"うつくしさ"を生み出せない

 

 

 

 お気に入りのウィンストン・キャスターを切らしているので手短に書く。

 

 また今日もうまく眠れない。日中どれだけ眠くても、深夜になると全く眠れる気がしないのだ。

 午前2時から4時にかけてがいちばん身軽なのは、生まれつきそういう体質なのか、自律神経が乱れているのかはわからないが、これだけうまく眠れないと理由なんてなんででもいい。眠剤をぶち込んで、意識を強制終了させるだけだ。

 そして今日は(今日も)飲むタイミングを見失って眠れないでいる。遅い時間に飲むと、まともな時間に起きれないから、今更飲めない。

 

 

 

 本日6/2をもって23歳になった。誕生日おめでとう!

 22歳を振り返ってみると、1年を過ごした実感がない。記憶としては、昨年末に元彼と北海道に行ったことと、その元彼に浮気(そのつもりはなく、ただ性的逸脱から抜け出せていなかっただけ)がバレてブチ切れられたこと、復学をして専攻をうつったこと、今の彼氏に出会ったことなど。

 小さなエピソードはおそらくもっと365日分たくさんあるのだが、しかしどの記憶にも感情が結びついていない。1年間、自分がどんな感情で生きていたか、何を見てどう感じたのか、ほとんど記憶がないのだ。

 

 きっとわたしのことだから、人前では人一倍大きな声でゲラゲラ笑って、楽しそうなふりをして(その最中はきっと楽しい)、家に帰るとひとりで空虚な自意識と対面するという毎日だったのだろう。

 

 

 わたしと同じようにラモトリギンを処方されている双極性障害の患者は、しばしば「何を見ても心が動かなくなった」「アイデアがわかない」「好きだったことに興味がなくなった」と言う。
 気分を安定させる薬なのだから、当然と言えば当然かもしれない。躁転や鬱転の多くは、大きく感情を揺さぶられることがきっかけになる。もしくは、季節などの環境の変化が誘発することもある。

 そのトリガーを引くことを防ぐのだから、感情がフラットになってもおかしくはない。あまり信じたくはないが、彼らと同じ状況に陥っている気がする。
 感情をなかば無理やり制御された生活を続けることが、本当に正しいことなのかと問うようになった。

 

 

 

 美術、音楽、文学、その他芸術など、その場でうつくしさに浸ったところで、それをただ消費するだけで、何の身にもなっていない。社会的な身分としては親に養われた美大生なので、クリエイティブな活動をする義務がある。

 うつくしいものに触れることで、惰性の生活を抜け出して何か生み出さなければならないと焦り、創作意欲を掻き立てられて何かを作ってみるのだが、自分のつくったものがうつくしいかといえば全くそうではない。

 

 とはいえ、芸術の価値はうつくしさだけではない。ひとの心を揺さぶる理由はたくさんあり、"うつくしさ"というのはその中のたったひとつにすぎない。
 愉快だとか、共感だとか、ノスタルジーだとか、啓蒙だとか、斬新なテクノロジー×アートの形の提案だとか、ほかにもたくさんある。

 だからわたしは、うつくしさだけを一筋に求めて精進する必要はない。

 

 それでも、うつくしいものを生み出す能力を持ち合わせていないことに劣等感がある。
 おそらく周囲の美大生が作ったうつくしいものを散々目の当たりにしているからだ。そもそも、わたしが芸術に作る側として参加するようになったはじめのステージの工芸の分野は、技術とうつくしさのバランスをさぐるためにあるようなものだ。

 様々な理由でそこから逃げてきたのだが、今思えば"うつくしさ"を生み出せない自分のことが情けなかったというのもあるだろう。

 

 

 そして何でもアリな構想設計という専攻にきて、作品の評価軸は"うつくしさ"だけではなくなった。人を笑わせることも、人に社会問題を提起することも、芸術を介して人間の在り方を探ることも、どれひとつとして間違いではない。

 だからわたしは、与えられた課題に対して、少しだけクスっとするような、見た人の気持ちを明るくするような(たまにブラックなユーモアのようなものを混ぜることもある)作品をつくることを心掛けている。

 そうして、(せめて自分にとっては)クスっとするような明るい作品をつくることで、自分が常日頃からうっすら抱えている生への絶望のようなものから目をそらし、自分を救っている。わたしにとって制作は、生きづらさをごまかすための手段だ。

 

 それはそれで正しいと思う。あとはアイデアのきっかけから構想、アウトプットの手段の選び方とそれそのものの完成度がついてこれば、説得力をもった作品として成立するはずだ。それが人の心を動かすかというのはその次の段階の話。

