だるそうなはるかぜが冬のすきまに吹くことは、愛ではないね。二月

 

 先日、ネットサーフィンをしていたら、2年半ほど前に某投稿サイトに短歌を投稿していた形跡が見つかった。

 それはそれはもうあまりにもドヘタクソで、喫茶店で声を出して笑いそうになった。

 しかもこれは落選した某短歌賞に応募した際のボツ作品だったということを思い出した。つまりボツのボツだ。

 

 

 パイ生地の層をひとつずつていねいにめくるきもちで生きてゆけたら

 

 

 2年半越しにも言いたいことは分からんでもないのは、現在と使用する単語がさほど変わっていないからだと思う(かなり悲しい)。

 たしか、この頃はテーマ詠みにハマっていて、ティータイムをテーマにしていたような気がする。たぶんこれはミルフィーユの詩。

 

 

 パイ生地を一枚ずつ剥がすようなだるい毎日を「愛」と呼ぶなよ

 

 

 今、適当に詠みなおしてみた。まだマシにはなったけど、どう考えても「だるい毎日」の比喩に「パイ生地を一枚ずつ剥がす」をおく必要がない。日に日に缶チューハイのゴミが溜まっていくとか、週末の夜勤(夜職)のリズムを昼に戻せないとか、朝起きて朝ごはんをコンビニに買いに行かなければならないけれどその前に風呂に入る必要があるとか、そっちの方がよっぽど「だるい毎日」だろう。パイ生地を剥がす日常なんてあるわけがない。

 とはいえわたしは永遠のロマンチストだから、ロマンチックなことばが好きだ。退廃エモ酒煙草セックス(笑)みたいな奴とは仲良くしたくない。

 

 

 だるそうなはるかぜが冬のすきまに吹くことは、愛ではないね。二月

 

 

 いろいろ改変していった結果、「だるい」と「愛」しか残らなかった。「毎日」というざっくりとした時間単位が「二月」「冬」と具体的なものになった。

 もはや元の詩は跡形もないが、上達していることは確かだ。上達の基準もよくわからないけれど、なんか、伝わる情報の量は圧倒的に多いし、情景としても具体的というか……。

 

 短歌ってどうしたら上手くなりますか?とか、デカ愛さんってどうやって短歌を詠むんですか?とか、いろいろ聞かれることが増えてきたが(弱小ポエマーなのにいきがってすみません)、2年半ぐらい続けるこれぐらいの変化はある。

 

 

 わたしは基本的には虚構しか詠みたくないというか、数多ある短歌賞のうち、連作ではなく2~3首を一口にして応募する賞は、どうしても時事問題(コロナとか)や日々の気づき(家族とか恋愛とか)などがよく賞を取る傾向にある(=歌壇に求められている)ので、その評価軸でないところでそいつらに勝ちたいという、逆張りオタク精神がある。

 

 詳しいことはまだ言えないのだけれど、そんな感じで逆張りオタク精神でネチョネチョやっていたら、虚構を詠んだ作品にとあるグッドニュースがやってきて、進級制作展も終わって春休みに入った今、よ〜し!!短歌やるぞ〜!!!という気持ちが高まっている。

 詳しいことを早く言いたい。口止めされている。

 

 いつも虚構を詠んではいたけれど、なぜこの作品がグッドニュースを運んできたんだ?といろいろ考えたところ、虚構を詠むのがダメなんじゃなくて、虚構の解像度が低いのがダメなんだという結論に至った。

 曖昧なものは曖昧だからたくさんの受け皿に届くけれど、それぞれの皿に深くなじむにはある程度の鋭さが必要で、その鋭さとはまさに解像度なのだと思う。

 

 短歌や俳句(川柳)は映像だ、みたいな文章がTwitterでバズっていて(たぶん)、本当にその通りだと思った。いかにしてことばで具体的に映像を鑑賞者に見せるかという挑戦なのだと思う。

 別に、歌壇に評価されたくて賞に応募しているわけではない。有名になりたいわけでもない。ただ、わたしのことばを好きになってくれる人が多ければ多いほどうれしい。そのためには歌壇に評価され、有名になるのが手っ取り早い手段だ(決して早くはないが)。

 SNSで地道に名前を伸ばしていく歌人(詩人)もいるけれど、あいにくデカ愛はTwitterとの相性が悪い。すぐにアカウントが凍結する。だからあまり期待できない。

 

