とてつもなく激動の一年だった

 

 

 うおおおお!2024年が始まってしまった!まだ2023年の総括もしていないのに……

 新年早々、日本各地が大変なことになっているが、とはいえ大阪からできることと言っても募金ぐらいなので、大人しく日常を生きるしかないのだなあ。

 というわけで2024年をスタートさせる前に、2023年を振り返っておきたい。とてつもなく激動の一年だったのだけれど、不思議と幸福度は例年に比べて高かった。認知の歪みが治ってきたのかもしれない……

 

 まずは1〜3月。卒業制作に一筋でなければならなかったのだけれど、わたしはもう美術制作に対する熱意を完全に失っていたので、本当にギリギリまで何も手につかなくて困っていた。何もしたくないが、何かを作らなければ卒業できないし、でもやっぱり何もしたくないから、とりあえず毎日お酒を飲んでいた。

 かなりギリギリになって動き出して、ずっとやろうと思っていた短歌のインスタレーションをなんとか形にはしたけれど、まったく身の入った作品ではなかったし、正直これなら何も出さなかったほうが、去年の力を入れた作品(性被害を告発したインスタレーション)に胸を張ったまま卒業できたのではないかとさえ思う。自由なゼミだったので、「何も出さないこと」すらも作品として認められただろう。さすがに美大1年生みたいな発想すぎるけど。

 でも、一応は学内・美術館の進級卒業制作展を見て回ったら、やっぱり美術っていいなあと思い直した。そこで気づいたのは、わたしは美術が嫌いになったのではなくて、学業とバイトの両立に疲れ切ってしまったのだということ。もっと経済的に恵まれていれば、きっと夜職で心をすり減らす必要はなかっただろうし、もっと美術を深掘りできただろうなと思う。たらればでしかないけど。

 一旦は大学院に行くのをやめようと思って、80万円あった貯金を3ヶ月で使い切ったのだが(躁鬱病って怖すぎる)、制作ではなくて研究という形で美術に携われるように、お金を貯め直して大学院に行こうと思った。

 

 

 4~5月。就活をせずに大学を卒業したので、晴れて無職になった。在籍していたメンエスの店舗の経営が傾き始めて、いよいよ夜職も上がるタイミングが来たのか、と覚悟を決めた。しかし、仕事が見つかるまでも何らかの形で食い繋がなければならない。

 とりあえず高校時代の唯一の親友が勧めてくれたので、チャットレディを始めたのだけど、とにかくこれがもう地獄でしょうがなかった。わたしはバーチャルキャバクラ的な感覚でやりたかった(というかやっていた)のだけど、スタッフはオナニー配信をしろと詰め寄ってくる。これがマジで無理だった。わたしは対面でおじさんのちんぽをしばくことはできても、画面越しに自分のまんこをしごくことはできないのだな、といういらない気づきを得た。「次のシフト決まったらまた連絡します!」と言って、飛んだ。

 ユニクロでスーツを買って就活をした。1浪・半年休学・1.5留・既卒とかいう事故だらけの履歴書のわたしを拾ってくれる企業はなかなかない。興味もないがとりあえず適当に受けた企業の面接官のババアに「あなたはご自身の人生の遅れについてどうお考えですか?」と聞かれて、なんかもうクソムカついて働く意欲がなくなった。カス資本主義め。

 奇跡的に一社だけ内定をくれたので、一刻も早くクソ就活をやめたかったわたしは飛びついた。これがよくなかった。

 

 

 6~8月

 いざ入社してみると「普通運転免許を取らないと正社員にはしない」と言われて、すべてが終わった。じゃあ応募要項に「要免許」って書けよ。教習所代は自腹と言われて、しかしお金はないので、会社に借金する形で通うことになったが、ただでさえ手取り17万なのにさらに会社への返済で月1万ずつ削られたらたまったものじゃない。建築関係の会社にいたのだが、次の現場は3ヶ月夜勤が続くという。不定休の夜勤で、休日は昼過ぎに起きて教習所に行くなんて、自分のメンタルが健常者そのものであっても耐えられないだろう。それを友人に話したところ「そんなとこ早よ辞め」と言うので、2ヶ月で辞めた。

 ついでにそのとき同棲していた元彼(夜職関係者)と、金銭的な価値観が合わなくなってきたので、家出をした。上の友人(5年前にTinderで知り合ってからお互いなんやかんや助け合ってギリギリ生きてきた)(以下、パートナーと表記する)の家に居候することになった。

 お金がとにかくないので、大学院入試を受けるのは一旦お預けとなった。卒業して外から美術のアカデミアを見るとかなりキモいということに気づいたので、もしかしたら一旦お預けどころかもう行かないかもしれない。まあ図書館でシコシコ専門書を読んで、ツイッターなりnoteなりでお気持ち表明をして死んでいくのも悪くはないかな……。

