デカ愛さんはいつ北海道に来るんですか?

 

 北海道に行ってきた!

 京都で大学生をしていた頃の友人が、北海道の某企業に就職したので、会いにいくことにした。と言っても、彼はいま諸事情で全国を流浪しており、年明けに神戸で会っていた。そこで「デカ愛さんはいつ北海道に来るんですか?」と圧をかけられたので、その場で飛行機を予約したのだった。

 

 関空から新千歳に行くよりも、神戸から新千歳に行くほうがやや安く、また関空よりも神戸空港のほうがまだアクセスがいいので、神戸から飛行機に乗った。

 その前に、神戸三宮で喫茶店に寄った。

 センタープラザという神戸三宮駅すぐの商業施設の地下は喫茶店が複数軒あり、そのうちのひとつ「TEA ROOM 潮」という喫茶店だ。

 なぜ喫茶店に寄ったかというと、もちろん新規開拓をしたかったというのもあるが、わたしはとにかく遅刻癖がひどく、数年前に東京に飛行機で行こうとした際に、関空でのチェックインに3分間に合わず、泣く泣く新大阪まで戻って新幹線で行くというお金も時間も無駄にした最悪の回があったので、喫茶店に行く時間を設けてそのぶん早く家を出れば、余裕で飛行機に間に合うだろうという算段だった。

 おかげさまでチェックインにも間に合い、保安検査も無事に通り(ライターを2つ持ってきてしまったので片方はおさらばとなったが)、飛行機に乗った。

 

 数年ぶりの飛行機で、機内ではスマホを使えないことを忘れていた(アホ)ので、ツイッターも見れず音楽も聴けず、また通路側の席を取ってしまったため窓の外の風景を見ることもできず、しかも非常口席だったためリクライニングもできず、直角の椅子でただ寝るしかなかった。帰りの飛行機は非常口席も通路側の席も取らないぞと決めた。

 

 

 新千歳空港に着くと、雪がこんもりと積もっていた。北海道だ!と思った。

 上記の友人とは空港で待ち合わせをしていて、彼は中部から来るらしいので(流浪の民やからね)、喫煙所でたばこを吸ったり、これからツアーに行くっぽいジジババ集団を横目に見たり、卒業旅行と思しき若者集団を羨んだりしながら、彼を待った。

 30分ほどすると彼が到着し、札幌駅行きの電車はおそらく混んでいるであろうということでバスの切符を買い、列に並ぶと目の前で定員オーバーで打ち切られ、20分ほど待ってやっとすすきの行きのバスに乗った。

 バスの車窓から見える景色は真っ白で、大阪では見たことがないぐらいの高さまで雪が積もっていた。それでもこの日は全国的に暖かく、札幌市内も氷点下にならない予報で、まだ積もっていないほうだと友人が言っていた。

 道路標識で案内される地名がかなり難読で、北海道に来たことの実感が沸いた。

 北海道の道路沿いの店は、本州では見たことがないローカルチェーンが多かった。友人曰く、北海道は全国チェーンが出店しづらい土壌らしく(需要が読みづらい・失敗しても撤退しづらいなど)、独自のチェーン店が展開しているそうだ。

 

 

 1時間半ほどバスに揺られて、札幌市街地へ到着した。とにかく尿意がすごかった。少し話は逸れるが、ここのところ喉の渇きと多飲と頻尿がすごい。おそらくエビリファイを増量したからだと踏んでいるが、「エビリファイ 喉の渇き」で調べると、糖尿病性ケトアシドーシスとかそういうのばかりが出てきて、かなり怖くなっている。しかも症状がめちゃくちゃ当てはまる。次の通院で相談しようと思う。それまでに何かが起きたら、まあそれまでということで……。

 友人は厳密には札幌市内在住ではないが、すすきの周辺にもよく足を運ぶそうで、彼がよく通っているというジャズバーに行った。もちろんまずはじめにお手洗いを借りた。

 

 Bossaというジャズ喫茶・バーで、店内は薄暗いがとても広かった。立派な音響機材がたくさん並んでいた。最近、ブラックのコーヒーを飲めるようになったので、ブレンドを注文した。490円。コーヒーチケットは5枚綴りで2000円で、彼がごちそうしてくれた。

 

 彼と他愛もない会話を交わしていると、なんかすごい音がして、そちらを見ると席を立ったおばちゃんが段差に気づかず転んだようで、しかもそのおばちゃんがわたしたちの座っていた席に激突した。コーヒーでスカートやスマホがべしょべしょになったが、おばちゃんは無事だったようでひとまず安心した。

 マスターが拭いてくれて、新しいコーヒーを用意しますと言ってくれた。さあ落ち着いたと席に座ってコーヒーを飲もうとしたら、次はわたしがそのカップを倒してしまってまたべしょべしょになるという情けない事態になった。彼は「え?!え?!」と笑っていた。新しいコーヒーを持ってきてくれたマスターは、拭いたはずのところがまた汚れていたので不思議そうな顔をしていた。本当にすみません。

 

 19:30からフォロワーの女の子と会う約束をしていて、中途半端に時間が余ってしまったので、ミスタードーナツすすきのショップでドーナツを食べた。

 観光客が写真を撮ることでお馴染みのブラックニッカの看板の向かいのマクド前で待ち合わせをしていたので、そこまで彼に送ってもらって、フォロワーの女の子と合流した。

 