 

 短歌をやるぞ〜!!となり、笹井宏之・江戸雪・雪舟えまなどの歌集や、ねむらない樹のバックナンバーを買ってきたけれど(まだ買ってなかったんか〜いとか言わんといてくれ)、すごい詩に出会えば出会うほど絶望する。

 特に笹井宏之の短歌は、もうわたし短歌やめた方がいいんじゃないかな、とまで思わせる。彼の歌集を読んでから自分で短歌を作ろうとすると、どうしてもことば使いなどが引っ張られそうになるので、できればあまり読みたくない。でも、好きだから、やっぱり、読みたい……(泣)

 

 

 まあ、とにかく、虚構の解像度をあげて、31字ポエムになることを避けたいということ。

 あまりTwitterの短歌界隈との交流がない今のうち(?)だからこそ言えるのは、それなりにいいねやRTがついている短歌にも31字ポエムみたいな作品はある。特にメンヘラが恋愛を詠むとそうなる。ちなみに、デカ愛の第一歌集もメンヘラ31字ポエムだ。恥ずかしすぎる。買ってくれた人、全員、今すぐに、捨ててほしい。

 

 第二歌集は4月中に出すつもりだったが、後輩との合同展の予定が3月末〜4月頭になったので(まだギャラリーに連絡中で未定)、それに合わせて販売するとなると、もう大変だ。できればイラスト歌集にしたいので早急にやらなければならない。う、う、うう、う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 がんばるぜ。絶対に買ってくれよな。

 

 

 

妙な自己肯定感(のようなもの)をくれる街

 

 あと4ヶ月とちょっとで25歳になる。四捨五入すれば30なので実質ほぼアラサーみたいなものだ。煙草を買うと週1ペースで年齢確認をされるのは、顔貌やファッションが幼く見えるからか、挙動や仕草が年齢に追いついていないからか。

 正直、精神的なところは22歳あたりで止まっているので、もうすぐアラサーだという事実が恐ろしくて見て見ぬふりをしている。

 

 それでも生きている限り25歳になる日はやってくる。今日は昼過ぎに起きて、インターネットをして、喫茶店に行って、インターネットをして、読書に集中できずにブログを書いている。こんな感じで適当な1日を無意味に送り続けるだけで、無事に25歳になってしまう。

 言うまでもなく、想像していた25歳とはかけ離れている。

 国立大学を現役ストレートで卒業し、それなりに安定した企業に入社し、忙しいながらにやり甲斐を感じているうちに気づけば3年、そろそろ結婚かな〜などと考えているはずだった。

 一方で現実は、一浪二留Bラン公立芸大生、夜職と飲食のバイトでなんとかクレカ会社からの催促を乗り越え、アンチと信者に囲まれたインターネット・ライフを送っている。

 

 

 京都という学生の街に漂うモラトリアムの空気に見事に流されている。いや、京都のこの空気感がなくともわたしは工芸科から美術科に移って留年していただろうが、それにしても京都という街は若者から焦燥感を奪う。

 なんだかよくわからないけれど生きている人がたくさんいるから、なんだかよくわからないけれど生きていけるような気がしてしまう。

 もちろん飄々と生きているように見える彼らにも苦悩はたくさんあるのだろうけれど、彼らはそういった苦悩を隠すのが上手い。のらりくらりと生きているパーソナリティを演じているのか、はたまた他者に自身のセンシティブな部分を開示するのが苦手なのか、わたしには知りようもないけれど、確実に彼らの存在は次の世代たちがモラトリアムを延長することについて背中を押してくれている。

 

 

 現在は5年生だが、カリキュラムで言えば3年生なので、そろそろ就職活動の時期に差し掛かる。それでもわたしはまだなおモラトリアムを延ばすつもりでいる。

 別にモラトリアムを延ばしたくて修士に進学するつもりなのではない。ただ純粋にまだまだ学生として美術を学びたいこと、もしこの先も美術の世界で生きていくのであれば修士を持っておいた方が何かと役に立つこと、そもそも就活でアピールできるような技術や成果をほとんど持っていないこと(これは至急改善しなければならない問題だ)、などさまざまな理由が重なっている。

