東京ってみんながオシャレですごい

 

 日帰りで東京に行ってきた。最後に東京に行ったのはおそらく2022年3月28日なので、約1年半ぶりとなる。

 7時21分新大阪発の新幹線に乗った。はじめは往復1万5000円の夜行バスで行こうとしていたのだけれど、友人に事前予約で往復2万円になるのぞみ切符の存在を教えてもらったので(通常は2万5千円)、寝苦しい夜行バスで行って1日遊べる体力の自信もなかったため、やや課金した。大人になるとは、体力や時間をお金で買うようになることなのだろう。

 目的は、イヴ・サンローラン展とデイヴィッド・ホックニー展。本当はキュビスム展も予定していた(というか当初はそれがいちばんの目的だった)のだけれど、よく調べてみると来年京都に巡回するらしい。それを知ったのが旅の5日前。いつものことながら鈍臭いぜ。

 

 10時に東京駅に着いて、イヴ・サンローラン展が六本木の国立新美術館での開催のため、六本木へ向かう。

 まずは腹ごしらえということで、「る・ぽーる」という喫茶店に入る。

 

 モーニングサービスはないらしく、アイス・カフェオレとトーストをそれぞれ注文した。なんと1300円。東京の物価はおそろしい。1300円払えば、大阪なら3回はモーニングを食べられる。

 店内は豪華なザ・純喫茶という感じで、雰囲気のいいマスターが丁寧な接客をしてくれる。立地とサービスを考えれば、1300円の価値はあると思う。出費としては痛いけれど……

 やはり東京でも朝の喫茶店は老人の憩いの場所なのだろう。マダムとオバハンの間ぐらいの女性が、マスターと標準語で談笑している。東京は耳をすませば標準語が聞こえてくるのでおもしろい。

 そういえば、元彼のひとりに「標準語」を「テレビ語」と言うやつがいた。東京の方言を標準と定めるのは首都の傲慢さの表れだと言っていた。確かにそうだと思う。

 

 本当はここで大好きなフォロワーと会う予定だったのだけれど、なんだか最近すごく不穏な暮らしをしているようで、ツイートもなく連絡が途絶えたので一人だった。(今日、謝罪のDMが来た。本当に無事でいてくれてよかった。愛してるよ!)

 1時間ほど滞在して、国立新美術館へ向かう。

 

 

 

 ディオール時代から、自身のブランドにおけるオートクチュールプレタポルテや舞台衣装に至るまで、回顧展としてはとても見応えのあるものだった。彼独特の「女性の装い」への情熱が、クールかつエレガントなデザインのドレスやアクセサリーが反映されていて、特にウェディングドレスには圧倒された。あとデザイン画が見られたのもよかった。

 ただ、わたしは美術展のミュージアムショップが大好きで(むしろ展示自体は人が多すぎてイライラしてまともに見られないことが多い)、今回もモードファッションの研究やファッション史の専門書があるだろうと期待して行ったところ、図録とポストカードとアクキーとロゴトートバッグしかなくて、ひどく落胆した。

 さすがに観客をナメているとしか思えない。どうせ、ブランドバッグのロゴ物をありがたがる変な習性のある日本人女性が来ることしか想定していないのだろう。我々もナメられたものだな。

 

 わたしはあまり美術展に長居しないほうで(人が多すぎて以下略)、ミュージアムショップにも特に用がなかったので、25分ほどで出てしまった。さすがに早すぎるだろと思ったし、障害者手帳で入場したので別にもう一度入ることはできるのだけれど、どうせまた人が多すぎることには変わらないし、ということで会場を去った。

 フォロワーと上野の喫茶店で会う約束をしているので、もう1軒だけ六本木で喫茶店に行くことにした。

 

 

 「Coffee Reino」という喫茶店に入る。灰皿がかわいい。しかしここもアイス・カフェオレが750円。お世辞にもコスパがいいとは言えない。まあでも大通り沿いで、駅からは近い。

 東京は”快適さ”にかかるコストを払う場所なのだろう。交通の便がよい場所とか、おしゃれでおいしい食べ物とか、生活が豊かになる情報とか、そういう心地よさがお金を出せば手に入る。逆に言うと、お金がないと何もできない街だ。とにかく何かを消費せよと街全体が駆り立ててくる。あまり自分には合っていないな、と思う。

 40分ほど滞在して、上野に向かう。途中で「カフェ すえ〜る」という喫煙がコンセプトの喫茶店を見つけた。看板にも煙草のイラストが描かれている。禁煙ファシズムに負けないぞという強い意志を感じる。また次に六本木に来ることがあれば訪れたいところだ。

 

 

 「六曜館」という喫茶店でフォロワーと待ち合わせて、五目ピラフとアイス・カフェオレを注文。1300円。本当にどこもかしこも価格がヤバい。どんどん財布が貧相になっていく。

