家族の呪い



 わたしは今、香川にいる。父・弟・わたしの3人で、うどんを食べるためだけに来た(父の運転で)。


父・弟・わたしの3人ということは、母は仲間はずれである。なぜなら母は家族旅行のすべてをクラッシュする常習犯だからだ。



 小学生ぐらいまでは、毎年夏休みに家族旅行に行っていた。家族旅行と言えば聞こえはいいが、いつも家族内で揉め事が起きて内部分裂する。だいたい父・弟と母・わたしの組み合わせに分かれていた。これはわたしが母について行ったのではなく、母のわたしに対する異常なまでの執着ゆえに向こうにつくことができなかったのだ。


 ホテルのロビーで某通信教育Z〇のテキストを解き終えなければ、せっかく水着を持ってきていても、プールに入れさせてもらえなかった。



 久々の家族旅行(母除く)、いろいろと考えさせられる。


 うちの母がおかしいのは大前提としても、やはり(母除く)は心苦しい。母は家族の誰からも見放されている。幸いにも本人は気づいていないが、それでもわたしが母を仲間はずれにすることに加担しているという立場は変わらない。


 母を混じえた喧嘩だらけの家族旅行にはもう懲り懲りだが、母を仲間はずれにした平和風の家族旅行にも後ろめたさがある。



 少し前、父親に「あいつと離婚してでもお前の中学受験を止めておけばよかったとずっと後悔している」と言われた。中学受験以降、わたしの人生(と精神)が狂っていったことを、母親という、子にとってこれ以上にない大きな権力を横目に、ただ傍観することしかできなかったことを悔やんでいるのだと思う。


 父の言う通り、離婚していたらまた違う人生だったかもしれない。教育虐待も早く幕を閉じたかもしれない。なんせ母は働いてはいるがおそらく家には稼いだお金を入れておらず、実質父がひとりでわたしと弟と母を養っていたようなものだろう。



 しかし、人生にタラレバはない。今を生きるしかないのだ。


 この家族は、きっともうバランスを崩したまま、時を過ごしてそれぞれが死んでいくことで終わるコミュニティなのだと思う。


 当然、わたしは母から解放されたい。でも、事なかれ主義的に母を仲間はずれにする父と弟にも違和感を感じる。憎しみをもって他者を加害にさらすことをわたしはしたくない。しかし、この旅行に来ている限りはそれに加担している。


 もう、とにかく、苦しい。この家族の呪いから解放されたい。そしてこんなことを考えていることも、せっかく旅行に連れてきてくれた父親に申し訳ない。逃げ道がどこにもない。



 わたしはどうしたらいいんだろう。どうしたら誰も互いに傷つけずに家族全員で救われるんだろう。


 もはやそんな道はないのだろうか。