最近のおもしろADHDエピソード

 

 

 さっき、お気に入りの帽子をなくしました。15時頃に自転車を漕いでいるときに風に飛ばされて、その場で急いで取りに戻ったのは覚えているんですが、そこでかぶりなおしたのか、鞄になおしたのか、手に握ったまま走り出したのか、そこの記憶がすっぽり抜けており、それっきり見ていません。

 

 インターネットでADHDというワードが大流行してからしばらく経ちますが、インターネットの流行りは遅れて現実にも持ち込まれるわけで、現実でもADHDというワードをカジュアルに耳にする機会が増えました。

 

 おかげさまで、勤務先で大流行しております。みんな、スマホや化粧ポーチなどを一瞬なくしたときに「あーまたADHDやわ!」と言うんですよね。

 ものぐらい誰でもなくすんですよ。落としものということばが存在するのは、誰もがものを落とすからです。専門用語ではない普遍の概念ですから、いちいちそれにADHDと名づける必要はないんです。

 

 彼女たちがまったくの冗談で言っていることはわかっているんですが、どうしても意識してしまいますよね。おおげさですが、差別とはこういうナチュラルなところから始まるのだろうと思います。

 カジュアルな自虐としてのADHDを聞くたびに、こころがすり減ってしまいます。ということで、これを昇華するために、最近のおもしろADHDエピソードをいくつか並べて、この記事を読んでいるあなたにおもしろがってもらおうと思います。

 

 

 

 ①証明写真1600円(税抜)

 

 先日、掛け持ちのアルバイトをはじめました。新しいバイトに応募するとき、顔写真付きの履歴書を求められることが多いと思います。

 まともな昼職バイトに応募するのは3年ぶりぐらいで、履歴書というものを書くのもそれ以来で、書き始めから終わりまでどれぐらいの時間がかかるかも忘れており、面接の当日、過去に買ったものがたまたま残っていたので、家を出る予定時刻の10分ほど前にそれを書き始めました。この計画性のなさが、すべての終わりの始まりです。

 

 何枚かをダメにしながらもギリギリ書き終わり、さて証明写真を貼れば完成というところで家を出ました。道すがらにある証明写真機で撮るつもりで、裁ちバサミとアロンアルファを鞄に投げ入れて家を出ました。
 美大生って、なんでそれを持ってるのにあれは持ってないんやということが多いと思い気がします。ハサミはないけどクソデカい裁ちバサミが、スティックのりはないけどアロンアルファがあるのがわたしの家です。

 

 なんとか予定通りに家を出られたのですが、またわたしの目の前に壁が立ちはだかります。通り道のセブンイレブンにあると信じ込んでいた証明写真機が、現実にはありませんでした。記憶の捏造です。

 その時点で面接まであと10分ほどだったと思います。あわててiPhoneで「証明写真機 地図」で検索をかけると、いちばん近いところに「カメラのキタムラ」があるという結果が出たので、まあ専門店なら証明写真機も置いてあるやろなということで、全速力で向かいました。

 

 カメラのキタムラに着くと、証明写真機の代わりに、立派なスタジオブースがありました。おーこれはすげーと感心する間もなく、店員さんに「証明写真を撮りたくて……」と伝えると、すぐにブースに案内してくれました。

 鏡やティッシュや綿棒などの化粧直しの道具が並べられていましたが、面接までもう10分を切っているわけですから、化粧崩れなんて気にしていられません。店員さんの案内の続きを待ちました。

 

 いよいよ撮られはじめるぞと顔を引き締めると、店員さんが顔の角度や姿勢を事細かに指定してくれます。これはとてもありがたいことではありますが、この場合は機械のように淡々と撮ってもらえるほうがよっぽど助かります。

 とはいえ店員さんのほうも、よりよい写真を撮り顧客に満足してもらうサービスがお仕事ですから、邪魔をするのも心が引けて、何ともないふりをして非効率的に撮られつづけました。

 最終的に3枚から選ぶことになり、どれも大して変わらんわと思いつつ、いちばんブス度がマシなものを選びました。

 

 すると、店員さんが「それでは、15~20分ほどお待ちください」と言って去っていきました。面接の時間まで、残り5分。もうさすがに"何ともないふり"もギブアップ。

 いそいで追いかけて、「あと5分で面接なんです……!」と必死にアピール。店員さんもこいつマジで言うてんのかと思ったに違いありませんが、「全力で終わらせます」と機転をきかせてくれて、2分ほどで印刷されました。

 

 とても高画質でかっこいい証明写真が撮れました。2分で印刷できるのにさっき言われた10分は何やったんやと思いながらお会計を待ちます。このお会計額でわたしはすべてを悟りました。

 4枚で1600円(税抜)。1枚あたり400円ちょっと。

 このフォトブースはきっと就活生や転職活動中の社会人のために、スーツを着て、それ用にメイクや髪型を整えて、企業の人事にしっかりと選ばれにゆくひとのためにあるのだろうと、ここで気づきました。

 無駄に鮮やかで高画質な400円の証明写真にうつっているのは、微妙なメイク、金髪、古着ワンピース、23歳、大学2回生、アルバイト志望、面接3分前。

 

 事前に機械で撮っておけば、6枚400円とかで済んだにも関わらず、悲しい無駄遣い。

 

 いちいち落ち込んでいる暇もなく、現金が足りないのでクレジットカードで買って店を去りました。さすが1枚400円なだけあって、はじめから4枚ともカットされていました。歩きながら写真の裏にアロンアルファを塗り、振動で写真欄の枠外に思い切りはみ出し、指でふき取りながら面接に向かいました。

 面接にはギリギリ定刻にすべり込み、「あー、うち面接落ちるとかないからね。やってみよー」とあっさり合格を受け取りました。机の下の人差し指がとてもベタベタしていて、いろいろな感情になりました。

 

 自らのガバガバな脳を、ガバガバな脳のあまりに信じ込み、出費がかさんでしまうというADHDあるあるでした。これまでの人生で損をしてきた額を想像することはタブーです。

 

 

 

 ②滋賀県に口座を握られている

 

 10月末くらいにキャッシュカードを紛失しました。落としたのかなくしたのかがわからないという最悪な紛失です。

 そこのキャッシュカードを再発行するためには、まずは銀行に電話して、口座を止めてもらう必要があります。その後、通帳と身分証明書を持って銀行で手続きをする、という手順を踏まなければなりません。

 

 そのカードはクレジットカードに紐づけてあり、奇しくも紛失日が引き落とし日の直前だったので、その時点で口座を止めてしまうとカードの引き落としができないため、とりあえず引き落とし日を待つことにしました。

 ADHDのよくないところは、一度後回しにしたタスクに再度着手するとなると、とてつもないエネルギーを使うというところです。よく"先延ばし癖"と呼ばれるものです。

 

 やむを得ない先延ばしが発生してしまい、銀行に電話して口座を止めるというタスクが後回しになりました。すると、とことん先延ばしにしてしまいます。先延ばしにしているうちに、11月の末が来てしまいました。また口座を止められなくなりました。

 

 そもそも、なぜここまで先延ばしにしたかと言うと、上記の「クレジットカード」「滋賀県」にポイントがあります。

 

