自らの地獄は自らで引き受けなければならない

 

 

 朝から本当につらくなっている。どうにかしなければならないことはわかっているのに、どうすればいいのかという肝心なところがわからない。

 

 詳しいことは相手のプライバシーを守るために書けないが、端的に言うと、現状を怒られてしまった。それが本当につらかった。わたしだって自ら望んでこうなったわけじゃない。

 

 わたしはその人が人生がしんどそうなときにとても助けたという自負があるのだけれど、その人はわたしを助けてくれないらしい。見返りを求めてやったわけではないし、そのときはそれが愛だと思ってやったのだけれど、いざこちらが困ったことになったときに、助けてくれるどころか怒ってくるというのは、どうにも受け入れられない。わたしがあのときおまえを生かしたのに、今のおまえがあるのはわたしの助けがあったからなのに、どうしてそんな仕打ちをするのだろう、と思ってしまう。わたしはどこまでいってもおまえの味方をしていたのに、おまえはそういうわけではないんだな、と思って、とても悲しい。まあ、でも、勝手に助けただけだと言われればそれまでだ。全部わたしが勝手にやったことなのだろう。

 

 

 わたしの人生は、なるべくしてこうなった、と思う。今仕事がなくてお金もないのは、大学生の頃に就活も院進もしなかったから。大学生の頃に就活も院進もしなかったのは、人生に疲れたから。人生に疲れたのは、生まれてこのかた自分のためではない人生を強いられてきたから。

 でも、そうやって親や環境のせいにしたって仕方がない。他責思考で頭を埋め尽くされているうちに、やるべきことを逃してしまう。自らの地獄は自らで引き受けなければならない。とはいえ、自責思考では精神的に破滅するだけだ。もうどうすればよいのかまったくわからない。わからないということだけがわかっている。

 

 一時的に無職になっただけで落ち込みすぎだろう、とも思う。でも、お金がないと精神的に追い詰められる。ごはんを食べることすら億劫になる。死ぬ気はないから、安くて腹のふくれるものを食べる。栄養が足りない。たぶんもうすぐ肌荒れがひどくなる。自分の顔を見るのがもっと嫌になるだろう。なけなしの自信すらもなくなっていく。

 仕事がなくて、お金もなくて、精神や発達に障害があって、認知が歪んでいて、生きているのが嫌になる。ずっとうっすら嫌だったけど、最近は特にそれが色濃い。時間だけはたくさんあるから、余計にそうなる。

 今のこの瞬間は、これまでの人生のツケだ。人生には生き方が現れる。生き方がおかしかったから、今この瞬間がおかしくなったのだろう。こんなことにならないと気づけない。恐ろしい。

 

 

 今はなるべくTwitterを見たくない。Twitterはいつでも誰かが怒っているので、気が滅入る。当事者にだけ語る権利があるとはまったく思わないけれど、そうやって自分以外の世界の理不尽に対して怒ることにエネルギーを割けるのは、最低限の生活に余裕があるうちだ。

 わたしがそうだった。フェミニズムを学べたのは、苦学生ながらもある程度は親に養われていて、大学に所属していたからだ。身分もお金もない今、そういうことにまったく関心がなくなった。どうやって今のこの状況を切り抜けるかがわたしの最優先。世界をよくするために、なんてことは微塵も思わない。流行りのインターネット思想運動は、ブルジョワのおもちゃになりはじめている。(これはあくまでも非当事者の話。生きる権利を手に入れるために戦っている当事者を指すわけではない。)

 こんなことを言うと怒られてしまうのだろうな。彼・彼女らも必死にやっているのだろう。でも、非当事者のその必死さは最低限の生活の基盤が保障されているからだとも言える。飢えている人は、何のお金にもならない情報戦争に身を投じる暇があるなら、飢えをしのぐために日銭を稼ぐのだ。

 

 そして芸術もそう。今は学習意欲が皆無だ。つい数週間前まで、図書館の書庫からたくさんの本を出してきてもらっていたのに、読む気にもなれないし、おそらく部屋に放置しすぎて延滞している。もうそれを確認するのもめんどくさい。エネルギーに満ちた他人を見ているとしんどくなるので、なるべくそういうものには触れたくない。

 

 

 何が言いたいのかわからなくなってきた。暇だから何かを言いたくなったのかな。言えることなんて何もないのに。ただ部屋でぼけ〜っとして、時間が過ぎるのを待つだけの肉塊。

 早く月曜日になってほしい。月曜日にならないと免許が取れないし、それまで身分証がないから何もできない。お腹が空いてほしくない。睡眠薬を飲んで、寝逃げでもしようかな。