どうせいつか死ぬんだったら今でもいい

 

 

 死ぬなら今日だ、と思ったのが夜勤明けの始発電車だった。動機なんて特になくて、今ならこの衝動に任せて死ねると思った。

 

 

最寄り駅で降りずに、終点の京都河原町駅まで行って、はじめは四条大橋から飛び降りようと思ったのだけど、人通りが多すぎるのと、目の前に木屋町の交番があったので、三条大橋に向かった。ぼーっと朝の鴨川のいつもの風景を見て、欄干に乗り上がって足をかけたところで、やっぱり怖くなった。

死ぬのは怖い。即死でない限り痛そうだから。鴨川程度の高さで即死になるはずがないことはわかっていた。しかし、かねてから死に場所は水辺がいいと決めているわたしがお手軽に選べる水辺は鴨川ぐらいしかなかった。欄干にまたがると、おもしろいぐらいに足が震えた。

 

何回も降りては登ってを繰り返しているうちに、通行人の若い兄ちゃん(陽キャ)が引き留めにきた。「俺は17から働いてるんやけど、数千万の借金を背負ったときに死のうかと思った」「でも死んだらこの先来るかもしれへん楽しいことも見えるかもしれん綺麗な景色も全部なくなるんやで」「生きてるだけで丸儲けってほんまにその通りやと思う」などの説教を食らって、橋から離れたところまで見送られて、この場では諦めた。

もう一度、三条大橋に戻ろうかと思って飛び降り直そうと思ったけれど、何らかの形で陽キャの兄ちゃんに知られたらきっと彼は助けられなかったことをひどく悔いるだろうと思い、場所を改めた。

 

 

もうひとつ北の橋、御池大橋に向かった。三条大橋よりも人通りが多くてすこし意外だった。また欄干に乗りあがった。やっぱり足が震えた。わたしって生きているんだなあと思った。やはり人は死に近づけば近づくほど生を実感する。生きている実感に浸りつつ、そろそろいい加減に腹をくくれよと乗り越えようとしたときに、ものすごい勢いで男性二人組がやってきて、欄干から引きずり降ろされた。片方の男性が警察を呼んだ。もう片方の男性はわたしが橋に乗り上がらないようにずっと監視していた。

 

警察が来た。軽く荷物検査と怪我の有無を確認されてパトカーに乗せられた。警察官は「保護完了」と言っていた。そのままパトカーは川端署に向かい、相談室という部屋に入れられた。保険証と学生証を提出させられた。親の連絡先を聞かれたが、電話帳にも登録していないし、電話番号も覚えていないし、どうにか逃げようと黙り込んでいた。自殺未遂というものは親に知られるのがいちばん面倒くさい。LINE通話でもいいと言われて、さすがにこの時代にLINEを使っていませんとは言えないので、父親のトーク画面を開いたら、警察官にスマホを渡すように求められ、そのまま警察官が父親に電話をかけた。警察に保護されると、近親者の迎えがないと解放してもらえないらしい。大阪に住む父親が車で迎えに来ることになった。

 

 

過去にも一度、当時住んでいたマンションの屋上から飛び降りようとしたことがある。そのときは通行人が大家さんに通報して、大家さんがすっ飛んできて引き留められた。このときもまた家賃保証人の父親が迎えに来た。生きていてくれと泣かれた。

 

今回もまた泣かれるのかと憂鬱になっていたが、意外にもそんなことはなくて、実家に強制送還されることを除けばいつも通りの日常が始まった。朝マックの月見マフィンとハッシュドポテトを食べて、マブ・喫茶こと喫茶マーチで一服した。とりあえず夜勤明けで疲れているので、一旦京都の自宅で5時間ほど寝た。そのあいだ父親は、セルフネグレクト気味になっているわたしの部屋を掃除してくれていた。

 

起床してそのまま実家に強制送還されることになった。自分の家族(特に母親)が苦手だから困った。いきなり父親に連れられて帰ってきたことについて何か聞かれたら本当に面倒くさい。晩ご飯は何がいいかと聞かれて、父親の作る天津飯が好きなのでそれをリクエストした。あと最近やたらめったら街に増えている無人の餃子販売所の餃子を食べてみることにした。

食卓では、父親がわたしに会話を振り、わたしは話半分に適当に反応して、横から母親がアスペルガー特有のわけのわからない方面からの持論を展開し、父親が溜息をつくといういつもの実家のやり取りがなされた。わたしは母親のこういう空気の読めないところ、コミュニケーションにおいて求められる感情の共有ができないところがとても苦手だ。

 

居心地が悪いので食後はすぐに自室にこもって寝た。もう寝ることしかできない。起きていてもどうせ死ねなかったことを悔いるだけだから。また6時間ほど寝た。起きたら深夜1時だった。

 

 

別にとりわけ自殺企図に走るきっかけに挙げられるような出来事はなかった。なんとなく衝動で、死ぬなら今だと思っただけだった。わたしが今ずるずると生きていられるのは夜職で稼ぐお金で生活をして、恋愛に依存して脳をバグらせているからだ。こんな生活が成立するのは今のうちだけだから、若さを理由にいろいろなものが許されるうちに死んでおくほうが賢明だと思う、自殺企図に至るまでの考えはそれぐらいのものだ。

 

わたしはいつだって生きていたくないし、いつだって死にたい。どうせいつか死ぬんだったら今でもいい。わたしに死んでほしくない人がいることも知っているし、わたしに死んでほしい人がいることも知っている。もうそういうあれこれすべてが面倒くさくて、とっとと手放してしまいたかった。誰にどのように評価されようと、主観では死に物狂いで執着するほどの価値のある人生ではない。もうどうでもいい。

 

前回に引き続き今回もまた死ねなかったので、また生きていかなければならない。わたしに死んでほしくない人のために。これまた困った。本当に申し訳ないのだけれど、わたしに死んでほしくない人たちがとっとと早く死んでくれたらわたしも何も思い残すことなく死ねるのにな、とか本気で考えている。他人のすこやかな生を祈れなくて本当にごめんなさい。本当はみんなに早く死んでほしいんです。じゃないと、わたしがいつまでも死ねなくて苦しいから……

 

 

どう考えたって生きる気にはならない。でも死なない限りは生きなくてはならない。なんでこんなに面倒くさいシステムなんだ。早く楽になりたい。寝て起きたらまた明日が始まる。このまま眠り続けて死ぬ、という古のTwitterハッシュタグ文化を思い出した。このまま眠り続けて死にたい。死にたいなあ。もう生きたくないよ。