分ほどで湖岸に着くのだ。片道1320円で、ちょっとした遠出にはコスパがいい。

 

 湖に着くと、ビキニ姿の女性2人組が琵琶湖に半身だけ浸かって、この夏を終わらせまいとはしゃいでいた。大きな波がきて、きゃーと叫んでいる。元気そうでなによりだ。

 ほかにも木陰でワインを空けている大人たちや、のんびり湖に浮かんでいる家族連れがいた。バーベキューは禁止らしい。管理社会は悲しいなあ。

 湖岸を散歩するつもりで来たのに、なぜかサンダルを履いてしまったので、靴の中にどしゃどしゃと砂が入ってくる。やらかした。

 

 

 夕暮れ時までまだ時間があるので、マップで喫茶店をさがした。どうやら喫煙可能店はないようだ。まあそりゃあそうだと思う。志賀駅エリアは琵琶湖観光の穴場で、たまに来る観光客をもてなしたければ、喫煙可能店にしている場合ではない。

 喫茶・軽食「ポプラ」に入る。かろうじて入口に灰皿が設置されていた。せめてもの良心があってよかった。

 たまごチーズトーストとアイスコーヒーを注文する。そんなに空腹ではないけれど、せっかく来たからには記念に何かを食べておきたかった。根性がデブだから。

 素朴な味のトーストとアイスコーヒーはバランスがよかった。たまに店の外での一服をはさんで、まったりしてから退店した。モバイルバッテリーを忘れたので、あまりiPhoneを触れない。本のひとつでも持ってこればよかった。近隣には本屋もなければチャージスポットもない。かなり詰んでいる。

 

 

 そういえば今晩、最近たずさわらせてもらっているフォロワーの事業のオンラインミーティングがあるということを急に思い出して、夕焼けどころではなくなった。わりといそいで帰らなければならない。まあでもせっかく来たのだし1駅ぶんの散歩ぐらいさせてもらおう。

 

 JR湖西線はほとんど琵琶湖沿いを走るので、琵琶湖を横目にしながらぼーっと歩いていると、気づいたら隣の駅前にいる。駅前といってもコンビニのような便利な施設はない。ただそれまで生えっぱなしでぼさぼさだった草木がちょっと刈られていて、車が泊められそうなロータリーっぽい雰囲気がほんのり醸し出されているくるいだ。

 ひたすら南下していると、サイクリングやランニング、犬の散歩などさまざまなアクティビティにいそしむ人たちとすれ違った。生活圏に琵琶湖がある暮らしは、非常によい。都会暮らしに疲れたらこのあたりに移住してもいいなと思いつつ、大阪市内の便利な暮らしを知ってしまったのでそんな日はきっと来ないだろうとも思う。まあいつまで生きているんだろうという話ではある。

 

 駅に着くと運よくちょうど京都行の電車が来た。これにて数時間のひとり旅が終了。予定よりもはやい出発ではあるが、これから電車に乗ると琵琶湖の夕焼けが車窓から見える。なんだかんだいい旅程だった。

 

 

 

 家でぼーっとしていると自動思考で死にそうになるし、寝ると高確率で悪夢にうなされるし、外でぼーっとしていてもお金がなくなっていくし、とりあえずここのところはたくさんの人が会ってくれているので、自動思考を封じ込められてはいるけれど、24時間無休でだれかがそばにいてくれるわけでもないので、自分の問題として片づけなければならない。誰にも会えないときは、ウーとかァーとか言ってふとんの上で孤独にじたばたしている。くるしい。

 

 はやく楽になりたい。わたしはきっとわたしとして生きているだけで、過去と地続きの現在に殺されそうになる。はやくすべてを断ち切りたい。ということをもう何年も言っている。これを言っているうちにも時間は過ぎて、「地続きの現在」は更新されていく。そろそろポジティブな更新をできるようになりたい。前向きに生きてくれ。

 

 

 

こんなふうになりたかったわけじゃないのに

 

 

 仕事をやめた。もう働けないと思った。どうにも隠せないADHDに自己肯定感をゴリゴリ削られながら、思うように動けない身体にむちを打って、13万円前後の手取りでしばらく暮らしつづけるのは無理だ。

 やっぱり6月ころに充実してやっていたのは躁転だった。ずっとこういうことを繰り返している。そのたびに履歴書が傷だらけになって、まともに生きていける選択肢が減っていく。かならずしもまともに生きていく必要はないし、この社会に適合しなければ人であらずとかは思わないけれど、まともなふりをしていないと経済的に困るし、生活がままならなくなるのだ。道徳とか規範とかそういうぼんやりしたところではなく、最低限生きていくためのところで、みるみるうちにどうしようもなくなっていく。

 

 わたしがクローズ就労の週5フルタイムにこだわっていたのは、障害を乗り越えて生きるがんばり屋さんとしての自分を実現して、そんな自分を好きになりたかったからだ。ありのままの自分を愛せないから、好きになれる自分を実現することで後から自分を愛せるようになればいいと思っていたけれど、無理なものは無理だということがわかった。限界がくるまで気づけなかった。

 でもこれは甘えなんじゃないかとも思う。ぜんぶをビョーキのせいにして、がんばらないでいいほうを選んでいるような気もする。だってみんなはしんどくてもなんとかやっている。わたしはただサボっているだけなのかもしれない。ぼろぼろになったふりをして、同情を買うことでサボることをゆるされようとしているのかな。がんばらなくていい理由をさがしているだけのように思う。

 

 仕事をやめたけれども収入の目処は立っていない。就労移行支援事業所の見学は来月の半ばで、飲み屋のバイトもさすがに生活を成り立たせられるほどのものでもないし、障害年金不服申立てをする予定ではあるけれど支給されたとてかなり先にはなる。

 しばらくは父親ができるかぎり支援してくれると言ってくれている。素直に甘えればいいのだけれど(というかつべこべ言っていられないくらいには現状がやばい)、どうしてもやっぱり過去のことが引っかかる。彼にしてみれば罪滅ぼしで償いであるようだけれど、きっとほんとうのところはどれほどの罪かというところを理解はしてくれていない。そして、いつまでも過去のことを引きずっている自分も情けない。わたしは親のせいにするというかたちで精神的に依存している。それでも恵まれているのだから、思う存分これを享受すればいいだけなのだけれど、そうすると確実にこころは蝕まれる。

 いったいいつまでこのように情けない暮らしをしていくのだろう。はやく自立したい。焦れば焦るほど、空回りしてうまくいかない。

 

 救いの手を差し伸べてくれる人たちがたくさんいる。ほんとうにわたしは人間に恵まれている。みんなきっと自分のことで精一杯のはずなのに、赤の他人であるわたしのことまで気にかけてくれるだなんて、並大抵のことではない。そんな人たちに時間やお金などのリソースを割くことを強いる自分がゆるせない。だから強がって払いのけようとしてしまう。そうして好意を無下にしてしまう。どうするのが正しいのか、もうわからない。

 わたしは孤立か依存かのどちらかしかできない。ほどよいところがどうしても苦手だ。最後まで救いきれないなら、はじめから救おうとしないでほしいだなんて思ってしまう。こうしてたくさんの人たちを搾取して傷つけてきた。

 寄生先の男を転々としているうちに27歳になった。性欲にあぐらをかいたコミュニケーションばかりうまくなっていく。相手の性欲フィルターで粗相をゆるされることに甘えている。どうして母親との確執が原因にあるはずなのに、父親代わりのような愛に飢えているのかと考えてみたところ、きっといまのわたしにとってかつての母親の脅威はこの社会で、喉から手が出るほどに救いの手を差し伸べられたかったけれども無視されてきた父親からのトラウマが根底にあるのだろうという結論に至った。親から得られなかった無償の愛をずっとさがしている。そのたびに破滅する。こうしてまた親のせいにする。ほんとうにいい加減にしてほしい。

