完全なるバーチャルキラキラワールドは成立しない

 

 ついにデカ愛の𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻が炎上した!

 

 炎上と言ってもバズり倒してはいない。ただ自称・繊細さん界隈のどちらかとえば文化的な暮らしをしていらっしゃるサブカル気取りな方々のうち某アーティストの熱狂的信者の方々というものすごく狭い界隈から攻撃をいただいたわけだが、憎悪の念のデカさがその辺の炎上とは桁違いだった。

 

 匿名のお気持ち表明がそこそこ届いたのに対して、DM(だいすき・めっせ〜じ♥️)は一通しか来なかった。

 そういう対等に戦う気はないが相手を殴る権利は欲しいという卑怯さにこの信者の層のキショさが詰まっている。

 ネチョネチョベトベトしたその辺のメンヘラとは違いまっせ、みたいな澄ました顔をしているが、実際のところ大して変わらんし、何ならもう見た目でネチョネチョベトベトしてそうなのがダイレクトに伝わってくるその辺のメンヘラの方がよっぽどマシですらある。

 

 

 

 「あなた自身が誰かの不愉快な情報になるようなツイートをしないように心がけることはしないのですか?」「時間が経たないと自分が何をしたか客観的に理解できないようならアカウント消すなりしばらくお休みしたらいいと思う、インターネットの海に一生残る恥が増えるだけなので」「なんでごめんなさいって言えないんですか?」「妄言と言えば、傷つく人がいても許されるのでしょうか」「何か発言するときに自分が加害者になっていないか考える必要があると思います」「いろんなものに悪口言ってるが個人について述べていなければ、気持ち悪いツイートしてもいいんですか?」

 

 これらの他にもいろいろ届いたが、全ておもしろく読ませていただいた。Twitterでお答えすると140字以内(スレッドは3つを超えると省略されるので見づらい)に収めなければならないので、できるだけ感情的な部分は省いて、淡々と個人的見解の要旨だけをお返事として献上した。

 

 インターネットはより一層最悪になったのだなあとひしひしと感じる。

 

 

 スマートフォンの普及以前にインターネットにアクセスしていたメインの層はオタクだ。そこにはオタクたちのオタクたちによるオタクたちのためのインターネットがあった。

 二次創作の個人サイトの注意書きには必ず「閲覧は自己責任です」と書かれていたし、もはやその文章を読まずともオタクたちはコンテンツの閲覧が自己責任であることを弁えていた。解釈違い、生理的に受け付けない、逆カプ、その他さまざまなタイプの個々人の地雷。

 地雷は踏む方が悪かったし、もし地雷を踏んでしまっても地雷の埋め主を責めるのは間違いで、これまでの自衛では不十分だから見直すことで解決しようという暗黙のルールがあった。

 

 それが今となっては、地雷は埋めた方が悪い。踏んでしまったボク・アタシは被害者。(無自覚でも)地雷を埋めるのをやめられないならインターネットをやめろ。

 

 

 インターネット人口において、地雷だらけのインターネットを気をつけて歩いていた経験のある人々の割合が少なくなっているのだろう。彼らがそれらの経験を語り継ぐ暇もなくインターネットは急速に普及した。そして、世界は綺麗で美しく無害であるべきだという公正世界バイアスじみたクソみたいな価値観が広まり、インターネットはバーチャルキラキラワールドへと一転した。

 

 その価値観はもう古い、という旨のコメントがいくつか届いたが、果たしてこれを”古い価値観”として完全に捨て去ってしまってよいのだろうか。

 

 

 そもそも快・不快は個々人に判断の任された価値基準である。誰かの快は誰かの不快だし、誰かの不快は誰かの快だ。

 実際、わたしは例の「某アーティストを好きな女は〜」を快としてツイートしている。だって普通におもしろい。これを快とするか不快とするかは受け手によるし、受け手のうち誰かが不快になることもわかってツイートしている。

 というかデカ愛の𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻のほとんどがそうだ。デカ愛の快に共感できる人間だけでデカ愛王国を作りたいし、不快さを察知した人間からどんどん要塞の外に去っていけばいいと思っている。その不快さまでもが快だというマゾヒズムの強者はちゃんと王国に入れてあげるから安心してね。

 

 なぜ自身の不快を振りかざして快のインターネットを他人に求める人間は、その不快さが他人にとっての快のインターネットであることを理解できないのか?