 それでも、もしもここが京都ではない、モラトリアムを許さないどこか忙しい街であれば、「学部の卒業が予定より3年延びて、みんなに遅れをとっているから、急いで追いつかなければ」と、慌ててリクルートスーツを着て、ポートフォリオを抱え、夜行バスで全国を飛び回っていただろう。

 

 暇さえあれば鴨川デルタに集い、安い酒を酌み交わしてバカ騒ぎしている大学生集団への気持ち悪さを抱きながらも、結局わたしも京都のモラトリアムに飲み込まれている。

 

 

 モラトリアムを長く過ごしたからには、社会のどこかでそれなりの地位を得て、かつてのモラトリアムに意味づけをしなければならない───とも思わない。

 わたしはわたしとして生きて、最後の最後に己の人生に満足して死ねるのであれば合格。それぐらいの軽い気持ちで生きられる、妙な自己肯定感(のようなもの)をくれる街が京都なのかもしれない。

 まあわたしはこの京都という街に起きるあらゆるエピソードをやたらエモ・美談にしたがる脳内ハッピードラマ厨が大嫌いですが…………

 

 京都市立キショすぎ害悪芸術大学のことは嫌いだし、元は実家から通える国公立大学の中で芸術を専門に学べるという条件だけで選んだ大学なので、京都在住の大学生になることは全くの想定外だったのだけれど、親に内緒でこっそり部屋を契約してドッキリのように実家を飛び出してよかったな、と思う。

 京都という街がくれる妙な自己肯定感のようなものを背負って、明日からもなんとなく生きていくつもりだ。

 

 

無自覚の毒

 

 デカ愛の熱心なフォロワーならもういい加減に覚えているとは思うが、デカ愛の母は学歴コンプレックスを拗らせた最悪なモンスターだ。

 その本質に気づかずに、よくわからない行き過ぎたエリート主義に暴力とともに洗脳されながら、習い事をハシゴしたり、半ば軟禁状態で勉強させられたりして、なんの悦びもない薄暗い幼少期から思春期を過ごしてきた。

 大学受験を機に洗脳が解け、「母はどうしようもない学歴コンプレックスを抱えているのだ」と気づいてから、人生が変わったように思う。

 

 

 わたしは自身の母を反面教師にして生きている。

 あの人はたまたま学歴にコンプレックスの矢が向いたが、コンプレックスのジャンルが何であれ、コンプレックスを拗らせた人間の生き様から感じる負のオーラには共通項があるように思う。

 だからわたしは何にもコンプレックスを抱かないように心掛けている。ルサンチマンルサンチマンとして認めて、自分の心の中に居場所を作ってやる。ルサンチマンの存在に自分で気づけないから、なんとなくイヤ〜な負の原動力となってハチャメチャな問題行動を起こしてしまい、のちのち後悔するのだ。

 

 

 とはいえ現時点でコンプレックスがゼロかと問われればそうでもない。

 日常生活に支障をきたすレベルではないものの、己の顔面に対するコンプレックス(眼瞼下垂じゃなくて、もっと人中が短くて、歯並びがよく生まれたかった)、健常者に対するコンプレックス(ADHDのもたらしたトホホエピソードのせいで削られてきた自己肯定感はもう取り返せない)(躁鬱に関しては特にコンプレックスはない。躁鬱気質のおかげで乗り越えてきた人生の壁がたくさんあるので、むしろ感謝している)、青春に対するコンプレックス(放課後にバイトして貯めたお金でユニバの年パスを買ったりファッションに費やしたりしてキラキラJKをやってみたかった)、など些細なコンプレックスは積み重なっている。

 だからと言ってそれに囚われて身動きが取れなくなることも、社会的に取り返しのつかない行動を起こすこともない。ただただそこにあるものとしてわたしの人格の一角を成している。

 

 

 ああ、でも、良好な家庭環境に対するコンプレックスはそこそこ強いかもしれない。

 母がエリート主義の国公立信者でなければ、もっとのびのびと幼少期を過ごせただろうし、それなりにマジョリティの人間(大衆消費社会に適合できる人材)になれていた可能性がある。メンタルヘルスを拗らせることもなかっただろう。その頃に父が虐待から守ってくれていれば、なおさらだ。