 この口座は、基本的にクレジットカード専用にしており、普段はそこまでの額が入っていません。請求額が確定してから、引き落とし日直前にその分だけ口座に入れて、引き落とされるとまたそこまでの額が入っていないという状態になります。

 つまり、「万が一拾われて暗証番号が割れても、そこまでの額は入っていないので、中身を取られてもそんなに困らない」という安心が生まれているのです。「カード落としちゃった!どうしよう!」は長続きせず、さらに、こういうアクシデントには慣れているという謎の余裕があって、口座をなかなか止めるに至りませんでした。

 

 さらにもうひとつ。わたしは通帳を滋賀のおばあちゃんに預けています。なぜなら、おばあちゃんからの経済的支援を受けているからです。定期的に、通帳からお金を入れてくれています。(ありがとう……。)

 ということは、銀行の手続きで必要な通帳は、滋賀にあるということです。一度、滋賀に行かなければ、口座を再開できません。

 わたしは京都在住ですから、滋賀県なんてすぐお隣なんですが、ただでさえものぐさな出不精で、さらに度重なる先延ばしのせいで越県するためのエネルギーが日々爆増しており、なかなか行く気になれませんでした。

 

 口座を止めてしまうと、その月末のうちに滋賀県に行かないと、クレジットカードの引き落としができずに、クレジットカードまで止まる。

 これがわたしをダメにしていました。

 

 現在(12月)はというと、やっと口座を止める電話こそしましたが、まだ滋賀県には行っていません。月末までに行かないと、いよいよ本格的にクレジットカードが止まります。

 本当のところは、毎月のように入金忘れか上限額オーバーで止まっているので、あんまり怖くはないんですが。とか言ってるとそのうちなんかのリストに載せられかねないので、できれば来週か再来週のうちには、顔出しがてらにおばあちゃんの家に行きたいと思います。

 

 

 余談ですが、わたしはかつて口座の残高確認ができるアプリの本人照会に必要な暗証番号を間違えまくったため、アカウントが凍結しています。そしてキャッシュカードも通帳も手元にないので、わたしは今あのクレジットカード用の口座にいくら入っているのかを知りません。

 ですから、入金方法は他口座(貯金用)からの送金です。自分の口座に手数料を払って入金しています。かなり意味がわかりません。

 とりあえず余剰に入れておけば引き落としが止まることはないので、多めに送っています。余剰に余剰が重なっているはずなので、少し貯金ができているかもしれません。なんだかドキドキします。早く確認したいなあ。

 

 

 

 ③はじめての遅刻宣告は空の上

 

 これは少し前の話なので既出ネタです。

 高校の同級生3人と梅田で飲むことになりました。看護師、公務員、大学院生、わたし(圧倒的負け組)という謎の組み合わせでしたが、誘われると基本的に断らないので、気乗りせんなあと思いながら参加しました。

 わたしはその後21時から夜勤があることを伝えていたので、20時半頃解散をめどに集まりました。

 

 同級生の人生ストレート組は、この春から新卒で社会人をしています。案の定、仕事はどうとか生活はどうとか、社会に出ている人が社会を語っていました。わたしは隣でニコニコする置物と化していました。

 たまに気を使って「美大生ってどんな感じ?」というように話題を振ってくれるのですが、わたしは自身の所属する大学の大アンチですから、学生生活については特に何も語れることはなく、自身のフィールドワークについて「好きなときにお散歩してる」と答えました。

 謎っぽいことを言って、世間の見る美大生の図に当てはまりにいったほうが、彼女たちもリアクションを取りやすいだろうということで、終始ふんわりした回答を心がけました。今読んでいる「天皇アート論─その美、"天"に通ず─」という本を紹介したところで、政治思想に染まってしまった悲しき同級生と認定されて、それ以降避けられることが目に見えているからです。(これは決してそんな本ではないです。)

 

 

 そんな感じで適度に盛り上がって、20時半前ぐらいになったと思います。誰かが、「HEPの観覧車乗らん?」と変なノリで言いました。みんなちょっと酔って変な感じになっていて、乗ることになりました。

 わたしが行くならと来てくれた高校時代のいちばんの親友に「バイト時間大丈夫?」と聞かれて、「22時からやし全然いける」と答えて乗り込みました。ここで大きな間違いをしています。

 

 HEPの観覧車は大阪の中高生のよくある遊び・デートスポットで、みんな「なつかしいねー」と言いながらどんどん高くのぼっていきました。

 わたしたちが高校を卒業するくらいのタイミングで万博記念公園のEXPO CITYが開園したので、みんなして青春として奥の方につめこんでいたHEPと、大学生時代の記憶に新しいEXPO CITYを比べてはしゃいでいました。わたしはEXPO CITYの観覧車に乗ったことがないので、はしゃげませんでした。ずっと飛び降り自殺のことを考えていました。

 

 てっぺんを過ぎたあたりで、わたしのiPhoneに電話がかかってきました。20時57分。バイト先の店長でした。

 『もうお店来てる?』

 ここで、わたしは自分が勘違いをしていたことにやっと気がつきました。21時からのバイトを脳が勝手に22時からに捏造処理をしていたのです。

 親友の「バイト時間大丈夫?」は全く大丈夫じゃありませんでした。どうしてわたしの脳は勝手に情報を捏造してしまうのだろう。

「すみません、1時間勘違いしてました……」

『忙しくないからゆっくりでいいよ(笑)』

「いそぎます………」

 

 ただでさえ仕事ができないので、せめて仕事以外のところの信用だけは確保しようということに必死で、ADHDながらに遅刻も当欠もしたことがなかったんですが、まさかの空の上ではじめての遅刻宣告を受けました。

 急ぎますといっても観覧車のスピードは変わらないし、みんなは変な空気になるし、わたしはパニックで「空の上って電波届くねんなあ」ぐらいしか言えんし、しまいには「無理矢理誘ってごめん」とか言われるし、ガチで、何?

 

 最初のほうに書いたように、みんながカジュアルにADHDということばを使うせいで、勤務先でわたしの代名詞が「ADHD」になったりします。(例:がんばれADHD、おいADHD、など)

 店舗のオーナーにも「お前はただの障害者や!w」と言われているので、面と向かって言われるともはや楽しくなります。前の勤務先では「頭の病気」と言われていましたが、今は「障害者」です。ちょっと理解度が上がってうれしいです。

 

 

 

 こんな感じで、わざわざ書くに至らないエピソードも無数にありますし、毎日がしっちゃかめっちゃかです。話のネタにはできるけど、生きていく上でシンプルに困ります。どうしたらいいんでしょうか。投薬は副作用の関係で諦めました。どうしたらいいんですか?

 

 どうせADHDの話なので最後に自分の部屋の写真を貼っておきます。「私/俺のほうが汚いしもしかして私/俺ってADHDなのかな」みたいな汚さマウント自己診断はいりません。心配なら病院に行ってください。

 なんで自称ADHDって帰納と演繹の間にある狭すぎる世界しか考えられへんのですか?