 わたしの人生をやっていくのは親ではなくわたしだ。主人公の座を奪還するために自分でやってきたことに苦しめられている。自分で選んだ道ならば後悔しないだろうと思って突き進んできたけれど、ここまでくるとまちがっていたかもしれないと思いはじめる。でも、こんなことを言っていてもしかたないな。なんとかやっていくしかない。

 

 

 今日は大好きなバンドのライブに行ってきた。「ベランダ」というバンドで、ここのところは彼らの音楽を聴いてなんとかやりすごしている。とてもやさしい音楽でありながらもどこか棘があって、生活はただ穏やかに過ぎていくだけではないという諦念をもちながら、それでも絶望しきることは寂しいことだということを思い出させてくれるバンドだ。

 お金はないけれど、それでも今日行かなければ後悔すると思った。なんとか収入を挽回させられることを未来の自分に託して観にいった。

 ライブハウスに着いて、手持ちが300円足りないことがわかった。PayPayは使えないライブハウスで、キャッシュカードはおうちに忘れたために入れてもらえず、おわりだーとなっていたところに、たまたま所用があって近くにいたアイドルオタク時代の友達が貸してくれることになった。ほんとうに助かった。こころの調子が悪いために周囲の人間がおそろしく見えていて、それに耐えながらなんとかきたところに突き返されるという結末でなくてよかった。

 最近は「エニウェア」という曲をいちばん聴いているのだけれど、かなり昔の曲なので聴けないかなと思っていたところに演奏してくれたので、思わず大泣きしてしまった。わたしっていまほんとうに限界に近いのだなーと他人事のように感じながらボロボロ泣いていた。

 

 ここ数年、あらゆる感情がひとつのビニールの膜越しにあるような感覚がある。ほんとうにうれしいとか、ほんとうにかなしいとか、他人に伝えるときはなるべく言うようにはしているけれど、じつはあんまりよくわかっていない。ぜんぶの感情がにせもののような気がしている。なんでかなー。

 それでもやっぱり観にいってよかった。6年ぶりのアルバムのリリースツアーで、フロントマンの髙島くんが「何もしていないと何もしていないと思われる世界だけど、おれたちは生活をしていました」と言っていた。生活はつづく。誰からも見えないところにひとりひとりの生活がある。みんなのそれを忘れてはいけないし、わたしのそれも忘れないでほしい。

 

 

 どうしてこんなにわたしのメンタルヘルスの現状を伝えているのに、くそどうでもいい相談や質問が絶えないのか。あいつらには人のこころがないんかね。わたしはわたしのことで精一杯になっていますと言っているのに、どうしておまえのぶんまで背負わされなければならない? こちらの良心につけ込んで、図々しく踏み込んでくるやつらが多すぎる。ちょっとは自分の力でなんとかしろよ。どうせ無料で話を聞いてくれるならわたしじゃなくてもいいくせに。都合のいいときだけ「わたしにはバカデカい愛さんが必要です😿」なんて擦り寄ってくるんだよ。いつかわたしのことがいらなくなったらポイ捨てするんだろ。どうせそうなるなら最初から近づいてこないでほしい。 

 人間として扱ってほしいというのはそんなにわがままなお願いかしら。画面の向こうに生活があることを忘れさせる作用のあるインターネットが悪いとはいえ、そこに想像力をはたらかせるかどうかは人それぞれなわけで、はたらかせられる人がきちんといるぶん、はたらかせられない人は怠慢だと思う。

 

 わたしは知らず知らずのうちに偶像になっていたみたいだ。人間性をうばわれたのか、みずから手放してしまったのか、どちらにせよ、こんなふうになりたかったわけじゃないのに。まあでも、インターネットなんかに本気になって、いちいち傷つく自分もめんどうくさい。仮想空間に人間関係や趣味などのすべてを置いてしまったがために、インターネットがなくなるともう何もできなくなる。天井を見つめることぐらいしかできることがない。

 はやく健康になりたいよー。耐え忍べばいつかまた楽になれるかな。いらいらしたり、急に泣き出したり、ネガティブにいそがしい。くるしいよー。

 

 

 

生きてまたかならず会おうね(東京旅行記 4日目)

 

 無事に11:00に起床することが成功。

 なんと昨晩のうちにきょうも2人のフォロワーが会ってくれることが決まっていた。ほんとうにすごい……。

 

 まずは腹ごしらえに池袋の「炭火焼珈琲 蔵」でミートパスタとアイスコーヒーをいただく。

 食べログ百名店に登録されている有名店らしく、わたしが入ったらもうすぐに満席になった。運がいいぜ!

 しかしこういう登録がされているにもかかわらず煙草が吸えるというのは大変にありがたい。喫煙可能店というだけで嫌煙家によって大幅に評価を下げられる世の中なのに、それでも評価が高いままつづいているのは素晴らしいことだ。

 店内の雰囲気も木目調で非常にまったりしていて、珈琲も上品な苦味と酸味のバランスがよく、すっきりした後味が特徴で味わい深かった。

 

 

 1時間ほど滞在して、フォロワーと合流する。なんと店前まで車で迎えにきてくれたのだ。これから下北沢に向かうのだが、土地勘がまったくないのでほんとうに助かる。こんなにありがたいことはないぜ……。しかし都内住みで車があるなんてすごいな。自由の象徴だ。

 しかも車に乗せてもらったら、飲み物まで用意してくれていた。東京の男性って気づかいのレベルがすごい。おったまげた。

 いただいた飲み物は何という名前だったかおぼえていないのだが、コーヒー豆をコーヒーにせずにジュースにしているという見たことも想像したこともない新種の飲み物だった。大塚に店舗があるらしい。27年も生きてきて、まだ味わったことのないものが存在するとは……。

 

 

 「下北沢THREE」というライブハウスに向かう。彼はバンドをしていて、そのつながりのお友達のライブを観にいくとのことだった。どうもダブルブッキングしていたようで、それならばガッチャンコしてしまえばどちらにも行けるのではというご名案だった。

 

 「モテギスミス」という4ピースバンドが主催した対バンライブだった。客足もそこそこ多く、フロアのエリアからややはみ出すぐらいで、その期待どおりクオリティの高いバンドだった。

 どこかフォークソングを彷彿とさせるような、それでいてポップでもロックンロールでもあり、すごくバランスのいい音楽だった。ボーカルの女の子もとても歌がうまく、ギターのフレーズもオリジナリティただようポップさがあり、リズム隊の演奏もとてもレベルが高い。

 この規模のライブハウスで活動するバンドでもこんなにもクオリティが高いのかと驚いた。きっと2~3年もすれば下北沢のロックシーンに欠けてはならない存在になるだろうと思う。

 

 

 そして、展覧会にも誘ってもらっていたので、初台のICCに向かう。メディアアートで活躍しているアーティストをキュレーションした展示だ。

 わたしはテレビや映画などの娯楽が禁止の家庭で育ったせいか、メディアアートには非常に疎く、現代アート周辺にいるからには避けて通れない道なのだが、どうも踏ん切りがつかずずっと先延ばしにしていた。とてもいい機会だということで連れて行ってもらった。

 ナムジュン・パイクくらいしか知らない無知さでも十分に楽しめる展示で、いまのメディアアートの潮流を知るにはもってこいだった。

 

