「世界が終わる夜に」
新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行し、社会はパンデミックに陥った。対策の方針や補助の制度を迷走させる政治家、職を失い生活が立ち行かなくなった労働者、非常事態の対応に疲弊した医療従事者、学校に通えなくなった子ども、在宅時間が増えた家族の面倒を見ることに辟易した親。
マスクや食料品を買い占める人、SNSで怒りの矛先を探している人(そしてその矛先はおおむね政権批判に向かう)、生活の不自由さに疲れて鬱になる人、他者の行動を監視し批判する人。
わたしは常日頃から、「世界が終わればいいのにな」とうっすら考えている(パンデミックの前から)。世界中で新しい感染症のパンデミックが始まって、当初は少しわくわくしていた。
しかし、パンデミックが長引くにつれて、だんだんと居心地が悪くなってきた。たくさんの人が狂っていく。自己と他者の線引きが曖昧になって、自分の価値観で勝手に他者を裁き、恨み、袋叩きにする。
今、わたしはコロナウイルスによりも人が怖い。自分が感染することよりも、そんな人たちが作り出していく社会で生きていかなければならないことが怖い。わたしが夢を見ていた世界の終わり方は、こんな形ではなかった。
もっと、一気に世界が崩れていくこと(例えば地球が崩壊したり、ものすごく大きな気候変動が起きたり、隕石がぶつかってきたり)を期待していた。同じように世界の破滅願望を持つ友人の「じわじわと首を絞められていく感覚」という言葉は、まさに言い当て妙だと思う。
わたしは、自分の理想の世界の終わりを見たい。大好きなお菓子でできた素晴らしい世界を、自分の手によってぐちゃぐちゃに壊すことで、終わった世界の疑似体験を試みた。
世界中の人々全員が平等に終わりを迎える。誰かを責めるような諍いをする隙もなく、ある意味では平和に、世界が終わってくれることを願っている。
作品タイトルは、かつて存在したバンド・チャットモンチーの曲「世界が終わる夜に」からの引用。「わたしが神様だったらこんな世界は作らなかった。」
5/28 構想設計基礎B 第一課題「ジオラマと演出」
お菓子の家をつくるという念願が叶った一方で、写真の技術にまだまだ稚拙さがある。
また思考を作品に昇華する力がまだまだ足りないようにも思う。コンセプトに引っ張られ、わかりやすく説明的すぎるものに終わってしまう。
わたしの作品はいつも頭でっかちだ。