 

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 イタリアンサラダが床に落ちているところ、灰皿の隣にDiorのブラシが置いてあるところ、奥で麦焼酎のボトルが倒れているところが特にチャームポイントです。画像で見ると思ったより汚くなくて安心しました。まだまだ何も踏まずに歩けますね。

 

 がんばって生きましょう。

 

 

 

幸せになりましょう

 

 

 最近のわたしはは毎年恒例の夏の躁転を終えて、だんだん冬の鬱に向かってゆっくりと流されています。

 毎年、冬は特に調子がよくない。12月から1月にかけてと、3月から4月にかけて、毎年どうしようもない希死念慮に襲われます。


 特に午前中は身体が鉛のように重いです。起床してから本調子を取り戻すのに8時間かかります。午前中に調子が悪く、夕方ごろにかけて調子がよくなるというのは、鬱病の典型例です。
 それでも、不規則に決められたバイトのシフトや制作(日の昇っているうちにしか進められない)という時間は無慈悲にもわたしを追いかけてきます。

 逃げ惑うのに必死で、重い重い身体を引きずって、なんとか社会にギリギリ適応しております。

 

 

 ここ最近のストレスは特に金銭の問題がほとんどを占めています。夜職女のはずなのに、マインドが貧困。
 運よく多少のナメガキ環境を持ち合わせているので、家賃と光熱費は仕送りでなんとかまかなうことができています。ありがたいですね。

 それでも、食費やその他生活費(備品、交通費、精神薬代など)については足が出るので、いくら鬱で身体が動かないとはいえ、バイトを長期間休むわけにはいきません。


 さらにわたしは転科による留年をしており、(半年休学をして)1年半分の学費は自己負担するという約束で大学内で専攻を転科したので、公立ですから約80万円を貯金しなければなりません。
 そうなると、収入の半分ほどを貯金にまわす必要があり、自由に使えるお金というのが大学生の平均所得を大幅に下回るので、収入に対してQOLがかなり低い。
 実家を出たことも、転科をしたことも、そうならざるを得なかった背景は十二分にありますが、そういった選択をしたのは自分自身ですから、自己責任です。流行りの自己責任論。


 おかげさまで、物欲というものをほとんど失ってしまいました。欲しいと思ったところで手に入れられないので、諦念のような学習性無気力で、殺されてしまいました。

 あんなに大好きだったお洋服も、半年に一度ぐらいしか買えない。自分の価値観の肥やしになる本や機会も、経済的な理由で諦めなければいけないことがとても多い。鈍色の毎日です。

 

 とっとと死んでしまえば、この低いQOLの苦しみから解放されるのにと思いますが、わたしにはどうしても死んではならない理由があって、あと単純に動物的な本能として自殺への恐怖のようなものもあります(痛いのは嫌、生き残っても後遺症でこれまで以上に苦しい生活を強いられる可能性がある、など)から、死ぬわけにはいきません。

 

 

 今日は京阪電車で、昼と夜に人身事故が2件起きました。

 自殺か事故か、亡くなった方がどういった理由で電車に飛び込んだかはわかりませんが、「死ぬときぐらいひとりで死ね」と言い放つ人間のつめたさには嫌悪感をおぼえます(認知症で徘徊した老人が踏切を超えてしまうというケースの人身事故も少なからずあります)。


 人身事故を自殺だと決めつけて心無いことばをかける人間の想像力のなさに毎回驚きます。鬱や希死念慮だって、誰しもに降りかかる可能性があり、明日は我が身ですからね。

 確かに、他人の死の尻拭いを業務としてこなさなければならない鉄道会社の方々には、多大なるご迷惑をおかけしてしまうので、死人に同情だけをするのは正しくはありませんが。

 

 

 お金がないと心の余裕がなくなるということを実感するたびに、大人になったなあと思います。
 世間のみなさまがブラックフライデーで何を買おうかと浮かれているのを見て、妬みや自身の救えなさに支配されて、結構キツかったです。
 でも恵まれている方々には、恵まれない人間の分も幸せを享受してほしいと思っているので、どうか購入したものが彼らにとって有意義な宝物になることを願います。


 先日、バイト先で「なんでわたしってこんなにお金ないんやろなあ」とぽっとつぶやいたとき、わたしの何倍も器用に仕事をこなせる、立場が圧倒的に上の同僚に「お金がないって言うからお金がないねんで」と言われ、ADHDムーブのミスだらけでいつまでも昇給できないわたしは何とも言えない気持ちになりました。

 勝ち組の方々"当たり前"の暴力に震えるばかりです。

 

 

 特にこの記事にオチはありません。ただ、収入にかけている労力にに対するQOLの低さの苦しみと、周期的な鬱への苦しみで、そろそろ限界を迎えそうだということを発信するために書いています。


 とはいえ、限界を迎えたところでわたしは死ねないので、「ギョエ~」「限界ダ~」「救済(たす)けてくれ~」と言いながら、社会に置いていかれないようにもがくしかないのですが。
 「つらくなってきた」と思うたびに、「なってきた」と表現することに驚きます。もともとつらいはずのに、まだ下降するつもりなのかと。どこまで行くのだろうかと。

 

 

 それでも、わたしはいつものようにアルコールで眩暈を起こしながらも、眠気をこらえて3000字オーバーの自己満足な文章を長々と書いているあたり、よほどことばというものに取り憑かれているのでしょう。

 最近はとても短歌がはかどります。どうやらわたしの創作への姿勢は、苦しみを美しいものや笑えるものに昇華することで己を救うというスタイルなので、苦しみがなければ何も生み出せないという業の深さがあります。

 創作を続ける限りは苦しまなければならないので。救いがないですね。


 芸祭で出版した短歌本をお手に取ってくださった方々、ほんとうにありがとうございました。感想をくださる方も数名いらっしゃって、自分の苦しみと祈りは誰かの心をゆさぶることができるのだと、とても救われました。

 「祈りの手引き」というタイトルは、名前のとおり、わたしの祈りを記したものです。
 よろしければ他にも感想もいただけるとさらに救われます。まだ在庫も僅かながらありますので……(しぶとい)。


 短歌というもののもつ魅力にに興味をもつ人口が増えてほしいと常々思っています。人口が少なく界隈がとても狭いのと、"いい作品"と呼ばれるものの型が数十年も凝り固まっているので、風通しが悪い。

 あるある系で多くの人の共感を呼ぶものほど評価される、という風潮がずっとあります。わたしはそこからかなりはみ出ているので、仲間がほしいです。

 


 あの本の前半とタイトルは、キリスト教をテーマにしていました。宗教は救済なので。

 信者ですらないのに、上っ面の部分だけお借りすることへのうしろめたさはありましたが、キリスト教ってことばと価値観がいちいち美しいので、信者ではなくとも憧れがあります。
 後天的にいきなり宗教を信じるということは難しく、生まれつきの無神論者が急に神様を信じても、生まれた環境によるネイティブの信者の方には到底かなわないので、憧れることしかできません。不敬をお許しください。

 

 

 せめてもう少しQOLが高ければいいのになと思います。さっさと貯金を終わらせて、不自由のない自分への投資ができる日のために、身体に鞭を打ってがんばりたいと思います。