 

 フォロワーの女の子は、ジンギスカン食べ放題の店を予約してくれていた。数年前、当時の彼氏との年末年始旅行で北海道には一度足を運んだことがあるのだが、それがあまりにも年末年始すぎてどこの店も空いておらず、ホテル前のダイニングバーみたいなところでささやかにジンギスカンを食べたことはあった。久しぶりにジンギスカン鍋を見て、やっぱり変な形だなと思った。

 ジンギスカンの写真を撮り忘れた。インスタグラムのストーリーの変なフィルターがかかった写真しか手元にないので、ここでは割愛する。

 

 女の子は「本当に来てくれるとは思いませんでした」と言っていた。いや行くよ。「北海道に行くので、会えるフォロワーを募集します🎶」とか言っておきながら行かないのはキモすぎる。

 東京から就職で北海道に来たらしく、東京に帰りたいと何度も言っていた。さすが東京から来ただけあって、標準語がとても綺麗だった。わたしは標準語を話そうとしても、どこか関西式アクセントが抜けない変な標準語になってしまうから、かっこいいと思った。

 わたしはこの日あまり体調がよくなくて、せっかく食べ放題のお店を予約してくれていたのに、1人前を食べ切るのがやっとで大変申し訳なかったのだが、彼女はモリモリ食べてくれたので助かった。いっぱい食べる女の子って素敵。

 

 

 2時間ぐらいお酒を飲みながら話して、解散することになった。味の濃いものを食べてお酒も飲んで、とにかく煙草が吸いたかったので、喫煙所を探したのだが、札幌はすごいことにコンビニ前の灰皿という文化が根強く残っており、すぐそこにオアシスがあった。コンビニ前にめちゃくちゃスーツの人がいて、近所で大人数の飲み会でもあったのかと思ったら、全員が喫煙中だった。ありがとう!

 友人と再度合流するために電話をかけると、どうやらホテルにチェックインしてそのまま寝てしまったらしく、わたしがフォロワーの女の子と食事に行っている間に行こうと思っていたラーメン屋にも行けていなかったそうなので、彼はラーメンを食べてから、わたしはホテルにチェックインして荷物を置いてから合流することにした。

 

 

 あと、これはあまり北海道と関係はないが、バスタイプのバニラカー。大阪・京都では基本的にトラックのタイプしか見かけないので(少なくともわたしは見たことがない)、記念に撮っておいた。

 

 

 もちろん宿は喫煙可能のところを探した。禁煙部屋を売りにしている宿が多く、なかなか探すのに手こずった。和室で喫煙できるって素晴らしい。しかも大浴場があるらしい。すすきの中心部からはやや歩くが、それでも大正解の宿だった。

 荷物を置いて一服したので、友人との待ち合わせ場所に行く。

 

 彼はまた素敵なジャズバーを教えてくれた。写真を撮り忘れた。もちろん喫煙可能。彼もたくましい愛煙家なので、彼がおすすめしてくれる店はだいたい喫煙可能だ。ただ二人とも異様に眠く、わりとすぐに帰ろうという流れになったので、数十分ほどの滞在になった。

 帰り道、すすきの周辺にコンビニが多すぎることに気づいた。ローソン・ファミマ・セイコーマートのどれかが必ず視界のどこかに入る。北海道は人口あたりのコンビニ数が全国1位らしい。これはおそらくセイコーマートがご当地チェーンとしてがんばっているからだろう。

 なんだか無性に眠くて、雪道を15分歩く元気すらもなかったので、奮発してタクシーに乗った。大阪よりも初乗り運賃がやや高かった。加算運賃は北海道のほうが少し安いらしい。

 宿について、化粧を落としてすぐに寝た。朝起きたら大浴場に行く!

 

 

 大浴場は大浴場というほどの大きさではなかったが、チェックアウト時刻から逆算してかなりギリギリの時間に行ったおかげか貸切で、ひさびさに気持ちよく湯船に浸かった。しかしギリギリまで浸かりすぎたので、すっぴんのまま慌ててチェックアウトすることになった。

 商業施設にパウダールームが設けられているところがあったので、デカい鏡で優雅に化粧をして、彼とガストで合流するも、まだ眠いとのことで、とりあえず朝ごはんを食べてからまた解散した。今思えば、ガストで朝食を取らずにどこかの喫茶店に入ってモーニングを食べればよかった。

 

 

 北海道出身のフォロワーがおすすめしてくれた「高級茶房 ひので」に来た。

 昼前は混んでいるという噂を聞いていたので一か八かで入ってみると、ギリギリ入れた。次の次の客からは満席で追い返されていて、かなり危なかった。サラリーマンからジジババまでいろいろな人たちがいて、全国の喫茶店はどこもこんな感じなんだなあと安心した。

 ブレンドコーヒーは530円とやや高めだった。というか大阪が安すぎるだけだと思う。大阪の喫茶店に慣れていると、他県の喫茶店の価格帯に驚かされる。

 