 

 

 

 しかし、自分の中に正解があっても、"うつくしさ"に対する劣等感は消えない。いつまでも"うつくしさ"に負けた気持ちでいる。

 そもそもわたしが美術への主体的なつながりを求め、美大生になることを志したのも、"うつくしさ"を追求するためではない。レイシストで学歴主義の母の洗脳から逃れるために飛び込んだようなものだ。

 それを踏まえれば、仕方のないことかもしれない。はじめから"うつくしさ"を求めてこちらに来たわけではないのだから。

 

 だいたい、このはてなブログだって、自分を救うために書いている。ことばを介して備忘録のようなものを人に見せびらかしたいだけ。
 うつくしい文章というものは、書ける人には書けるのだ。そしてわたしには書けないということだ。

 正確に言うと、書かなくなった。書こうと試みて詩や短歌に没頭していた時期があるのだが、陳腐でくだらない、退廃の薄っぺらい世界の神にしかなれなかったので、やはりこちらも"うつくしい世界"を生み出すことのできる神から逃げるようにしてやめてしまった。

 

 

 

 もう十分にわかっている。わたしに"うつくしい"は生み出せない。

 それでもなぜか諦めがつかない。"うつくしさ"を生み出す人を見ると嫉妬する。別の世界に生きている人のはずなのに、なぜか責められている気がしてしまう。
 どうも自他の境界線がうまく引けていない。

 うつくしい作品を作る人は、"うつくしさ"を持ち合わせていない人を見下すために"うつくしさ"を生み出しているのではない。その人にとっての"うつくしさ"を追い求めるためにやっている。

 わたしの立ち入る隙などどこにもないのだ。

 

 

 23歳は、それを取り払うためのトレーニングのような1年にしたい。

 自分の制作へのスタンスを己で納得できるような、そして最終的にはそれを乗り越え、自分で出した答えを純粋にまっすぐつらぬいて、人を明るい気持ちにするものを作りたい。

 

 がんばれ。

 

 

 

世界が終わる夜に

 

 

 「世界が終わる夜に」

 

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 新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行し、社会はパンデミックに陥った。対策の方針や補助の制度を迷走させる政治家、職を失い生活が立ち行かなくなった労働者、非常事態の対応に疲弊した医療従事者、学校に通えなくなった子ども、在宅時間が増えた家族の面倒を見ることに辟易した親。

 マスクや食料品を買い占める人、SNSで怒りの矛先を探している人(そしてその矛先はおおむね政権批判に向かう)、生活の不自由さに疲れて鬱になる人、他者の行動を監視し批判する人。

 

 わたしは常日頃から、「世界が終わればいいのにな」とうっすら考えている(パンデミックの前から)。世界中で新しい感染症パンデミックが始まって、当初は少しわくわくしていた。

 しかし、パンデミックが長引くにつれて、だんだんと居心地が悪くなってきた。たくさんの人が狂っていく。自己と他者の線引きが曖昧になって、自分の価値観で勝手に他者を裁き、恨み、袋叩きにする。

 今、わたしはコロナウイルスによりも人が怖い。自分が感染することよりも、そんな人たちが作り出していく社会で生きていかなければならないことが怖い。わたしが夢を見ていた世界の終わり方は、こんな形ではなかった。

 

 もっと、一気に世界が崩れていくこと(例えば地球が崩壊したり、ものすごく大きな気候変動が起きたり、隕石がぶつかってきたり)を期待していた。同じように世界の破滅願望を持つ友人の「じわじわと首を絞められていく感覚」という言葉は、まさに言い当て妙だと思う。

 

 わたしは、自分の理想の世界の終わりを見たい。大好きなお菓子でできた素晴らしい世界を、自分の手によってぐちゃぐちゃに壊すことで、終わった世界の疑似体験を試みた。

 世界中の人々全員が平等に終わりを迎える。誰かを責めるような諍いをする隙もなく、ある意味では平和に、世界が終わってくれることを願っている。

 

 作品タイトルは、かつて存在したバンド・チャットモンチーの曲「世界が終わる夜に」からの引用。「わたしが神様だったらこんな世界は作らなかった。」

 

 

 5/28 構想設計基礎B 第一課題「ジオラマと演出」


 お菓子の家をつくるという念願が叶った一方で、写真の技術にまだまだ稚拙さがある。

 また思考を作品に昇華する力がまだまだ足りないようにも思う。コンセプトに引っ張られ、わかりやすく説明的すぎるものに終わってしまう。

 わたしの作品はいつも頭でっかちだ。





 