 学費の貯金が終わったら、まずはノートパソコンをMacbook Airに買い換えたいです。この先の制作のことを考えると、Macのほうが圧倒的に都合がいいので。



 明日は2限からなので10時35分に起きなければなりません。鬱になるとあからさまに睡眠時間が延びるので、8時間睡眠でも精神的・肉体的疲労がとれない日々です。

 精神疾患はとても厄介。精神は不可逆なので一生向き合うしかない(特に双極性障害は一生ものだと言われています)ので、なんとか耐えしのぎます。

 

 みなさま、どうかよい夢を。世界中に、幸せな人は多ければ多いほどよいです。幸せになりましょう。
 おやすみなさい。

 

 

永遠の幸せにつながる恋愛を救済とするならば

 

 

 わたしは"救済"ということばをよく使います。"救済"ということばには知的好奇心と呼べるものをはるかに超えた未知の夢を見させる魅力があると思います。わたしの人生の最終目標は"救済"です。誰かに救済されることでわたしの生はすべて報われると考えています。

 そもそもわたしの”救済”の定義もあいまいで、あまり的確で端的なことばは見つかっていませんが、ニュアンス的には"耐え抜いてきたこれまでの苦しみを帳消しにする程の大きな絶対の幸福"というようなものです。

 

 救済ということばから連想される大きなもののうちのひとつに宗教があります。たとえばキリスト教は、人間は生まれながらに原罪を背負っていて、信仰によってイエスの償いの功績のおこぼれとして人間に与えられた恩恵が神様から我々に与えられ、現実を超えたその先の世界(=死後の世界)で永遠に神様からの恩恵を受けられるという考え方です。ずっとずっと先に世界が終わるときに、神様が最後の審判を行い、キリストが救世主として現れ、忠実に信仰していた者は天国に送られ、それ以外の人間は地獄に落ちるとされる宗教です。

 他にも、仏教においても救済が行われます。こちらは、個人が現世の修行において悟りを得て仏様になる(解脱する)と、苦しみであふれる世界の無限の輪廻の歯車から外れることができて、この世に二度と転生することなく、同じ苦しみにもう遭わずに済むことを指します。

 死後の世界の有無についてほとんど真逆の立ち位置ではありますが、どちらも"人間が生を受ける上で避けられない悲惨な現実から解放される"という点で共通しています。

 わたしはあいにく合理主義者で、科学的に証明されるもの以外は実在しないという考え方が根本にあるので、神様も仏様もおるわけないやんけと思っていて(宗教を否定しているわけではないです)、だとすればつまりわたしを救済できるのは人間のみとなってしまいます。

 

 

 他者に救済を求めるのは間違いであることは重々承知しています。みなそれぞれ自分自身の人生を背負うことに忙しく、他者に献身的に構っている暇と労力があるならば、自分を幸せに導くほうが建設的で妥当だからです。

 それでも、わたしは他者からの救済を求めてしまいます。自分で自分を幸福に導くことはできないだろうという予感があり、その予感はおそらく死ぬまでついてまわるだろうということを確信しているからです。

 

 人間はしばしば結婚を誓うとき、「あなたを永遠に幸せにします」と言います。少なくともロマンチックイデオロギーにおける婚約では、死ぬまでの時間をその人のいちばん近い隣で過ごし互いの人生を預かるということ、どちらかがその先の人生においてぶつかる壁を乗り越えるときに力を貸して助け合うことを契るということを指します。

 ロマンチックイデオロギーに則った結婚の根っこにあるものは恋愛です。経済的ないし社会的な戦略結婚というケースもありますが、とりあえず王道とされるルートでは好きな人と永遠に結ばれるというところにスタートします。

 

 永遠の幸せは、宗教でいうところの"救済"に近い概念であると思います。それゆえに、わたしは恋愛つまり異性から救済されることをどうしても望んでしまいます。人生に苦しみがあまりにも多いからです。

 先日、梅田のHEP FIVEの高層部から飛び降り自殺をした男子高校生が、地上にいた女子高生と衝突し、ふたりとも亡くなってしまったという事件がありました。他者の幸福の可能性に向かって生きていく権利を奪ってしまうことは決して許されることではありませんが、少なくともわたしは飛び降り自殺を図った彼を純度100%の心からで責めることはできません。それは、人身事故で電車を遅延させてしまい乗客に恨まれる自殺者についても同じです。

 苦しみから解放されることへの期待、つまり救済される未来へのビジョンが見えなくなってしまったとき、救済されるかどうかもわからない苦しみだらけの道のりを閉ざしてしまいたくなる衝動にどうしても共感してしまうからです。

 

 

 永遠の幸せにつながる恋愛を救済とするならば、わたしは恋人という立場でいる人に救済を求めてしまいます。

 その場しのぎでフィーリングの合う相手と楽しい時間を過ごすことに没頭すると、一時的に生の苦しみを実感せずにいられます。しかし、それはまやかしの幸福にすぎません。本質的な苦しみの根本的解決にはなっていないからです。

 ただ、この世の多くの人は、恋愛と救済を結びつけていないように感じてしまいます。そしてそれはわたしの主観で世界を見ている限りでは事実であるように思います。そして、いちいちそんな重苦しいことを背負って恋愛をするほうがどちらかというと異常です。人間の恋愛の先にあるものは生物としての繁殖ですから、繁殖をためらわせるような、邪魔になるようなことは生物のもつ役割に性質に背きます。

 

 もちろん同じような価値観で互いに恋愛を見据えることができるならば、救済に限りなく近いところを目指すことができます。しかし上記のように多くの人はそのような価値観を持ち合わせていません。それがマジョリティである以上、それが社会における正しい恋愛のやり方です。マイノリティとマイノリティが出会う確率はそう高くはありません。

 これまでマジョリティに則った恋愛をしてきた経験上、恋人というのは"ともに時間を過ごす上で互いに唯一の役割を担う存在であることを約束しあい、デートや会話などで楽しい時間を過ごし、生物の持つ役割を疑似体験するためのセックスをする"関係性にある相手です。
 性欲というものの根本は、生物として生殖を目指す道中にある本能的な欲望であると思います。自分の精神が最も満たされる繁殖の方法の個人的なデザインが性的嗜好なのだと思います。
 イチャラブや首絞めや乱交などいろいろありますが、互いに精神的に最も満たされるのであればどんどん推奨されるべきだと思います。そして、自分の満たされたい欲望が他者のさまざまな人権を一方的に奪ってしまうことは咎められるべきであるし、性犯罪として裁かれることは当然です。

 

 かなり話が逸れましたが、つまりわたしは他者に救済されたいという願望が捨てきれないということです。生の苦しみが生のよろこびをはるかに上回るからです。苦しみから解放されたいのです。あわよくば、これまでの苦しみはこの幸福に到達するために不可欠な修行だったのだと、伏線の回収のように苦しみに納得できる未来が来てほしいと願います。

 生の苦しみは今更どうにもできません。いまさら過去のせいにして恨んでも現実は何も変わらないし、恨むだけ労力の無駄だということは骨の髄までわかっています。
 しかし、わたしが生まれて育ち過ごしてきたこれまでの人生は、この先の希望を奪うほどに苦しいもので、それは生まれた環境または人格形成を行う環境に由来することは事実です。機能不全家庭、いじめ、先天的な側面の大きい発達障害精神障害。苦しみの多い人生をまっとうするには十分すぎる装備です。それらの過去とその先に生まれた人格は完全に捨てられるものではありません。そして、学習性無気力のように、抗うことすらももはやできません。それほどの精神的なエネルギーはもう枯渇してしまいました。