 とても可愛らしい都会風に垢抜けた女の子で、意外にもマルボロを吸っているところにときめいた。その辺の寂しさと性欲の区別がつかないメンヘラバカマンコとは違って、すごくはつらつとしたポジティブなバカマンコ(褒め言葉)だった。Tinderで右にも左にもスワイプすればするほど、知らない男が現れるのは夢のようだと言っていた。東北地方から大学進学を機に上京したらしく、当面の目標は23区の男をそれぞれスタンプラリーのように食って制覇することらしい。がんばってほしい。

 わたしがこのあとデイヴィッド・ホックニー展に行く予定だと話すと、「いっしょに行ってもいいですか?」とのことなので、食後に一服二服ほどして、東京都現代美術館のある清澄白河に移動する。

 

 話しているのが楽しくて、とりあえず美術館に行く前にもう1軒だけ喫茶店に行くことにした。

 しかし清澄白河にはおしゃれカフェが多すぎて、喫煙できそうなところが全くない。困った。Googleのレビューに喫煙可能と書いてあるのも4~5年前の情報で、食べログを見ると「全席禁煙」と修正されているところが多く、探すのにとても苦労した。

 どうにかひとつ隣の森川駅からやや歩いたところに、1軒だけどうも吸えそうな感じの田舎っぽい喫茶店を見つけた。しかし田舎っぽすぎてレビューがない。写真も解像度が低すぎて「喫煙可能店」のシールがあるかどうかが見えない。そこでフォロワーがトイレに行きたいと言う。一か八かだった。

 

 アイスカフェオレが400円。これだよ、これ。わたしが求めていたのは、これだ。ザ・純喫茶という喫茶店も悪くはないけれど、わたしが好きなのは田舎の家っぽい雑多な内装で、地元の老人が集まって生存確認をしているような、おしゃれで映えるとは言いがたい喫茶店だ。4軒目にしてようやく巡り会えた。わたしはこういう流行らない喫茶店にこそ生き残ってほしいのだ。

 美術館の最終入場は17:30とのことで、一駅ほど歩く必要もあるため、30分ほど滞在して出発した。さすがに喫茶店も4軒目となるとカフェインとニコチンでだいぶ体調が悪い。もうカフェインもニコチンもいらんなあ。

 

 

 しかしまあ、ホックニーは本当に絵が上手いな。絵が上手い人は、どれだけヘタウマに抽象的に描いても、画面構成や色彩の感覚が素晴らしく心地がよい。ホックニーと言えば鮮やかな木々の風景画であるが、リトグラフで描かれた人体スケッチやクロッキーなども展示されていて、それらが見られたのはすごくいい機会だった。せっかく芸大にいたのに、リトグラフを学ばずに卒業したことを少し悔やんだ(そもそも専攻が違うのだけれど)。

 見たものを見えたまま描いているわけではないのに、まるでそこにあるように見せられる画家は素晴らしいと思う。「絵について詳しくはないけれど、なんとなく絵は好きだ」という人は、見たものを見えたままに描く画家が好きな傾向にあるし、ホックニーは写実と抽象の間ではやや写実寄りであるからか、閉館時間ももうすぐだというのに、たくさんの観客がいた。

 見どころは、彼がコロナ禍のロックダウン期間中にiPadで描いた90mのデジタル絵画「ノルマンディーの12か月」だろう。観客もそのエリアが特に多かった。デジタルでの平面作品というと、やはりイラストレーションが主に制作されるが、デジタル技術を使ってもなお絵画をやってのけるというのは偉大なことだ。絵画とイラストの違いを聞かれると、専門外でもあるのであまり的確な答えを返すことはできないのだけれど、わたしは「ノルマンディーの12か月」は絵画だと思った。

 

 そして、今回の東京旅行でいちばん心を奪われたのは、同じ東京都現代美術館の違う部屋で行われている企画展、「あ、共感とかじゃなくて。」だった。

 

 確かツイッターで告知を見たことはあったのだけれど、どうせ東京だろうと詳しい会場までは見ていなかったので、ここに来て運命的な出会いを果たした。出展作家のひとりの山本麻紀子氏は、京都市の崇仁地域という部落と、東九条というコリアンタウンを主にフィールドワークの活動範囲にしているアーティストだ。

 今学期から、わたしの母校である京都市立芸術大学はそのエリアに移転する。移転と再開発にあたって、崇仁地域の住宅は取り壊された。母校は、これまで数年間にかけて崇仁地域の住人と対話をしたり、芸術的な交流を企画したりして、なるべく崇仁地域の人たちに京都芸大を受け入れてもらおうという取り組みを行ってきた。その中には彼女が主催のワークショップもあり、わたしも授業の一環でそれに参加したことがあり、一方的に顔馴染みの先生だ(そのときに先生から借りたフェミニズムの本を借りパクしてしまい、そのまま卒業してしまったため今でも返せていない。本当にすみません)。

 

 「あ、共感とかじゃなくて。」は、SNSを筆頭に、人々が共感ベースのコミュニケーションに飲み込まれている、いわば共感中毒である現代社会において、共感という行為の持つ暴力性を前提として、共感できないことを受け入れた先にあるコミュニケーションや、共感できなくても何かを受け取ろうとするコミュニケーションを探る活動をしている作家たちの展示だった。