 

 

 

救済とはいったい何で、

 

 

 気分がジェットコースターのようにコロコロ変わる。

 

 この時期って昼は暑いけど夜が涼しいじゃないですか。でもあたしは基本的に引きこもるのが好きだし、生活リズムも夜型だから、自発的に外に出るときはいつも涼しくて過ごしやすくて、大好きなんですよ。この季節が1年の中でいちばん好き。
 一方で、梅雨が近づいてくるおかげで気圧が不安定で、毎日上がったり下がったり、あたしは心身の調子が気圧の影響をモロに受けるので、好きだからと言って快適に過ごせるわけではない。
 むしろ、調子は最悪なんです。精神なんて他人の目には映らないはずなのに、「最近調子悪いよね」とか「この時期いつも変だよね」とか指摘されるんです。中学生ぐらいから。 

 

 自分の調子の悪さで他人の生活までも引きずってしまって、大切なはずの人間関係をだめにしてしまうのも、毎年この時期。
 昨年は、衝動で飛び降りたくなって、住んでいるハイツの屋上にのぼってフェンスを越えたんですが、4階から落ちても死なんし痛いだけやろなとうだうだ考えているうちに、通行人が大家さんに通報して引き止められました。

 

 特に何かがあったわけでもないのに、希死念慮がまとわりついてくる。メンタルがある程度健康な人って、悲しいという感情には何らかの源があるんじゃないかと思っています。好きな人に振られたとか、上司に怒られたとか、ペットが死んだとか、物事が予定通りに進まないとか。

 それで、あたしの悲しみの根源ってどこにあるんだろうと考えても、どこにも何もない。
 この間だって、朝起きて、溜まってたオンライン授業の動画の続きを見て、リアルタイムで2コマ見て、お昼ごはんを食べて、お昼寝して、起きて、同じようなメンタルの友達とメンタルの在り方について議論して、夜ごはんを作って、食べて、洗濯して、翌日が〆切の課題をやって寝る。

 本当にたわいもない1日なのに、いつでもうっすら悲しい。実際のところ、これが悲しいという感情なのかもわからないんですが、ずっと泣く手前みたいなところにいる。

 

 意識があるうちの悲しい時間が多すぎるので、眠剤をぶち込んで、この悲しい季節が過ぎるまで意識を強制終了して寝逃げで待ちたいところですが、わたしが眠っていても社会は流れていく。
 そもそも寝るために住む家の家賃を払わないといけないから、働かないといけない。大学生という身分があるから、授業を聞いて単位を取らないといけない。
 立ち止まると立ち止まった分だけ自分に返ってくる。 返ってくるものができるだけ大きくならないように、社会の流れにしがみつくしかない。

 というかメンタルがしんどいのなんてもうずっと何年もそうなんだから、そろそろ慣れて何も思わなくなっていいはずなんですが。絵は描けば描くほど上手くなるのに、人生は生きれば生きるほど下手くそになっていく。

 

 だけど死ぬわけにはいかない。少なくとも、家族、恋人、友達、あたしに好意をもって積極的に関わってくれる人がいる限りは死んではならんのです。その人たちがくれているやさしさを無視することになってしまうから。
 かつては自殺が復讐になると思って夢見ていたんですが、成長したものですね。さすがに死ぬまですれば、あたしを不当に扱ってきたやつらを反省させられると思っていたんです。さすがに死にぐらいすれば、自分のやっていることの非道さに気づいてくれるかなと期待していました。

 

 それでもこの年まで死にませんでした。18までに死のうと思って、成人までに死のうと思って、大卒まで(まだしてないけど)に死のうと思って、全然死んでない。生きていくしかないから。食べることも義務感だし、喫煙の回数が増えて、大好きだった服も靴も詩も短歌も、何を見てもつまらない。それでも生にしがみつく。目的は特にありません。

 救済とはいったい何で、どこにいけば手に入れられるんでしょうか。

 

 

 

ありがたみというか、やさしさのようなもの

 

 

 両親が死ぬ夢を見て、慌てて実家に帰った。1~2か月に一度、親のどちらかが死ぬ夢を見る。今回はすでに母の死んだ世界で、父の自殺を止める内容の夢だった。現実の通りに不仲で、全く後追いでも何でもないのがリアルだった。

 

