わたしのインターネットを返してください

 

 

 はてなブログが「はてなインターネット文学賞」なるものを開催すると知って、人一倍インターネットへの執着が強いわたしは文章を書かないわけがなかった。

 わたしのインターネットへの執着がどれぐらい強いかと説明すると、わたしは自分のiPhone SEをインターネットと呼んでいる。わたしはインターネットを手放さ(せ)ないので、iPhoneを失くすことはない。iPhoneという手のひらサイズの黒い箱に絶大なる信用を置いているため、絶対に失くしては困るもの(クレジットカード、ICOCA、学生証など)はiPhoneケースに挟んでいる。

 

 はてなインターネット文学賞のテーマは「わたしとインターネット」。

 小学校2年生の頃に自宅がインターネットに接続されてから16年になる(現在24歳)。16年間、わたしとインターネットが歩んできた人生をこの記事では書き連ねていく。怖い体験や恥ずかしい失敗もたくさんしてきた。それらの経験は今やわたしの人格の血となり肉となっている。これを機に、真っ黒な歴史を成仏させてやろうと思う。

 

 

 小学2年生の頃、父の仕事の関係でインターネットが自宅にやってきた。デスクトップタイプだった。部屋の間取りの都合上、インターネットはわたしの部屋に置かれることになった。

 当時、過干渉な母により人間関係や在宅中の時間の使い方をほとんど管理されていたわたしは、長風呂が趣味の母親が入浴している間だけは自由だった。

 

 わたしにはいつからか空想癖があって、物語をあれこれ考えるのが好きで、絵を描くことも好きだったので、将来は漫画家になりたいと思っていた。しかし、物語が頭に浮かぶスピードに絵を描くペースが追いつかず、頭の中には未完のストーリーがたくさんしまわれていた。

 どういう経緯だったかはもう覚えていないが、クラスの同級生の女子二人組とメアドを交換することに成功した。どちらも学年でトップレベルに顔が可愛くて、いつもおしゃれで、流行にも敏感で、いわゆるスクールカーストの上位層の二人組だった。

 

 晴れてトップ・オブ・カーストの女子二人とメル友になれたわたしは、頭の中の未完のストーリーを長文で二人に送るようになった。少しでも楽しんでもらおうと、少女漫画テイストの題材を選んで、登場人物の名前を二人の名前に置き換えて書いた(二人のうちの片方の子の名前が男の子にもよくいる名前だったので、そちらをヒーローにした)。

 今になって思えば大変に気持ち悪い語りたがりオタクムーブだが、二人ともとてもやさしい子で、いつも学校で感想をくれたし、いつも続きを楽しみにしていてくれた。

 3年生になってクラスが離れたのと同時に、この不思議な関係性は終わった。

 

 

 小学校高学年になり、SNSの存在を知った。

 株式会社ぱど(タウン誌「ぱど」の発行元)が運営していた、インターネット上の架空の街(実在する地名がパロディ化されている)「ぱどタウン」というサービス。そこでは、自分の部屋を作り、部屋を出るといろいろな地域の住人とコミュニケーションを取ることができた。2017年の夏にサ終していたらしい。

 

 中学受験が目前になっていたわたしは、ますます厳しくなる母の干渉に辟易していた。放課後は受験勉強と習い事で埋められ、友達と遊ぶことができなかった。人と関わりたいというフラストレーションが溜まっていたわたしにとって、SNSの存在は救いだった。ぱどタウンの世界に、友達がたくさんできて嬉しかった。学校から家に帰ると、理不尽に暴力を振るう母が待っていたが、やさしいインターネットもわたしを待ってくれていた。

 そんな中、ぱどタウン上で一人の男性と知り合った。

 ぱどタウン上で親睦を深め、お互いのメアドを交換し、ぱどタウンでも個人のメールでも交流した。記憶は定かではないが、ぱどタウンでやりとりしているメッセージは他の利用者からも丸見えだったと思う。メールでは、ぱどタウンで話せないような個人的なことも話した。

 小学生のわたしはあまりに純粋だったので、大人の男の悪意に気がつくことができなかった。メールの内容がどんどんエロの方向に流されていっていた。知らない言葉が送られてくるたびにすぐに検索しては度肝を抜かれた。

 