 救済への道のりを異性、恋愛に結びつける癖のある人の多くは、人間関係、とりわけ生まれながらの一番身近な人間関係である親との愛着関係がうまくいかなかったという傾向にあります。この世にはびこるメンヘラに分類されてしまう人は、家庭環境や親との関係性に問題があるケースが多いです。そういった人が一定数に存在してしまうことはとても悲しいことです。しかし、それについてはどうしようもない不可抗力です。運悪く環境ガチャのハズレを引いてしまったのです。

 

 

 恋愛と救済を結びつけすぎてしまうことが間違いなのでしょうか。永遠の幸福を約束されることと、永遠の恩恵を受けられる保証を同一視してしまうことが間違っているほでしょうか。

 恋愛と救済を結びつけることは諦めるべきであるということ、そして自分を救済できるのは自分という人間をいちばんわかっている自分自身のみであることは、ここしばらくでかなり実感をもつことができるようになってきました。
 それでも完全に捨てきることは今すぐにもこれから先の未来でもできそうにありません。なぜなら苦しみをこの先も永遠に抱えて生きていくことをほとんど確信しているからです。

 

 23歳にして、自分の人格を背負って生きていくことに疲れてしまいました。さまざまな事情(主にこんなわたしに好意的に接してくれる人々へ感謝の念です)で自殺をして救済までの道のりをシャットダウンするわけにはいかないので、残念ながら苦しい生を寿命まで際限なく続けていくことが、わたしが与えられた生において遂行しなければならないことです。

 

 

 この世には運悪くロマンチックな恋愛にたどりつくことのできない人々はたくさんいます。環境や性質という逃れられない足かせが原因で、いわゆるインセルという不本意の孤独しか用意されず、異性と関係を結んだ経験がなく、さらにその恨みが異性に向いてしまい、異性を憎悪することで自らを納得させ慰めることのできない人々です。
 そのような人々と比べれば、おかげさまでロマンチックな恋愛をする機会が十分にあるわたしはとても恵まれていると思います。ロマンチックを実感できるにも関わらず満たされないことに苦しむというのは贅沢な悩みです。

 それと同列に並べてしまうことはこの上なく愚かなことではありますが、虚しさや孤独の絶望が約束されているという点では共通していると思ってしまいます。どちらも、救済への道のりがとても厳しく、さらには厳しいだけでなく最終的にたどりつけない可能性があるという点で、どちらも恵まれないことだと思います。

 

 

 これは、マッチングアプリツイッターなどで恋愛や異性観念の倫理を歪ませてしまった罪、そしてその上に性産業と隣り合わせである夜の仕事のアルバイトに(やむを得ずとはいえ)手を出してしまった罪の罰なのでしょうか。このような人格が形成されてしまったバックグラウンドはもはや仕方がないとしか言えませんが、それにしてもそれを拗らせて上書き保存してしまったことは自業自得なのかもしれません。

 人生の上書き保存は、Ctrl+Zのように、またアナログ水彩画制作において不適切な下色を入れてしまい絵画の彩度を下げてしまったことをどうにも後からは修正できないように、巻き戻すことはできません。

 

 

 わたしは、神様仏様をなどの宗教を信仰するなどして、救世主の役割を無機物(何らかの一方的な精神的なエネルギーを押しつけても何ら影響を受けない存在)に押しつけない限りは、死ぬまで救済されないのでしょう。

 虚しい限りですが、受け入れるしかないのでしょう。

 早く楽になりたいです。生きていてよかったと思える時が来るのを待つこと、慢性的な苦しみを抱えざるを得ないことにはとても疲れてしまいましたが、自殺という選択肢を選べないでいる限りは、苦しみを見て見ぬふりして生きてゆくしかないのでしょう。

 

 今のわたしには、アルコールやSNSで苦しみをごまかすことしかできません。それで精一杯です。身動きが取れません。だらだらと苦しみをごまかしているうちに、故意ではない死が訪れることを待つことしか、今のわたしにできることはありません。

 

 救済されたいなあ。

 

 

 

支離滅裂覚悟で書いたらどないなんねん

 

 いつもは理性がしっかりしているときにしかはてブぐらいの長文を書かない(書けない)んですけど、じゃあ酔うとるときに支離滅裂覚悟で書いたらどないなんねんということで乱文を書き始めております、あと句読点も適当です

 

 アルコールはほんまによくないですね、アッパーかダウナーかが日替わりでしかも飲むまでわからんし、今日はダウナーだそうで500mlを飲み切るのも大変そうです。でも出されたお酒は残さないがモットーですから飲みます、なぜなら夜職丸2年の女なのでお行儀はよくしないといけませんからね

 ここ10日ぐらいずっと喉が痛くてこれはそろそろ来るぞと思ってた扁桃炎の38度の熱が昨晩やっと来て、バイト休みますの連絡(仕事できなさすぎるので敬語だけはめっちゃ丁寧にしたらバリ長文なる)して寝て起きたら普通に熱下がっててただの嘘松やんけ死ねやとなったのが今日の朝でした

 でも経験上この喉の痛みはコロナじゃない扁桃炎やと確信してたので耳鼻咽喉科で午後診の予約を入れて、太陽の光を浴びると死ぬヴァンパイアなので日没後に家を出たらちょうど番号がきておりました(コロナの喉の痛みはイガイガするそうです、しらんけどね・・・・・・)扁桃炎ってかかりやすい人はかかりやすいし一生かからん人はかからんらしいですね、あたしは去年もかかってて一人暮らしをはじめて2年半で体調を崩したのは前回と今回の扁桃炎だけです、扁桃炎と親知らずと精神科だけ・・・

 

 「すっごい腫れて膿んでる」「これはきつい扁桃炎ですね」「ごはん食べれてないでしょ?点滴打って帰る?」と言われましたが食欲の権現なので昨晩デブラ食うとります、地球規模で考えろ~ソラ~の限定カレーつけ麺おいしかったなあ、、、つけ麺は麺がスープ吸わんし300gでも余裕やったなあと200gを食べながら後悔しました、後悔しながら食べるラーメン悲しすぎ、しかもデブラて。あんなん満福中枢イカれさす麻薬やろ

 病院でお薬もらって頓服のおかげで腫れはひかずとも痛みはなくなったのでアルコールとニコチンを解禁したわけですが、それまではほんとに痛くて早よ死にたいという旨の𝙏𝙒𝙀𝙀𝙏ばっかりしておりました。この際もう扁桃炎とかじゃなくて末期の咽頭癌です手遅れですお疲れさまでしたと言ってほしいなど・・・死にたい死にたいと日々言いながらもあたしは扁桃炎が痛いと耳鼻科に行って薬をもらうし、気を狂わせずに生きられるように精神科に行って薬をもらうし、延ばした命でまた死にたい死にたいと言うし、あたまがおかしいんかなあ。あたしって。