 喫茶店を出て、おみやげ探しに向かう。同居人から「めんみ(道内限定販売のめんつゆ)」と「ジンギスカンキャラメル」のおつかいを頼まれていた。

 札幌中心部は大きめのスーパーが少ないことに気づいた。ご当地スーパーの「スーパーアークス」に行きたかったのだけれど、どの店舗も微妙に遠いので、「まいばすけっと」で妥協した。「まいばすけっと」も首都圏と道内にしかないっぽいのでまあ及第点。

 「めんみ」と「ホンコンやきそば」を買った。ジンギスカンキャラメルはなかった。

 

 

 彼は病院に用事があるらしく、合流できるのはまだ先ということで、先に「マーク・コーヒー・クラブ」という喫茶店に行って、彼を待つことにした。

 

 綺麗めなオフィスビル?の中に純喫茶が突然現れるという変な立地だった。ミルクコーヒーは600円。隣の席に地雷系の女の子が座っていて、札幌にもおるんやなあと思っていたが、デカいキャリーケースをすぐそこに置いていたのと、連れていた女の子たちとの会話が耳に入ってきた感じだと、どうやら首都圏から来ているようだった。札幌には地雷系っておらんのかなあ。

 1時間半ぐらい待ったが、どうやら彼の病院は待ちの人数が多すぎてまだかかるようだったので、札幌ラーメンを食べに行くことにした。

 

 

 あまり遠くまで歩きたい気分ではなかったので、地下で繋がっている商業施設のラーメン屋「みそラーメン よし乃」に行った。本店は旭川にある道内チェーン店らしい。

 いちばんシンプルなラーメンにはバターもコーンも乗っていなかったが、せっかく札幌に来たのだしということで乗せた。1150円。札幌味噌ラーメンにはデフォルトでバターとコーンが乗っているものだと思っていたのだが、べつにそういうわけでもなく、バターはまだ脂でスープを冷まさないようにするみたいな理由はあるらしいが、コーンなんかは完全に北海道でよく取れるからぐらいの理由しかないようで、観光客感丸出しの注文になった。いやまあ観光客だけど。

 ちぢれ麺とピリ辛味噌スープの相性がとてもよくておいしかった。貧乏性というか完璧主義というか、食べ物を残すのが苦手なので、スープに沈んだコーンはなるべくすべて回収したかったのだが、長い闘いの末に根気で負けた。さようなら……。

 

 

 ラーメンの後は煙草やということで、先述とは別のフォロワーが教えてくれた喫茶店に向かう。札幌駅を通り抜けようとしたところにお土産屋があったので寄ってみると、ジンギスカンキャラメルがあった。あとバイト先・実家用にマルセイレーズンバターサンドを買った。なんとなく白い恋人も買った。あまりにも北海道初心者スターターキットの買い物すぎる。

 

 

 札幌駅北口からすぐのところの「軽食・喫茶 ルフラン」。コーヒー430円。ここで病院終わりの友人を待つことにした。

 すぐ後に古着ファッション風の男女二人組が入ってきて、斜めうしろの席に座ったのだが、男のほうがめちゃくちゃフラッシュを焚きながら写真を撮りはじめて、しかもそのカメラの使い方を女に説明して「すご〜い」と言わせていて(これはマニュアルモードだから自分でピントを合わせないといけなくて〜みたいなことを言っていた)(そんな基本のキみたいなところでドヤ顔をするな)、これって全国共通の風景なんや、と思った。

 彼とようやく合流したが、わたしの飛行機は19:45に新千歳発で、神戸空港とちがって新千歳空港は大きいため、搭乗手続きや保安検査などが長蛇の列になっている可能性があったので、1時間前に着くように行ったほうがいいという助言をもらって、わりとすぐに出た。

 

 

 そんなこんなで友人とはまたしばらくの別れで、わたしは新千歳空港行きの電車に乗った。

 わたしのいちばん大好きなバンド・Galileo Galileiは北海道出身で、電車に揺られながら彼らの音楽を聴いた。途中の停車駅でメンバーのひとりの出身市を通って、こっそり嬉しかった。

 Galileo Galileiは北海道の中でも最北端の稚内市出身なので、いつか稚内にも行ってみたい。

 

 空港には無事早めについたので、機内で食べる空弁を買いに行った。空弁はコスパは悪いが、空の上でごはんを食べるという体験にお金を払うので許容できる。いくらとサーモンの寿司を買って、喫煙所で煙草を吸って、飛行機に乗った。

 行きの飛行機でスマホのデータ通信は使えないことを学習したので、聴きたい曲を事前にダウンロードしておいた。これでわたしも飛行機マスター!尿意はなんとか我慢できた。

 

 

 神戸空港に着いて三宮に行くと、わたしのマブの女が待っていてくれた。旅の終わりに待っていてくれる友達がいる人生って素晴らしすぎる。適当に路上で乾杯して(わたしは体調がすぐれなかったのでオレンジジュースにした)、終電までベラベラおしゃべりをした。

 梅田行きの特急に乗って、彼女は途中の駅で降りて、わたしはそのまま自宅へ向かった。

 

 ちょくちょく書いていたように、旅の2日間は体調があまりよくなかったので、家に帰って熱を測ると微熱があった。これじゃあはしゃぎすぎて知恵熱を出した子供じゃないか、と思いながら就寝。朝起きると38度まで熱が上がっていたので、夕方ごろに病院に行ったらインフルエンザB型だった。最悪のお土産やね。

