おもしろいと思われるインターネット

 

 

 こんな時間にカフェインでバキバキに覚醒しています。

 カフェイン過敏症なので、コーヒー牛乳2杯とウーロンハイ3杯で手が震えてしまう。生えかけの親知らずが痛すぎるのでカフェインで痛みをごまかそうという試みだったのですが、カフェイン耐性のほうが先に限界が来ました。

 下を向けばゲボが出てくる気配がする。

 この家に住んで約3年とちょっと、一度もゲボを吐いたことがないままもうすぐ引っ越しを迎えるので、できればノン・ゲボで退居したいところ。

 

 

 最近、自分という人間があまりにもおもしろくないことに驚きつつ悩んでいます。

 わたしのツイッターは、(持ち上げるにしてもアンチするにしても)コンテンツとしてはそれなりにおもしろいと思う。おもしろいと思われるインターネットを心がけているので、刺さる人から見ればおもしろくて当たり前なのだけれど、それを提供しているいわゆる”中の人”の現物がおもしろいかといわれるとそうでもない。

 現在進行形でバーチャル空間にアーカイブされていく”一浪二留ADHD躁鬱メンヘラコンカフェ(元キャバ)嬢芸大生”という看板がレア種なだけで、現実のわたしはそれ以上ではないしむしろそれ以下でまである。

 

 来週以降、フォロワーがごはんを食べさせてくれる予定がぽつぽつ立っていて、奢らせてくださいとまで言われていて大変にありがたいのだけれど、フォロワーがわたしに割いてくれる時間と払ってくれるごはん代に見合うほど、質の高い時間を提供できる自信がないので困っています。

 救済(たす)けてください。

 インターネットがないとわたしってほんとうにおもしろくないんですよ。オタク特有の早口で概念的な理詰めをする中の下ぐらいのブスです。

 

 

 おもしろい人間になるにはどうしたらいいのだろうと考えて、そういえばおもしろい人間ってみんな頭がいいなあという結論にたどり着き、頭をよくするためにとりあえず芸術や思想の本をいっぱい買ったり借りたりしているけれど、もう絵に描いたように典型的な頭でっかちのバカすぎて悲しくなる。

 インプットがなければアウトプットはできないのに、インプットをしているとアウトプットをしていない時間への焦りで消費どころではなくなる。質の低い出力をする暇があるならば、質の高い消費をするべきなのは十分わかっているはずなのに。

 

 ゲボ吐きそうになりながらはてなブログを書くぐらいなら、水を飲みながら積読のひとつでも消化しなさいよ。

 

 

 おもしろい人間になりたいです。でもそれは、インターネットコンテンツをそのまま現実に持ってこればいいという話でもない。

 現実で「ワロタ」とか「草」とか声に出している人間が痛々しいことに代表されるように、インターネットで「エグいてェ!」とか「勝たんしか酒」とか言っても何も盛り上がらないように、インターネットはインターネットだからこそおもしろいし、現実には現実にしかないおもしろさがある。

 早く、インターネットだけでおもしろく生きていればすべてが許される世界を望みます。現実のわたしは、飲酒と喫煙と不審な挙動ぐらいしかできないので……。

 

 

 

 今日、フォロワーに「今までおもしろいと思う人間に出会ったことある?」と聞かれて、「よく考えたらいない」と答えたら、「じゃあ君が誰よりもおもしろいってことだよ」という旨のことを言われたけれど、別にわたしはおもしろくないし、そして仮に今までわたしが出会った人間の誰もわたしよりおもしろくないとすれば、この世でおもしろいのはいったい誰なんだ?

 おもしろい人間って何だ?

 我こそはおもしろい人間だぞ、というフォロワーがいたらDMください。どうしたらあなたのようにおもしろい人間になれるかを勉強させていただきます。

 

 よろしくお願いいたします。