どうせ自殺で終わらせる人生のくせに

 

 「理解のある彼女ちゃんになれなかった」の元彼が自殺未遂をして2週間が経った。

 

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 彼からは相変わらず音沙汰がなくて、精神病棟に入院しているからスマホを見ることが許されていないのかもしれないし、自殺未遂以前の人間関係をリセットするためにSNSを全て消したのかもしれない。

 今朝、彼の自殺未遂の後の世界線の夢を見て、それはもうものすごい悪夢で(彼は自殺未遂で周囲に大きく迷惑をかけたことを全く反省していないというような内容)、わたしの目覚めは最悪だった。

 

 自殺防止月間とか、いのちの電話とか、各自治体の自殺ストップセンターとか、みんな綺麗事のように「死んだらまわりの人が悲しむよ」と掲げて、自殺志願者を踏みとどまることを促す。

 自殺志願者からすれば、周囲がどうなろうが自分の苦しい人生の責任を取ってくれない他人にそんな綺麗事を言われようが関係ないと思う。実際、わたしもそうだ。本当に苦しいときは他人なんて関係ない。望んで始まった人生ではないのだから、終わりぐらいは自分で決めさせてくれよと思う。

 

 しかし、いざ最も近かった他人に自殺未遂をされると、こちらとしてはたまったものじゃない。

 大切な人が死のうとしたことが悲しいというような綺麗な感傷ではない。

 わたしが彼に別れ話を持ちかけたから彼は死のうとしたんだという罪悪感とか、彼がすこやかに生きられるようにあんなにがんばってきたのに結局わたしは何の希望にもなれなかったんだという無力感とか、これまでわたしが割いてきた精神的・時間的リソースをおじゃんにする裏切りに対する、また彼の自殺未遂後に(彼に一番近かった家族以外の他人として)あらゆる方面に尻拭いをするハメになったことに対する怒りとか、ただでさえわたしは自分の人生で手がいっぱいなのに、これらの感情に頭を支配されている。

 

 それでもわたしの人生は続くし、別れたことでひらけた明るい道を歩き始めたけれど、ふとした瞬間にこの感情に苦しくなることがある。

 そして「自分が死んだあとのことなんか自分には関係ないから」とかつて彼が言っていた言葉にも腹が立ってくる。

 確かにもう介在できないという意味では彼には関係ないかもしれないけれど、周囲の人間は確実になんらかの物理的・精神的影響を受けるのだから、自分を愛してきてくれた人たちに対する最低限の配慮ぐらいしろよというか、どうしても自殺で人生を終わらせたいのであればそもそも初めから他人と関わろうとするなよ、一人で生きて一人で死ね、どうせ自殺で終わらせる人生のくせに暇つぶしなんだかせめてもの彩りなのか知らんが人間関係を娯楽として消費するなよ、どうせ愛を裏切っていなくなるのなら初めからいないように生きて誰にも影響を与えずに死ね。

 

 わたしがこんなに苦しめられなければならない意味がわからない。理不尽すぎる。わたしが彼に今まで捧げてきた愛は一体なんだったんだ。無下にしやがって。

 自分勝手な自殺企図。

 

 わたしはこれを許さなければならないのだろうか。許すにも大きなエネルギーが必要だし、これを抱え続けるにも大きなエネルギーが必要で、どちらもできそうになくて、もうどうしたらいいのかわからん。

 

 なんかいろいろ書こうと思っていたけれど飽きたのでここで終わる。とりあえず自殺企図をされると近しい人間は苦しいということだけを書きたかった。以上。