 特にウィニー・スーン 「Unerasable Characters (消せない文字)という作品が印象的だった。

 weibo(中国版ツイッターのようなSNS)で削除された投稿を学習して、バラバラにした文字を大きなスクリーンにうつすという映像作品だった。

 インターネットという世界では、一度でも投稿された情報は不可視化してもアーカイブされつづける。しかしそれは現実世界の概念のあり方も同じで、「存在」は「非存在」にはなりえない不可逆性をかならずともなう。

 人間の記憶としてあえて思い出さないようにしていたとしても、機械的に浮き彫りにさせることで「存在/非存在」を実感させられる。そのなかば非人道的な冷たいグロテスクさをつきつけられることが、気持ちの悪い気持ちよさだった。

 

 彼は大学時代に映像を学んでおり、いまでも撮影で仕事を受けて生活している人で、そのアンテナはさすがとしか言いようがない。

 メディアアートを積極的に学ぼうと思わせてくれるとてもよい機会だった。メディアアートは90年代から台頭したジャンルなので、系譜を追うにもわりと容易でハードルは低い。

 ミュージアムショップで映像史やメディアアート史を取り扱った書籍が販売されていれば思ったが、残念ながら売られていなかったので、大阪に帰ったら何か本を買おうと決意した。

 

 

 そのあと神保町でフォロワーに会う予定があったので、車で送ってもらった。ほんとうにありがたい。

 車の中でも美術から音楽や社会問題までさまざまな話をして、とても有意義な時間をいただいた。じつはこういう話をさらっと深いところまでできる知り合いがあまりいないので、非常によい出会いでもあった。

 

 つぎに会うフォロワーは喫茶店にくわしく、「Gallery&Bar Klein Blue」というギャラリー併設の喫茶店に連れてきてもらった。

 ギャラリー併設のカフェで喫煙可能な店には行ったことがなかった。アーティストは作品がヤニ汚れすることに抵抗はないのだろうかと心配になりつつも、抽象画の立派な作品の目の前でしっかりと喫煙させていただいた。

 

 彼女もわたしと同じ双極性障害ADHDをもっていて、それでもクヨクヨと立ち止まって諦めることはせずに、なんとか生きがいを見いだして生きていこうという強い意志をもっている。かねてからわたしはそこにとてもシンパシーを感じていた。

 お会いするのは2回目で、数年前にも一度お話したことがあるのだが、それを忘れさせるくらい、まるできのうも会っていたかのように盛り上がった。

 わたしは精神/発達障害を抱えているからこそ気づけたことがたくさんある。人の痛みに敏感でいられるというとありきたりで陳腐なことばではあるが、それはそうとしか言いようがない。

 他者の痛みに共感できるからこそやさしくあろうとできるし、非常に利己的ではあるがそのおかげでたくさんのやさしさを享受することができている。そういうかたちの相互扶助は福祉や医療だけでは得られない。ほんとうに素敵な出会いをたくさん与えてもらっているおのれの恵まれをつよく実感した。

 

 

 18:00の新幹線を予約していたので、東京駅まで案内してもらう。なんと大手町駅から地下で直結しているらしく、知る人ぞ知るルートだった。彼女は以前このあたりの職場ではたらいていたらしく、やはり都民は道にくわしくてすごい。

 かなりよゆうをもって東京駅に着いたのだが、どうも新幹線の予約をしていたICカードといま使っているモバイルSuicaがべつのものらしく、改札を通ることに失敗してみどりの窓口に行くことになり、お盆休みということで行列ができていた。やばい。

 新幹線が遅延していたおかげでなんとかギリギリ乗ることができて、さらにもう1泊せずに済んだ。よかった。これ以上ここにいるとさすがにお金が足りない。

 

 

 無事に指定席に座り、博多行きの新幹線が発車した。

 ほんとうに4日間が一瞬で、これまでの東京旅行の中でいちばんの思い出ができた。4日間で25人にも会うことができた。こんなにもたくさんの人たちに愛してもらっていることが恐れ多い。

 これだけわたしは性格がひん曲がっているというのに、それを見捨てないどころか愛してくれる人たちはすごすぎる。自分のご機嫌をとるだけで精一杯になってしまうカスの社会で、他人までもを愛せる人たちはほんとうにすごい。わたしも彼・彼女らを見習って、理想の"バカデカい愛"をもった人間になれるように邁進していきたい。

 一度きりの人生ならば、なるべくたくさんの人を愛したい。ここには少なからず自分が愛されたいからという動機もあるが、やはり他人にいけずでいるよりはやさしくいたほうが気持ちがいい。自分を愛せるようになるためには、自分を嫌いになる行動は取らないほうがよい。それで他人からも愛してもらえるならば一石二鳥だ。やるに越したことはない。

 

 こんなわたしに時間とお金を割いてお会いしてくれた人たちには頭が上がらない。たくさんのやさしさをもらってわたしは生きている。ほんとうにありがとう。

 今回さまざまな事情でお会いすることが叶わなかった人たちにも、絶対にいつか会いたい。生きてさえいればかならず会える。これからもカスの社会にしがみついて、ときには全力でダサくなりながら、どうかいっしょに生きてほしい。共闘できる仲間がいるというだけでわたしはギリギリ生きていられる。

 

 またかならず東京に来るので、そのときまでお互いがんばって生きよう! ほんとうに充実した4日間だった。こんなにも恵まれているだなんて、かねてから自身の特権性を自覚せよとみずからに言い聞かせてはいるが、想像以上にわたしはたくさんの人たちに支えてもらってた。こんなにもありがたいことはない。

 。おまえらのことが大すき家〜! ずっといっしょだよ。

 

 

 

生きていくことがわたしの使命(東京旅行記 3日目)

 

 きょうは美術館をめぐる。東京オペラシティの「髙田賢三 夢をかける」、東京都美術館デ・キリコ展」、東京都現代美術館「日本現代美術私観 高橋龍太郎コレクション」「開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ」「MOTコレクション」を観る予定だ。

 西から東へと移動したいので、まずはオペラシティから。その前に煙草を吸いたかったので喫茶店に立ち寄る。事前に調べていたお店は、お盆だからか終日全席禁煙で営業しており、途方に暮れていたところ小さな喫茶店があるらしいとGoogleマップが教えてくれた。

 「珈琲 みみ」という10席にも満たない小さな喫茶店で、店主のおばあちゃん(みみさん)がひとりで切り盛りしているようだった。ツナトーストとアイスコーヒーを注文する。しかし東京ってモーニングという文化があまり馴染んでいないな。トーストとドリンクがセット料金にならないところが関西とちがいすぎて毎回驚く。

 

 1時間くらい居座って時間を見るととんでもない時間だった。1時間後には成城学園前に行かなければならない。ここから成城学園前が1時間だ。そんなことある?

