他人を否定することしか知らない人たちの暴力性

 

 

 ここ数日、四月末に引っ越しをするべく断捨離に取り組んでいる。

 収集癖と所有欲の最悪のコンボによって我が家の1Kには物が多すぎる。収集癖によってたくさんの物が搬入されるし、所有欲によって物を捨てられない。

 物に命が宿っている、とまでは思わないが、物にも四次元的な要素は存在する。誰かのものとして時間を過ごした彼らには、その時間の分だけ人間でいう人格に近しい何かが備わっていると思う。

 京都市指定のゴミ袋の45リットルが6袋パンパンになってもなお物が多い。多いとは思うけど捨てられないのだ。ゴミ袋の中からこちらを覗く"所有主によってゴミ(=価値のないもの)と認定されたものたち"ににらまれるとひるんでしまう。

 

 

 引っ越したい理由のまずひとつは部屋に洗濯機がないことだ。うちのマンション(ハイツ)は部屋に洗濯機置場がなく、ベランダらしいベランダもないので室外にも洗濯機置場はない。その代わり、屋上に共同の家庭用洗濯機が置いてある。

 

 ひとり暮らしをはじめたときは、「洗濯機買うお金浮いた~♪」という思いで嬉々としてこの物件を選んだのだが、3年も経つと生活が限界レベルに怠惰になるので、数キロの洗濯物を抱えて階段をのぼるのが面倒で洗濯をしなくなる。

 しかし洗濯をしないわけにはいかない。わたしにはまだ社会に適合しようという意思が残っているから、服を着替えなければならないのだ。

 

 

 そもそもひとりぐらしを始めた理由は、毒親(母)から逃げるためだった。

 うちの母は端的に言うと頭がおかしい。詳細は省くが、アスペルガー気質と認知の極端な歪みによる最悪のコンボが人格において繰り広げられている。

 数少ない友人のうち、さらに少ない何人かの友人は母と顔を合わせたことがあるのだが、みんながそろって「……qusai_sochiのお母さん、やばい人だね(笑)」というような感想を後日聞かせてくれる。

 

 頭のおかしい人は自らの頭のおかしさゆえに、自分の頭のおかしいことを知らない。

 18年間ともに暮らしてきたが、あいにく双極性障害まで患ってしまって(当初は適応障害だった)、人生をいわゆるイージーに過ごすことが厳しい。

 

 このままではわたしはわたしの人生の主人公になりきれないことを確信をして、実家から大学が遠いこと(片道2.5時間)を口実に、大学の単位を捨てて週7のアルバイトに魂を売って25万ぐらい貯めて、なんとか父の協力を得て水面下で動いて突然家を出た。3年前の年末年始には14連勤をした。

 

 母はいまだにわたしが家を出た理由が実家と大学との距離だと信じ込んでいるので、わたしが母をよく思っていないことを知らないし、定期的にランチに誘ってくる。貧乏大学生としてタダ飯にあやかり毎回なんとか精神をすり減らしながら行っているが、いつも実家に帰ってこないかと打診される。そのたびに無自覚の暴力に悲しくなる。

 アスペルガー気質によって友達がおらず、わたしや弟のために生きることが人生の主題になっている彼女からそれを奪ってしまうことに罪悪感がある。産んでくれてありがとうとは一切思わないけれど、わたしを心の拠り所にしていることを平然と否定する残酷さは持ち合わせていない。

 

 

 はじめてこの部屋に住むことを決めたとき、内覧に来て一発で決めた。ほかにも候補はあったのだが、とにかくお金が25万円しかないので初期費用を浮かすことがまず最優先だったため、家賃が安く、敷金礼金もなく、コンロとエアコンと共同洗濯機が設置済みというこの部屋で即決した。

 今思えば、それがよくなかった。最低条件と妥協点は紙一重である。

 次の部屋の候補はすべて室内または室外に洗濯機置き場がある。そこだけは譲れない。エアコンはほしいけれど、コンロはなければ自分で買うつもりだ。

 

 

 昨年からうっすらと引っ越したいなあという気持ちを高めつつあったのだが、今年に入ってからその気持ちが明確になった。騒音の苦情が入るようになったからだ。

 どうもわたしの部屋はうるさいらしい。

 まずドアの音がうるさいらしいのだが、それはこの部屋のドアが悪いと思っている。古いハイツなのでドアの仕組みなのか錆なのか判断のつかない何らかの原因で、静かにドアを閉めることが難しい。初めてうちに来る人はまずドアの閉め方に苦労するし、そのたびに大きな音が鳴る。

 

 一方で、うるさいと言われれば確かに納得する。基本的に生活リズムが夜型にずれているし、仲のいい友人もたいがいそうなので、深夜帯が一日のうちでいちばん暇だから、いちばん人を呼ぶことに適している。

 だいたいわたしはお酒を飲んでいるので声が大きい。それは友人も然り。

 さらにわたしはTinderで遊ぶ趣味があるので家にいろいろな男性を連れ込んでいた時期もあるし、その果てにはもちろんセックスもしていた。

 そして騒音の極めつけはADHDムーブの鈍臭い生活音だ。今さっきも思い切りギターを倒した。

 

 深夜の客呼びと飲酒とセックスとADHDが揃うこの家がうるさくないわけがないのだ。

 うちのハイツの隣には大家さんの一軒家があるので、クレームを直訴できる仕組みになっている。そして最近、大家さんを通じてクレームを入れられる回数が増えた。

 

 正直、ムカつく。

 わたしがわたしらしく生活しているところに他人から文句を言われる筋合いがない。わたしがうるさいんじゃなくてお前らが静かにしようとしすぎるんだよ。みんなで好き勝手に暮らせば平等に騒がしくもできるのに、静かな暮らしを正しさとして他人を捻じ曲げようなんておこがましいにもほどがある。

 実際、わたしの上の階の住人は明らかに生活音ではない床との衝突音が定期的に激しく鳴るのだが、わたしはクレームを入れたことはない。おそらく男子大学生だと思われるが、彼は彼で楽しくやってくれればいいと思っているからだ。

 

 

 自分の正しさをもって他人を否定する人たちがほんとうに怖い。みんな正しいんだよ。自分の正しさを証明する方法として、他人を否定することしか知らない人たちの暴力性には常々辟易する。

 自分が正しいというのは大前提だけれど、それはみんな同じだ。みんな自分が正しい。正しさと正しさがぶつかり合っていざこざは起きる。いざこざの起きないぶつかり合いというものを想像できない人たちがあまりにも多い。

 自分が正しく生きることと、他人が正しく生きることの中庸について考えることのできる人がどれほどいるだろうか。

 

 わたしは己の正しさに則って正しく生きていきたい。でも、他人の正しさを否定しない形で正しくいたいと思う。

 固定のアンチが湧くほどに人格がひねくれていて、お世辞にも善人とは呼べないが、それでもわたしは世界中のすべての人たちの精神世界の平和を祈っている。

 

 

 明日(日付が変わって今日)、不動産会社に候補の部屋の内覧の予約を入れた。近々、新生活がはじまる。この時期に物件を探していると、まるで新入生や卒業生のようだけれど、しっかり留年して5年生になる。

 家賃は現在より2万ほど高くなるが、ないお金は稼げばいいということを14連勤で学んだ。

 コロナ禍の接客業アルバイト収入では限界がある。もっともっとクリエイターとしての質を高めて、需要の絶えない副収入でなんとか補いたい。精進します。