 今でも夜職と飲食バイトを掛け持ちして月に二桁は稼がなければ大学生としての生活がままならないのは、家庭環境(母と父の経済的な関係性とそれぞれのイデオロギー)に問題があるからだ。

 家賃が親の口座から自動的に引き落とされて、その上で仕送りをたんまりともらえて、食料も段ボールで送られてきて、週2~3のバイトでお小遣い稼ぎをして趣味や交友に使うような、そんな学生生活がほしかった。

 そんなことはどれだけ夢見ても叶わないのはわかっているので、ただただ現実として受け入れ、足りないお金は稼ぎ、足りない時間は生み出すしかない。メンタルヘルスは薬でコントロールすればいいし、認知の歪みは自分で矯正すればいい(カウンセリングは性に合わなかった)。

 

 

 コンプレックスを持つとはつまり、存在しない現実に思いを馳せて、今生きている現実に正面から向き合わず、(無意識にでも)他人を僻んで精神を病んだり、その僻みを原動力に他者をコントロールしたりするということなのだ。

 恐ろしい。

 人生のモットーを「善く生きること」「理想の聖人になること」に置いているわたしは、なんとしてでも避けたい事態だ。そのためには、自身の精神的・社会的な現在地をメタ的に把握しつづけ、不適切な方向に傾いていることに気づいたときには即座に舵を取りなおす必要がある。

 

 母親のように、メタ認知のメの字もわからないような人生であれば、無条件に幸せだっただろう。自身のコンプレックスに気づけないほどにメタ認知ができないのだ(だから悪意なく他者をコントロールできる)。

 しかし、そんな人生でなくてよかったとも思う。きっと母親のように無自覚の毒で他者を傷つけていただろうし、本当の意味での愛を知ることはなかっただろうから。なんだかんだ微小なコンプレックスはあれど、わたしは今それなりに愛されて、それなりに幸せに生きている。

 

 いざ死ぬときに、人生を後悔しなければそれでいい。自分自身で納得のいく人生をこれからも目指していく。

 もしかしてこれって母親コンプレックスなのか?


 

 

 

ぼくのかんがえたさいきょうのかみさま

 

 わたしの短歌にはよく「神様」が登場します。2020年に自家出版で出した初めての歌集「祈りの手引き」は、第一章のテーマが「祈」です。

 

 かみさまは見えない 会えない さめざめと泣くわたしまだ生きていたいの

 あしたこそメシアになれるだろうかと星に願う横顔がかわいい

 門限を守れなかった星たちの懺悔をひろってきらきらになる

 

 これらは第一章からの抜粋です(わざわざお手に取ってくださったみなさま、公開してしまってすみません)。

 なんとなくキリスト教じみているのが伝わりますでしょうか。あまりにも薄っぺらいですが当時はこれが精一杯の祈りでした。

 

 

 これらの短歌を作っていた頃は、キリスト教に憧れていた時期でした。

 「わたしたちには生まれながらにしてどうにもできない罪があるので、神様は唯一の子・イエスを救世主として天国から地上へと送ってくれました。その出来事を信じ、己のその罪を悔い改めるのであれば、神様は天国に迎え入れてくれるでしょう。」

 という教え(強引にまとめすぎて要約としてはあまり正しくない)は、過度に合理的な世界に絶望したメンヘラと相性がいい。

 

 生きているだけで常に罪悪感がつきまとい、いつでも形のない何かに許されたいと懺悔していて、早く誰かに助けられて天国に行きたいというロマンチスト型メンヘラにとって、”神様”とはあまりにも便利すぎるワードなのです。

 

 

 しかしこの”神様”はもちろん「ぼくのかんがえたさいきょうのかみさま」ですから、宗教的な神様ではありません。

 特にキリスト教のような一神教からしてみれば、こんな”神様”は異端どころか侮辱ですらありそうで怖いなあと思いながら、「ぼくのかんがえたさいきょうのかみさま」を心に宿しています。

 

 わたしには生まれながらにクリスチャンの友人がいます。わたしは彼の見ている神様を同じように見ることができません。

 たとえどれだけ愛に満ちた敬虔な宗教的生活を実践しても、ネイティブで神様を信じてきたひとたちには到底敵いません。神様を信仰していなかった、無神論者としての幼少期からの時間が、天国にいる神様の純度を下げてしまうからです。

 そこでキリスト教への憧れを捨てました。軽率な憧れは、冒涜と紙一重だと思います。

 