 母の入浴中のみに許されていたインターネット。わたしはインターネットに熱中するあまり、母が風呂から上がる音に気がつかなかった。風呂から出ると母はまずわたしの部屋に来て、課題として与えた問題集の進捗状況を確認しにくる。わたしが勉強していると思い込んで部屋に入ってきた母は、わたしがインターネットに対面していることに激怒した。

 そして、激怒する母にインターネットの画面を見られてしまった。そこには、大人の男の悪意がこもったメールが表示されていた。

 

 それ以降、ぱどタウンは母によってアクセスブロックをかけられ、ぱどタウンの友達は二度とわたしのインターネットに表示されなくなってしまった。たくさんの友達を失った。

 

 

 中学生になり、わたしはアニメオタクになった。なりきりチャット(キャラクターになりきった口調でコミュニケーションをする)のイナズマイレブンBLEACH銀魂のスレッドに籠った。

 なりきりチャットには、キャラクター名の後ろに記号をつけて、中の人を区別するという文化があった。例えば、「円堂守*」という名前のユーザーが、後日「豪炎寺修也*」という名前で参加していれば、中の人が同じであるということを示す。

 なりきりチャットの参加者は主に腐女子でありBL劇が繰り広げられるのだが、まれに腐男子や普通の男オタクが紛れ込んでいることがある。わたしはイナズマイレブンスレの常連のある男の子と仲良くなり、お互いをキャラクター名ではなくハンドルネームで呼び合うようになった(仲良くなるとハンドルネームで呼び合うようになるという文化があった)。

 

 チャット上にはいわゆるネット恋愛もあった。腐女子同士の絡みなので中の人は女と女であるが、チャH(チャット上のエッチ)のための個スレみたいなものが「○○専用」という表記とともに立ち上げられることがしばしばであった。

 わたしとその男の子ももれなくチャHをしていたが、いかんせんキャラクターの中の人(=わたし)もその子も性の経験がないため、事実上立ち入り禁止とされている他人のチャHスレを参考によくわからないままよくわからないことをしていた。

 ある日、メアドを交換して、それからはぱどタウンのケースと同じように個人的な話をするようになった。その子は北海道に住んでいて、同い年だということがわかった。わたしは大阪に住んでいたので、いつか会おうねという話をずっとしていた。

 しかし、中学生の遠距離恋愛(?)である。そのいつかが来ることはなかった。これが初めてのネット恋愛だった。

 

 

 イナズマイレブンといえば、「五条勝事件」をご存知だろうか。イナズマイレブンの前にはポケモンで行われていたが(コイル事件)、インターネット(5ちゃんねる掲示板)で団結した大人たちが、子供向けのキャラクター人気投票においてマイナーキャラへ大量投票をして順位で遊ぶというものだ。

 その頃、わたしはなりきりチャットからは離れてアメブロに住んでおり、人気投票で敵キャラの中でもさらにモブである「五条勝」というキャラクターに大量投票がなされていることを嘆くブログ記事を書いた。

 すると、即座に5ch(当時は2ch)のスレにわたしのブログのURLが貼られ、コメント欄がものすごい勢いで荒らされ始めた。慌ててコメント欄を封鎖して5chのスレを覗くと、過去のブログ記事からわたしの個人情報特定が進んでいた。

 ブログには大阪の私立中学に通っている日々について書いていたのだが、特定厨たちのリサーチ力はおぞましく、体育祭や文化祭の日程から中学名を特定された。中学名ぐらい特定されたところでこちらに何も非はないので別に問題はないのだが、ここで初めてインターネットは怖いということを思い知らされた。

 

 

 中学2年生の頃、本格的にTwitterを利用するようになった。アカウント登録自体は小学6年生の終わりごろにしていたのだが、アメブロで仲良くしていた人がTwitterに移行するということでわたしもTwitterに移った。そこでもイナズマイレブン界隈に属した。

 当時はまだ日本国内でさほどTwitterの利用者も多くなく、あらゆるジャンルのオタク(インターネットに古くから住んでいる人たち)ばかりだった。ハッシュタグも日本語非対応のためローマ字で表現する必要があり、引用リツイートも手打ちでコピペする必要があり、「FF外から失礼します。」という冗長な文句もなかった。

 