 フォロワーにとにかく謝り倒して1時間半ずらしてもらうことにした。とりあえずオペラシティと都現美だけは見逃したくなかった。爆速で向かう。

 

 「髙田賢三 夢をかける」はファッションブランドKENZO創始者である髙田賢三のアーカイブ展のようなかんじで、彼の活動の時系列順にお洋服が並んでいた。

 彼はファッション界の「色彩の魔術師」と呼ばれており、その名前のとおり色彩感覚が独特だ。主張のつよい原色同士を合わせながらもなぜか統一感があり、なによりもどうしてか彩度の高い色がバチバチに対比されているはずなのに、日本人のアイデンティティをくすぐるのだ。そしてそれをくすぐるのがフォーマルな洋装(初期は中原淳一などに影響を受けた洋装がメインだった)というのもおもしろい。

 やはりファッションは精神性が工芸に近い。装いは、日々の暮らしを彩るためのアプローチなのである。わたしは美術品をかざるような贅沢で豪華な暮らしよりも、衣食住のひとつひとつの行動をささやかに彩る豊かな暮らしを好むので、ファッションにとても関心がある。じっさいは現代アートの専攻を卒業しているが、芸大を志した当初のきっかけはファッションだった。

 

 作品数がさほど多くはなかったのでそこはやや残念だったが、彼の活躍の系譜をたどれたのがよかった。

 何よりも、国立新美術館島根県立石見美術館で2020年ころに開催されていた「ファッション イン ジャパン 1945-2020 —流行と社会」の公式図録がミュージアムショップで販売されていた。即買いだった。

 

 

 とにかくいそいで都現美に向かう。現代アートファンとして、高橋龍太郎コレクションだけは見逃してはいけない。

 しかし都現美はアクセスが悪すぎる。清澄白河からも菊川からも徒歩15~20分かかるし、バスも都内なのに15分に1本しかない。都現美はよく行くのでそのたびに驚く。

 

 この展示が本当にすごかった。精神科医高橋龍太郎がコレクションしている第二次大戦後のアート作品がずらりと並ぶのだが、作品数が異常だ。見ても見ても終わらない。最後のほうは特に「もう帰りたいよ……」と思いながらつぎからつぎへと部屋をめぐっていた。わたしは鑑賞において、1作品あたり5~10秒しかかけないのだが(その場であれこれ解釈をしても一向に前に進めないので記憶として持ち帰るようにしている)、それでもすごい時間がかかったし、疲労感がとんでもなかった。

 

 「私観」とタイトルにあるが、たしかにやや偏りはあるにせよ、「彼の個人的な趣味」の範疇にとどめておくにはもったいなさすぎるくらいに、おおまかな戦後アートの文脈をたどっており、学び直しの機会にもなった。やはり戦後すぐの作品となると戦争責任の追求や急速に変化していく資本主義社会に対する抵抗や風刺の色の強いものが多い傾向にあるが、近年にちかづくにつれてどんどん「私とは何か」「創作とは何か」というような社会の平和が前提の作品が多い。ただ個人的に社会に開かれた作品を好むというだけで、それらが悪いということではまったくないが、平和ボケしていてちょっとつまらないなと思った。わたしはあまりにもマッチョで闘争心がつよい。

 あと展示をまわっていてふと気づいたのだが、学生運動とストリートアートには近いものがある気がする。60年代の学生運動プチブル大学生のエリート層にほとんど独占されており、逆にグラフィティは非エリート層がメインに活動しているが、社会への抵抗運動という点では共通する。そのフィールドが言語的なコミュニケーションか視覚表現的なコミュニケーションかというちがいがあるだけで、根本的には同じことだ。そういうところで最近はグラフィティに興味がある。

 

 もういい加減にお待たせしすぎてやばいので、残りの3つの展覧会はあきらめて成城学園前に向かおうとするが、フォロワーが案内しようとしてくれていた喫茶店がお盆休みで営業しておらず、また新宿に戻ることになった。新宿の穴場を教えてくれるという。

 なんとか合流して、「喫茶 楽屋」に向かう。常連の老人がちらほらいるくらいで、店内もかなりまったりしていて、新宿にもこんなところがあるのかと驚いた。しかもさらにおもしろいのが、フードメニューがうどんかそばなのだ。かけうどんを注文する。かけうどんを喫茶店で食べるのははじめてだ。

 彼女とはもう3~4年くらいの付き合いになる。前の前のアカウント(凍結済)からずっとファンでいてくれて、何度かお会いしていっしょに喫茶店をめぐっている。彼女は首都圏の喫茶店におそろしいぐらい詳しい。どうやって知るねんみたいなところまで教えてくれる。救済(たす)かる〜❗️

 18:00から代々木でバーイベントがあるが、「楽屋」にあまり長居しすぎるのもということで、「珈琲 ピース」に連れてきてもらった。わたしは食いしん坊なのでここでもごはんを食べる。喫茶店のピラフはうまい。しかし時間を見誤っており、ピラフとアイスコーヒーを爆速で吸引して先に退店することになった。

 

 

 小田急線が遅延しており、立たせてもらうバーに着いたのが17:57だった。あぶなすぎる。ぐちゃぐちゃになった髪を巻きなおそうと思っていたら、さっそく1人がきてくれた。そして2人、3人と増えていき、19:30くらいには席がすべて埋まり立ち飲みになった。そんなことあるのかと思った。ノーゲスはさすがにないだろうと踏んではいたが(来店予定DMをちらほらもらっていた)、まあそれなりにはゆっくりお話できるだろうと予想していた。こんな予想外れなんてうれしすぎる。

 そしてわたしも身体がひとつしかないので、誰かと話していると誰かと話せない。しかしみんながそこに配慮してくれて、フォロワー同士で交流してくれていた。みんな盛り上がっているようで安心した。誰も放置されたことに怒ったりなんかはしなかった。

 しかし来てくれた人たちのラインナップがおもしろすぎる。活動家のフォロワー、かつて存在した純喫茶同好会のフォロワー、一方的に閲覧してくれているフォロワー、思想YouTuber界隈のフォロワー、大学つながりのフォロワー、夜職つながりのフォロワー、発達/精神障害当事者界隈のフォロワーなど多様すぎてすごい。よくこんなにごった煮なのにみんななかよくやってくれているなと思った。ほんとうにありがたいことだ。バカデカい愛さんがいかにいろんなトピックに噛みついているかがよくわかる。

 

  チェキを撮ってもらったり、シャンパンを下ろしてもらったりして、大はしゃぎした。お金を払わなくたっていくらでも会えるそのへんの大阪のおばはん予備軍に、わざわざ時間とお金を用意して会いにきてくれる人たちがいることって、ほんとうにすごい。

 これだけたくさんの人に愛してもらっているからには、なんとしてでもこのカスの社会にしがみつかなければならない。いただいた𝑳𝑶𝑽𝑬を裏切らないために生きていくことがわたしの使命なんだと思う。がんばらなきゃな。

 

 あっという間に閉店時間がきた。23:40池袋サンシャインバスターミナル発の夜行バスで帰る予定だったのだが、ありがたいことにお酒をいただきすぎてゲボが出る寸前だったので見送ることにした。夜行バスでゲボはほんとうにしゃれにならない。

 来てくれたフォロワーの中に、歌舞伎町のホストクラブまわりについてルポを書く仕事をしているフォロワーがいて、あともうひとりオープンからラストまでいてくれたうえにシャンパンを空けてくれたフォロワーと、3人でホストクラブに行くことになった。前者のフォロワーのサブ担がいるお店に初回で行く。歌舞伎町のホストクラブには行ったことがなく、ずっと好きで見ていた歌舞伎町ルポライターの人とそこに行けるのは夢みたいだ。東京はいつもひとりで来るので、飲み屋に行くこともほとんどない。すごい日だ。

  わたしは給料精算などがあるのでふたりに先に向かってもらい、もろもろが終わってから追いかけた。ほんとうにゲボが出そうであぶない。なんとか耐えて指定のお店についた。もう烏龍茶しか飲めません。

 

 セットの途中で入ったので2人しかまわってこなかったのだが、パネル指名した子がなんと横国と首都大に落ちて大学進学をあきらめたという経歴があり、まったくホストクラブらしくない会話をした。センター試験の倫政がどうとか、おとといゆれた神奈川の地震関東大震災の関連性とか、もっとアホのノリであそびにきたのですごかった。やはりおれは衒学的チンポに弱い!