 あと精神科で思い出したのが耳鼻科ってめちゃくちゃ混んでるんですね、待合室のソファが𝙎𝙊𝘾𝙄𝘼𝙇 𝘿𝙄𝙎𝙏𝘼𝙉𝘾𝙀でひとつおきにバッテンがつけられてたんですけど結局座れてない人がつめつめに立ってるし意味なくねwみたいな・・・精神科は常に一定時間ごとの予約で成り立ってるので待合室はガラガラです^^あと「これ出しときますね」「あとこれも」「あとこれもあったほうがいいですね」とぽんぽん処方薬が決められて積み重なっていったので(これもしかしてぼったくりヤブ医者・・・?)と警戒してたらお会計で健康保険(3割負担)やのに精神科の自立支援制度(1割負担)と変わらんくてホホホwとなりました、精神薬って高え~~~w

 精神病院以外の場所で人にやさしくされたらすぐに好きになりそうになる(女医さんでも)

 

 奇しくも今日は大学で健康診断があったそうです、しかも午前中に・・・?午前中に起きて家を出るというタスクを完了できる人が健康でないわけがないやろ、その時点でめちゃくちゃ健康ちゃうんかいというのを日が暮れた病院帰りに思いました、あたしってば全然健康じゃないなあ

 慢性的な扁桃炎の原因は疲れとかストレスとかで免疫力が落ちることなんですけど生きてる限り疲れるし生きてる限りストレスに追いやられるしこれどうしようもなくない?一生健康になれんくない?

 ていうか健康診断もそうやし初診の問診票もそうやし喫煙習慣について聞いてくるのやめてくれん?なんか吸うたらアカンて言われてるみたいでうしろめたい気持ちになる。まあ飲酒や喫煙が健康を左右するということはヒト~𝙃𝙐𝙈𝘼𝙉~として認めざるを得ないのでしかたないですけどね、答えてあげますよ、たばこは1日7~8本です・・・これで満足か?

 

 

 

 先日なんかしらんけど高校の同期に誘われて飲みにいったんですが公務員(健常者)と社会人(健常者)と大学院生(健常者)とあたし(役満ガイジ)という感じで非常に悲しかったです、、、、、みんななんであたしを置いてくの?

 梅田で飲んでたのでノリでHEPの観覧車に乗りましたがみんなが夜景がきれいだとかこういうのもたまにはいいねだとか楽しんでいらっしゃるのにあたしは(毎日乗ってたらいつかてっぺんも怖くなくなって飛び降りれるんかなあ・・・)とずっと考えていてほんとうに生きるのに向いていないなあ~と思いました

 高校生の頃はもうちょっとまともやったしマインドは陽キャやったので、元からアカン感じやった精神がここまでしっちゃかめっちゃかになった(とどめを刺された)のは高三の終わりごろなので、高三の終わりごろとかほとんど学校いかんでよかったし、だからあたしがこんな感じになってることは誰もほとんど知らんし、だからといってあの頃のノリで誘われても応じられないのでどうしたもんかと___俺って、どうしたらいいですか?

 

 

 ここ最近知人各位によく心配されるんですけどそんなに危なさそうですか?いきなり脈絡なくツイッターやラインで「大丈夫?」と送られてきますそれも何人からも・・・そして今もこの瞬間に・・・しかもその「大丈夫?」の意味はほとんど「自殺しない?」に近しいような、、、あたしははじめから大丈夫じゃないので誤差の範囲なんじゃないでしょうか・・・?

 穏やかな人生というものが何なのかわかりませんがたしかにあたしのまわりの”大丈夫”な人は中心の人格をひとつどっしりと構えて生きているような気がしますね。その中で喜怒哀楽の波を行っているというか。あたしは人格がブレブレでさらにそこで喜怒哀楽を行き来してるんで最悪ですね、みなさま振り回してすみません、早よ死にますから見逃してくださいな・・・

 なんか小刻みに手が震えるなあ。破滅的に生きることでゆるやかな自殺を目指します、今日も明日もあさっても。Galileo Galileiというバンドを聴きながら。

 

 

お坊さんってシフト制なんだろうか

 

 

 

 日曜日、おじいちゃんが死んだ。84歳だった(初めて知った)。昨年あたりから、子供のすくすく育つ様子を巻き戻すように弱ってきていて、そのまま流れるように老衰で亡くなった。喫煙者で特に運動もしていなかったが、大きな病気をすることもなかった。

 

 母方の親族とは縁が切れていて、親戚と呼べるような身内は、父方のおばあちゃん、おじいちゃん、おじさん、母、父、わたし、弟で、強いてつけ加えるならおばあちゃんの妹、その娘さん(=父のいとこ)だ。

 近しい誰かが死んだことがなかったので、葬儀に参列するのは23歳にしてはじめてだった。

 (父方のひいおばあちゃんの葬儀には10年ぐらい前に顔を出した記憶はあるが、肝心のひいおばあちゃん本人に会ったことは一度あるような気がする程度で、顔も覚えていなかった。)

 

 

 小学生の頃は長期休暇のたびに何週間も連泊して遊びにいっていた(というか実家から逃げていた)が、中学生になるとほとんど行かなくなった。

 大学生になってからは、時間が出来たので年に何回か顔を出していたけれど、ことしは春休みがぐちゃぐちゃだったので、年明けにバイトとバイトの間にぬるっと顔を出したきりだった。

 それからは、外に出かけたがらなくなった、車いすに乗るようになった、車いすにも乗れなくなった、と状況だけは聞いていたので、GWに行けなかった分、コロナが落ち着いたら行こうと思っていたのだが、間に合わなかった。

 

 

 お通夜でも告別式でもぽろぽろ泣いたけれど、あれは、おじいちゃんが死んでしまって悲しかったというよりも、お葬式という空間に泣かされた気がしている。電灯で光る現代風の祭壇と、それっぽいオルゴール調の音楽(コブクロとか)と、遺影と、好きだった食べ物。

 わたしはきっと誰のお葬式でも泣くだろうと思った。そして同じように、誰の結婚式でも泣くのだ。たとえ知らない人の冠婚葬祭でも、空間が「ここは泣くところだよ」と語りかけてくれば、それに従って素直に泣くのだ。

 

 

 もう23年も生きているから、関わってきた人の数なんて数えられないぐらいたくさんいて、幼稚園から高校までの同級生だったり、同じ習い事に通っていた子供たちであったり、そのうちの何人かは死んでいてもおかしくない。

 実際に、昨年に高校の同級生の男子が労災の事故で亡くなった。顔は知っているが話したことはない。葬儀にも行っていないのに、今回のおじいちゃんのことよりも、そのときのほうがよっぽど引きずられた。たぶん、本人の望む形の死ではない可能性が大いにあった(=もっと生きていたかったかもしれない)と想像したからだと思う。

 今回は「そうかあ。まあそうよなあ。」とぼんやり納得しながら、お通夜と告別式に参列した。

 

 多少離れて生きている人のほうが、死は受け入れやすい。長く会わないでいると、自身の生活にその人物の「生」が影響を与えてくることがないので、同様に「死」も影響を与えてこない。だからすんなり受け入れられるのだ。

 つまり、父や母の死をすんなり受け入れるためには、今のうちから疎遠にしておかなければならないのでは……というアホみたいなことを考えながら、お坊さんのお経を聞いていた。

