母の用意した人生

 

 

 斎藤彩「母という呪縛 娘という牢獄」(講談社)を読んだ。

 

 2018年、滋賀県守山市で31歳の娘が58歳の母を殺し、バラバラの状態で遺棄した事件について、筆者である記者が取材をして書いたノンフィクションだ。

 31歳の娘は医学部受験のために9浪をしていた過去があり、また事件当時は滋賀医科大医学部看護学科の卒業を控え、就職も決まっている中で助産師学校を受験していたが不合格だった(事件が公に発覚するまでは看護師として働いていた)。

 

 事件はニュースで大きく報じられた。わたしの知る限りでは、教育虐待という問題が世間に明るみになったニュースで最も大きいものだった。

 

 

 この記事にも書いたが、わたしは大学受験を終える19歳まで、教育虐待を受けていた。そのために、このニュースを、この本を、他人事だとは思えなかった。

 教育虐待の内容はざっくり上の記事に書いたので割愛する。同じ話を何回も擦ったところで、人生は前に進まない。

 

 

 この本を読んで最も驚いたのは、事件の被害者である「お母さん」とわたしの母の心理変化や行動パターンがあまりにも似ていたところだ。

 

 例えば、怒りがエスカレートして、悪行(と言っても理不尽な条件を提示された下での非遂行や未達成などである)の内容を超えたところで人格を否定したり、悲劇のヒロインモードに突入する。暴力を用いるのは言うまでもない。

 娘は「お母さん」の罵声を「詰問(例:なんでこんなこともできへんの?)」「罵倒(例:嘘つき)」「命令(例:家から出ていけ)」「蒸し返し(例:あんたはいつも同じことの繰り返しや)」「脅迫(例:バカ学校にしか入られへん)」「否定(例:あんたなんか産まんかったらよかった)」の6パターンに分けている。

 

 他にも、教育面では、まだ学校で習っていない分野を暴力を用いて叩き込む、自宅から通える国公立大(この事件ではさらに医学部に絞られる)のみを志望させる、素浪人は世間的に恥ずかしいので仮面浪人を強いる、など。

 教育虐待の手引きでもあるのかというほどに、「お母さん」はわたしの母に似ていた。

 

 

 同じような母親に育てられているので、同じような情緒が育つ。ストレスで過食する。楽しむべき状況でやけに冷静になってしまい素直に楽しめない。事故でうっかり死ぬことばかり考える。

「いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している。」

 という一文は、犯行に及んだ娘の陳述書の締めくくりの言葉だ。

 

 小学生のわたしは、大人になったら母を殺そうと思っていた。子供では力の差があって、どうしても大人には勝てない。止まない暴力にたびたび立ち向かってはいたが、いつもさらにコテンパンにされた。大人になったら絶対に復讐してやる、という気持ちで自室の壁にカッターを刺していた。

 大人になった今、さすがに殺そうとは思わないけれど、その代わりに母の呪縛はまだ続いている。

 

 

 わたしはいろいろあって今年は大学院に出願しなかったのだが、母は執拗に来年の受験を薦めてくる。公立大の修士卒の娘という肩書きが欲しいのだろう。

 大学院に出願しなかった理由はいくつかある。まず第一に、この生活に疲れたから。少ない仕送りで一人暮らしをしなければならないので(実家には精神衛生上もう住めない)、アルバイトは絶対にやめられない。お金の不安と削られていく精神と体力に悩まされながら制作を続けるのは困難だと判断した。

 第二に、このまま修士課程に進んでしまったら、わたしの人生が母の成功譚に回収されてしまうから。わたしが優秀な娘になればなるほど、母は満足する。

 

 厄介なのは、この第一と第二の理由のどちらの方が自分の本心なのかがわからないところだ。第二の理由が本心だとすれば、ただの反抗期の延長線でいつまでもダサい。でも、第一の理由が本心だとすれば、第二の理由のような気持ちは湧いてこないと思う。

 大学院進学に向けて就活はしなかった。しかし進学しないことに決めたので、春からの進路が何も決まっていない。大学のキャリアセンターのメールアドレスからしつこく「進路調査書」が送られてくる。通知が来るたびに苦しい。

 

 別に、なるようになる、と割り切ってはいる。生きようとしなくたって、死なない限り人生は続く。

 

 ただ、少し後ろを振り返って見たときに、「これは誰が選んだ道なんだろう?」とわからなくなる。この人生は、どこまでが母のもので、どこからがわたしのものなんだろう。もうとっくにわたしのものだと思っていたけれど、実はまだ母のもののままなのだろうか。それとも、わたしがずっと勝手に母に呪われているだけなのだろうか。

 

 

 この先、どこで何を選んでも、「母の用意した人生」から派生・分岐したものにしかなり得ないという絶望。わたしはたぶんまだ、親殺しがうまくできていない。

 でも、どうすればいいのかが全くわからない。人生をうまくやろうとすれば母を喜ばせてしまうし、人生を転落させたところで母への復讐にしかならないのだ。

 どこまで行っても、母、母、母。わたしの人生はいったいどこにあるのか?

 

 

 「連絡を絶って、居場所も教えずに、物理的にも精神的にも距離を置けばいい」とも言われたが、わたしはこの孤独な母を、わたしを介して自己実現するためだけに生きてきた母を、見捨てることはできない。

 そんなのデモデモダッテじゃん、と言われればそうでしかないのだが、家族の誰からも疎まれ、肉親とは縁を切り、友人らしい友人が一人もいない母をわたしが見捨ててしまえば、この人は本当にひとりぼっちになってしまう。

 この人の恵まれない人生に、とどめを刺してしまいたくないのだ。どれだけ憎くても、幸せに死んでいってほしいのだ。

 

 

 25歳になってもなお親のことで苦しんでいるのは恥ずかしいので、いい加減に辞めたいのだけれど、ライフステージが進むごとに自身の未熟さを自覚させられる。わたしはいつまで親のことで苦しむのだろう。早く助かりたい。