救済とはいったい何で、

 

 

 気分がジェットコースターのようにコロコロ変わる。

 

 この時期って昼は暑いけど夜が涼しいじゃないですか。でもあたしは基本的に引きこもるのが好きだし、生活リズムも夜型だから、自発的に外に出るときはいつも涼しくて過ごしやすくて、大好きなんですよ。この季節が1年の中でいちばん好き。
 一方で、梅雨が近づいてくるおかげで気圧が不安定で、毎日上がったり下がったり、あたしは心身の調子が気圧の影響をモロに受けるので、好きだからと言って快適に過ごせるわけではない。
 むしろ、調子は最悪なんです。精神なんて他人の目には映らないはずなのに、「最近調子悪いよね」とか「この時期いつも変だよね」とか指摘されるんです。中学生ぐらいから。 

 

 自分の調子の悪さで他人の生活までも引きずってしまって、大切なはずの人間関係をだめにしてしまうのも、毎年この時期。
 昨年は、衝動で飛び降りたくなって、住んでいるハイツの屋上にのぼってフェンスを越えたんですが、4階から落ちても死なんし痛いだけやろなとうだうだ考えているうちに、通行人が大家さんに通報して引き止められました。

 

 特に何かがあったわけでもないのに、希死念慮がまとわりついてくる。メンタルがある程度健康な人って、悲しいという感情には何らかの源があるんじゃないかと思っています。好きな人に振られたとか、上司に怒られたとか、ペットが死んだとか、物事が予定通りに進まないとか。

 それで、あたしの悲しみの根源ってどこにあるんだろうと考えても、どこにも何もない。
 この間だって、朝起きて、溜まってたオンライン授業の動画の続きを見て、リアルタイムで2コマ見て、お昼ごはんを食べて、お昼寝して、起きて、同じようなメンタルの友達とメンタルの在り方について議論して、夜ごはんを作って、食べて、洗濯して、翌日が〆切の課題をやって寝る。

 本当にたわいもない1日なのに、いつでもうっすら悲しい。実際のところ、これが悲しいという感情なのかもわからないんですが、ずっと泣く手前みたいなところにいる。

 

 意識があるうちの悲しい時間が多すぎるので、眠剤をぶち込んで、この悲しい季節が過ぎるまで意識を強制終了して寝逃げで待ちたいところですが、わたしが眠っていても社会は流れていく。
 そもそも寝るために住む家の家賃を払わないといけないから、働かないといけない。大学生という身分があるから、授業を聞いて単位を取らないといけない。
 立ち止まると立ち止まった分だけ自分に返ってくる。 返ってくるものができるだけ大きくならないように、社会の流れにしがみつくしかない。

 というかメンタルがしんどいのなんてもうずっと何年もそうなんだから、そろそろ慣れて何も思わなくなっていいはずなんですが。絵は描けば描くほど上手くなるのに、人生は生きれば生きるほど下手くそになっていく。

 

 だけど死ぬわけにはいかない。少なくとも、家族、恋人、友達、あたしに好意をもって積極的に関わってくれる人がいる限りは死んではならんのです。その人たちがくれているやさしさを無視することになってしまうから。
 かつては自殺が復讐になると思って夢見ていたんですが、成長したものですね。さすがに死ぬまですれば、あたしを不当に扱ってきたやつらを反省させられると思っていたんです。さすがに死にぐらいすれば、自分のやっていることの非道さに気づいてくれるかなと期待していました。

 

 それでもこの年まで死にませんでした。18までに死のうと思って、成人までに死のうと思って、大卒まで(まだしてないけど)に死のうと思って、全然死んでない。生きていくしかないから。食べることも義務感だし、喫煙の回数が増えて、大好きだった服も靴も詩も短歌も、何を見てもつまらない。それでも生にしがみつく。目的は特にありません。

 救済とはいったい何で、どこにいけば手に入れられるんでしょうか。