 

 あとは、あの豪華な祭壇も知らない誰かからの使いまわしなんだろうなとか、お坊さんってシフト制なんだろうかとか、お経を噛まないように唱えながら楽器をいいタイミングで鳴らす自主練を誰も死んでいないお寺でしているのかなとか、棺を大量生産している工場が日本のどこかにあるんだろうなとか、どうでもいいことを考えているうちにお葬式が終わった。

 

 

 

 葬儀中は、両親の死を受け入れるためには疎遠に……とか考えていたけれど、火葬を待っている間に母としょうもない口論(芸術に関して全くの素人なのに、なぜかときどきアカデミズムの芸術を学んでいるわたしを謎理論で論破しようとしてくる)になって、そういえばわたしはこの人の人格がこの世の誰よりも嫌いだったなと今までのいろいろな憎しみを思い出して、早く死んでほしいと思った。

 火葬待ちのロビーで肉親の死を願うとは思っていなかった。

 

 実家を出るまで、母のアスペルガー気質(素人判断なので"気質"と書かざるを得ない)と無自覚に歪んだ認知に散々苦しめられてきて、家を出てからは自ら距離を保って、悪くはないけど良くもないという関係をだましだましやっていたのだ。

 父にも弟にも嫌われていて、友達もおらず、ひとりぼっちで可哀想な母だと同情して、自分の中にある母への恨みに蓋をして連絡をとって、食事に出かけたり誕生日を祝ったりしていたが、そもそもわたしがこんな風(語り切れないので抽象化した)になったのは、あいつの人格が諸悪の根源だった。

 

 

 朝の告別式に向かう車の中で、「昨日買ったシュークリーム余ってるんやけど、食べる人~~?」と家族3人に向けて楽しそうに呼びかけてきたり、運転手の父にコンビニに寄ってもらったときに「うわ~!広い駐車場~!」とはしゃいだり、なんというか、まともな人間ではないのだ。

 おばあちゃんの妹の娘さん(=父のいとこ)の息子さんが今年から大学生らしく、わたしと弟が「ふたりとも大学生?うちの子と同じぐらいかな?」と聞かれたときに、すかさず「上の子は京都芸大で下の子は県立大です!」と早口で割り込んできたのも最悪だった。わたしと弟の学歴はおまえの手柄ではない。

 

 父のことは大好きだし、父もおばあちゃんもおじいちゃんもおじさんもみんな魅力的な人物だが、家族の中でこの人だけは異質だ。実際のところ血筋のつながらない唯一の人物なのでそれで当然なのだが、この人のもとに生まれてきたことを久しぶりに後悔した。スタート地点からすでに詰みが確定している人生を無責任に始めやがって(しかも無自覚)、と恨んでもしかたがないことをかつてのように恨みなおして、イライラしていた。

 

 

 最後はホテルで会食をしたが、途中からはイライラが止んで、次はこれもまた久しぶりの離人感がやってきて、せっかくおばあちゃんがいろいろ話してくれたのに、上の空であまり会話をつづけられなかった。

 感情と思考と肉体がばらばらで脳内に浮遊して、"無"だけを知覚している五感(本来ならばそんなことはあり得ない)があらゆる感情を抑圧して、その"無"の違和感に気を取られている間に時間がすぎていく。

 

 父と母と弟は車で帰ったが、わたしだけ電車で帰った。このまま同じ空間にいてはメンタルの調子を崩すだけだと思ったからだ。

 

 いちばんムカつくのは、わたしはこうして精神的な負荷で頭がいっぱいになっているのに、母は終始ご機嫌であることだった。

 母の世界では、母とそれに賛同するもの(者と物)だけが正しい。正しくないものは間違いとして隣に共存するのではなく、無意識的に排除される。排除されているものは存在しないことになるので、誰かにしわ寄せがきていることにももちろん気づかない。

 幸せそうな人生でうらやましい。ハッピーエンドがほとんど確定しているのだ。よく言えばポジティブだが、誰か(わたし、父、弟)を踏み台にしているから照らされているだけで、透き通った明るさが湧き出ているのではない。いうなれば光の白飛びだ。

 

 

 おじいちゃんのお葬式だったのに、ようやく押し込むことができはじめていた母への憎しみとの再会でいっぱいの記憶になってしまった。

 そして、23歳にもなって、親に苦しめられた可哀想な自分を慰めていることが情けない。

 おじいちゃんごめんね。

 

 晩年はほとんど耳が聞こえなくなって、ちゃんと会話を成立させられていたのも何年も前だけど、連泊すると毎回一度はくら寿司に連れて行ってくれたこと、おばあちゃんが出かけていて昼ご飯にカレーを作ってくれたのにめちゃくちゃ盛大に失敗したこと、遊びに行くと必ず「お~!いらっしゃ~い」といつも同じ抑揚で迎えてくれたこと、昼の3時半ぐらいになると「さあ、ゆうちゃん、一服の時間にしよか~」とおやつ休憩を呼んでくれたこと、記憶が褪せて思い出せなくなる前に、いろいろ思い出しておきます。

 

 84年間お疲れさまでした。おばあちゃんと結婚してくれたこと、お父さんとおじさんをこの世に生み落としてくれたこと、その3人からのやさしさがわたしに降りかかる源になってくれて、本当にありがとう。

 

 

 

 

"うつくしさ"を生み出せない

 

 

 

 お気に入りのウィンストン・キャスターを切らしているので手短に書く。

 

 また今日もうまく眠れない。日中どれだけ眠くても、深夜になると全く眠れる気がしないのだ。

 午前2時から4時にかけてがいちばん身軽なのは、生まれつきそういう体質なのか、自律神経が乱れているのかはわからないが、これだけうまく眠れないと理由なんてなんででもいい。眠剤をぶち込んで、意識を強制終了させるだけだ。

 そして今日は(今日も)飲むタイミングを見失って眠れないでいる。遅い時間に飲むと、まともな時間に起きれないから、今更飲めない。

 

 

 

 本日6/2をもって23歳になった。誕生日おめでとう!

 22歳を振り返ってみると、1年を過ごした実感がない。記憶としては、昨年末に元彼と北海道に行ったことと、その元彼に浮気(そのつもりはなく、ただ性的逸脱から抜け出せていなかっただけ)がバレてブチ切れられたこと、復学をして専攻をうつったこと、今の彼氏に出会ったことなど。

 小さなエピソードはおそらくもっと365日分たくさんあるのだが、しかしどの記憶にも感情が結びついていない。1年間、自分がどんな感情で生きていたか、何を見てどう感じたのか、ほとんど記憶がないのだ。

 

 きっとわたしのことだから、人前では人一倍大きな声でゲラゲラ笑って、楽しそうなふりをして(その最中はきっと楽しい)、家に帰るとひとりで空虚な自意識と対面するという毎日だったのだろう。

 

 

 わたしと同じようにラモトリギンを処方されている双極性障害の患者は、しばしば「何を見ても心が動かなくなった」「アイデアがわかない」「好きだったことに興味がなくなった」と言う。
 気分を安定させる薬なのだから、当然と言えば当然かもしれない。躁転や鬱転の多くは、大きく感情を揺さぶられることがきっかけになる。もしくは、季節などの環境の変化が誘発することもある。

