最近は、何をする気にもなれない。どんよりと身体が重く、何にも興味関心が湧かず、あんなに好きだった現代美術の本も読まなくなって、Twitterすらもあまり見なくなって、仕事以外の時間はただただ寝潰している。
今日は急遽休みになったので、しこたま寝て、最低限の家事をやって、また寝ようとしている。煙草を吸いに喫茶店に行こうかとも思ったが、収入がない日に浪費をするのはよくないので、大人しくベランダで吸うことにした。
もしかして鬱転してきているのかなあとは思うけれど、情緒の波というのは誰にでもあるし、梅雨という季節による影響も考えられるので、あまり深く考えないようにしている。
昨日は、Galileo Galileiというバンドのライブに行った。7年ぶりの活動再開で、もちろん新譜の曲もやってくれたのだが、わたしを一番救ってくれていたアルバム「PORTAL」からの曲や、その頃のシングルB面の曲までやってくれて、最前から2列目に立ち尽くしながらボロボロ泣いてしまった。本当に世界一素晴らしい大好きなバンドだ。
最近、就活を始めて、やはりわたしもガクチカなるものを考えなければならないようになった。なんなんだよ、ガクチカって。なんで頑張らないといけないんだ。ただ命を繋ぐだけで精一杯なのに、その上で何かを成し遂げないと一人前になれないだなんて、ふざけたシステムすぎる。
幸い、わたしは大学一年生のデカ・躁鬱時代に、京都市立芸術大学ファッション同好会「shampoo」を立ち上げたという実績があるので、過去の自分からありがたく拝借させていただくことにする。
「shampoo」に想いを馳せる。一応、今も活動は(たぶん)続いているらしい。
ファッションが好きな学生が多いにも関わらず、コミュニティはわりと散り散りになっていて、勿体無いなあと思ったのが始まりだった。ファッション専攻が設置されていない芸大で、それぞれが身につけた芸術のスキルを、ファッションを介して発揮できる場があればいいと思ったのだった。
月に一度、ドレスコードを決めて集まり、撮影会をするイベントを開催した。学内で見かけたおしゃれな学生・教授に声をかけてスナップ写真を撮り、SNSで発信した。メンバーが最近買った服や、おすすめの服屋を紹介するコラムを読めるサイトをワードプレスで作った。どれもこれもわたしが仕切って、メンバーに仕事を振り分けて、学内ではそれなりに影響力を持つサークルだった。
全てわたしが作ったが、全てわたしがメチャクチャにした。躁鬱の勢いに任せすぎた。急に不登校になって、(後輩に引き継いだこともあって)しばらくはわたしがいなくなっても運営されていたが、コロナ禍によるサークルの活動制限で完全に落ち込んでしまった。
今思えばとても楽しい活動だった。ドレスコード集会のたびに新しい服を買っていたし、「shampoo」のSNSのフォロワーが増えるたびに嬉しかったし、週明けに大学に行って「コラム読んだよ」と言ってもらえるのも励みだった。
もうわたしは卒業したので手を出すことはできないけれど、また復活してくれたらいいなと思う。
5年前に投薬治療を始めて躁鬱が穏やかになって、ずいぶん生きやすくはなったけれど、やはり日常がギラギラしなくなったことはつまらない。わたしの人生はもっとおもしろかったはずなのに。異様なまでのエネルギーも万能感も爆発的な感情も何もかもを失ってしまった。おもしろくない。
投薬治療をしていなければ、地獄の鬱も時間が解決して、また最高に愛おしい日々を更新しつづけていたのだろうか。
ただまあデカ・鬱と引き換えのデカ・躁というのは多方面に迷惑をかけるので、やはりないほうがいいのかもしれない。手放したからこそ輝いて見えるだけで、きっと当時はものすごく苦しかったのだろう。
就活はマイナビ2020sというありがたいサービスに登録して、マイナビのおねえさんにかなり助けてもらっている。既卒・職歴なし・未経験でも応募できる企業を探してもらったり、面接練習に付き合ってもらったり、この先はスケジュール管理までしてくれるそうだ。ビジネスマナーのビの字もわからないわたしにはとてもありがたい。しかも全て無料だ。なんと便利な世の中なのだろう。
まだ面接の段階には進んでいないので、就活のつらさを身にしみて実感するのはこれからだろう。
嘘のような本当のような嘘をつきまくって、慣れない服を着て、慣れない言葉を話して、慣れない場所に一人乗り込んで闘うのだ。想像しただけでも恐ろしい反面、どうにかなるやろとも思う。人見知りと緊張はしないほうなので、ADHD特有の遅刻ブッチさえしなければ、たぶんどうにかなる。
ちょっと前に障害者手帳を更新したら3級から2級になっていたのは今でもおもしろいが、障害者でもクローズ就労でドシドシやってみせるぜ。待ってろよ。