「正しく生きろ」という圧

 

 親に「春からどうするんや?」と聞かれて「フリーター」と答えた。

 そして、「今でも仕事とかもらってるんか?」と聞かれた。親はバンドマンからイラストやフライヤーの依頼をもらっていたことを知っている。彼はもっといい仕事相手を見つけたのか、依頼はしばらく来ていない。

 「ぼちぼちかな」と答えた。

 

 親の期待がしんどい。幼少期からずっと優等生で育ってきて、それが息苦しくて道を外したつもりが何の因果かまたそれなりに名の知れた大学に入ってしまって、さらに短歌ではコンクールに入選(数が多いのでさほど素晴らしい結果ではない)してしまったりして、どんどん期待が増している。

 しかも、いわゆる”お勉強”をやめてお絵描きを、お絵描きをやめて短歌を、とフィールドを変えてしまったことによって「どんなところに行ってもうまくいく娘」みたいになってしまった。

 全然大したことないのに。

 

 バイトをしながら適当にデザインやイラストの仕事をもらって生きていくことになっている。

 いや、あながち間違いではないのだけれど、なんというか、立派な娘に育ったみたいになっているのが嫌だ。バイトって言っても夜職だし。職業に貴賎はないと思っていたいけど、まあ親に言える仕事ではないので気が引ける。

 

 親の「正しく生きろ」という圧に耐えられそうにない。ちょっとでも道を踏み外そうものならたんまり叱られる。だからこっそりバレないように道を踏み外す。

 そうやって、親の想像している娘像と、現実の自分が乖離していく。苦しい。

 

 

 もう思い切って縁を切った方がいいのかな。やばいのは母親だけだと思っていたけれど、父親の「正しさ」の圧もなかなかすごいということに気づいた。

 わたしはそんなに正しく生きられない。本当は、怠惰で向上心がなく出来の悪い娘なんです。ごめんなさい。

 疎遠にしたら悲しむだろうな。全部よかれと思ってやってきてくれたのだから。そのために彼らは自身の人生のほとんどのリソースを注ぎ込んで、こんなに大きく育つまで面倒を見てきたのだし……。

 

 このまま生きても親不孝、苦しみから逃れるために縁を切っても親不孝。逃げ場がない。どうしようもなくなってきた。いつまで親のことで悩んでいるんだろう。早く結論を出して楽になりたい。

 わたしは、親が死んではじめて心の底から楽になれるのだろう、ということを思いついてしまって、自身の発想の卑しさに落ち込む。他人の死を願う人間は最悪だよ。自分の問題は自分で片付けないと。