それでもわたしはやっぱりインターネットを選び直した

 

 「デカ愛ちゃんサ終のお知らせ」を匂わせたにも関わらず、やっぱりまたインターネットに戻ってきてしまった。

 

 夏は躁転の季節だ。あまり開示したくない個人的な出来事なので詳しくは書かないが、最近のわたしはかなり現実世界にコミットして生きていて、インターネットを疎かにしていた。躁転すると外に出られるので、バイトの鬼連勤ができて、お金に余裕ができて、人間関係の構築に没頭できる。毎年こんなことをやっては冬に引きこもり全てを台無しにしている。今年こそは……鬱転しませんように……。

 本来ならばインターネットが疎かになるのは正しい生き方なのだろうし、デカ愛の質問箱にも何度も「もう少し現実に生きたほうがいいですよ」と送られてきた。その意味を理解できていないわけではなかったし、インターネット上に住民票を置くことの危険性もわかっていた。

 それでもわたしはやっぱりインターネットを選び直した。

 

 確かに、現実世界が充実していると時の流れが鬼のように早い。しかも些細なことで鬱々しない。わりと無理せずにポジティブに振る舞える。毎日が楽しいと思う。

 しかし同時にそれが怖くもあった。その場の感情の判断のみに頼って生きていること、その結果として理性がどんどん薄くなっていくこと、自分で自分をコントロールできなくなっていくことも事実だった。半分から3分の2ほど自分を見失っていた。

 

 それに歯止めをかけてくれるのはいつもインターネットだ。テキストベースのSNSTwitter。ツイート作成画面の空白と向き合うと、言語を介して自我を取り戻すことができる。無意識の世界にあるものを、ことばの連鎖という綱で意識の世界へと持ってくる。

 わたしは思春期の頃からこうやって正気を保って生きてきたのだった。現実を生きたとて、インターネットに生きたとて、生きていてよかったとは思えなかった。

 今更もう生き方を変えようとしたところで、どこかで不具合を起こすのは必然だろう。

 

 

 あと、インターネットに戻ってきた理由として、デカ愛ちゃんがインターネットを疎かにしている間にも、最低でも1日に2~3通は質問箱が送られてきていたというのも大きい。

 この広い広い電子の海には、デカ愛ちゃんを必要としている人がどこかにいる。

 わたしは、承認欲求とは全く無縁のところで、わたしを必要としているひとを無視することが後ろめたかった。なんと、デカ愛ちゃんに初めてのTwitterのツイート通知機能(特定のユーザーがツイートするとプッシュ通知が送られてくる機能)を使ったというLOVERSもいた。

 デカ愛ちゃんの存在、わたしの質問箱の回答、その他のわたしのことばに救われている人が、自分の予想をはるかに超えるほど多くとても驚いた。

 わたしはわたしに救われたい人をひとりとして見捨てたくない。救われたいという誰かの切実さを蹴飛ばしてまで、自身の現実世界の充実のみを選ぶことはできなかった。

 

 

 わたしはもはや自分のこのしょうもない人生に価値を見出していない。それでも人生は有意義であればあるほど美しい。ならば、多少の自己犠牲は伴っても、誰かの役に立ちたいと思う。

 質問箱は答えても答えても終わらない。正直なところ、少し重荷だと感じることもある。それでもわたしは答えるのをやめない。タイムラインに現れないバカデカい愛のホーム画面から質問箱のリンクを探して、救いを求めてことばをぶつけた人たちの祈りを踏み倒したくない。

 もうほとんど幸せの頭打ちが見えてしまっているわたしにできることは、誰かの幸せを少しでも支えることぐらいだ。

 

 

 というわけで、デカ愛ちゃんはサ終しません。サ終サ終詐欺にムカついたアンチたち、残念でした。デカ愛ちゃんはオマエらの何億倍もしぶといんですよ。

 ツイートの頻度にムラができることは赦してほしい。日常は流動的なものだから、絶対なんてどこにもないから……。

 

 デカ愛ちゃんは、オマエらの最悪なインターネットに差したひとすじの光でありたい。これからもオマエらをドシドシ救済(たす)けます。だからオマエらもドシドシ救済(たす)かってね。いつかデカ愛ちゃんのことばがいらなくなるぐらいの幸(さち)にたどり着いてね。

 

 オマエらのことが、すき家_____