 わたしの中学は学年が70人程度という少人数教育を謳っている学校で、誰か一人がおもしろい文化を持ち込むと爆速で学年中に広まる傾向にあった。わたしはそこにTwitterを持ち込んだ。

 イナズマイレブン界隈をフォローしているアカウントでクラスメイトたちをフォローした。クラスの人数が15人という狭い世界では、みんなわたしが腐女子だというのを知っていたし、あいつが地元でヤンキーとつるんでいるとか、あいつがバンギャのメンヘラだとか、あいつとあいつが寮でセックスをしたとか、そういう個人の事柄をみんなが共有して、責めることもなくわかり合っていた。

 

 わたしは中学2年生の頃から情緒の不安定が顕著になり、リストカットもこの頃から始まった。Twitterではイナズマイレブン界隈で仲良くなった人だけフォロリクを通す鍵垢を持って、そこで病み散らかしていた。学校のことや家のことなどいろいろなヘイトを吐いていた。

 

 少人数教育とはいえ、学年に70人いれば一人ぐらいは悪いことを考えるやつが現れる。

 イナズマイレブン界隈にはわたしの信者みたいなユーザーが少々いた。その信者のふりをして、赤の他人としてアカウントを作り、信者としてわたしに近づいて、わたしの鍵垢にフォロリクを送ってきた同級生がいた。わたしはそれに気づかずにフォロリクを通した。

 そいつはわたしのツイートを同級生数十名が参加しているスカイプのグルチャ(当時はまだLINEが普及していなかった)にコピペして、みんなでわたしを監視していたらしい。

 

 いつから監視が始まっていたのかは今でもわからないが、良心の呵責に耐えかねた同級生の一人が告発してくれたことで発覚した。

 立派なネットいじめだった。みんな中学受験を乗り越えている分リテラシーがあったが、だいたいが第一、二志望を落ちてきた生徒だったので(わたしももれなくそうだった)、そのせいもあってかやり口が巧妙でひねくれていた。

 

 

 高校生になると、それまでに比べてインターネットに浸ることはなくなった。中高一貫を離脱して地元の自称進学校に進んだこともあって、勉強も部活も忙しかったからだ。

 相変わらずTwitterは利用していたし、身内向けにネタツイばかりしていたので高校内ではフォロワーは多い方だった。Twitterで仲良くなってから高校の食堂で一緒に昼食を取るというオフ会みたいなノリで知り合った友人もそこそこいた。

 しかし、わたしが高3くらいの頃にInstagramがいよいよ日本でも勢力をつけてきて、受験期を挟み、みんなが大学デビューとともにInstagramに移行し、タイムラインは静かになった。

 

 一方、わたしはTwitterから出られずにいた。現役で大学受験を放棄して浪人したからだ。12歳でTwitterに登録して、浪人時代は19歳。7年間もTwitterとともに人生を歩んできたわたしはTwitterを捨てられなかった。

 というのと、Instagramはやはり基本的に幸せや自慢ごとをシェアするキラキラSNSなので、有象無象の社会不適合者が傷を舐め合うネチネチSNSの方が人生をさまよう浪人生には適していたのだ。

 一度開花したメンヘラは生涯枯れることはない。中高で知り合った人間のうち数少ない自分の味方とも言える友人たちだけが見ている鍵垢で、受験デッサンの成長具合を載せたり、予備校での不平不満を述べたり、理由のない漠然とした希死念慮をぶちまけたり、将来の不安について嘆いたり、負のインターネットをしていた。

 

 

 浪人生活は一年で済んだ。第一志望の芸大に無事に合格し、いよいよ鍵垢生活も終わりにしようと、高校生のときに使っていたアカウントを再度動かし始めた。同期や先輩をフォローして、また身内向けのネタツイばかりしていた。高校の同級生はもうほとんどInstagramに移行してしまって誰も見ていなかったけれど、やはり芸大にはオタクや社会不適合者が集まるので、Twitterが活発だった。

 身内向けのネタツイや美術に関するお気持ち表明で、他大の学生からフォローされることも増えた。プチバズや鬼バズを何度か繰り返し、ヲチ垢や裏垢男子(なぜ?)からのフォローも増え、いつの間にかフォロワーが3000人を超えていた。

 