 

 だからわたしは今日も「ぼくのかんがえたさいきょうのかみさま」を心に宿しながら、生につきまとう罪悪感から解放されて、苦しみのない「ぼくのかんがえたさいきょうのてんごく」にたどりつくことのできる日が来ることを祈りながら、魂をインターネットに浮遊させています。

 現実に魂を置いてしまうとただただ苦しいだけですからね。資本主義の奴隷として命をつなぐことが人生の本質だなんて嫌すぎる。魂ぐらいはオリジナルのユートピアに置かせてください。

 

 「ぼくのかんがえたさいきょうのかみさま」がわたしを許してくれる日は来るのでしょうか。今のところ、なんだか来なさそうな気がしています。

 「かみさま」なんて言っても結局は自意識の一部ですから、付け焼き刃でハリボテの自己肯定感を着飾ることで強い人間のふりをしているうちは無理でしょう。

 救われたい、救われたい、と嘆いているだけでは救われません。救われたい自分を救うのは自分です。これを突き詰めると自己責任論に陥ってしまうのですが、まあ自己責任論も他者に押しつけないうちは誰にも迷惑をかけませんし、ひとりで重みにくたばっていくだけですから、まあよしとしています。

 

 「ぼくのかんがえたさいきょうのかみさま」なんてものがいなくても、ほんとうのわたしがわたしの全てを許すことができる日をきちんと迎えるために、とりあえず今日も明日も明後日も、なんとか生きていこうと思います。

 

 

リスカ跡にアットノンをくれた

 

 

 よう、フォロワー。今日も相変わらずゴミクソみたいな人生を送っているか?土晩のこんな時間(AM2:00)にインターネットを徘徊しているぐらいだからさぞかしゴミクソみたいな人生だろうよ。最悪すぎてサイコーだな。

 

 ところで、

f:id:qusai_sochi:20211205015929j:plain

 

 という質問が来たので、父親の話をしようと思います。

 やはりわたしの人格の底をなす確執は母親との間にあるものの割合が大きいので、ついつい母親の話ばかりしがちですが、別に片親ではありません。母親に比べればまあかなりまともなので、なかなか出てこないというだけです。

 

 

 端的に言うと、父親との親子仲はそこそこに良好です。先日も二人で「しゃぶ菜」に行ってきました。2週に一度は食料を届けてくれます。仕送りをくれるのも、5.5年分の学費を払ってくれているのも父親です。今住んでいる家の保証人も父親です。

 父親がいなければわたしの生活は成り立っていません。片方の親がまだまともでいてくれているという点においては、わたしは恵まれている方だと思います。

 

 とはいえ、完全に心を預けているかというとそうでもないという親不孝ものです。こんなにもわたしのためを思っていろいろとやってくれているのに。

 なぜ完全には心を預けていないかと言うと、父親はわたしと弟に対する母親からの暴力を止めなかったからです。

 

 

 父親はとても仕事人間で、誰よりも早く家を出て、誰よりも遅く家に帰ってきていました。特にわたしの幼少期は、日付が変わる前に帰ってこられる日の方が少なかったです。母親曰く、おかげで出世がとても早かったそうです。ちなみに機能不全家庭短歌を見てくださった方には伝わっているとは思いますが、父親と母親は不仲です。父親と母親が同時に家にいると、スリッパが飛び交っていました。

 

 仕事でほとんど家にはいませんでしたが、暴力は知っていたと思います。

 弟が幼稚園児のとき、九九を覚えられずに風呂場でしばかれまくった弟の太ももにデカい内出血があったのですが(同じ教育をわたしも受けていますが、要領がよかったおかげかそこまで明らかな怪我は負いませんでした)(というか幼稚園児が九九を覚えられると思うなよ)、そのときに一度だけ父親は「そろそろ児童相談所呼ぶぞ」と母親に脅しをかけていたことを覚えています。

 それでも、言葉で脅しをかけるだけで、特に具体的に対処してくれるわけでもなく、わたしと弟はたびたび理不尽な暴力を受け続けました。

 

 

 ふと気になって、先日「ママの暴力はなんで止めんかったん?」と聞いてみたところ、「わしは仕事でほとんど家におらんかったし、家で何が起きてるんか知らんかった」と返ってきました。上記のエピソードもきっと忘れているのでしょう。

