よくも毎日こんなに生きるとか死ぬとか考えられるなあ

 

 

  眠れなくてムカついている。

 一度寝たら15時間とか寝るくせになかなか寝付けない。眠剤を飲んで翌日をポカにするほど暇じゃないし昼からバイトがあるので起きなければならない。

 過眠よりは不眠のほうがマシだというのは眠剤で学んだ。

 

 薬つながりで言うとエビリファイの食欲増進にもムカついている。

 最近なんでか食べたい気持ちを制御できないなと思ったらラモトリギンを減らしてエビリファイを増やしたのだった。

 「デブは甘えではありません!薬で太る人もいるんですよ!」というのをよく目にしていたが、薬で太ってもデブは甘えだと思う。

 夜中に豆腐をあけて塩昆布とごま油で和えてボウルのまま食べてしまった。糖質オフではあるのであまり太らないでいただきたい。

 

 日記をつけているのでわざわざはてブに書くことが少なくなった。誰にも見せるつもりのない文章だからこそ生まれてくる美しい言葉もあったりするのでそれをいくつか紹介して寝ようかな。

 

 

2021/2/14

 生き残ったらまたランチでもスイーツでも何でも行きましょう。

2021/02/25

 われわれも(煙草と同じように)どんどんなくなっている。時間軸に前方に。わたしたちは死ぬために生まれてきている。

2021/03/023

 あの子は人の0.8倍くらいのスピードで生きているし、あたしは人の1.2倍ぐらい生き急いでいる。スピード感が合わなかった。

2021/03/08

 「よるのふゆのうみ」は概念としては美しいけれど、実物は寒くてなんにもなくて夢は夢のままがいちばん美しいのだと思った。

2021/03/29

 3月のにおいは希死念慮を運んでくるので見て見ぬふりをするのに必死だ。

2021/03/30

 メンクリもバイトもめんどくさい。積極的に生きるって感じがしてすごく嫌だ。積極的に生きるってダサい。

2021/04/04

 早く終わりになってほしい。

2021/04/05

 人間だれしも嘘のひとつやふたつ抱えて生きているぐらいがちょうどいいでしょ。

 

 

 読み返してみたけれど、他にもよくも毎日こんなに生きるとか死ぬとか考えられるなあと思った。

 わたしはきっと躁鬱病ではなくても死にたがりの健常者(=ただのメンヘラ)だったと思う。それが行き過ぎて躁鬱病になったのかもしれないけれどもうそれは誰にもわからない。

 生きるとか死ぬとかについて考えることがアイデンティティレベルに染みついているのだ。

 これはもう10代前半の頃からの癖なので仕方がない。

 

 

 最近はたばこを吸うたびに力をなくしていくパッケージがかわいそうであまり吸いたくないと思うぐらいには感受性が豊かだ。わたしが絵描きだったら大量のくたばった空箱をキャンバスで油彩にでもしていると思う。

 たばこってなんでなくなっちゃうのかな。

 ケチだから諸行無常で美しいなんて思えないよ。むしろどうせなくなるものにお金を払っている意味(しかもべらぼうに高い)がわからないぐらいだ。

 

 

 積読がどえらいことになってきた。人から借りた本、美術館のショップで衝動買いしたもの、好きな作家がリリースしたもの。

 これは本当によくないところなのだけれど、消費している暇があれば生産したいと思ってしまって、読書のスイッチを入れてもすぐ消費していることへの焦りで気が散ってやめてしまう。

 インプットがなければなにもアウトプットできないのに。

 しかもその割には𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻に浮遊しているし。もうはちゃめちゃだ。

 

 今は幻冬舎新書の「平成精神史─天皇・災害・ナショナリズム」を読んでいる。

𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻の声デカおもんなアホリベラルのアンチでいるためにはさまざまな思想を勉強しなければ説得力がない。生存戦略だ。

 

 

 別にリベラルは悪いことではないけれど。勝手にやってくれていればいいのに「声を挙げずに見過ごすことは差別に加担していることに同じ」みたいなことを言われるとクソほど腹立つ。

 見過ごしているわけじゃないけれど、わたしは他人の粗探しが趣味で𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻をお気持ち表明で荒らすことで日々のストレスを発散しているお前らよりもよっぽど必死でギリギリで生きてるんだよ。

 マイノリティみたいにマクロな視点で見て生きづらそうだと同情される奴らがうらやましいね。社会から手を差し伸べられる余地があるんだから。わたしにはそういう属性の生きづらさはないので。強いて言えばメンヘラぐらいですか?笑笑

 

 

 全然眠くないな~どうしよう。シン・エヴァのために今更ヱヴァンゲリヲンを履修しているけれど途方に暮れそう。

 Tinderの男の子の家でやっと「破」を見たのでがんばって「Q」を見ているけれどたぶんシン・エヴァを見るなら「Q」よりも旧劇を見たほうがいいんだろう。

 

 その男の子がえらくわたしのGUCCIの香水の匂いを気に入ってくれてよかった。「会った瞬間にいい匂いだなと思った」なんて言われたら、うれしくてたまらないよね。

 なんべん訂正してもCHANNELと言い間違えるところがかわいかった。

 

 まあキャバ時代のお客さんに買ってもらったものなのであまり自分の手柄という気持ちはしないけれど。

 図々しいくせに微妙な謙虚さがあって小さいサイズを買ってもらったことを少し後悔している。どうせなら大きいほうを買ってもらえばよかった。期間限定みたいだし……。

 

 

 期間限定の香水の存在意義がわからない。

 どうせ気に入られてもなくなってしまう匂いならはじめからいなくていいじゃないか。

 せっかく誰かの記憶に残ることができるのに、もう会えなくなるなんて悲しすぎるよ。