おれってこの人生で何回無職になればいいんだ。
修士課程に進学するつもりで就活をせず、躁転で貯金を使い果たしたために諦めざるを得ず、何も決まっていないということだけが決まったまま大学を卒業し、衝動で水商売を辞めて無職になり、既卒で就活するもやばい企業にしか引っかからずまたしても無職になり、ようやく見つけた働きやすいバイト先の喫茶店が急に閉店して無職になり、まあ運は悪いほうではあるがそれにしても自業自得というか、社会に貢献する人材とはまったく逆を行くような大学生活を送っていたので、こんなふうに路頭に迷って当然で、すべて自己責任だけれど、こんなにも何回も無職にさせられるのは、さすがに生きづらくなってきた。
いや、一応はコンカフェに在籍しているので完全に無職というわけではないのだけれど、週1~2に4時間/日だけ働くぶんの収入しかないというのは、"ほぼ無職"といって差し支えないだろう。
今日は、美術系の会社がライターを募集していたので、そこのアルバイトの面接に行ってきた。1年ぶりにスーツ(ユニクロで買ったのでスーツ"もどき"ではある)を着た。これだけ日頃から資本主義をアンチしているのに、結局わたしも"歩く資本主義"になってしまったなと思う。
面接の手応えはかなりよく、特にポートフォリオの評価がよかった。ファッション同好会の設立、ファッションアート作品の制作、ファッションZINEの自費出版、フィールドワークで撮った写真を発表するためのwebサイトの構築、フェミニズム思想を元にしたインスタレーション作品の制作、ことばを扱った歌集やエッセイ集などの自費出版、アーティストの友人のジャケット画像やグッズのデザインなど、さまざまな分野に手を出してきたことがはじめて評価された。
わたしはたしかにマルチな制作活動をしてきたけれど、逆にいうと何らかの分野に特化していたわけではなく、アーティストにもデザイナーにもwebエンジニアにもなり損なった、中途半端にクリエイティブへの執着がある、しかし社会においてはまったく需要のない謎のクリエイターワナビーなのだ。
しかし、面接ではWord・Excel・Photoshop・Illustrator・Indesign・HTML5・CSSを基本的に満遍なく使えるところを評価してもらった。絶対にこの会社に採用されたいし、あの手応えで不採用になってしまったら、もうこの世の何も信じられなくなる。頼むから雇ってくれ〜!
話は変わって、先日、「正社員がしんどいのでフリーターになってもいいですか」というマシュマロが届いた。
どういう手段で金を稼ごうがそれぞれの自由だし、最低限に自立した生活を維持できればそれでよく、もし経済的に自立できなくとも、福祉のセーフティネットの力を借りて生きることだって、けっして後ろめたいことではない。この国に生きる人間として主張すべき権利だ。
ただ、フリーターには適性がある。福利厚生は充実していないし、アルバイト雇用に社会保険を手厚く用意している職場もなかなかないし、シフト制ならば収入は不安定になるし、とにかく収入の不安定さがメンタルヘルスの不安定さに直結する。財布の余裕がこころの余裕であることは否めない。
まずは物質的に豊かな暮らしは諦めなければならない。毎日が綱渡りである。毎月、27日(クレジットカードの引き落とし)が近づくたびに怯える生活だ。
物質的に豊かでない環境においても、それなりに精神的に満足して生きていける人間でなければ、フリーターとして生きていくのは厳しい。メンタルヘルスの改善のために正社員を辞めて、フリーターになってメンタルヘルスを悪化させては元も子もない。結局は、どちらの地獄を選ぶかという話でしかないのだ。
まさに現代社会は生き地獄である。先日、予約販売を開始したエッセイ集「愛すべき地獄」のタイトルは、そんな生き地獄で生きづらさを抱えるすべての人たちとともに励ましあって、この地獄を選んでよかったといつか思えるように、愛をもって生きていくつもりだという意思表明だ。
止まらない円安とそれにともなう物価高騰、ひっくり返しようのない格差だらけの社会、既得権益にしがみつく保守的で汚い政治、資本主義的に発展した社会によって排除されていく精神的な余白、あらゆるマイノリティへの差別、とどまるところを知らない男女の分断……。この社会において生きづらい理由を数えはじめたらキリがない。