 ここにひとつ恨みがあります。もしかしたら、母親のヒステリックの刃が自身に向くことを避けていたのかもしれません。父親にとって仕事は、イカれた我が家から逃れるための絶好のチャンスだったのではないか、と邪推してしまいます。本当のところは分かりませんが。

 

 

 「あたし、どうしたら普通の女の子になれるんやろ」とぼやいてみたことがあります。「お前が他の子とどう違うんかがわからん」と返ってきて、ここに壁があるな、と思いました。

 父親はわたしが精神科に通っていることは知っています(母親は知りません)。それでも、なぜ通っているのかは根本のところで理解されていないと思います。どちらかというと、鬱は気持ちの問題だと思っているタイプの人間ではないかと想像しています。

 そういう人を前にすると、こちらも精神異常を開示する気も失せますから、溝は深まっていくばかりです。

 

 

 精神科にまともに通うようになったきっかけでもある人生最大の鬱の時期に、毎日死にたい死にたいと言っていたら、「死なんといてくれ」「お前は生きてくれてるだけで100点満点やねんから」と泣かれたことがあります。

 何年か前に、前住んでいたマンションの屋上から飛び降りようと柵を乗り越えたことがあって、タイミングを伺っているうちに通行人が大家さんに通報し、大家さんから父親に連絡がいきました。仕事中の父親からは電話がかかってきて、その日の晩は家に食料を届けにきました。

 

 それ以来、父親はわたしを元気付けようと、平日に休みをとって電車旅に連れ出してくれたり、二人で好きなバンドのライブに連れて行ってくれたりします(音楽の趣味は父親の方がわたしより若いです)。夏が近づくと、蛍のきれいな川に車で連れて行ってくれます。リスカ跡にアットノンをくれたこともあります。実家に帰ると、スイーツを作って待っていてくれます。

 口数は少なく不器用ですが、これらは父親なりのわたしへの愛情なのだと思います。

 

 

 わたしはその愛情を素直に受け止めきれない親不孝ものです。

 どうせ、娘が精神科にかかる事態にまでなってしまったことへの罪滅ぼしだろ、と思ってしまいます。いまさら愛情をくれたって、ぐちゃぐちゃになった人格と、それを抱えて生きていかざるを得ない人生は、もうどうにもなりません。

 幼少期の”助けてほしかったのに、助けてもらえなかったわたし”は、成人してから手を差し伸べられても満たされることはありません。幼少期の傷は幼少期にしか癒せないと思います。

 

 それでも、やはりやさしさはやさしさとして受け止めるに越したことはないので、深いところではあまり信用していませんが、表面上はそれなりに仲良くやっています。ありがたいものはありがたいですから、感謝したほうがよいでしょう。

 贅沢な悩みなのは重々承知です。両親ともにまともじゃない家庭もあるでしょう。そんな中で、与えられるやさしさについて、どうせ罪滅ぼしだろうが、と言えてしまう環境は恵まれていると思います。

 

 ただ、わたしの傷はわたしだけのものなので、どうかそこを抉ろうとしないでください。お願いします(ここのところ、被害妄想がすごいので、あらかじめお断りしておきます)。

 

 

デカすぎる愛という人格

 

 最近なぜか、「ブログ(note)、楽しく拝見させていただいております!」ということを言われることがたびたびあります。

 ここのところは特に更新もしていなくて、自分の過去の記事のセルフRTというオナニー録画の再放送みたいなこともしていません。Twitterのプロフィールのbioにリンクを貼っているだけ。つまりそこから飛んできているわけです。

 まず、タイムラインに投稿された新鮮でほやほやのツイートから、アイコンをタップして、プロフィール画面に飛ぶという行為が、”愛”そのものですよね。自分がタイムラインを見ていなかった間に、この人が何をツイートしていたのかをすべて知りたいという気持ち。”愛”以外の何物でもありません。嬉しい限りです。

 

 ブログを更新していないからといって、何も考えずにぼーっと生きているというわけではないのですが、いかんせん労働労働労働という毎日で、労働で酷使する心身を癒すためにインターネットを徘徊しているうちに、思考の解像度を高める暇がなくなってしまっています。