 自身の快を他人に強要するくせに、他人の快を受け入れないというのはいささか自己中心主義ではないか?

 というか、お前のその「快のインターネットをしろ!」というお気持ち表明がオレにとっては不快なインターネットなんだが(笑)オレは不快も含めてインターネットだと認識してるけど、お前は?(笑)

 

 

 だいたい、他人の妄言を真に受ける人間は自他の境界が引けていないのだ。例のツイートで名指ししたのは某アーティストだけだ。それを好きな人間は〜と言っただけで、誰もお前のことですとは言っていない。勝手に「これは自分のことを言っているに違いない」と当てはまりに来て、勝手に傷ついている。

 シャドーボクシングをしている人は、別に通りすがりの誰かにヒットすることを狙って空気を殴ったり蹴ったりしているのではない。巻き込まれたなら、それはシャドーボクシングの手足の届く範囲に近寄ってきた方が悪い。わざわざ自らの意思で近づいてきたくせに「こんなところでシャドーボクシングをするなんて!」と文句を言うのは異常である。

 

 だからこそ自衛が必要なのだ。誰かの快が誰かの不快で、誰かの不快が誰かの快である以上、完全なるバーチャルキラキラワールドは成立しない。

 インターネットを利用するためには、快も不快も受け入れる覚悟をしなければならない。自分の快だけを享受しようなんて都合のいい話はない。不快なものを見たくないのなら、インターネット(とりわけ弱者の鬱憤の掃き溜めになる傾向のあるツイッター)をやめればいい。

 インターネットはやりたい、でも不快なものは見たくない、というのはわがままだ。やるべきことをやってから権利を主張しろ。

 

 

 誰もが気持ち良いインターネットを、なんて無理があるのだ。公正世界の幻想を捨てろ。インターネットなんて初めからクソの掃き溜めなんだよ。好きなクソを選べ、嫌いなクソは黙って捨てろ、という話。クソを置かないでください、なんてクソの掃き溜めに来ておいて言うな。クソを見たくないなら初めからクソの掃き溜めに来るな。

 

 というわけで、デカ愛は名指しした某アーティスト本人の目に触れて彼女を不快にさせたことについては反省していますが、謎に匿名のお気持ち表明をしてきた無数の熱狂的信者たちに対しては一ミリたりとも申し訳なさを感じていないので、𝑳𝑶𝑽𝑬𝑹𝑺たちはデカ愛ちゃんが信念を曲げさせられた⁉️と思わなくていいからね。デカ愛ちゃんは相変わらず𝑳𝑶𝑽𝑬𝑹𝑺にドシドシの𝑳𝑶𝑽𝑬を提供するデカ愛ちゃんです。みんなで最高の𝑰𝑵𝑻𝑬𝑹𝑵𝑬𝑻にデカ愛王国を建てようね。約束だよ🎶

 

 

 

 ちなみに、2019年で更新が止まっているが(下北のバンド界隈でまあなんか金銭的な揉め事とかいろいろあったらしい)、当時よく読んでいた音楽コラムにBASEMENT-TIMESというサイトがある。

 

basement-times.com

 

 基本的には音楽への愛とリスペクトが動機でピースフルに書かれているが、2017年頃なんかはまだリスナーに対する(バンドに対してもあった)ディスり芸がちらほらあって、それも含めて楽しませてもらっていた。当時のインターネットではリスナーディスり芸が通用したのだ。

 当時も筆者のアンチはいたけれど、下北のバンド界隈ではそこそこ顔の広い人で、それなりに音楽の仕事をしている人、というイメージがあった。今の時代にこれをやったら確実に失脚するんだろうな。

 

 ああ、どんどんインターネットが最悪になっていく。