三十一字で世界を始めて終わらせるだけの説得力

 

 自作短歌の批評が見てみたい、という声があったので、短歌について考えてみる。

 過去の作品を振り返るのは小っ恥ずかしい。黒歴史にもほどがある。とはいえ変遷を振り返ることでようやく見えるものもあるはずなので、過去の作品を引っ張り出してきた。

 

 

 「飾られたつぶの赤いひややかさ ひとくちの夢 はじまる合図」2019.8.3

 

 おそらく短歌と出会ってまもない頃のもの。手元に残っているデータの中でこれがいちばん古い。

 当時から、どちらかというと単発よりは連作で詠むことが多く、これは「パフェ」という連作のはじめの一首である。「飾られたつぶ」が「赤い」ということで、おそらくパフェの頭に乗っている苺やさくらんぼのことを指しているのだろう。しかし、パフェと言われなければ何の話をしているのかが全く伝わらない。

 拙いことこの上ない詠ではあるが、一点褒めてやるとするならば、この五七五/七/七という体言止め三連だろう。あれこれと考えながら詠むようになった今、このように大胆な詠み方は逆にできなくなってしまっている。

 

 「口の中 溶ける さらさら 多幸感 広がる どうか ぼくを救って」2019.8.17

 

 おそらくODがテーマなのだが、とにかくツイッター短歌(#tanka )だな、という印象。

 #tanka というものは、「救う」「祈り」「ひかり」「星」「宇宙」「天使」「少女」「きらきら」「みずうみ」「雨音」みたいなモチーフと親和性が高いと思う。当時のわたしはまさにそこに陥っていた。

 短歌を始めたきっかけのひとつが、ツイッターの短歌botひとひら言葉帳、夜空の短歌bot、など)だったので、そこに取り上げられる短歌はどうしてもそういうポエジーな傾向が強く、まんまと術中にはまってしまった。ものすごく恥ずかしい。

 

 

 これらを詠んだ頃は、とにかく勢いでバンバン五七五七七をやっていた。短歌になってはいなくても、ひとつひとつの詠に迷いがなく、下手ではあるがエネルギーがあった。もうこの頃のエネルギーは取り戻せないと思う。

 2020年のデータが残っていないのだが、おそらくこの年は一度短歌から離れて、ひたすら二次創作の夢小説を書いていたような気がする。高校野球の漫画「おおきく振りかぶって」の敵キャラ・高瀬準太くんに夢中で、約2万字の夢小説を書いた記憶がある。

 

 「深夜ラジオのノイズ依存症の乙女たちよ安らかにお眠りなさい」2021.1.19

 

 長い夢から醒めて、また短歌を始めるようになった。この短歌はどう読んでも五七五七七にならないのだけれど、なぜか短歌のフォルダにあるので、字余りのつもりで詠んだのだろう。三十四字はさすがに字余りすぎる。

 この頃は、トータルで三十一字前後の口語詩、というイメージでやっていた。短歌である必要はあまりなかったかもしれない。ただ、定型がない詩というのはそれはそれで難しく、三十一字という形式だけ短歌からお借りしていた。

 ただ、1年半前に比べれば、描写する世界が具体的になっている。登場人物が「乙女たち」と「お眠りなさい」と告げる人物の複数になっていたり、時間帯が明らかにされていたりと、5W1H(いつ・どこで・誰が・どのように・何をした)がはっきりしている。

 情報量が増えたという点では、やや成長している。

 

 

 「海にほどける魚になって透明の鱗で今すぐ会いにゆきます」2021.7.19

 「踏切の遮断機をへし折ってみる 全人類への求愛として」2021.11.2

 「ゆううつが治らないなら花びらのシャワーを浴びてこっちにおいで」2022.04.11

 

 相変わらずスケールのデカい詠ばかりが続く。一方、ほとんど五七五七七に収まるようにはなった。現実と非現実の境界を探るという今のスタンスが芽生え始めている。

 この頃から、自分の使う言葉の偏りが嫌になり、短歌から逃げるようになった。ポエジーから抜け出したくても、抜け出し方がわからず、詠めば詠むほど自分の愚かさを噛み締めることになるという負のループにあった。

 なかなか短歌にならず、どうしても三十一字ポエムになってしまう。

 

 あと、息抜きに機能不全家庭短歌を詠んだのだが、なんとも結構おもしろいので、一部を掲載しておく。

 

 「ファミレスで喧嘩するのをやめてくれ 恥ずかしいねん はよ帰りたい」

 「怒られないように怒られないようにした行動で逆に怒られる」

 「グーよりもパーのほうが怖い パーは連続でくる可能性がある」2021.11.25

 