 もっと本気でインターネットしなきゃ。タイムラインを彩るピエロとしてフォロワーに笑ってもらうことだけが、デカすぎる愛という人格の、唯一の救いだから……。

 

 

 明日はデカ愛𝑳𝑶𝑽𝑬𝑹𝑺のフォロワーと、そのフォロワーを繋いでくれたフォロワーと、そのフォロワーが繋いでくれたもうひとりのフォロワーの4人でオオサカを周遊する予定があります。明日というか、7時間後には集合なので今日この後ですね。

 

 どういうわけか、わたしはよくDMで「よろしければ会っていただけませんか?」という旨のお誘いをいただきます。大抵は喫茶店です。わたしのフォロワーはよく調教されています。みなさまの舌にキスをささげましょう。𝑲𝑰𝑺𝑺 𝑨 𝑻𝑶𝑵𝑮𝑼𝑬……

 わたしはこれがとても不思議でたまりません。どうしてみんな、そんなに下の方からお伺いを立てるように誘ってくださるのかしら?

 わたしはフォロワーと対等な関係でいたいと思っているのですが、どうやらそれはわたしだけのようです。わたしとしては「デカ愛、◯日空いてへん?」ぐらいのノリで来ていただいて全然構わないのですが、みなさまとてもお行儀がいい。お行儀がいいを通り越して謙遜しすぎまであります。

 デカ愛ってそんなに怖いですか?(泣)

 

 

 デカ愛は、インターネットコンテンツとして威張るにはまだまだ弱者です。

 やはりインターネットの強さをいちばん簡単に測るのに役立つのはFF比だと思います。強いインターネット人(いんたーねっちゅ)はFF比がヤバいしすごいしとんでもない。みんなフォロワー4桁おる。それに比べてデカ愛はフォロワー数は500人にも足りません。弱小ツイッタラーなんです。

 それでも、フォロワーの質には恵まれていると感じます。かつて、フォロワー4桁のアカウント(♥️𝓫𝓲𝓰 𝓵𝓸𝓿𝓮♥️)があったのですが、オフパコ厨や夜職スカウト的なアカウントが多かった上に、元が高校時代からのリア垢だったため、もう何年もツイートしていないカビの生えたアカウントが多かったです(高校時代の旧友はみなインスタグラムに魂を売りました)。

 

 当時は、フォロワー数を水増ししているような罪悪感とともにツイートをしていました。今はそんな気持ちはありません。わたしはフォロワーを信じることができています。現在のこの410人のフォロワーは、デカ愛をインターネットに漂うおもしろコンテンツとして消費してくれている。

 わたしはそれが嬉しくてなりません。わたしがインターネットピエロ仕草をすることで、誰かの心を癒すことができるのであれば、わたしはいつまででもピエロであり続けます。

 

 

 このピエロ癖は自身がアダルトチルドレンであることに由来するかもしれません。家庭では全くピエロのピの字もなく、アダルトチルドレンの類型に合わせて言えば100%のヒーローだったのですが。

 まあでもアダルトチルドレンが拗らせているのは親との愛着関係だけにとどまりませんからね。いちばん身近で基盤となる人間関係である親と上手くやっていけていないのですから、家族以外の他者とも上手くやれるはずがありません。

 

 実際にわたしはリア友というものの作り方がわかりません。友達があまりにもいなさすぎる。

 大学関係で交流のある先輩や同期や後輩もツイッターありきの出会いに始まっていますし、バイト先では自分以外のみんなが知らないところで飲みに行ったりしていて、もう輪に入れなくなっています。

 そしてそういった大学やバイト先など、初手が現実でのエンカウントだった人たちには、Twitterを、デカすぎる愛という人格を見られたくない。

 もう何が何だかわかりません。

 

 それでもわたしが現実において労働労働労働の隙間にある休日を、他人との予定で埋めることができるのは、間違いなくインターネットのおかげです。フォロワーが誘ってくれるから、暇に殺されることがなく済んでいます。人間は暇に殺される生き物ですから。

 フォロワー、いつもありがとう🎶

 

 

 わたしは、きっとこのままずっと、Twitterがサ終するまでは、タイムラインに浮遊する言語化ピエロとしてフォロワーを楽しませることに生きがいを見出すでしょう。

 もしかしたら、Twitterのサ終までにアカウントが凍結するかもしれません。これまでにもたびたびロックをかけられていますし、過去には永久凍結までさせられていますからね。デカすぎる愛って、実はいついなくなるかわからないんですよ。刹那的って美しい。