 そのトリガーを引くことを防ぐのだから、感情がフラットになってもおかしくはない。あまり信じたくはないが、彼らと同じ状況に陥っている気がする。
 感情をなかば無理やり制御された生活を続けることが、本当に正しいことなのかと問うようになった。

 

 

 

 美術、音楽、文学、その他芸術など、その場でうつくしさに浸ったところで、それをただ消費するだけで、何の身にもなっていない。社会的な身分としては親に養われた美大生なので、クリエイティブな活動をする義務がある。

 うつくしいものに触れることで、惰性の生活を抜け出して何か生み出さなければならないと焦り、創作意欲を掻き立てられて何かを作ってみるのだが、自分のつくったものがうつくしいかといえば全くそうではない。

 

 とはいえ、芸術の価値はうつくしさだけではない。ひとの心を揺さぶる理由はたくさんあり、"うつくしさ"というのはその中のたったひとつにすぎない。
 愉快だとか、共感だとか、ノスタルジーだとか、啓蒙だとか、斬新なテクノロジー×アートの形の提案だとか、ほかにもたくさんある。

 だからわたしは、うつくしさだけを一筋に求めて精進する必要はない。

 

 それでも、うつくしいものを生み出す能力を持ち合わせていないことに劣等感がある。
 おそらく周囲の美大生が作ったうつくしいものを散々目の当たりにしているからだ。そもそも、わたしが芸術に作る側として参加するようになったはじめのステージの工芸の分野は、技術とうつくしさのバランスをさぐるためにあるようなものだ。

 様々な理由でそこから逃げてきたのだが、今思えば"うつくしさ"を生み出せない自分のことが情けなかったというのもあるだろう。

 

 

 そして何でもアリな構想設計という専攻にきて、作品の評価軸は"うつくしさ"だけではなくなった。人を笑わせることも、人に社会問題を提起することも、芸術を介して人間の在り方を探ることも、どれひとつとして間違いではない。

 だからわたしは、与えられた課題に対して、少しだけクスっとするような、見た人の気持ちを明るくするような(たまにブラックなユーモアのようなものを混ぜることもある)作品をつくることを心掛けている。

 そうして、(せめて自分にとっては)クスっとするような明るい作品をつくることで、自分が常日頃からうっすら抱えている生への絶望のようなものから目をそらし、自分を救っている。わたしにとって制作は、生きづらさをごまかすための手段だ。

 

 それはそれで正しいと思う。あとはアイデアのきっかけから構想、アウトプットの手段の選び方とそれそのものの完成度がついてこれば、説得力をもった作品として成立するはずだ。それが人の心を動かすかというのはその次の段階の話。

 

 

 

 しかし、自分の中に正解があっても、"うつくしさ"に対する劣等感は消えない。いつまでも"うつくしさ"に負けた気持ちでいる。

 そもそもわたしが美術への主体的なつながりを求め、美大生になることを志したのも、"うつくしさ"を追求するためではない。レイシストで学歴主義の母の洗脳から逃れるために飛び込んだようなものだ。

 それを踏まえれば、仕方のないことかもしれない。はじめから"うつくしさ"を求めてこちらに来たわけではないのだから。

 

 だいたい、このはてなブログだって、自分を救うために書いている。ことばを介して備忘録のようなものを人に見せびらかしたいだけ。
 うつくしい文章というものは、書ける人には書けるのだ。そしてわたしには書けないということだ。

 正確に言うと、書かなくなった。書こうと試みて詩や短歌に没頭していた時期があるのだが、陳腐でくだらない、退廃の薄っぺらい世界の神にしかなれなかったので、やはりこちらも"うつくしい世界"を生み出すことのできる神から逃げるようにしてやめてしまった。

 

 

 

 もう十分にわかっている。わたしに"うつくしい"は生み出せない。

 それでもなぜか諦めがつかない。"うつくしさ"を生み出す人を見ると嫉妬する。別の世界に生きている人のはずなのに、なぜか責められている気がしてしまう。
 どうも自他の境界線がうまく引けていない。

 うつくしい作品を作る人は、"うつくしさ"を持ち合わせていない人を見下すために"うつくしさ"を生み出しているのではない。その人にとっての"うつくしさ"を追い求めるためにやっている。

 わたしの立ち入る隙などどこにもないのだ。

 

 

 23歳は、それを取り払うためのトレーニングのような1年にしたい。

 自分の制作へのスタンスを己で納得できるような、そして最終的にはそれを乗り越え、自分で出した答えを純粋にまっすぐつらぬいて、人を明るい気持ちにするものを作りたい。

 

 がんばれ。

 

 

 

世界が終わる夜に

 

 

 「世界が終わる夜に」

 

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 新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行し、社会はパンデミックに陥った。対策の方針や補助の制度を迷走させる政治家、職を失い生活が立ち行かなくなった労働者、非常事態の対応に疲弊した医療従事者、学校に通えなくなった子ども、在宅時間が増えた家族の面倒を見ることに辟易した親。

 マスクや食料品を買い占める人、SNSで怒りの矛先を探している人(そしてその矛先はおおむね政権批判に向かう)、生活の不自由さに疲れて鬱になる人、他者の行動を監視し批判する人。

 

 わたしは常日頃から、「世界が終わればいいのにな」とうっすら考えている(パンデミックの前から)。世界中で新しい感染症パンデミックが始まって、当初は少しわくわくしていた。

 しかし、パンデミックが長引くにつれて、だんだんと居心地が悪くなってきた。たくさんの人が狂っていく。自己と他者の線引きが曖昧になって、自分の価値観で勝手に他者を裁き、恨み、袋叩きにする。

 今、わたしはコロナウイルスによりも人が怖い。自分が感染することよりも、そんな人たちが作り出していく社会で生きていかなければならないことが怖い。わたしが夢を見ていた世界の終わり方は、こんな形ではなかった。

 

 もっと、一気に世界が崩れていくこと(例えば地球が崩壊したり、ものすごく大きな気候変動が起きたり、隕石がぶつかってきたり)を期待していた。同じように世界の破滅願望を持つ友人の「じわじわと首を絞められていく感覚」という言葉は、まさに言い当て妙だと思う。

 

 わたしは、自分の理想の世界の終わりを見たい。大好きなお菓子でできた素晴らしい世界を、自分の手によってぐちゃぐちゃに壊すことで、終わった世界の疑似体験を試みた。

 世界中の人々全員が平等に終わりを迎える。誰かを責めるような諍いをする隙もなく、ある意味では平和に、世界が終わってくれることを願っている。

 

 作品タイトルは、かつて存在したバンド・チャットモンチーの曲「世界が終わる夜に」からの引用。「わたしが神様だったらこんな世界は作らなかった。」

 

 

 5/28 構想設計基礎B 第一課題「ジオラマと演出」


 お菓子の家をつくるという念願が叶った一方で、写真の技術にまだまだ稚拙さがある。

 また思考を作品に昇華する力がまだまだ足りないようにも思う。コンセプトに引っ張られ、わかりやすく説明的すぎるものに終わってしまう。

 わたしの作品はいつも頭でっかちだ。