リスカ跡にアットノンをくれた

 

 

 よう、フォロワー。今日も相変わらずゴミクソみたいな人生を送っているか?土晩のこんな時間(AM2:00)にインターネットを徘徊しているぐらいだからさぞかしゴミクソみたいな人生だろうよ。最悪すぎてサイコーだな。

 

 ところで、

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 という質問が来たので、父親の話をしようと思います。

 やはりわたしの人格の底をなす確執は母親との間にあるものの割合が大きいので、ついつい母親の話ばかりしがちですが、別に片親ではありません。母親に比べればまあかなりまともなので、なかなか出てこないというだけです。

 

 

 端的に言うと、父親との親子仲はそこそこに良好です。先日も二人で「しゃぶ菜」に行ってきました。2週に一度は食料を届けてくれます。仕送りをくれるのも、5.5年分の学費を払ってくれているのも父親です。今住んでいる家の保証人も父親です。

 父親がいなければわたしの生活は成り立っていません。片方の親がまだまともでいてくれているという点においては、わたしは恵まれている方だと思います。

 

 とはいえ、完全に心を預けているかというとそうでもないという親不孝ものです。こんなにもわたしのためを思っていろいろとやってくれているのに。

 なぜ完全には心を預けていないかと言うと、父親はわたしと弟に対する母親からの暴力を止めなかったからです。

 

 

 父親はとても仕事人間で、誰よりも早く家を出て、誰よりも遅く家に帰ってきていました。特にわたしの幼少期は、日付が変わる前に帰ってこられる日の方が少なかったです。母親曰く、おかげで出世がとても早かったそうです。ちなみに機能不全家庭短歌を見てくださった方には伝わっているとは思いますが、父親と母親は不仲です。父親と母親が同時に家にいると、スリッパが飛び交っていました。

 

 仕事でほとんど家にはいませんでしたが、暴力は知っていたと思います。

 弟が幼稚園児のとき、九九を覚えられずに風呂場でしばかれまくった弟の太ももにデカい内出血があったのですが(同じ教育をわたしも受けていますが、要領がよかったおかげかそこまで明らかな怪我は負いませんでした)(というか幼稚園児が九九を覚えられると思うなよ)、そのときに一度だけ父親は「そろそろ児童相談所呼ぶぞ」と母親に脅しをかけていたことを覚えています。

 それでも、言葉で脅しをかけるだけで、特に具体的に対処してくれるわけでもなく、わたしと弟はたびたび理不尽な暴力を受け続けました。

 

 

 ふと気になって、先日「ママの暴力はなんで止めんかったん?」と聞いてみたところ、「わしは仕事でほとんど家におらんかったし、家で何が起きてるんか知らんかった」と返ってきました。上記のエピソードもきっと忘れているのでしょう。

 ここにひとつ恨みがあります。もしかしたら、母親のヒステリックの刃が自身に向くことを避けていたのかもしれません。父親にとって仕事は、イカれた我が家から逃れるための絶好のチャンスだったのではないか、と邪推してしまいます。本当のところは分かりませんが。

 

 

 「あたし、どうしたら普通の女の子になれるんやろ」とぼやいてみたことがあります。「お前が他の子とどう違うんかがわからん」と返ってきて、ここに壁があるな、と思いました。

 父親はわたしが精神科に通っていることは知っています(母親は知りません)。それでも、なぜ通っているのかは根本のところで理解されていないと思います。どちらかというと、鬱は気持ちの問題だと思っているタイプの人間ではないかと想像しています。

 そういう人を前にすると、こちらも精神異常を開示する気も失せますから、溝は深まっていくばかりです。

 

 

 精神科にまともに通うようになったきっかけでもある人生最大の鬱の時期に、毎日死にたい死にたいと言っていたら、「死なんといてくれ」「お前は生きてくれてるだけで100点満点やねんから」と泣かれたことがあります。

 何年か前に、前住んでいたマンションの屋上から飛び降りようと柵を乗り越えたことがあって、タイミングを伺っているうちに通行人が大家さんに通報し、大家さんから父親に連絡がいきました。仕事中の父親からは電話がかかってきて、その日の晩は家に食料を届けにきました。

 

 それ以来、父親はわたしを元気付けようと、平日に休みをとって電車旅に連れ出してくれたり、二人で好きなバンドのライブに連れて行ってくれたりします(音楽の趣味は父親の方がわたしより若いです)。夏が近づくと、蛍のきれいな川に車で連れて行ってくれます。リスカ跡にアットノンをくれたこともあります。実家に帰ると、スイーツを作って待っていてくれます。

 口数は少なく不器用ですが、これらは父親なりのわたしへの愛情なのだと思います。

 

 

 わたしはその愛情を素直に受け止めきれない親不孝ものです。

 どうせ、娘が精神科にかかる事態にまでなってしまったことへの罪滅ぼしだろ、と思ってしまいます。いまさら愛情をくれたって、ぐちゃぐちゃになった人格と、それを抱えて生きていかざるを得ない人生は、もうどうにもなりません。

 幼少期の”助けてほしかったのに、助けてもらえなかったわたし”は、成人してから手を差し伸べられても満たされることはありません。幼少期の傷は幼少期にしか癒せないと思います。

 

 それでも、やはりやさしさはやさしさとして受け止めるに越したことはないので、深いところではあまり信用していませんが、表面上はそれなりに仲良くやっています。ありがたいものはありがたいですから、感謝したほうがよいでしょう。

 贅沢な悩みなのは重々承知です。両親ともにまともじゃない家庭もあるでしょう。そんな中で、与えられるやさしさについて、どうせ罪滅ぼしだろうが、と言えてしまう環境は恵まれていると思います。

 

 ただ、わたしの傷はわたしだけのものなので、どうかそこを抉ろうとしないでください。お願いします(ここのところ、被害妄想がすごいので、あらかじめお断りしておきます)。