さっき、お気に入りの帽子をなくしました。15時頃に自転車を漕いでいるときに風に飛ばされて、その場で急いで取りに戻ったのは覚えているんですが、そこでかぶりなおしたのか、鞄になおしたのか、手に握ったまま走り出したのか、そこの記憶がすっぽり抜けており、それっきり見ていません。
インターネットでADHDというワードが大流行してからしばらく経ちますが、インターネットの流行りは遅れて現実にも持ち込まれるわけで、現実でもADHDというワードをカジュアルに耳にする機会が増えました。
おかげさまで、勤務先で大流行しております。みんな、スマホや化粧ポーチなどを一瞬なくしたときに「あーまたADHDやわ!」と言うんですよね。
ものぐらい誰でもなくすんですよ。落としものということばが存在するのは、誰もがものを落とすからです。専門用語ではない普遍の概念ですから、いちいちそれにADHDと名づける必要はないんです。
彼女たちがまったくの冗談で言っていることはわかっているんですが、どうしても意識してしまいますよね。おおげさですが、差別とはこういうナチュラルなところから始まるのだろうと思います。
カジュアルな自虐としてのADHDを聞くたびに、こころがすり減ってしまいます。ということで、これを昇華するために、最近のおもしろADHDエピソードをいくつか並べて、この記事を読んでいるあなたにおもしろがってもらおうと思います。
①証明写真1600円(税抜)
先日、掛け持ちのアルバイトをはじめました。新しいバイトに応募するとき、顔写真付きの履歴書を求められることが多いと思います。
まともな昼職バイトに応募するのは3年ぶりぐらいで、履歴書というものを書くのもそれ以来で、書き始めから終わりまでどれぐらいの時間がかかるかも忘れており、面接の当日、過去に買ったものがたまたま残っていたので、家を出る予定時刻の10分ほど前にそれを書き始めました。この計画性のなさが、すべての終わりの始まりです。
何枚かをダメにしながらもギリギリ書き終わり、さて証明写真を貼れば完成というところで家を出ました。道すがらにある証明写真機で撮るつもりで、裁ちバサミとアロンアルファを鞄に投げ入れて家を出ました。
美大生って、なんでそれを持ってるのにあれは持ってないんやということが多いと思い気がします。ハサミはないけどクソデカい裁ちバサミが、スティックのりはないけどアロンアルファがあるのがわたしの家です。
なんとか予定通りに家を出られたのですが、またわたしの目の前に壁が立ちはだかります。通り道のセブンイレブンにあると信じ込んでいた証明写真機が、現実にはありませんでした。記憶の捏造です。
その時点で面接まであと10分ほどだったと思います。あわててiPhoneで「証明写真機 地図」で検索をかけると、いちばん近いところに「カメラのキタムラ」があるという結果が出たので、まあ専門店なら証明写真機も置いてあるやろなということで、全速力で向かいました。
カメラのキタムラに着くと、証明写真機の代わりに、立派なスタジオブースがありました。おーこれはすげーと感心する間もなく、店員さんに「証明写真を撮りたくて……」と伝えると、すぐにブースに案内してくれました。
鏡やティッシュや綿棒などの化粧直しの道具が並べられていましたが、面接までもう10分を切っているわけですから、化粧崩れなんて気にしていられません。店員さんの案内の続きを待ちました。
いよいよ撮られはじめるぞと顔を引き締めると、店員さんが顔の角度や姿勢を事細かに指定してくれます。これはとてもありがたいことではありますが、この場合は機械のように淡々と撮ってもらえるほうがよっぽど助かります。
とはいえ店員さんのほうも、よりよい写真を撮り顧客に満足してもらうサービスがお仕事ですから、邪魔をするのも心が引けて、何ともないふりをして非効率的に撮られつづけました。
最終的に3枚から選ぶことになり、どれも大して変わらんわと思いつつ、いちばんブス度がマシなものを選びました。
すると、店員さんが「それでは、15~20分ほどお待ちください」と言って去っていきました。面接の時間まで、残り5分。もうさすがに"何ともないふり"もギブアップ。
いそいで追いかけて、「あと5分で面接なんです……!」と必死にアピール。店員さんもこいつマジで言うてんのかと思ったに違いありませんが、「全力で終わらせます」と機転をきかせてくれて、2分ほどで印刷されました。
とても高画質でかっこいい証明写真が撮れました。2分で印刷できるのにさっき言われた10分は何やったんやと思いながらお会計を待ちます。このお会計額でわたしはすべてを悟りました。
4枚で1600円(税抜)。1枚あたり400円ちょっと。
このフォトブースはきっと就活生や転職活動中の社会人のために、スーツを着て、それ用にメイクや髪型を整えて、企業の人事にしっかりと選ばれにゆくひとのためにあるのだろうと、ここで気づきました。