 サラリーマン川柳的な素人くさい口語のノリがおもしろい。何も考えずに詠むということが数年ぶりにできて楽しかった。これらはのちの作品に何の影響も与えない。ただ楽しかっただけである。

 

 

 「永遠のような冬が来てひとびとはやるせなく月に移住していく」2022.12.07

 「きっともう死を数えるしかすることのない故郷には雪は降らない」2023.1.2

 「どこにでも行けそうな気がする春にあえて眠ればあなたが見える」2023.3.28

 

 2021年に比べると、非現実度がやや下がり、現実に近くなっている。

 セリフじみた詠が減り、情景描写の詠が増えた。短歌は現実→非現実のアプローチであるべきで、非現実→現実のアプローチではよくないのではないか、と考えるようになった。

 それでもやはり三十一字ポエムではある。

 

 

 短歌と三十一字ポエムの違いはいったい何なんだろうか。

 出版社から歌集が出るような歌人のポエジーはしっかり短歌になっているように思うのに、自分がそれをやるとただの三十一字ポエムになってしまうのだ。

 歌人にもいろいろなタイプがいて、木下龍也や岡野大嗣のような”現実のよろこびを三十一字で切り取る”タイプもいれば、笹井宏之のような”美しい虚構を現実に引き寄せる”タイプもいるし、穂村弘のような"現実なのか虚構なのかはっきりしない"タイプもいる。

 どのようなタイプでも、たった三十一字で世界を始めて終わらせるだけの説得力があり、それぞれの詠の中で歌人が神様のようなポジションにいる。これがどうしてもできない。今でもそれについての答えは出ていない。

 

 

 少し話が逸れるが、現在わたしは1950~60年代の日本の戦後美術、いわゆる前衛芸術を勉強している。既卒ではあるが、制作ではなく芸術学分野での大学院進学を考えていて、入試形態は大学によってさまざまなのだが、研究計画書や論文の提出が必要なので、そのために準備している段階だ。

 

 日本の戦後美術は、シュルレアリスムダダイズムと切り離すことができない

 西洋におけるダダイズムは、1916年のトリスタン・ツァラのダダ宣言に始まり、第一次大戦への抵抗としての破壊衝動を根幹にもつ運動であった。その後、拠点がチューリッヒからパリに移り、共に活動していたアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」によるダダイズムからの分離に伴って、ダダイズムは終息する。そしてシュルレアリスムも、第二次大戦のファシズムによって終息させられる(多くのシュルレアリストアメリカに亡命した)。

 戦前の日本にもダダイズムシュルレアリスムの潮流はあったが、やはりこちらも第二次大戦によって抑圧されている。

 そして戦後、ネオ・ダダという美術運動がアメリカを中心に発展し、日本でも1954年に結成された「具体美術協会」を皮切りに、1960年代には「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」や「ハイ・レッド・センター」が活動していた。

 

 ダダイズムシュルレアリスム、ネオ・ダダというのは、美術に限った運動ではなく、音楽や詩などあらゆる芸術分野を横断して行われた運動だった。

 そこで、トリスタン・ツァラ(ダダ)や篠原有司男(ネオ・ダダ)の詩を読んでいる中で、この手法を短歌で実験してみるのはどうか、というところに現在至っている。

 

 「500mlペットボトルから卵管までのみじかい国境」2023.5.3

 「春ゆえにポストマンから革命を勧められても物言わぬ花」2023.5.6

 

 これはその実験を試みた最新の短歌だ。何を言っているのかがわからないと思う。わたしにもわからない。ここから、なんとなく想像できる情景があるというところに持っていきたいというのがこれからの展望だ。

 やはりダダ(そしてネオ・ダダ)というのは、ニヒリズムや破壊衝動のエネルギーがものすごかったのだと実感する。興味があれば、「ダダイズム 世界をつなぐ芸術運動(岩波現代全書)」などを読んでいただきたいのだが、ナヨナヨした心で立ち向かおうものなら勢いよく一蹴されるような、凶器としての言葉と言っても差し支えのない詩のムーブメントがかつてあったのだ。

 破壊や抵抗という色が前面に押し出されないわたしの実験的短歌は、良くも悪くも平和ボケしていると思う。メンヘラゆえに破壊衝動がないわけでもないが、メンヘラ的エネルギーを創作意欲にすると、不幸でなくなってしまったときにもう何も作れなくなってしまうので、なるべくそこには頼らずにいたい。

 

 これからわたしの短歌がどうなっていくのか、このまま非現実的な方向に突っ走るのか、もう一度現実に近づいてくるのか、わたしにもわからない。短歌のモチベーションが復活してきたので、近いうちに短歌賞に出してみるなどをしようと思う。