 わたしは、有川滋男氏の「架空の仕事」をコンセプトとした映像作品群のキャプションに書かれていた「人は、共感という解釈のために、自分の中で物語を作り出そうとする」という趣旨の文章にハッとさせられた(原文が思い出せないためにざっくりと書いたので、ニュアンスが違うかもしれない)。

 人間は、文化的背景や人種・宗教の違いや、その日の気分によって、同じものを見てもさまざまな解釈をする。何かを解釈するためには、脳内で自分の理解しやすい物語を組み立てて、結論というゴールへ向かおうとする。答えが見つからないような、判断や解釈がしづらいことについて、なるべく想像力をはたらかせることを諦めずに、簡単で軽率な共感という暴力から遠ざかろうと努めなければならない。

 

 やはり、共感されるというのは気持ちがいいし、共感してあげられることも気持ちがいい。その気持ちよさの中毒になって、本質のところは何もわかっていないのに、なんとなくわかったふりをしてしまったり、わかった気になって満足してしまったりする。

 Twitterは特にそれが顕著なSNSだと思う。「いいね」は必ずしも共感を指さないが(既読や保存という意味で使う人も多くいるだろう)、やはり「いいね」の気持ちよさを求めてそれっぽいことを言おうとしてしまう。すると、思考が「いいね」のほうに寄っていく。「いいね」をもらえそうなことばかりを言ったり考えたりするようになって、無意識的に思考の幅が狭まっていく。SNSのおかげで何かについて考える機会が増えたという人も多いだろうが(わたしもそうだ)、結局はSNS的な事柄しか考えていないのだ。

 「世界はもっと広いんだぞ」とか、わかりきったありきたりなことを言いたいわけではないけれど、少なくとも「いいね」という共感がコミュニケーションのすべてではない。わからないことはわからなくていい。無理にわかろうとして、変な思考の近道をして、間違った結論づけをするほうがよっぽど問題だ。わからないことは怖いけれど、他者を尊重するということは、その怖さをまるごと引き受けることなのだろう。

 

 半ばフォロワーを置いてきぼりにしながら、足早でざっと展示を見た。「絵画は人を救わないけれど、現代美術にはまだ望みがあるかもしれないね」という話をしながら駅に向かう。電車で解散して、再び上野に向かう……つもりが、なぜか気づいたら築地にいた。東京メトロ日比谷線で、逆方向の電車に乗ってしまったようだ。

 都内の移動は本当に難しい。なんなんだ。A駅からB駅に行こうにも、行き方が3種類ぐらいあったりする。駅構内で迷ったりして、乗換案内のようには行けない。

 次のフォロワーとは18:00に待ち合わせをしていたのに、合流できたのは18:50分だった。彼女はとても個性的で素敵なファッションをしていたので、すぐに見つけられた。東京ってみんながオシャレですごい。街がカラフルだな、といつも思う。大阪は黒とかベージュとかネイビーみたいな服の人ばかりだから、その点に関しては東京がうらやましくなったりする。

 

 アメ横のはずれに、喫煙可能の中華料理屋があるということで、20:40東京発の新幹線に乗るために1時間だけ滞在した。

 職場の人間関係がすごく難しい状況にある人で(ツイートしておられるのでなんとなくは把握していた)、「うまくいくといいねえ〜」と思いながら、ウーロンハイを飲んだり、トマトと卵の炒り付けを食べたりした。あっという間に時間が過ぎて、ダッシュで東京駅に向かう。

 

 Twitterをしているうちに新大阪に着いた。JR東海が「新幹線の喫煙スペースを全てなくす」というニュースを発表したので(クソムカつく)、ちゃんと吸い納めもした。あとは喫煙できる電車といえば、近鉄電車の特急ぐらいだろうか。本当に生きづらいねえ。

 移動中に読もうと思っていた、フェリックス・ガタリ「精神病院を社会のはざまで」は、結局1ページも開くことがなかった。旅とはいつもそういうものだ。それぐらいが楽しくてちょうどいいのだろう。

 

 新大阪駅には、一緒に住んでいるマブダチが迎えにきてくれた。東京では時間が足りないぐらいにたくさんの人が会ってくれて(先着順で募集したため断ってしまった人たちもいる)、家に帰れば大好きな友達がいて、本当にわたしは人に恵まれている。

 死んでしまうにはもったいない人生だ。わたしは生きていかなくちゃいけない。と、元気な時はそう思えるのに、どうして元気になりすぎたり、元気じゃないときは自殺のことばかり考えてしまうのだろう。精神病と認知の歪みは恐ろしい。

 

 また近いうちに東京に行きたいな。まためぼしい展示があれば、お金を貯めて行こう。今回断ってしまったフォロワーのみなさんに、次こそは会いたい。東京だけじゃなくて、他の地方にも行きたいな。まだ行ったことがないので、ひとまず東北地方に行きたい。遠いなあ。