 送り指名も当然その子にして、退店。おもしろい子なので飲み直しをしたかったが、なんと歌舞伎町のホストクラブはきちんと1:00で閉店するらしい。

 どうも昨今の流れで風営法の規制がつよくなっているようだ。ミナミはなんだかんだ朝までやっている店ばかりなのでびっくりした。歌舞伎町はさまざまな規制がきびしくなりつつあるので、ホス狂のほうも自由を求めてミナミに流れてきているという話を聞いたことがある。大変なことになっているな。

 

 そのあとわたしがどうしても空腹に耐えられなかったので、3人ですしざんまいに行った。安心安全のすしざんまい。あんまり覚えていないが何かいろいろつまんだ気がする。

 ルポライターのほうのフォロワーは歌舞伎町のご近所に住んでいるらしく、ぼちぼち眠いということなので、彼女とは別れた。ゴールデン街をおすすめされたので向かう。

 

 ゴールデン街に行くのは人生で2回目で、酒癖の死ぬほど悪い元彼と数年前に1度行ったという最悪の記憶がある。いっしょにきてくれた女の子もまあまあ酔っていたが、べつに酒癖は悪くなさそうだ。おそらく酔っ払いすぎていて短時間で記憶が飛んでいるようで、ずっと同じ話をして自分でケラケラ笑っているところが変すぎておもしろかった。

 だいたい性愛の話をしていたと思う。好みの男のタイプがまったくいっしょですごかった。これまでにメロかった男のエピソードを披露しあって、キャーキャー言いながら始発を待った。女友達が(男友達にくらべて)少ないので、こういう女の話ができるお友達ができたのがすごくうれしかった。ビバ・バカマンコ。

 

 山手線は4:30から走っているらしい。お盆休みということでやはり歌舞伎町は人間まみれで、ネカフェはどこもいっぱいのようだった。どうも池袋には空き部屋があるということで揺られて向かう。

 とりあえずあしたの18:00の新大阪行きの新幹線を予約した。何をして過ごそうか、見逃した展示に行こうか、と考えていたところに、きょうバーに来てくれたがあまりゆっくり話せなかったフォロワーと、日程が合わず会えなかったフォロワーと、それぞれ会えることが決まった。ぜんぜん知らない土地に行って暇になることがないなんてありがたいにもほどがある。ほんとうにありがとう……。

 

 というわけで、5:30ごろにネカフェの個室で寝る。11:00には起きたい。なんせ東京のネカフェは高すぎるから長居したくないのだ。東京ってお金を払わなきゃ何もできないな……。

 

 

 

 

高円寺ふしだら商店街(東京旅行記 2日目)

 

 8:00のアラームで飛び起きる。やはり7時間睡眠では寝起きが悪いな。10:00から西早稲田とフォロワーに会う予定があり、東府中からは1時間ほどかかるということで、あわてて準備をする。

 そういえばフォロワーは「起きたら連絡するね」と言っていたなと思い出して、連絡がこないので「起きてる⁉️」と送ったところ、集合時間を大幅に勘違いしていたことが過去のメッセージにより発覚し、そして相手も相手でどうもまだ起きていないようだった。

 

 とりあえず新宿に出て、「珈琲タイムス」でモーニングをいただく。食いしん坊なので写真を撮る前に食べてしまった。

 フォロワーから起床の連絡がきて、ここで落ち合うことになった。とりあえず1日目の日記を書きながら待っていて、そのうちに彼が登場した。

 到着するなり、とってもかわいいお茶の葉をプレゼントしてくれた。静岡のおみやげらしい。

 「あなたの周りの人、特に家族や会社の同僚、取引先などの機嫌に好影響を及ぼす可能性があります。」なんて素敵な文章なんだ。ドシドシ機嫌に好影響を及ぼしていくぞ。もちろん悪影響も及ぼしていく。

 

 彼はアプリを開発していて(どこまで詳しく話していいのかがわからないので内容は伏せる)、そのデザインやイラスト面でちらほら案件をくれている。打ち合わせのつもりがたまに関係ない話もすることがある。それでなかよくなって、会うのは2回目。

 30分ほど話して、たしかつぎの予定は12:00からだったので、このあと会う予定のフォロワーに連絡したら、リスケになったことを教えてくれた。そういえばそうだった。おれっていつもこう……。

 

 というわけで時間が空いたので2軒目に行くことになった。「コーヒーショップクール」という歌舞伎町にある喫茶店で、24時間営業のため東京にくるたびに時間つぶしでお世話になっている。

 「模索舎」というおもしろそうな書店を紹介してくれたのだが開店が13:30で、つぎの予定を13:30からに早めたので、泣く泣く断念。つぎの東京旅行ではぜひ訪れたい。

 

 当初は「珈琲 西武」に入ろうとしたのだが、店前にものすごい行列ができていたうえに、よく見れば「喫煙専用室あり」というシールが貼られていた。喫煙者を檻の中で喫煙させるシステムを導入している飲食店は大阪にもしばしばあるが、東京はその比ではない。検索で喫煙可能店と出てきたからといって油断ならない。クソッタレ〜!

 他愛もない雑談をして、そろそろお開きとなった。新宿駅の山手線改札までお見送りしてもらう。

 

 そのあいだに、性愛にかんする相談を受けた。わたしはポリアモリーを公言していて、オープンリレーションシップのパートナーがいるおかげですこやかでいられているが、やはりいまの社会規範が前提にあるかぎり、圧倒的多数はパートナーがほかの異性に浮つくことを許容するのは難しいようだ。わたしは自分をスタンダードだと思いながら生きているので、自分たちのありかたがめずらしいパートナーシップのかたちだという自負はまったくないのだが、たまに他人と話して現行の性規範に引き戻されるたびに驚くし、いまのパートナーとオープンにやれているのはとても恵まれていることなのだなと実感する。

 わたしたちは性愛をやるうえで、自分が自分であるための大切な部分をすべて賭けがちなので、たとえばセックスを拒否されたとなると、人格までまるごと否定された気持ちになったりする。数多の出会いの中からお互いに惹かれあって、ともに時間を過ごす選択をして、そこで相性をすり合わせた先でまた試練があるなんて、ものすごい話だ。

 

 あらゆる他者との関係性はすべてが正解でありすべてがまちがいで、そこに優劣はないはずだから、わたしが自身の性愛への価値観を述べたところでそこになんらかの価値が生まれるわけではないということをご留意いただきたいのだが、少なくともわたしは愛は相手を不自由にするものであってはならないと思っている。他者との愛のあいだに発生する不自由は、みずからが相手のためを思って課した制約などであるべきで、それは自発的でなければならないと思う。おなじ"不自由"であっても、不自由に"なる"ことは本人の主体的な選択だが、不自由に"させられる"ことは他者による抑圧だ。

 わたしはそういうところで、パートナーにはわたし以外のほかの人間ともさまざまな関係性をむすぶ自由があると考えているから、この関係性への執着を口実に相手のすこやかな暮らしを制限したくない。し、わたしもそれを制限されたくない。最後にここに帰ってきてくれればいいなという信用をすることが相手に対する誠実さだと思う。

 もちろん離れてしまうことになったらかなしい。わたしたちはオープンリレーションシップにしているので、きのうどこで誰と、という話をよくする(むしろ隠れてやられたほうがしんどい)。そのたびにとてつもなく嫉妬する。わたしに割けるはずのリソースがそこに存在するのに、どうしてほかの女にそれをするのか、と非常にいらいらする。でも彼には豊かにワハハと暮らしてほしいと願う気持ちも同じくらいある。最後までわたしが隣にいられればいちばん幸せだと思うが、パートナーが離れたいと言ったときは離れようとも思っている。とってもかなしいけど、相手の幸せになる権利を奪ってまで自分の幸せを優先することは、結局わたしが幼少期に親にやられてきたことと同じだ。