 何はともあれとても充実した2日間だった。体調さえよければもっと楽しかったのにな!これはきっとリベンジしろという天のお告げだろう。今回は会えなかったフォロワーもいたので、また来ようと思う。

 他にも行きたい都道府県がたくさんある。またお金に余裕ができたら旅をしよう。おすすめの場所があったら教えてください。おまえの街まで会いに行っちゃいます🎶

 

 

 

とてつもなく激動の一年だった

 

 

 うおおおお!2024年が始まってしまった!まだ2023年の総括もしていないのに……

 新年早々、日本各地が大変なことになっているが、とはいえ大阪からできることと言っても募金ぐらいなので、大人しく日常を生きるしかないのだなあ。

 というわけで2024年をスタートさせる前に、2023年を振り返っておきたい。とてつもなく激動の一年だったのだけれど、不思議と幸福度は例年に比べて高かった。認知の歪みが治ってきたのかもしれない……

 

 まずは1〜3月。卒業制作に一筋でなければならなかったのだけれど、わたしはもう美術制作に対する熱意を完全に失っていたので、本当にギリギリまで何も手につかなくて困っていた。何もしたくないが、何かを作らなければ卒業できないし、でもやっぱり何もしたくないから、とりあえず毎日お酒を飲んでいた。

 かなりギリギリになって動き出して、ずっとやろうと思っていた短歌のインスタレーションをなんとか形にはしたけれど、まったく身の入った作品ではなかったし、正直これなら何も出さなかったほうが、去年の力を入れた作品(性被害を告発したインスタレーション)に胸を張ったまま卒業できたのではないかとさえ思う。自由なゼミだったので、「何も出さないこと」すらも作品として認められただろう。さすがに美大1年生みたいな発想すぎるけど。

 でも、一応は学内・美術館の進級卒業制作展を見て回ったら、やっぱり美術っていいなあと思い直した。そこで気づいたのは、わたしは美術が嫌いになったのではなくて、学業とバイトの両立に疲れ切ってしまったのだということ。もっと経済的に恵まれていれば、きっと夜職で心をすり減らす必要はなかっただろうし、もっと美術を深掘りできただろうなと思う。たらればでしかないけど。

 一旦は大学院に行くのをやめようと思って、80万円あった貯金を3ヶ月で使い切ったのだが(躁鬱病って怖すぎる)、制作ではなくて研究という形で美術に携われるように、お金を貯め直して大学院に行こうと思った。

 

 

 4~5月。就活をせずに大学を卒業したので、晴れて無職になった。在籍していたメンエスの店舗の経営が傾き始めて、いよいよ夜職も上がるタイミングが来たのか、と覚悟を決めた。しかし、仕事が見つかるまでも何らかの形で食い繋がなければならない。

 とりあえず高校時代の唯一の親友が勧めてくれたので、チャットレディを始めたのだけど、とにかくこれがもう地獄でしょうがなかった。わたしはバーチャルキャバクラ的な感覚でやりたかった(というかやっていた)のだけど、スタッフはオナニー配信をしろと詰め寄ってくる。これがマジで無理だった。わたしは対面でおじさんのちんぽをしばくことはできても、画面越しに自分のまんこをしごくことはできないのだな、といういらない気づきを得た。「次のシフト決まったらまた連絡します!」と言って、飛んだ。

 ユニクロでスーツを買って就活をした。1浪・半年休学・1.5留・既卒とかいう事故だらけの履歴書のわたしを拾ってくれる企業はなかなかない。興味もないがとりあえず適当に受けた企業の面接官のババアに「あなたはご自身の人生の遅れについてどうお考えですか?」と聞かれて、なんかもうクソムカついて働く意欲がなくなった。カス資本主義め。

 奇跡的に一社だけ内定をくれたので、一刻も早くクソ就活をやめたかったわたしは飛びついた。これがよくなかった。

 

 

 6~8月

 いざ入社してみると「普通運転免許を取らないと正社員にはしない」と言われて、すべてが終わった。じゃあ応募要項に「要免許」って書けよ。教習所代は自腹と言われて、しかしお金はないので、会社に借金する形で通うことになったが、ただでさえ手取り17万なのにさらに会社への返済で月1万ずつ削られたらたまったものじゃない。建築関係の会社にいたのだが、次の現場は3ヶ月夜勤が続くという。不定休の夜勤で、休日は昼過ぎに起きて教習所に行くなんて、自分のメンタルが健常者そのものであっても耐えられないだろう。それを友人に話したところ「そんなとこ早よ辞め」と言うので、2ヶ月で辞めた。

 ついでにそのとき同棲していた元彼(夜職関係者)と、金銭的な価値観が合わなくなってきたので、家出をした。上の友人(5年前にTinderで知り合ってからお互いなんやかんや助け合ってギリギリ生きてきた)(以下、パートナーと表記する)の家に居候することになった。

 お金がとにかくないので、大学院入試を受けるのは一旦お預けとなった。卒業して外から美術のアカデミアを見るとかなりキモいということに気づいたので、もしかしたら一旦お預けどころかもう行かないかもしれない。まあ図書館でシコシコ専門書を読んで、ツイッターなりnoteなりでお気持ち表明をして死んでいくのも悪くはないかな……。

 

 

 9~12月

 いろいろ障害者雇用なども探したが、やはり障害者雇用枠もいつ働けなくなるかわからない精神障害者はなるべく雇いたくないし、職場環境に配慮があれば働ける身体障害者を優先的に雇用する。というわけで就職先が見つからないので、もう諦めることにした。

 喫茶店で働こうと思い立って、よく行っていたなんばの喫茶店が求人を出していたので連絡すると、その日に採用されて次の出勤日が決まった。スピード退職からのそしてスピード採用。人生はスピード感が大事!

