デカすぎる愛という人格

 

 最近なぜか、「ブログ(note)、楽しく拝見させていただいております!」ということを言われることがたびたびあります。

 ここのところは特に更新もしていなくて、自分の過去の記事のセルフRTというオナニー録画の再放送みたいなこともしていません。Twitterのプロフィールのbioにリンクを貼っているだけ。つまりそこから飛んできているわけです。

 まず、タイムラインに投稿された新鮮でほやほやのツイートから、アイコンをタップして、プロフィール画面に飛ぶという行為が、”愛”そのものですよね。自分がタイムラインを見ていなかった間に、この人が何をツイートしていたのかをすべて知りたいという気持ち。”愛”以外の何物でもありません。嬉しい限りです。

 

 ブログを更新していないからといって、何も考えずにぼーっと生きているというわけではないのですが、いかんせん労働労働労働という毎日で、労働で酷使する心身を癒すためにインターネットを徘徊しているうちに、思考の解像度を高める暇がなくなってしまっています。

 もっと本気でインターネットしなきゃ。タイムラインを彩るピエロとしてフォロワーに笑ってもらうことだけが、デカすぎる愛という人格の、唯一の救いだから……。

 

 

 明日はデカ愛𝑳𝑶𝑽𝑬𝑹𝑺のフォロワーと、そのフォロワーを繋いでくれたフォロワーと、そのフォロワーが繋いでくれたもうひとりのフォロワーの4人でオオサカを周遊する予定があります。明日というか、7時間後には集合なので今日この後ですね。

 

 どういうわけか、わたしはよくDMで「よろしければ会っていただけませんか?」という旨のお誘いをいただきます。大抵は喫茶店です。わたしのフォロワーはよく調教されています。みなさまの舌にキスをささげましょう。𝑲𝑰𝑺𝑺 𝑨 𝑻𝑶𝑵𝑮𝑼𝑬……

 わたしはこれがとても不思議でたまりません。どうしてみんな、そんなに下の方からお伺いを立てるように誘ってくださるのかしら?

 わたしはフォロワーと対等な関係でいたいと思っているのですが、どうやらそれはわたしだけのようです。わたしとしては「デカ愛、◯日空いてへん?」ぐらいのノリで来ていただいて全然構わないのですが、みなさまとてもお行儀がいい。お行儀がいいを通り越して謙遜しすぎまであります。

 デカ愛ってそんなに怖いですか?(泣)

 

 

 デカ愛は、インターネットコンテンツとして威張るにはまだまだ弱者です。

 やはりインターネットの強さをいちばん簡単に測るのに役立つのはFF比だと思います。強いインターネット人(いんたーねっちゅ)はFF比がヤバいしすごいしとんでもない。みんなフォロワー4桁おる。それに比べてデカ愛はフォロワー数は500人にも足りません。弱小ツイッタラーなんです。

 それでも、フォロワーの質には恵まれていると感じます。かつて、フォロワー4桁のアカウント(♥️𝓫𝓲𝓰 𝓵𝓸𝓿𝓮♥️)があったのですが、オフパコ厨や夜職スカウト的なアカウントが多かった上に、元が高校時代からのリア垢だったため、もう何年もツイートしていないカビの生えたアカウントが多かったです(高校時代の旧友はみなインスタグラムに魂を売りました)。

 

 当時は、フォロワー数を水増ししているような罪悪感とともにツイートをしていました。今はそんな気持ちはありません。わたしはフォロワーを信じることができています。現在のこの410人のフォロワーは、デカ愛をインターネットに漂うおもしろコンテンツとして消費してくれている。

 わたしはそれが嬉しくてなりません。わたしがインターネットピエロ仕草をすることで、誰かの心を癒すことができるのであれば、わたしはいつまででもピエロであり続けます。

 

 

 このピエロ癖は自身がアダルトチルドレンであることに由来するかもしれません。家庭では全くピエロのピの字もなく、アダルトチルドレンの類型に合わせて言えば100%のヒーローだったのですが。

 まあでもアダルトチルドレンが拗らせているのは親との愛着関係だけにとどまりませんからね。いちばん身近で基盤となる人間関係である親と上手くやっていけていないのですから、家族以外の他者とも上手くやれるはずがありません。

 

 実際にわたしはリア友というものの作り方がわかりません。友達があまりにもいなさすぎる。

 大学関係で交流のある先輩や同期や後輩もツイッターありきの出会いに始まっていますし、バイト先では自分以外のみんなが知らないところで飲みに行ったりしていて、もう輪に入れなくなっています。

 そしてそういった大学やバイト先など、初手が現実でのエンカウントだった人たちには、Twitterを、デカすぎる愛という人格を見られたくない。

 もう何が何だかわかりません。

 

 それでもわたしが現実において労働労働労働の隙間にある休日を、他人との予定で埋めることができるのは、間違いなくインターネットのおかげです。フォロワーが誘ってくれるから、暇に殺されることがなく済んでいます。人間は暇に殺される生き物ですから。

 フォロワー、いつもありがとう🎶

 

 

 わたしは、きっとこのままずっと、Twitterがサ終するまでは、タイムラインに浮遊する言語化ピエロとしてフォロワーを楽しませることに生きがいを見出すでしょう。

 もしかしたら、Twitterのサ終までにアカウントが凍結するかもしれません。これまでにもたびたびロックをかけられていますし、過去には永久凍結までさせられていますからね。デカすぎる愛って、実はいついなくなるかわからないんですよ。刹那的って美しい。

 デカ愛を消費するなら今のうちですよ。ドシドシ消費してくださいね。

 

 フォロワーがいる限り、デカ愛はインターネットに𝑳𝑶𝑽𝑬を垂れ流します。

 どうか、最後まで見守ってください。よろしくお願いします。