 

 

 9~12月

 いろいろ障害者雇用なども探したが、やはり障害者雇用枠もいつ働けなくなるかわからない精神障害者はなるべく雇いたくないし、職場環境に配慮があれば働ける身体障害者を優先的に雇用する。というわけで就職先が見つからないので、もう諦めることにした。

 喫茶店で働こうと思い立って、よく行っていたなんばの喫茶店が求人を出していたので連絡すると、その日に採用されて次の出勤日が決まった。スピード退職からのそしてスピード採用。人生はスピード感が大事!

 バイトにもかなり慣れてきた頃、低収入なりに生活は安定して(時給労働って本当にありがたい)、休日は暇だしYouTuberにでもなるか〜と大学時代に使っていた機材を引っ張り出してきた。そんなこんなで人生がいい感じになってきたタイミングで、まさかの望まない妊娠をしてしまい(彼の名誉のために言っておくと相手はパートナーではない)、また人生がおしまいの方向に……。中絶手術は痛いし、怖いし、惨めだし、とにかく感情が忙しくてすごかった。もう思い出したくもないのであまり詳しくは書かないけど。

 そして年末ギリギリにiPhoneが壊れた。4万円の出費。カスがよ!

 

 

 2023年、エグかったな〜。今まで生きてきた人生でいちばん怒涛の1年だった。

 それでもめちゃくちゃ不幸だった実感はなくて、これはインターネットのみなさんが「バカデカい愛」に愛をくれていたおかげで寂しくならずに済んだのと、現実ではパートナーとの愛のある暮らしを実践できるようになったおかげだと思う。激動の1年ではあったけど、個人的に2023年を漢字一文字で表すならば「愛」だった。本当にみなさんありがとう……。

 

 

 話は大きく変わって、1/1に実家に帰った。両親はとても歓迎してくれたし、すごく嬉しそうなのがよくわかった。弟にも久々に会った。ちなみに弟も新卒入社退職RTAをやっていた。血は争えない……。

 実家は本当にやることがないので、昼間は弟と地元のショッピングセンターに行ったり、公園でだべったりして過ごした。弟も喫煙者なので気を遣わなくていいのがありがたい。かつては甘やかされて育っていた弟が恨めしくてたまらない時期もあったが、結局はわたしも弟も同じ両親の歪んだ愛のもとに育っているので、彼もまたわたしと似たような生きづらさを抱えた人間になっており、今ではもはや共闘するためのよき理解者という感じだ。

 めちゃくちゃいい肉をご馳走になって、地震津波のニュースが流れる中で、複雑な心境ながらもおいしくいただいた。父親は肉を焼きながらずっと母親に嫌味を言っているので、「正月から気悪いからやめてくれや」と言った。わたしはこんなにも母親との関係性を軌道修正しようとがんばっているのに、父親がそれをサボっているのが嫌だった。べつに個人的にやってくれる分には構わないが、目の前ではやられたくない。

 

 母親に「パートナーさんは実家帰ってはるんか?」と聞かれたので、「親御さんに虐待されて育ってはるから帰ってない」と返したら、「虐待はあかんなあ」と言われて驚いた。いや毎回こんな感じの話をしている気がするのだけど、毎回新鮮に驚くことができる。この母親は、自分が娘にしていた仕打ちが教育虐待だったことについて自覚がないのだ。怖すぎるぜ……。

 それでもわたしは母親を許そうと思う。これはもはや意地かもしれない。家庭環境が悪いメンヘラへの逆張り。2023年を表す漢字が「愛」だったように、2024年を表す漢字も「愛」であってほしい。愛は求めるものではなくて、与えるものだから……。

 

 

 こんな感じで2024年のスタートもあまり幸先はよくない。でもわたしは去年学んだ。よりよい人生にしようと強く望めば、どれだけたくさんのつらいことが起きても、不思議とポジティブに生きられる。もしかしたらこれも認知バイアスかもしれないけど、まあそれはそのつど修正していけばいい。常に自分を疑いつづけることは大変だけど、自分を疑うことをやめた瞬間に、人間は老いて死に向かうので……。

 1年前のブログを読んだらひどく鬱々としていて、同じ人間の書いたブログとは思えなかった。人間は変われるものやなあ。自力でここまで持ってきたわたしってめっちゃえらいのかも。

 2024年はさすがに去年よりはマシだと思う。あれよりもひどい年になるってよっぽどのことが起きないとない。今年こそはいい感じに生きていきたい。がんばるぞ!