 デカ愛を消費するなら今のうちですよ。ドシドシ消費してくださいね。

 

 フォロワーがいる限り、デカ愛はインターネットに𝑳𝑶𝑽𝑬を垂れ流します。

 どうか、最後まで見守ってください。よろしくお願いします。

 

 

 

希死念慮には3パターンある

 

 最近はいちだんと死の気配がわたしに近づいているような気がする。毎日ではないけれど、確実にそういう日のスパンが短くなっている。

 いよいよ年明けに始まった躁転ハッピーライフもおしまいなのだろうか。

 誰かが死ぬ夢を見ることが増えたし、希死念慮にさいなまれて座椅子に崩れるような姿勢で座ったまま動けないでいる時間が長くなった。死んだ人の書いた本ばかり読んでいる。

 

 わたしの希死念慮には3パターンある。

 ひとつ目はとても軽いもので、何もやる気が起きなくて、でもしなければいけないことがたくさんあって、ああ今死んだらすべてから解放されるのになあと願うもの。これはだいたい自分の先延ばし癖とどうにもならない拗れた人生に由来するもので、起動に時間とエネルギーのかかる抑鬱タイプのADHDの素質を持って変な家庭に生まれてきたことを呪いながら、菓子パンを過食するか、その日はもう諦めて寝るかのどちらかをすれば治る。

 2つ目はもっと漠然とした、疲労感に似た絶望のようなもの。己の人生を背負って明日も明後日もずっと、寿命が来るまで生きなければならないのに、それを乗り越えるほどの精神的エネルギーがもう残っていないという現状を自覚したときに発生するもの。これは一生ついて回ってくるのだろうと思う。死なない限り。

 3つ目がいちばん厄介で、死に希望を見出しているタイプ。死は救済というフレーズはここに属するのではないだろうか。死んだことがないので、死の世界についての夢は見放題なのだ。わたしは前世も来世も信じていないし、死後の世界なんてあるわけがないとは思うが、それにしても死というまぼろしの概念は夢を含みすぎてはいないか。死んだ瞬間に達成される死という目標。さすがに美しすぎる。

 

 希死念慮が自殺願望に変わるのは往々にして3つ目のパターンの時で、実際にいちど自殺企図に走った時(結局は未遂の未遂に終わった)もこんな心理状態だった。諦めでも絶望でもなく、ただ純粋に死を望んでいる。

 

 生きるには生きたい理由が少なすぎるし、死ぬには死にたい理由が多すぎる。

 それでも生きていかなければならない。わたしは最後のところでエゴイスティックな方向に振り切れない。もしかしたら、痛みや苦しみを伴う自殺への恐怖を、わたしの生が続くことを願っている人へ責任転嫁して、逃げているだけなのかもしれないけれど。死にたいはずなのに、おかしいな。

 

 

 本を読んでも目が滑ってなかなか入り込めない。昨日は京都市京セラ美術館で建築の展示を見て、ミュージアムショップで8冊も本を買った。赤瀬川原平氏の著作を数冊手に入れた。先日、キャバクラ時代のお客さんに買ってもらった15冊の本もまだ3冊しか読み終えていない。アート、天皇制、構造主義、短歌、いろいろある。

 積読とは、その先も生きていく未来を前提にたくさんの本を買うから起きる現象だ。

 結局、生きる気マンマンなのだ。わたしは。

 

 死ぬつもりなんてはじめからないくせに、たいして現実でやり遂げたこともないくせに、現実にはもう飽き飽きだと死を夢見て、宙ぶらりんに生きている。

 どうせ死なないならしっかり生きろよ。

 

 どうも調子がおかしい。洗濯物を干さなければならない。どうせ今すぐマンションの屋上に走ってのぼって行ったとて飛び降りられないのだから、わたしは明日も生きていくし、明日もバイトがあるから、早く干さないと乾かないし、困るのは自分だ。

 早く生の向こう側に行きたい。なんで死んだらあかんのやろね。宇宙レベルで見ればひとつの個体が死んだところで何の影響もないのにね。

 今日も疲れたな。洗濯物を干して煙草を吸って本を読んで寝る。おやすみ。