 世間はコロナウイルスとそれに伴う政権批判で持ち切りで、お国から移動の自粛を推奨されているので、この春休みは帰省するつもりではなかったのだが、こうも夢の中で死なれると不吉な気分に引きずられる。
 実際に、よほどのことがなければ当然親のほうが子供より先に死ぬ。いずれはただの夢でなくなってしまう。ということを常に念頭に置いておくのは難しい。
 ひとり暮らしをしていると、親のことなどきっかけがなければ考えつかない。自分とその身のまわりのことでいっぱいだ。

 

 本来は1泊の予定だったが、母が寂しそうだったので2泊してきた。3泊目も「あしたのお昼帰ったらいいやん、学校あさってからなんやろ?」とすすめられたが、どうせだらだら居座っても、寝る、インターネットに浮遊する、食べるぐらいしかすることがないので帰ってきた。
 あと持ってきているラモトリギンとクエチアピン(クソまずい気分安定薬とめちゃくちゃ寝れる眠剤)も足りなかった。実家にいていちばん緊張するタイミングは、深夜にこっそり隠れて薬を飲む瞬間。

 

 

 食卓につくたびに自分の好きなものばかり出てくるので、部屋に戻ってこっそり泣いた。親というのは、子供が小さいうちは物を買い与えてくれるが(親によって子供の好みが決まるところも少なからずある)、だんだん子供も大きくなって、おこづかいやアルバイトで好きなものを買うようになると、途端に好みがわからなくなる。
 そんな中でも、好みがわからないなりに、知っている情報で精いっぱい喜ばせるために、好きな食べ物ばかりを出してくれるのだと思う。


 親のごはんを食べられる回数にはもう限りがある。あと30年生きてくれるとして、GW・お盆・年末年始の年に3回帰省して、そこで3食すると仮定すれば、270食だ。それなりの数字に見えても、実家に住んでいるときの1年分にも満たない。
 しかも今回のように、たまにしかない機会だからとご機嫌になった母が寿司の出前を取ってくれたりすると、さらに食べられる回数は減る。

 

 パパのチャーハンはいつもパパのチャーハンの味がするし、ママの肉じゃがはいつもママの肉じゃがの味がする。よそのチャーハンはよそのチャーハンの味で、よその肉じゃがはよその肉じゃがの味。
 けれど、親の作っているところを見ても、計量スプーンやはかりできっちりはかっているわけではない。目分量なのに、いつも安定して同じ味がする。
 わたしが自炊しても、そんな風にはならない。目分量でつくると毎回味が変わるし、いつもよそよそしい他人の味がする。どういう仕組みなのだろうと実家に帰るたびに思う。

 

 

 決して円満な家庭ではなかった。暴力をしつけとして正当化する母と、見て見ぬふりの父。おかげさまで姉弟そろって性格が不健康に歪んでいる。
 過保護に育てられた弟の生きづらそうなツイート(鍵垢からリストで監視している)を見ていると、過干渉に育てられた自分とそっくりで笑える。過保護も過干渉も、人としての扱われ方は正反対でも、根本の原理となる精神は同じなのだ。ひとえに親の自己愛の押しつけと、それに対する無自覚。

 それでも、「ひとり暮らしをすると親のありがたみがわかる」という定説は、悔しいけれどその通りだった。ありがたみというか、やさしさのようなもの。
 親からすればもはやただの義務感になっているだろうが、なんで人の食べたお皿洗わなあかんねんとか、なんで人の履いた靴下触らなあかんねんとか、(思っていたとしても)いつも洗ってくれるのはやさしさだった。
 もちろんすべての家庭がそういうわけではないし、たまたまわたしの親はやさしかっただけ。親ガチャの運がよかった。


 それに気づけたからといって、特にお返しができるわけでもない。
 大学の友人に課題を代わりにやってもらって、お礼にラーメンを1杯おごるとか、そういう次元の話ではない。もっと大きなやさしさ。もはや大きすぎて、売り物ではお返しに値しないぐらいのもの。
 産んで育てた親としての喜びは、きっと産んで育てた子供が元気でいることなんだろう。さらに立派な社会的地位を獲得できればモーマンタイ。それがいちばんのお返し。
 しかし、その元気を見せるために実家に顔を出すと、そこでもおもてなしをされてしまう。どうやっても親には敵わない。

 

 

 両親ともに(特に母)、極悪非道人であってくれればもはや完全に敵として切り捨てられたのだが、そういったやさしい面も十分にあるせいで、幼い頃の記憶にある親像と現実とのギャップがたまにしんどい。
 それでも、いつまでも恨んでいても仕方がないし、誰も得をしないので、目の前に差し出されるやさしさを素直に受け取って、彼らが健康であることを願いながら、わたしは生きていくべきなんだろう。

 

 どうか生きている限りは元気でいてください。また帰ります。