無駄に鮮やかで高画質な400円の証明写真にうつっているのは、微妙なメイク、金髪、古着ワンピース、23歳、大学2回生、アルバイト志望、面接3分前。
事前に機械で撮っておけば、6枚400円とかで済んだにも関わらず、悲しい無駄遣い。
いちいち落ち込んでいる暇もなく、現金が足りないのでクレジットカードで買って店を去りました。さすが1枚400円なだけあって、はじめから4枚ともカットされていました。歩きながら写真の裏にアロンアルファを塗り、振動で写真欄の枠外に思い切りはみ出し、指でふき取りながら面接に向かいました。
面接にはギリギリ定刻にすべり込み、「あー、うち面接落ちるとかないからね。やってみよー」とあっさり合格を受け取りました。机の下の人差し指がとてもベタベタしていて、いろいろな感情になりました。
自らのガバガバな脳を、ガバガバな脳のあまりに信じ込み、出費がかさんでしまうというADHDあるあるでした。これまでの人生で損をしてきた額を想像することはタブーです。
②滋賀県に口座を握られている
10月末くらいにキャッシュカードを紛失しました。落としたのかなくしたのかがわからないという最悪な紛失です。
そこのキャッシュカードを再発行するためには、まずは銀行に電話して、口座を止めてもらう必要があります。その後、通帳と身分証明書を持って銀行で手続きをする、という手順を踏まなければなりません。
そのカードはクレジットカードに紐づけてあり、奇しくも紛失日が引き落とし日の直前だったので、その時点で口座を止めてしまうとカードの引き落としができないため、とりあえず引き落とし日を待つことにしました。
ADHDのよくないところは、一度後回しにしたタスクに再度着手するとなると、とてつもないエネルギーを使うというところです。よく"先延ばし癖"と呼ばれるものです。
やむを得ない先延ばしが発生してしまい、銀行に電話して口座を止めるというタスクが後回しになりました。すると、とことん先延ばしにしてしまいます。先延ばしにしているうちに、11月の末が来てしまいました。また口座を止められなくなりました。
そもそも、なぜここまで先延ばしにしたかと言うと、上記の「クレジットカード」「滋賀県」にポイントがあります。
この口座は、基本的にクレジットカード専用にしており、普段はそこまでの額が入っていません。請求額が確定してから、引き落とし日直前にその分だけ口座に入れて、引き落とされるとまたそこまでの額が入っていないという状態になります。
つまり、「万が一拾われて暗証番号が割れても、そこまでの額は入っていないので、中身を取られてもそんなに困らない」という安心が生まれているのです。「カード落としちゃった!どうしよう!」は長続きせず、さらに、こういうアクシデントには慣れているという謎の余裕があって、口座をなかなか止めるに至りませんでした。
さらにもうひとつ。わたしは通帳を滋賀のおばあちゃんに預けています。なぜなら、おばあちゃんからの経済的支援を受けているからです。定期的に、通帳からお金を入れてくれています。(ありがとう……。)
ということは、銀行の手続きで必要な通帳は、滋賀にあるということです。一度、滋賀に行かなければ、口座を再開できません。
わたしは京都在住ですから、滋賀県なんてすぐお隣なんですが、ただでさえものぐさな出不精で、さらに度重なる先延ばしのせいで越県するためのエネルギーが日々爆増しており、なかなか行く気になれませんでした。
口座を止めてしまうと、その月末のうちに滋賀県に行かないと、クレジットカードの引き落としができずに、クレジットカードまで止まる。
これがわたしをダメにしていました。
現在(12月)はというと、やっと口座を止める電話こそしましたが、まだ滋賀県には行っていません。月末までに行かないと、いよいよ本格的にクレジットカードが止まります。
本当のところは、毎月のように入金忘れか上限額オーバーで止まっているので、あんまり怖くはないんですが。とか言ってるとそのうちなんかのリストに載せられかねないので、できれば来週か再来週のうちには、顔出しがてらにおばあちゃんの家に行きたいと思います。
余談ですが、わたしはかつて口座の残高確認ができるアプリの本人照会に必要な暗証番号を間違えまくったため、アカウントが凍結しています。そしてキャッシュカードも通帳も手元にないので、わたしは今あのクレジットカード用の口座にいくら入っているのかを知りません。
ですから、入金方法は他口座(貯金用)からの送金です。自分の口座に手数料を払って入金しています。かなり意味がわかりません。
とりあえず余剰に入れておけば引き落としが止まることはないので、多めに送っています。余剰に余剰が重なっているはずなので、少し貯金ができているかもしれません。なんだかドキドキします。早く確認したいなあ。