 他人と同化しようとするその境界のあいまいさは、もちろんそれが関係性のエッセンスになりうることもあるが、だいたいの場合は破滅への糸口だから、わたしはここで踏みとどまらないといけない。これらを再生産してはいけない。なんとなくそういう使命感というか強迫観念がある。

 

 つぎは北千住に向かう。美大浪人時代の同級生と数年ぶりに会う約束をしていた。ひさびさに会って、よい意味で雰囲気ががらりと変わっていて、まるで別人のようで驚いた。最後に会ったのが大学生時代なので、そりゃあ社会に放り出されたらむしろそのままのほうが怖いよな。

 北千住は飲み屋街ということをはじめて知った。安くてうまくて煙草が吸える居酒屋がたくさんあってうれしい。そのぶん喫茶店はまったくない。なんとなく焼き鳥屋さんに入った。

 彼女もざっくり言うと美術関係の仕事をしている。話の流れで「デカ愛ちゃんは美術が好き?」と聞かれて、「だいすき〜」と即答した。大学生のころは美術がブルジョワに独占されていることが憎くてたまらず、美術までもに嫌気が差していたが、わたしは単にブルジョワが嫌いなだけで美術を嫌いになったわけではなかった。大学の卒業間際にそれに気づいて、なんだかんだカスの大学ではあったが、芸術大学という学びの場そのものには行ってよかったなと思ったのだった。

 彼女に同じ質問を聞き返したら、「嫌いになりきれないところが自分の弱いところだなと思う」というようなことを言っていた(気がする)。これはめちゃくちゃわかるなあと思った。さんざん美術に苦しめられてきたのに、生きていてよかったと思える瞬間をくれるのもまた美術なのだ。嫌いになりきれない。とてもいいことばだと思う。きっと距離感はそれぐらいがちょうどいい。好きとか嫌いとか、ふたつにわけることで見えなくなるものもきっとある。

 

 あれこれと話して解散した。高円寺に向かう。だいすきなお友達とサイゼリヤで待ち合わせて、どうせ東京にいるなら東京にしかないものを食べればいいのに、ポップコーンシュリンプとティラミスを注文した。さっきの焼き鳥屋で肉類を腹8分目ぐらいまでいただいたので、のこりの2分に炭水化物を詰め込んだら、ちょっとくるしくなった。食いしん坊だからしかたない。

 半年ぶりくらいにようやく会えたお友達は、「ほんとうに毎日がんばっててすごい」「働いて生活もしてえらすぎる」と繰り返し言ってくれた。褒めてもらって悪い気はしない。おれって毎日がんばっててえらいのかも……。おまえも毎日がんばっててえらいぞ!

 

 もうひとりそのお友達のお友達が来てくれることになって、サイゼリヤを出て合流した。大将という高円寺では超有名らしい居酒屋に運よく空席があったので入る。

 お友達のお友達は、わたしが京都にいた頃にときどき顔を出していた界隈のイベントで数回会ったことがあるフォロワーで、彼女はしばしばそこで手料理をふるまってくれていたことがある。ふたりともわたしが京都にいた頃につながった縁なので、とてもなつかしい気持ちになった。

 京都を離れてまだ2年も経っていないが、なんだかずいぶん昔のことのように感じる。その頃につるんでいた人たちはみんな進学や就職で全国各地に散り散りになり、鴨川に行きさえすれば必ず誰かには会えたのに、いまはわざわざこうしてスケジュールを組まないと会えない。大人になるって悲しいなあと思う。

 

 社会の話をしたり、セクシャリティの話をした。やっぱりこういう大きな枠組みについて話すのはたのしい。おなじ大きな枠組みの中に生かされている者同士で連帯すると気持ちがいい。こういう気休めでもないと、もう自分の足だけでは立っていられないのだ。

 わたしのつぎの予定まで30分ほどあったので、高円寺駅周辺を散策することになった。駅前の商店街は「高円寺純情商店街」というようで、どうも地元が輩出した直木賞作家の作品からとったらしい。お友達と「高円寺不純商店街」「高円寺ふしだら商店街」などとくだらない大喜利をかわしながら歩いていると、気になる古着屋さんがあったので入った。ピンクハウスのTシャツが3000円で売られていた。

 ピンクハウスは、わたしが小さい頃に母親がよくわたしに着せてくれていたお洋服のブランドだ。あとになって知ったのだが、親子のペアルックをよく買って着ていたらしい。母親もやっぱりひどいだけの人ではなかったのだなあと思う。

 このあと会う友人との連絡がついたので解散することにした。高円寺駅から徒歩1分というすごい立地に住んでいるようで、いま起きたからちょっと待ってなと言われた。

 

 

 この友人は4~5年前にTinderで知り合った男友達で、京都にいた頃はたまに会っていたのだが、彼は就職を機に東京に移り住んだ。わたしが東京に行ったり、彼が京都に帰省したりのタイミングで会えそうにはなっていたのだが、なぜか毎回頓挫しており(わたしが東京行きの飛行機を逃した回などもある)、かなりひさびさの再開だった。

 彼は美術作品のコレクションが趣味で、部屋にはおもにポップアートに分類される絵画が7~8点並んでいた。20代で美術作品に数十万円をかけている人はとても希少だ。その中にはずいぶん昔にわたしが展示のためにキャンバスに出力したイラストが飾られていて、そういえば展示が終わったからいらないからとあげたのだった。完全に忘れていた。

 

 「高円寺に住むアートな男」というと、なんとなく想像できる人物像があるが、彼はそこから大きくかけ離れている。なんせとにかく加虐嗜好がすごいのだ。相手の生殺与奪を握ることでしか興奮できないという。たとえば首絞めなんかもプレイとして一定数の支持があるが、血流がとまって頭がぼーっとする程度のものにはまったく興奮せず、相手の息の根が止まりかけてむせ返ってゲボを吐くところまでいかないといけないらしい。そうなると後始末が大変そうだなあと思う。

 そしてさらに厄介なのは、はじめからマゾヒストでこられてもさして興味はないというところだ。だからSMバーなんかに行っても意味はないらしい。ふつうの人間を破壊したいのであって、破壊されることをはじめから望む人間はどうでもいいのだという。自分が破壊していく過程で、相手が破壊されることを望んでいくようになってほしいそうなのだが、そうなると人権侵害として訴訟沙汰になるリスクも高まるわけで、そこに彼は頭を悩ませている。非常に生きづらそうだ。

 彼にはいまのところ前科はないし、そのあたりの良識はあるので、いまのところ社会ではふつうの人間を装って生きることができているようだし、きっと引くべきところではきちんと引くことができるだろうから、まあなんとか無事にやっていけることを願っている。

 

 そんな彼の趣味が美術作品のコレクションであるというギャップが非常におもしろい。「おれはギャラリーに行くときだけ人間に戻れる」と言っていた。やはり美術には人間を人間たらしめる何かがある。どうかそのバランスをうまくとって、そのまま無事になにごともなく生きてほしい。

 終電がちかづいてきたので、よゆうをもって出発する。なんせ東府中まで帰るというのは一大イベントなのだ。乗り過ごしたら大変だ。

 

 なんとか宿に帰ってきて、きょうは1日中ほとんどネットサーフィンをしていなかったので、こころの飢えを回収するようにインターネットに張りついた。あしたも朝が早いのに。なんやかんや2:30くらいに寝た。きっとあしたも寝不足なんだろうな……。

 

 

 

都会としての格のちがいを見せつけられた(東京旅行記 1日目)

 

 

 東京に行く前に、大阪のフォロワーのコンカフェに行こう!と意気込んで早めに家を出たつもりが、時刻表を見るとどうもコンカフェどころかふつうに間に合うかも怪しい時間だった。

