だるそうなはるかぜが冬のすきまに吹くことは、愛ではないね。二月

 

 先日、ネットサーフィンをしていたら、2年半ほど前に某投稿サイトに短歌を投稿していた形跡が見つかった。

 それはそれはもうあまりにもドヘタクソで、喫茶店で声を出して笑いそうになった。

 しかもこれは落選した某短歌賞に応募した際のボツ作品だったということを思い出した。つまりボツのボツだ。

 

 

 パイ生地の層をひとつずつていねいにめくるきもちで生きてゆけたら

 

 

 2年半越しにも言いたいことは分からんでもないのは、現在と使用する単語がさほど変わっていないからだと思う(かなり悲しい)。

 たしか、この頃はテーマ詠みにハマっていて、ティータイムをテーマにしていたような気がする。たぶんこれはミルフィーユの詩。

 

 

 パイ生地を一枚ずつ剥がすようなだるい毎日を「愛」と呼ぶなよ

 

 

 今、適当に詠みなおしてみた。まだマシにはなったけど、どう考えても「だるい毎日」の比喩に「パイ生地を一枚ずつ剥がす」をおく必要がない。日に日に缶チューハイのゴミが溜まっていくとか、週末の夜勤(夜職)のリズムを昼に戻せないとか、朝起きて朝ごはんをコンビニに買いに行かなければならないけれどその前に風呂に入る必要があるとか、そっちの方がよっぽど「だるい毎日」だろう。パイ生地を剥がす日常なんてあるわけがない。

 とはいえわたしは永遠のロマンチストだから、ロマンチックなことばが好きだ。退廃エモ酒煙草セックス(笑)みたいな奴とは仲良くしたくない。

 

 

 だるそうなはるかぜが冬のすきまに吹くことは、愛ではないね。二月

 

 

 いろいろ改変していった結果、「だるい」と「愛」しか残らなかった。「毎日」というざっくりとした時間単位が「二月」「冬」と具体的なものになった。

 もはや元の詩は跡形もないが、上達していることは確かだ。上達の基準もよくわからないけれど、なんか、伝わる情報の量は圧倒的に多いし、情景としても具体的というか……。

 

 短歌ってどうしたら上手くなりますか?とか、デカ愛さんってどうやって短歌を詠むんですか?とか、いろいろ聞かれることが増えてきたが(弱小ポエマーなのにいきがってすみません)、2年半ぐらい続けるこれぐらいの変化はある。

 

 

 わたしは基本的には虚構しか詠みたくないというか、数多ある短歌賞のうち、連作ではなく2~3首を一口にして応募する賞は、どうしても時事問題(コロナとか)や日々の気づき(家族とか恋愛とか)などがよく賞を取る傾向にある(=歌壇に求められている)ので、その評価軸でないところでそいつらに勝ちたいという、逆張りオタク精神がある。

 

 詳しいことはまだ言えないのだけれど、そんな感じで逆張りオタク精神でネチョネチョやっていたら、虚構を詠んだ作品にとあるグッドニュースがやってきて、進級制作展も終わって春休みに入った今、よ〜し!!短歌やるぞ〜!!!という気持ちが高まっている。

 詳しいことを早く言いたい。口止めされている。

 

 いつも虚構を詠んではいたけれど、なぜこの作品がグッドニュースを運んできたんだ?といろいろ考えたところ、虚構を詠むのがダメなんじゃなくて、虚構の解像度が低いのがダメなんだという結論に至った。

 曖昧なものは曖昧だからたくさんの受け皿に届くけれど、それぞれの皿に深くなじむにはある程度の鋭さが必要で、その鋭さとはまさに解像度なのだと思う。

 

 短歌や俳句(川柳)は映像だ、みたいな文章がTwitterでバズっていて(たぶん)、本当にその通りだと思った。いかにしてことばで具体的に映像を鑑賞者に見せるかという挑戦なのだと思う。

 別に、歌壇に評価されたくて賞に応募しているわけではない。有名になりたいわけでもない。ただ、わたしのことばを好きになってくれる人が多ければ多いほどうれしい。そのためには歌壇に評価され、有名になるのが手っ取り早い手段だ(決して早くはないが)。

 SNSで地道に名前を伸ばしていく歌人(詩人)もいるけれど、あいにくデカ愛はTwitterとの相性が悪い。すぐにアカウントが凍結する。だからあまり期待できない。

 

 

 短歌をやるぞ〜!!となり、笹井宏之・江戸雪・雪舟えまなどの歌集や、ねむらない樹のバックナンバーを買ってきたけれど(まだ買ってなかったんか〜いとか言わんといてくれ)、すごい詩に出会えば出会うほど絶望する。

 特に笹井宏之の短歌は、もうわたし短歌やめた方がいいんじゃないかな、とまで思わせる。彼の歌集を読んでから自分で短歌を作ろうとすると、どうしてもことば使いなどが引っ張られそうになるので、できればあまり読みたくない。でも、好きだから、やっぱり、読みたい……(泣)

 

 

 まあ、とにかく、虚構の解像度をあげて、31字ポエムになることを避けたいということ。

 あまりTwitterの短歌界隈との交流がない今のうち(?)だからこそ言えるのは、それなりにいいねやRTがついている短歌にも31字ポエムみたいな作品はある。特にメンヘラが恋愛を詠むとそうなる。ちなみに、デカ愛の第一歌集もメンヘラ31字ポエムだ。恥ずかしすぎる。買ってくれた人、全員、今すぐに、捨ててほしい。

 

 第二歌集は4月中に出すつもりだったが、後輩との合同展の予定が3月末〜4月頭になったので(まだギャラリーに連絡中で未定)、それに合わせて販売するとなると、もう大変だ。できればイラスト歌集にしたいので早急にやらなければならない。う、う、うう、う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 がんばるぜ。絶対に買ってくれよな。