 バイトにもかなり慣れてきた頃、低収入なりに生活は安定して(時給労働って本当にありがたい)、休日は暇だしYouTuberにでもなるか〜と大学時代に使っていた機材を引っ張り出してきた。そんなこんなで人生がいい感じになってきたタイミングで、まさかの望まない妊娠をしてしまい(彼の名誉のために言っておくと相手はパートナーではない)、また人生がおしまいの方向に……。中絶手術は痛いし、怖いし、惨めだし、とにかく感情が忙しくてすごかった。もう思い出したくもないのであまり詳しくは書かないけど。

 そして年末ギリギリにiPhoneが壊れた。4万円の出費。カスがよ!

 

 

 2023年、エグかったな〜。今まで生きてきた人生でいちばん怒涛の1年だった。

 それでもめちゃくちゃ不幸だった実感はなくて、これはインターネットのみなさんが「バカデカい愛」に愛をくれていたおかげで寂しくならずに済んだのと、現実ではパートナーとの愛のある暮らしを実践できるようになったおかげだと思う。激動の1年ではあったけど、個人的に2023年を漢字一文字で表すならば「愛」だった。本当にみなさんありがとう……。

 

 

 話は大きく変わって、1/1に実家に帰った。両親はとても歓迎してくれたし、すごく嬉しそうなのがよくわかった。弟にも久々に会った。ちなみに弟も新卒入社退職RTAをやっていた。血は争えない……。

 実家は本当にやることがないので、昼間は弟と地元のショッピングセンターに行ったり、公園でだべったりして過ごした。弟も喫煙者なので気を遣わなくていいのがありがたい。かつては甘やかされて育っていた弟が恨めしくてたまらない時期もあったが、結局はわたしも弟も同じ両親の歪んだ愛のもとに育っているので、彼もまたわたしと似たような生きづらさを抱えた人間になっており、今ではもはや共闘するためのよき理解者という感じだ。

 めちゃくちゃいい肉をご馳走になって、地震津波のニュースが流れる中で、複雑な心境ながらもおいしくいただいた。父親は肉を焼きながらずっと母親に嫌味を言っているので、「正月から気悪いからやめてくれや」と言った。わたしはこんなにも母親との関係性を軌道修正しようとがんばっているのに、父親がそれをサボっているのが嫌だった。べつに個人的にやってくれる分には構わないが、目の前ではやられたくない。

 

 母親に「パートナーさんは実家帰ってはるんか?」と聞かれたので、「親御さんに虐待されて育ってはるから帰ってない」と返したら、「虐待はあかんなあ」と言われて驚いた。いや毎回こんな感じの話をしている気がするのだけど、毎回新鮮に驚くことができる。この母親は、自分が娘にしていた仕打ちが教育虐待だったことについて自覚がないのだ。怖すぎるぜ……。

 それでもわたしは母親を許そうと思う。これはもはや意地かもしれない。家庭環境が悪いメンヘラへの逆張り。2023年を表す漢字が「愛」だったように、2024年を表す漢字も「愛」であってほしい。愛は求めるものではなくて、与えるものだから……。

 

 

 こんな感じで2024年のスタートもあまり幸先はよくない。でもわたしは去年学んだ。よりよい人生にしようと強く望めば、どれだけたくさんのつらいことが起きても、不思議とポジティブに生きられる。もしかしたらこれも認知バイアスかもしれないけど、まあそれはそのつど修正していけばいい。常に自分を疑いつづけることは大変だけど、自分を疑うことをやめた瞬間に、人間は老いて死に向かうので……。

 1年前のブログを読んだらひどく鬱々としていて、同じ人間の書いたブログとは思えなかった。人間は変われるものやなあ。自力でここまで持ってきたわたしってめっちゃえらいのかも。

 2024年はさすがに去年よりはマシだと思う。あれよりもひどい年になるってよっぽどのことが起きないとない。今年こそはいい感じに生きていきたい。がんばるぞ!