 なんとか新宿行きのバスにのった。この時期の新幹線は全席指定になるので、ちょっといい夜行バスに乗ってもおつりがくる。しかも新幹線に乗ると昼間の2時間半を移動についやしてしまうが、夜行バスだと寝ている間に移動できるので非常によい。ちゃんと寝れたらの話だが………。

 バスの中で「そういえば宿ってどこだっけな」とメールを確認すると、「ご宿泊前日のご案内」が2箇所のホテルからきていた。びっくりした。宿を2つ予約していた。身体は1つしかないのに、寝るところが2つある。焦って片方を予約キャンセルして、キャンセル料の支払いに同意する。しかしこれが大きなまちがいで、もう片方の宿はキャンセル料がかからなかったということにあとから気づいた。しかも、キャンセルしたほうの宿は23区内、泊まることが確定したほうの宿は府中市。わざわざお金を払って遠いホテルを選んでしまった。どうして……。

 

 こんなかんじで、ADHDが丸出しのムーブをかましまくりながら、わたしの2泊3日の東京旅行ははじまった。

 

 

 お盆休み直前のためか首都高が渋滞しており、バスは予定よりも30分遅れの8:40頃に新宿についた。  わたしはわりと急いでいた。なぜなら、昨晩コンカフェにいくために準備を端折って、風呂をキャンセルしたからだ。結局、コンカフェにも行けていないし風呂にも入ってないという、惨めで汚いADHDがうまれてしまった。

 つまり新宿周辺のネカフェでシャワーを浴びなければならない。そして1発目の予定は10:00からで、準備に1時間かかるため移動時間を換算すればほんとうにあぶない。

 

 なんとかぎりぎり間に合って、1発目の予定ことネイルサロンに飛び込んだ。なんと東京旅行2日前に爪が折れ、直前に平日晩で空いているネイルサロンがあるわけもなく、じゃあもう東京に着いてからやろうということになった。変すぎる。

 担当のネイリストさんは韓国の人っぽかった。おそらくすべてのスタッフが韓国の人。大阪では美容系のお店に行っても外国の店員さんはそこまで見かけないので(わたしが知らないだけかもしれないか)、東京はもうこんなふうになっているのか……と驚いた。

 

 

 ネイルをちゅるちゅるにしてもらったので、1人目のフォロワーと待ち合わせた。新宿の「cafe terrasse シルエット」という喫茶店

 今日は1日が長いのと、東京も大阪とおなじく街中にトイレがないので、おしっこに行きたくなりまくっては困るということで、カフェインはなるべく控えた。マンゴーアイスティーを注文した。

 うだうだと喫煙をしていたらフォロワーが来てくれた。彼女もマンゴーアイスティーを注文した。あとわたしは昨晩19:30にそうめんを食べてからなにも口にしていなかったので、元から食いしん坊なこともあってぺこぺこだったため、パスタも注文した。フォロワーも食事に付き合ってくれた。

 

 すごくわたしを好きでいてくれるフォロワーで、(とても失礼だが)世間をうがった目で見てしまうときのアンテナが非常に似ている。終始「ツイッターのこういうところが嫌だよね」という話をした。あまりにも会話がインターネットだった。

 本来は新宿三丁目の「カフェ アルル」という猫ちゃんのいる動物愛護団体に凸られたらおしまいの喫茶店に行く約束だったので、向かう。新宿って歩いても歩いても新宿ですごすぎる。同じ「新宿」の名を冠する駅でもこんなにも遠いのか。

 酷暑に抗いつつ、わたしのパートナーの惚気を聞いてもらいながら歩いたが、お店に着いたら満席だった。やはり人気店らしいので、よく満席になるらしい。そして大変なことに気づいたのだが、いまから引き返してもわたしのつぎの予定に遅刻する時間だった。どういうこと?

 パートナーの惚気を再開しつつ歩いて、山手線の新宿駅まで案内してもらった。彼女はこれからたまごっちのグッズを買いに行くと言っていた。改札前で解散した。

 

 

 つぎは大森に向かう。大森なんてこれまで用事がなかったので、未踏の地の喫茶店開拓にわくわくした。

 「喫茶ローズ」という麻雀ができる喫茶店に連れてきてもらった。マンションの1階にある謎の喫茶店で、これは1人で行くのはさすがのおひとり様に慣れっこのわたしでも勇気がいると思った。

 彼とは1年前にもお会いしたことがあって、相変わらずユーモラスで話上手でたのしませてもらった。一方わたしは夜行バスであまり眠れなかったことがわざわいして、せっかく貴重なお時間をいただいているというのに、眠気にあらがうことで精一杯で、ほとんどの話題を彼が提供してくれた。ほんとうに申し訳ない……。

 

 つぎの予定はどこだったかと約束していたフォロワーのDMを見ようとするも、どこにも見当たらない。もしかしてと思ってアカウント名で検索しても出てこない。ブロックされていた。

 彼女はインターネット上の距離の詰め方がちょっと変だな、と思っていたけど、まあわたしを好きでいてくれるからには会ってみたいと思ったので約束をしたわけだが、まさかブロックされているとは思ってもみなかった。

 いや、ブロックされること自体はべつにかまわない。バカデカい愛さんがいやになったらいつでも離れてほしいと全フォロワーに思っている。しかし、はるばる大阪から東京にきて、ほかにも会いたいと言ってくれている人を時間が足りずにお断りしてまで時間を空けていたのに、それをフェードアウトで済ますなんて、人間としてどうかしているだろう。

 こういう一般化はほんとうによくないが、他人との距離感の詰め方がちょっとおかしい人は、やっぱり人格に難がある傾向にあるなとあらためて実感した。なんなら「会いたいです」と言ってくれたのは向こうのほうだったのに、どうしてこんなことに……。

 自分の常識と他人の常識はちがうとつねづね割り切っているつもりだが、さすがにこればかりはムカついた。ほかにも会いたいと言ってくれたのにお断りせざるを得なかったフォロワーたちにも申し訳ない。こんなやつでもまっとうなふりをしていれば社会を生きていけるのだなあ。

 

 

 「喫茶ローズ」でごいっしょしてくれているフォロワーが、今日は休みなので付き合いますよと言ってくれて、恵比寿の「喫茶 銀座」に移動した。

 しかし眠気が限界すぎる。ほどほどに話して、つぎの予定は渋谷なので、渋谷のネカフェで一旦休むことにした。身勝手に振り回してもニコニコゆるしてくれて、ほんとうにたすかった。わたしは人に恵まれているなあと思う。

 

 渋谷での予定は、Galileo GalileiBaseBallBearの対バンだった。ネカフェで1時間ほど休んで、ライブハウスに向かった。わたしは開演ギリギリに行ってうしろのほうで見るのが好きなタイプなので、開演5分前に着いた。そもそも待つのがきらいだし、ライブハウスはむしろ前方にいるとそこから近いアンプの音に偏るので、うしろのほうはまだ分散される(気がする)し、音楽を聴きに行っているのだからべつに演者の顔が見えなくてもよい。

 Galileo GalileiBaseBallBearも、小学生の頃から好きなバンドだ。ハマった当時はかなりのキモ・オタクで、どちらも「おおきく振りかぶって」というアニメの主題歌だったことで知ったのだが、そのままなぜか路線が変わって音楽のオタクになって、音楽を聴くうえでの感性の根幹になった。

 特にGalileo Galileiはこの人生でいちばん愛しているバンドで、小学生のころから東名阪ツアーの大阪には毎回足をはこんでいる。一度は活動を終了して最近復活してくれたのだが、彼らがあたらしい音楽を鳴らしていない間にも、彼らの音楽を聴きつづけた。