ただ、この社会の歪みに気づけるひとりひとりに、革命を起こす潜在的な能力がある。革命とは何も急進的な暴力革命だけを指すわけではない。すこしずつ段階を踏んで社会をひっくり返すことができれば、それはれっきとした革命だ(革命ということばの原義には"比較的に短期間で"というニュアンスがあるが、そもそも現代社会が異常なまでの猛スピードで加速している以上、これまでの歴史をふまえて相対的に見れば、ある程度の速度をもっていれば、ほとんどが短期間の変化だといえよう)。
革命というと、どうしても極度の左翼的なイメージがついてまわるので、穏やかに社会を変えていきたい人たちにとっては避けたい現象だろうけれど、この猛スピードで加速していく社会においては、停滞すなわち逆行であり、絶えず前進していく必要がある。
ただ、つねにがんばりつづけるというのは、言うまでもなくしんどい。誰しもがときにはひと休みを挟みたいし、一旦その場に立ち止まって現状を俯瞰的に分析することも必要だ。
個人が社会を形成して、他者と関わりながら生きていくことを人々が求めたのは、人間という動物にとってひとりで生きていくことは非効率的であると長い長い歴史において学習してきたからであり、そういう意味で、他者という存在は利用するために用意されているのだろう。
他者が利用するために用意されている(あくまでもマクロな社会変革においての話である)かぎりは、他者の力を借りたってかまわない。自分がひと休みしている間は代わりに誰かががんばってくれるし、誰かがその場に立ち止まって現状を俯瞰的に分析している間は、代わりに自分が前進していればよい。
つまりここ数年で広く共有されてきた自己責任論はカスである。何のために古来からの人間が、社会というバカデカいコミュニティを作り上げてきたというのだ。せっかく先人たちがコミュニティを用意してくれたのであれば、味がしなくなるまで甘い蜜をすするべきだろう。
おまえらは、とにかく他人を頼ろう。一般的には利他的な人間は嫌われるというけれど、自分ひとりの殻に閉じこもった結果として社会からドロップアウトしてしまっては、まったく意味がない。この社会におけるすべての人間が同等に他人を利用すれば、"利他的"という相対的な定義でしかない人間の評価軸はなくなるはずだ。
綺麗事や御託はいいから、他人を頼ろう。頼る宛が見つからないおまえは、まずはバカデカい愛さんを利用しよう。いつでもどれだけでもマシュマロを投げてくれていいし、FF外から突然DMを送ってくれていいし、通話での相談を持ちかけてくれてもいい(かつて公式LINEで有料の相談を受けつけていたので、それを利用してくれた人たちと平等の措置を取るために、通話に関しては有料になるけれど)。
おまえらがバカデカい愛さんを利用することで、バカデカい愛さんもまた社会に繋ぎ止められる。所詮はインターネットという仮想空間においての繋がりでしかないけれど、現実にもインターネットにもどこにも居場所がなく、どうにも解消できそうにない孤独に狂っていくよりは、インターネットにおいて繋ぎ止められているほうが、よっぽどヘルシーだ。
つまりは共依存である。まあこれを気持ち悪がる層も一定数いるだろうけれど、わたしはインターネットに、現実からの逃避先としてのユートピアを築きたいのだ。バカデカい愛王国を建てたい。
ただ、バカデカい愛さんに一度頼ったからといって、妙な恩のようなものを感じて、しがみつづける必要もない。おまえにとってバカデカい愛さんの存在が必要でなくなったときには、おまえがおまえのユートピアをどこかに築けばいい。この世に独立国家をたくさん建てよう。そのときは容赦なく離れてくれていい。
何が言いたいのかがよくわからなくなった。そもそも「何か文章を書きたい気分だな」という漠然とした欲望でこの記事を書き始めたので、とにかく見切り発車だった。
しばらくは、さっき受けたアルバイトの面接の結果についての連絡を待つ日々を送る。ここに採用されたらすぐにでも働きたいので、結果待ちの短期間でしか働けないからにはどこかに応募するわけにもいかず、そうこうしているうちに収入見込みが減っていく。
あ〜!クソッタレ!とにかくお金がない!早く働かせてくれ!おれは資本主義社会の奴隷なんだ!助けてくれ〜!