 

 

 

いつまでも未熟さを捨て切れない

 

 久々にはてなブログを書く。定期的に文字数制限を意識しない文章を書かないと、脳がTwitterに最適化してしまって、思考が140字×n個の枠組みに囚われてしまう。

 

 

 最近の生活はいい感じだ。喫茶店と珈琲豆専門店でのバイトは、ADHDが丸出しながらも、心の広い人たちに恵まれて、理不尽に叱られることも詰められることもなく、日々反省しながらうまくやっていけている。

 勤務中に煙草休憩を心置きなく取れるのが何よりもうれしい。ニコチンが切れてイライラするのを防げるからとかそういうのではなくて、そういう許し合い的な連帯のできるコミュニティに属することができるのは、すごく貴重な体験だから。

 

 そして休みの日には大好きな友達(同居人)と喫茶店でモーニングを食べる。彼はバイク乗りなので、ちょっと遠い喫茶店にも連れて行ってくれる。そして、いま住んでいるエリア周辺には喫茶店がめちゃくちゃ多くて、まだまだ行きたいところが100件以上あるのに、時間と身体が足りなくてほとんど行けていないことが最近の悩みだ。

 明日(というか今日)はどこに行こうかな。どこの喫茶店に行くかを大好きな友達といっしょに悩むところから1日が始まるのは、すごく豊かな暮らしだと思う。

 

 死ぬまでずっとこの暮らしが続けばいいなと思う。経済的な貧しさ以外の困難が一切ない。

 

 

 インターネットのほうもかなり順調で、昨日は某新聞社の教育虐待についての取材を受けた。

 過去について話しながらフラッシュバックしてつらくなるだろうかと覚悟して臨んだけれど、案外ひょうひょうと話すことができた。むしろ、わたしのこの苦しかった体験が、どこかの誰かに届くことで、教育虐待に苦しむ子供が一人でも少なくなれば、それよりもうれしいことはない。

 

 取材のきっかけは、過去に殴り書きしたnoteの記事だった。

note.com

 どうやら某新聞社で中学受験についてのコラムを書いている記者たちに届いたようで、デスク周辺でわたしのnoteのさまざまな記事が共有されたらしく、「この経験が本当だったら、今頃亡くなっていてもおかしくない」という感想がのぼったとのことで、「何を大袈裟な!」と思ったけれど、それは自分の苦しみを矮小化して抑圧することに変わりないので、「わたしってよく生きてきたんだな〜」と思うことにした。

 

 「それだけ過酷な環境を生き延びられて、今ではポジティブに生きていらっしゃる強さは、本当にすごいです」と言われて、うれしさ半分、もやもや半分、といった感じだった。

 うれしいのは、もちろん自分のやってきたことを肯定されるのが大変にいい気持ちだったから。

 もやもやしたのは、わたしの人生をここまでめちゃくちゃにしてきた過去も、今わたしがポジティブに生きているからということで、美談として回収されてしまうのではないか、という不安があるから。

 わたしは認知の歪みを治すのにひどく苦労したし、今のようにポジティブな生き方ができるようになるまでにものすごい時間と気力を費やしたから、ハッピーエンドのようにお手軽に語られるのは癪にさわる。

 

 しかしそれは、「可哀想な子」として評価されたいという未熟で子供じみた欲望なのだろう。かわいそうだね、がんばってるね、えらいね。わたしがかつて教育虐待の渦中にいた頃に言われたかったことば。結局は、子供時代に欲しかったものを大人になった今でも求めている。

 わたしのインナーチャイルドはなかなかしぶとい。いつまでも未熟さを捨て切れない。若くて尖った感性についての未熟さなら芸術的に昇華すれば美しいのだろうけれど、わたしの場合は、親から得られなかった承認という愛情に飢えて、ただ人間関係を転々としているだけなので、ちっとも美しくなどないのだ。

 

 当面の目標は、「可哀想な子」だと思われたい(そして傷を慰められたい)という欲望と折り合いをつけることだ。一刻も早く解決したいところだけれど、焦っても仕方がないので、ゆっくりやっていくぜ。

 

 

 話は変わって、Youtubeを始めただけでTwitterが燃えたのはさすがにおもしろかった。バカデカい愛ってつくづくコンテンツ力が高すぎる。

 たくさんの心無いことばを浴びせられるたびに、自分の正しさを実感できて非常に気持ちがいい。そもそもまともな人間ならば、わざわざ嫌いなコンテンツを自ら受け取りに行って、さらには本人に見えるところで悪口を叩くなど、そんな時間の無駄遣いはしない。

 どうしようもないやつらのおかげで、わたしはまだまともに生きられているのだなと自信を持つことができる。本当にありがとう。

 

 明日(というか今日)は休みなので、喫茶店の撮影にでも行こうかしら。更新頻度は月2~3本ぐらいのつもりだったのだけれど、そもそも喫茶店でのんびりする以外に大した趣味がないので、趣味をしに行くついでにカメラを回せばよいだけだし、しかも動画編集をする時間はたっぷりあるということで、わりと高頻度で更新できそうだ。このまま失速しなければよいのだけれど……あと躁転じゃないといいな……。

 

 

 過去のさまざまな経験もあって、人間関係の構築が本当にヘタクソで、穴モテ以外のコミュニケーションがかなり苦手なので、インターネットがなければ今頃は孤独を拗らせて、無敵の人にでもなっていただろう。

 わたしが今わたしとして気を保っていられるのは、インターネットを介して”バカデカい愛”に関心を向けてくれて、コミュニケーションを図ってくれる人たちがいるおかげだ。おれはおまえらが思っている以上におまえらに救済(たす)けられています。ありがとうねえ。

 

 