 そしてBaseBallBearは、中学生のころに学校にこっそりiPodを持ち込んで、通学中にずっと聴いていた。初期の彼らはとにかく理想の青春を懐古(捏造?)しまくるバンドで、いい意味でとてもキモかった。制服、プールサイド、檸檬、転校生などのワードがどの曲にもしつこいぐらいに登場するキモさが、芋臭くて垢抜けない中学生として生きているわたしのコンプレックスに刺さってたまらなかった。

 

 何よりも感動的なのが、Galileo Galileiがバンドとしてデビューするきっかけとなった若手バンドの登竜門バトルの審査員がBaseBallBearだったという、ファンからしてみれば夢のような対バンなのだ。

 そんな10年以上聴いているバンドの対バンなんて行くしかなかった。無事にチケットも当選してよかった。

 わたしはライブハウスに行くたびにほかの客に何かムカついて帰ってくるという習性にあるのだが(今回ももれなくそうで、わたしより2~3列前はそれなりに観客と観客のあいだにスペースが空いているのに、そこを詰めないアホタレたちのせいでわたしがいる出入口付近はほとんど身動きが取れないほどにぎゅうぎゅう詰めだった)、それを抜きにしてもいいライブだった。お互いがお互いの初期の曲をコピーするという最高の瞬間に立ち会えた。節約暮らしをして貧しいながらにお金をかけてきてよかった。

 転換中に緊急地震速報が鳴った。神奈川のほうで震度4を観測したらしい。つい先日、九州のほうで南海トラフ地震の発生率が高まる地震があって、わたしが東京にいる間に大阪が壊滅しておうちに帰れなくなったらどうしようという心配をしていたのだが、まさかこちらが揺れるとは思わなかった。こちらは南海トラフとは無関係の地震だったが、どうも活断層関東大震災と同じものということらしく、どちらにせよ懸念は増えるばかりだ。無事に帰れるといいな。

 

 

 昼頃からどうしても二郎系ラーメンが食べたい気分だったのだが、終演後の時間では評判のいい店舗はどこも空いていないということで、近くの「まぜそば 渋谷 チョップス」という二郎系インスパイアに駆け込んだ。

 正直まあそんなに好みではなかった。麺の小麦感も理想よりははるかに弱く、タレの醤油のパンチも弱い。ジェネリックジェネリックだなあと思った。  ただ、味変として用意されているチョップスを入れるのはそれなりによかった。マヨネーズと青のりの風味が強いなつかしい駄菓子のようなチップスを入れると、味がややジャンキーになった。そういうタイプの二郎系インスパイアはあまり見かけないので(オニオンフライなんかはよくあるが)、斬新だった。

 

 

 お腹も満たしたことなので、東府中の宿に向かうとする。京王線で40分程度ということで、まあどこかのタイミングで座れるだろうと高をくくっていたのだが、東京は恐ろしい街で、22:30ころにもかかわらず満員電車だった。大阪では40分も行けば、ラッシュ時以外はどこかで座れる。都会としての格のちがいを見せつけられた。やはりわたしは東京には住めない……。

 ホテルにチェックインして、一服。都内は禁煙のカプセルホテルばかりで、個室で喫煙可能なビジネスホテルをさがすのは難しい。都心でそのようなホテルとなると、1泊だけで2万円以上する。さすがにそんなよゆうはない。というわけで、満員電車にゆられながら都心から離れたところを選ぶほかはなかった。しかしやはり個室の喫煙可能となると居心地がいい。裸で歩き回ったり煙草を吸ったりしても誰にも文句を言われない。距離は遠いがここを選んでよかった。

 

 適当にネットサーフィンをして、だらだらと寝る準備をして、1:00に就寝。なんやかんや休日のほうが夜更かしをしてしまうし、休日のほうが朝早くから活動するので、平日よりもつかれる。

 あしたはフォロワーに会うためだけの日だ。誰にもブロックされていないといいな……。

 

 

 

 

いっそどちらかに振り切れたらいいのに

 

 ここ1週間ほど、躁鬱の調子が悪い。

 何もないのに急に泣いたり、怒りっぽくなったりしている。

 6月に週5~6で終電帰りをするほどに動きまわっていたことのツケがついにやってきたのかもしれない。週5~6で終電帰りといっても、遊びにいっていただけではなくて、そのうちの週2~3ははたらくためにそうなっていた。

 

 手取りが12万円台というワーキングプア(13万円台だと思っていたがそのうちの1万円は交通費だったので実質12万円台だった)で、昼も夜もはたらかないと生活がままならないのに、昼も夜もはたらいていると調子が悪くなる。

 どうして自分の暮らしすらもままならないのに、どこの誰かもわからない赤の他人のために、高額な年金を納めなければならないのだろうか。

 

 障害年金の申請は落ちた。「はたらいている」ではなく「はたらけているだけ」ということは、公的機関には伝わらないのだろう。

 障害年金を受けている人は、それ相応のくるしみがあるから受けているのだとわかっていても、「かわいそうだから救済措置を与えよう」と国に認定される人たちを許せない気持ちがどうしてもある。ほんとうにごめんなさい。

 

 ツイッターの苦手なタイプのアカウントが、障害年金の申請を受理されたことをよろこんでいるところを観測して、どうしてもゆるせなかった。他人のくるしみを断罪する権利は誰にもないし、本人には耐えがたいくるしみがあるとはわかっていても、何らかのコンテンツや他人を救いだと思えるような人生で、国家にまで救ってもらえるだなんて、なんて恵まれた人生なのだろうと思ってしまった。

 

 社会のせいで生活がどうにも立ち行かなくなっているのに、たまたま「はたらけているだけ」で救済措置すらも与えられず、このまま見殺しにされていくのだろうか。

 そもそも精神疾患だって貧困だって、自ら望んでこうなったわけではない。家庭環境に起因するとしか思えない精神疾患で、進路がめちゃくちゃになり履歴書もブランクだらけで、ろくな職業にも就けず、こんなことになっている。

 被害者意識をぶくぶく肥やしていても、人生は好転しないのでどうにもならないとはわかっていても、どうしたって自分にだけ責任があるとは思えない、

 

 

 それなりに聴いているバンドのリーダーが、大麻所持罪で逮捕された。特に驚くことはなかった。

 彼は鬱病を公言しており(素人判断はよくないけど行動パターンを見るかぎりおそらくわたしと同じ双極性障害だと思う)、精神疾患と違法薬物の関係は密接なので、まあそりゃあそうだろうと思った。

 彼はこれから罪をおかしたことを償っていく。そして、その先では薬物依存治療のカウンセリングがほどこされるのだろう。

 結局、彼にも福祉的な救済措置がもたらされるのだ。

 

 国家による「かわいそうな人」という認定も受けられず、かといって犯罪者としての救済も与えられず、どちらにもならずに生きて救いの手が差し伸べられない人生が、ほんとうに悲しい。

 いっそどちらかに振り切れたらいいのにと思う。どちらかに振り切ってしまえば楽になれるのだろうな。

 

 自殺するつもりはまったくないので、どうせこれからもくるしみながらギリギリ生きていくのだろうけど、そうして耐えた先に何があるのだろうか。

 おのれの身にふりかかるすべてが理不尽だ。そして、いつまでもこんなことを言っている自分もダサくて、自分の在り方にしんどくなっている。

 

 どうにも生きていけそうにない。今月は支出が収入を上回っていて、貯金もほとんどないので、どう考えても行き詰まっている。

 きっとわたしはこのまま助けられることもなく適当なタイミングで死んでいくのだろうな。

 

 くるしい。