安らかに生きたい、ただそれだけ

 

 6連勤のうち5連勤が終わった。

 わたしは基本的に大学生の「n連勤嫌すぎる><」みたいな戯言は聞くに値しないと考えている。なぜならシフト希望を提出したのはその本人であり、バイト先側はそのシフト希望に応えただけだから。
 だからわたしも6連勤については不満はない。むしろ、外山合宿に参加しており働けなかった10日間分の収入を取り返すのに必死なぐらいだ。

 

 ただ、3連勤、1休、6連勤、みたいなスケジュールで夏休みが過ぎていくことが悔しい。

 特に、外山合宿に参加してその気持ちが大きくなった。

 インテリ学生はわたしが働いている時間に本を読んだり、自主合宿に参加して議論し合ったりして、知見を広めて人生を豊かにしているということがわかった。

 そういえば浪人生の頃も、30人ほどのクラスのうちでバイトをしているのはわたしともう1人ぐらいだった。

 

 

 わたしはある程度働かなければ大学生としての生活ができない。仕送りが家賃を下回っているから。鬱による転学部に伴う留年をしたから。ゆくゆくは大学院に行きたいから。

 

 別に実家は貧しくない。むしろ幼い頃は習い事をハシゴして通っていたくらいには裕福なお嬢様育ちだ。食べることに困ったことはないし、それどころかどちらかというとぽっちゃり体型だった。

 親の希望の通りに公立大学に合格したので学費はそこまで高くない。浪人はしたけれど費用の3分の2ぐらいは働いて自己負担した。

 一人暮らしを始めるにあたっての費用はすべて自分で賄った。

 

 かつては裕福だったはずだ。それでも今はこんなにもお金に余裕がない。両親の雇用体系は変わっていないので、世帯収入もきっと変わっていないか上がっているぐらいだろう。それなのに、どうしてこんなにも自分の時間と身体を資本主義に売り飛ばしているのだろう。

 

 

 一人暮らしをしていなければもう少し豊かな生活が送れただろうかと考える。同時に、経済的には豊かであっただろうが、精神的に厳しい生活を送っていただろうと簡単に想像がつく。

 家庭はほぼ崩壊している。そもそも一人暮らしを始めたのは、大学が実家から遠すぎる(2時間半)ということを口実に、母親と、その母親が支配する不穏な空気をまとった家庭から離れるためだった。

 一人暮らしをしていなければ、という仮定は何の意味もなさない。

 

 奨学金を借りていればよかったのだろうか。

 日本学生支援機構奨学金は、父親がアンチJASSOのため借りられなかった。

 以前、母親に勧められた自分語りレポートで合否が決まるよくわからない奨学金に応募したことがある。それも落ちた。そもそも、意識高く芸大生をやっていたところで、キラキラ企業の求める社会に役立つ人材にはなれない。今の日本社会は純粋芸術をそんなに必要としていない。商業芸術にばかり群がる。

 他のほとんどの奨学金は4年でのストレート卒業を前提にしているので、もう5年生になった今は借りることができない。

 奨学金を借りていれば、という仮定も何の意味もなさない。

 

 

 帰納的に結論を導くにはあまりにも拙速かもしれないが、まあ、つまり今のわたしは八方塞がりなのだ。働けるうちに働いておくしかない。

 夏休み、冬休み、春休みを休みだと思ったことがない。夏働き、冬働き、春働きだ。

 

 アルバイトをしなくてもお小遣いをもらえる実家暮らしの大学生については言うまでもないが、通学に時間がかかっても、家に帰りさえすれば安らかに過ごせる大学生も羨ましいし、ほどほどに働けば仕送りと収入でそれなりに満ち足りた生活ができる大学生も羨ましい。

 羨ましいという感情に苛まれて過ぎていく時間ほど無駄なものはない。

 

 安らかに生きたい、ただそれだけだ。そんなにハードルは高くないはずなのに、どうしてわたしはいつまでもそこにたどり着けないのだろう。

 

 

 昨日、わたしにしては珍しく映画を見た。寺山修司の「田園に死す」。脚色はかなり多いが、ほとんど彼の自伝のような映画だ。

 彼も家庭環境に、特に母親との関係に頭を悩ませていた。

 子は親殺しによってはじめて自立できる。親を殺してから、ようやく子の人生が始まる(物理的に殺す必要はない、あくまでも比喩としての親殺し)。

 

 わたしは親を殺すことができないでいるということだ。親が作った遺伝子、親が用意した環境、親が敷いた人生のレール。そこで育ったわたしという個体、わたしの自意識、わたしの現在。

 全てが地続きであることを否定する必要はない。どこかで親を裏切ればよいのだ。

 わたしは親を裏切るつもりで芸大に進学しようと浪人したし、実家を出た。裏切ったはずだったが、結局、親を裏切ったという自負は親に依存しなければ成り立たない。

 自分だけの人生などというものは存在しない。少なくとも自立するまでの段階は親の人生の一部分にすぎないのだ。

 

 

 親を一番ひどく裏切る方法は自殺だろう。親は子がひとりで生きていけるように自分の人生をかけるのだ。死なれてしまっては全てが水の泡だ。

 そして、わたしは親を一番ひどく裏切りたいと思う。わたしの人生をこんなことにした親が憎い。また、親を憎むことでしか自分の人生にしがみつけない自分が惨めで仕方がない。

 やはり自殺するしかないのだろうか。親殺しをするためには、自分までもを。

 

 

 と、ちょっと不本意な連勤が続いたぐらいですぐ自殺がどうとか大袈裟なことを言い出すしょうもないメンヘラです。

 数年前に自殺未遂の未遂をしたので、ここはもう開き直って生きてゆかねばなりません。まだ見ぬ死に思いを馳せながら、お酒と煙草でゆるやかな自殺を目指すのみです。

 

 ビバ・メンヘラ。