 ネタツイと美術お気持ちで増えたフォロワーにはネタツイと美術お気持ちを提供しなければならない、という謎の使命感にかられ、あまりのびのびとツイートすることができなくなった。そこで縮小垢を作った。本垢が「♥️𝔹𝕀𝔾 𝕃𝕆𝕍𝔼♥️(@mauchiii_)」という名前だったので(躁鬱の混合期に、世界に対する愛とヘイトのダブルバインドに精神の限界を感じて、平和を祈ってこの名前をつけた記憶がある)、縮小垢の名前は「クソデカい愛(@_iiihcuam)」にした。

 クソデカい愛では、大学の悪口を言ったりメンヘラ芸をしたりしていた。

 予備校の学費を3分の2ほど自己負担してまで入った大学のことをわたしは好きになれなかった。理由はこの記事の本筋からずれてしまうので書かないが、自分の大学を「京都市立おもんなボケ芸術大学」と呼んで皮肉を垂らしまくっていた。

 

 大学アンチとメンヘラ芸が過ぎたのか、クソデカい愛にアンチがつくようになった。鍵垢からの謎の引用リツイートが来たり、頻繁にアカウントに運営からのロックがかけられたりして、わたしのインターネットはどんどん不自由になった。

 インターネットの人口が増え、Twitterの治安が悪くなっていることに焦り、ルールを増やしていくTwitter社の気持ちもわかる。しかしわたしにも自由に発言する権利がある。特定の個人を攻撃しているわけではないのに過激なワードに反応してロックをかけてくるTwitter社にも、不快に思うなら初めから見なければいいのにいちいち監視して運営にツイート報告を行なっているアンチにも腹が立つ。

 わたしのインターネットはわたしのものだ。誰にも邪魔する権利はない。

 

 

 そしてこの記事を書くことになる5日前、「♥️𝔹𝕀𝔾 𝕃𝕆𝕍𝔼♥️」「クソデカい愛」の二つのアカウントが永久凍結した。

 

 何度Twitter社にメールを送っても、「永久凍結は解除できません」と返ってくる(英語で)。どうやら先に永久凍結をしたのは「クソデカい愛」の方で、Twitterには「永久凍結を回避するためにアカウントを新しく作った場合はそちらも永久凍結する」というルールがあるらしく、「♥️𝔹𝕀𝔾 𝕃𝕆𝕍𝔼♥️」のアカウントの名前を「クソデカい愛」に変更した瞬間に凍結された。

 特定の個人について言及し攻撃はしていない。確かにブラックジョークは好んでいたが、ジョークをジョークとして解析できないTwitter社のシステムに問題がある。

 丸の内にあるらしいTwitter Japanに直接赴いて直訴しようかとも思ったが、どうもアカウントのロック解除などの権限はあまりTwitter Japanにはなく、本社(アメリカ)に行かねばならないということをはてなブログを通じて知ったので、今は一時的に諦めて「クソデカい愛」という名前を使わずに、「デカすぎる愛🎶(@m_auchiii)」としてひっそり生きている。

 Twitter社、早く「♥️𝔹𝕀𝔾 𝕃𝕆𝕍𝔼♥️」の3000人のフォロワーを、「クソデカい愛」の500人のフォロワーを返してくれよ。

 インターネットのためならば東京に行くことぐらいなら厭わないが、さすがにアメリカとなると厳しい。もしわたしが無限の富を抱えた不労所得の女王であれば行けたのだが、現実は貧困芸大生だ。

 

 

 インターネットは自由なはずだった。少なくともぱどタウンなりきりチャットの頃のインターネットは自由だった。親に怒られるぐらいには自由だった。

 今のインターネットはあまりにも息苦しすぎる。スマートフォンの普及によって、インターネットは開かれ、人口が爆発的に増え、ブラックジョークとヘイトスピーチの区別をつけられないリテラシーの低いクソ野郎どもとクソ運営どもがインターネットを牛耳って、古のインターネット人を排斥しようと躍起になっている。

 わたしのインターネットはいつの間に失われてしまったのだろう。わたしのインターネットは誰に奪われたのだろう。わたしのインターネットはどこに行ってしまったのだろう。

 

 誰か、わたしのインターネットを返してください。

 

 

 P.S. このブログを公開する予定だった7/20にもまたTwitter社に一時的にロックをかけられ(12時間)、宣伝ツイートをすることができなかった。

 Twitter社の言論弾圧を止める方法はないのだろうか……。