③はじめての遅刻宣告は空の上
これは少し前の話なので既出ネタです。
高校の同級生3人と梅田で飲むことになりました。看護師、公務員、大学院生、わたし(圧倒的負け組)という謎の組み合わせでしたが、誘われると基本的に断らないので、気乗りせんなあと思いながら参加しました。
わたしはその後21時から夜勤があることを伝えていたので、20時半頃解散をめどに集まりました。
同級生の人生ストレート組は、この春から新卒で社会人をしています。案の定、仕事はどうとか生活はどうとか、社会に出ている人が社会を語っていました。わたしは隣でニコニコする置物と化していました。
たまに気を使って「美大生ってどんな感じ?」というように話題を振ってくれるのですが、わたしは自身の所属する大学の大アンチですから、学生生活については特に何も語れることはなく、自身のフィールドワークについて「好きなときにお散歩してる」と答えました。
謎っぽいことを言って、世間の見る美大生の図に当てはまりにいったほうが、彼女たちもリアクションを取りやすいだろうということで、終始ふんわりした回答を心がけました。今読んでいる「天皇アート論─その美、"天"に通ず─」という本を紹介したところで、政治思想に染まってしまった悲しき同級生と認定されて、それ以降避けられることが目に見えているからです。(これは決してそんな本ではないです。)
そんな感じで適度に盛り上がって、20時半前ぐらいになったと思います。誰かが、「HEPの観覧車乗らん?」と変なノリで言いました。みんなちょっと酔って変な感じになっていて、乗ることになりました。
わたしが行くならと来てくれた高校時代のいちばんの親友に「バイト時間大丈夫?」と聞かれて、「22時からやし全然いける」と答えて乗り込みました。ここで大きな間違いをしています。
HEPの観覧車は大阪の中高生のよくある遊び・デートスポットで、みんな「なつかしいねー」と言いながらどんどん高くのぼっていきました。
わたしたちが高校を卒業するくらいのタイミングで万博記念公園のEXPO CITYが開園したので、みんなして青春として奥の方につめこんでいたHEPと、大学生時代の記憶に新しいEXPO CITYを比べてはしゃいでいました。わたしはEXPO CITYの観覧車に乗ったことがないので、はしゃげませんでした。ずっと飛び降り自殺のことを考えていました。
てっぺんを過ぎたあたりで、わたしのiPhoneに電話がかかってきました。20時57分。バイト先の店長でした。
『もうお店来てる?』
ここで、わたしは自分が勘違いをしていたことにやっと気がつきました。21時からのバイトを脳が勝手に22時からに捏造処理をしていたのです。
親友の「バイト時間大丈夫?」は全く大丈夫じゃありませんでした。どうしてわたしの脳は勝手に情報を捏造してしまうのだろう。
「すみません、1時間勘違いしてました……」
『忙しくないからゆっくりでいいよ(笑)』
「いそぎます………」
ただでさえ仕事ができないので、せめて仕事以外のところの信用だけは確保しようということに必死で、ADHDながらに遅刻も当欠もしたことがなかったんですが、まさかの空の上ではじめての遅刻宣告を受けました。
急ぎますといっても観覧車のスピードは変わらないし、みんなは変な空気になるし、わたしはパニックで「空の上って電波届くねんなあ」ぐらいしか言えんし、しまいには「無理矢理誘ってごめん」とか言われるし、ガチで、何?
最初のほうに書いたように、みんながカジュアルにADHDということばを使うせいで、勤務先でわたしの代名詞が「ADHD」になったりします。(例:がんばれADHD、おいADHD、など)
店舗のオーナーにも「お前はただの障害者や!w」と言われているので、面と向かって言われるともはや楽しくなります。前の勤務先では「頭の病気」と言われていましたが、今は「障害者」です。ちょっと理解度が上がってうれしいです。
こんな感じで、わざわざ書くに至らないエピソードも無数にありますし、毎日がしっちゃかめっちゃかです。話のネタにはできるけど、生きていく上でシンプルに困ります。どうしたらいいんでしょうか。投薬は副作用の関係で諦めました。どうしたらいいんですか?
どうせADHDの話なので最後に自分の部屋の写真を貼っておきます。「私/俺のほうが汚いしもしかして私/俺ってADHDなのかな」みたいな汚さマウント自己診断はいりません。心配なら病院に行ってください。
なんで自称ADHDって帰納と演繹の間にある狭すぎる世界しか考えられへんのですか?
イタリアンサラダが床に落ちているところ、灰皿の隣にDiorのブラシが置いてあるところ、奥で麦焼酎のボトルが倒れているところが特にチャームポイントです。画像で見ると思ったより汚くなくて安心しました。まだまだ何も踏まずに歩けますね。
がんばって生きましょう。