 近況はこんな感じだ。わたしは毎日はつらつと生きている。とても幸せ。これらの幸せはきっと、今まで苦しんできた分のご褒美なのだろう。そう思うと苦しんできた過去も報われる。

 生きるって楽しいな、と思える日がようやくやって来てくれて、本当にうれしい。

 今この記事を読んでいるおまえも、いつかそう思えるようになったらいいな。その日が来るまではデカ愛ちゃんといっしょに生きていようね。おれはずっと大阪某所からおまえを応援しているよ。

 

 

東京ってみんながオシャレですごい

 

 日帰りで東京に行ってきた。最後に東京に行ったのはおそらく2022年3月28日なので、約1年半ぶりとなる。

 7時21分新大阪発の新幹線に乗った。はじめは往復1万5000円の夜行バスで行こうとしていたのだけれど、友人に事前予約で往復2万円になるのぞみ切符の存在を教えてもらったので(通常は2万5千円)、寝苦しい夜行バスで行って1日遊べる体力の自信もなかったため、やや課金した。大人になるとは、体力や時間をお金で買うようになることなのだろう。

 目的は、イヴ・サンローラン展とデイヴィッド・ホックニー展。本当はキュビスム展も予定していた(というか当初はそれがいちばんの目的だった)のだけれど、よく調べてみると来年京都に巡回するらしい。それを知ったのが旅の5日前。いつものことながら鈍臭いぜ。

 

 10時に東京駅に着いて、イヴ・サンローラン展が六本木の国立新美術館での開催のため、六本木へ向かう。

 まずは腹ごしらえということで、「る・ぽーる」という喫茶店に入る。

 

 モーニングサービスはないらしく、アイス・カフェオレとトーストをそれぞれ注文した。なんと1300円。東京の物価はおそろしい。1300円払えば、大阪なら3回はモーニングを食べられる。

 店内は豪華なザ・純喫茶という感じで、雰囲気のいいマスターが丁寧な接客をしてくれる。立地とサービスを考えれば、1300円の価値はあると思う。出費としては痛いけれど……

 やはり東京でも朝の喫茶店は老人の憩いの場所なのだろう。マダムとオバハンの間ぐらいの女性が、マスターと標準語で談笑している。東京は耳をすませば標準語が聞こえてくるのでおもしろい。

 そういえば、元彼のひとりに「標準語」を「テレビ語」と言うやつがいた。東京の方言を標準と定めるのは首都の傲慢さの表れだと言っていた。確かにそうだと思う。

 

 本当はここで大好きなフォロワーと会う予定だったのだけれど、なんだか最近すごく不穏な暮らしをしているようで、ツイートもなく連絡が途絶えたので一人だった。(今日、謝罪のDMが来た。本当に無事でいてくれてよかった。愛してるよ!)

 1時間ほど滞在して、国立新美術館へ向かう。

 

 

 

 ディオール時代から、自身のブランドにおけるオートクチュールプレタポルテや舞台衣装に至るまで、回顧展としてはとても見応えのあるものだった。彼独特の「女性の装い」への情熱が、クールかつエレガントなデザインのドレスやアクセサリーが反映されていて、特にウェディングドレスには圧倒された。あとデザイン画が見られたのもよかった。

 ただ、わたしは美術展のミュージアムショップが大好きで(むしろ展示自体は人が多すぎてイライラしてまともに見られないことが多い)、今回もモードファッションの研究やファッション史の専門書があるだろうと期待して行ったところ、図録とポストカードとアクキーとロゴトートバッグしかなくて、ひどく落胆した。

 さすがに観客をナメているとしか思えない。どうせ、ブランドバッグのロゴ物をありがたがる変な習性のある日本人女性が来ることしか想定していないのだろう。我々もナメられたものだな。

 

 わたしはあまり美術展に長居しないほうで(人が多すぎて以下略)、ミュージアムショップにも特に用がなかったので、25分ほどで出てしまった。さすがに早すぎるだろと思ったし、障害者手帳で入場したので別にもう一度入ることはできるのだけれど、どうせまた人が多すぎることには変わらないし、ということで会場を去った。

 フォロワーと上野の喫茶店で会う約束をしているので、もう1軒だけ六本木で喫茶店に行くことにした。

 

 

 「Coffee Reino」という喫茶店に入る。灰皿がかわいい。しかしここもアイス・カフェオレが750円。お世辞にもコスパがいいとは言えない。まあでも大通り沿いで、駅からは近い。

 東京は”快適さ”にかかるコストを払う場所なのだろう。交通の便がよい場所とか、おしゃれでおいしい食べ物とか、生活が豊かになる情報とか、そういう心地よさがお金を出せば手に入る。逆に言うと、お金がないと何もできない街だ。とにかく何かを消費せよと街全体が駆り立ててくる。あまり自分には合っていないな、と思う。

 40分ほど滞在して、上野に向かう。途中で「カフェ すえ〜る」という喫煙がコンセプトの喫茶店を見つけた。看板にも煙草のイラストが描かれている。禁煙ファシズムに負けないぞという強い意志を感じる。また次に六本木に来ることがあれば訪れたいところだ。

 

 

 「六曜館」という喫茶店でフォロワーと待ち合わせて、五目ピラフとアイス・カフェオレを注文。1300円。本当にどこもかしこも価格がヤバい。どんどん財布が貧相になっていく。

 とても可愛らしい都会風に垢抜けた女の子で、意外にもマルボロを吸っているところにときめいた。その辺の寂しさと性欲の区別がつかないメンヘラバカマンコとは違って、すごくはつらつとしたポジティブなバカマンコ(褒め言葉)だった。Tinderで右にも左にもスワイプすればするほど、知らない男が現れるのは夢のようだと言っていた。東北地方から大学進学を機に上京したらしく、当面の目標は23区の男をそれぞれスタンプラリーのように食って制覇することらしい。がんばってほしい。

 わたしがこのあとデイヴィッド・ホックニー展に行く予定だと話すと、「いっしょに行ってもいいですか?」とのことなので、食後に一服二服ほどして、東京都現代美術館のある清澄白河に移動する。

 

 話しているのが楽しくて、とりあえず美術館に行く前にもう1軒だけ喫茶店に行くことにした。

 しかし清澄白河にはおしゃれカフェが多すぎて、喫煙できそうなところが全くない。困った。Googleのレビューに喫煙可能と書いてあるのも4~5年前の情報で、食べログを見ると「全席禁煙」と修正されているところが多く、探すのにとても苦労した。

 どうにかひとつ隣の森川駅からやや歩いたところに、1軒だけどうも吸えそうな感じの田舎っぽい喫茶店を見つけた。しかし田舎っぽすぎてレビューがない。写真も解像度が低すぎて「喫煙可能店」のシールがあるかどうかが見えない。そこでフォロワーがトイレに行きたいと言う。一か八かだった。

 

 アイスカフェオレが400円。これだよ、これ。わたしが求めていたのは、これだ。ザ・純喫茶という喫茶店も悪くはないけれど、わたしが好きなのは田舎の家っぽい雑多な内装で、地元の老人が集まって生存確認をしているような、おしゃれで映えるとは言いがたい喫茶店だ。4軒目にしてようやく巡り会えた。わたしはこういう流行らない喫茶店にこそ生き残ってほしいのだ。

 美術館の最終入場は17:30とのことで、一駅ほど歩く必要もあるため、30分ほど滞在して出発した。さすがに喫茶店も4軒目となるとカフェインとニコチンでだいぶ体調が悪い。もうカフェインもニコチンもいらんなあ。

 

 

 しかしまあ、ホックニーは本当に絵が上手いな。絵が上手い人は、どれだけヘタウマに抽象的に描いても、画面構成や色彩の感覚が素晴らしく心地がよい。ホックニーと言えば鮮やかな木々の風景画であるが、リトグラフで描かれた人体スケッチやクロッキーなども展示されていて、それらが見られたのはすごくいい機会だった。せっかく芸大にいたのに、リトグラフを学ばずに卒業したことを少し悔やんだ(そもそも専攻が違うのだけれど)。

 見たものを見えたまま描いているわけではないのに、まるでそこにあるように見せられる画家は素晴らしいと思う。「絵について詳しくはないけれど、なんとなく絵は好きだ」という人は、見たものを見えたままに描く画家が好きな傾向にあるし、ホックニーは写実と抽象の間ではやや写実寄りであるからか、閉館時間ももうすぐだというのに、たくさんの観客がいた。

 見どころは、彼がコロナ禍のロックダウン期間中にiPadで描いた90mのデジタル絵画「ノルマンディーの12か月」だろう。観客もそのエリアが特に多かった。デジタルでの平面作品というと、やはりイラストレーションが主に制作されるが、デジタル技術を使ってもなお絵画をやってのけるというのは偉大なことだ。絵画とイラストの違いを聞かれると、専門外でもあるのであまり的確な答えを返すことはできないのだけれど、わたしは「ノルマンディーの12か月」は絵画だと思った。

 

 そして、今回の東京旅行でいちばん心を奪われたのは、同じ東京都現代美術館の違う部屋で行われている企画展、「あ、共感とかじゃなくて。」だった。

 

 確かツイッターで告知を見たことはあったのだけれど、どうせ東京だろうと詳しい会場までは見ていなかったので、ここに来て運命的な出会いを果たした。出展作家のひとりの山本麻紀子氏は、京都市の崇仁地域という部落と、東九条というコリアンタウンを主にフィールドワークの活動範囲にしているアーティストだ。

 今学期から、わたしの母校である京都市立芸術大学はそのエリアに移転する。移転と再開発にあたって、崇仁地域の住宅は取り壊された。母校は、これまで数年間にかけて崇仁地域の住人と対話をしたり、芸術的な交流を企画したりして、なるべく崇仁地域の人たちに京都芸大を受け入れてもらおうという取り組みを行ってきた。その中には彼女が主催のワークショップもあり、わたしも授業の一環でそれに参加したことがあり、一方的に顔馴染みの先生だ(そのときに先生から借りたフェミニズムの本を借りパクしてしまい、そのまま卒業してしまったため今でも返せていない。本当にすみません)。

 

 「あ、共感とかじゃなくて。」は、SNSを筆頭に、人々が共感ベースのコミュニケーションに飲み込まれている、いわば共感中毒である現代社会において、共感という行為の持つ暴力性を前提として、共感できないことを受け入れた先にあるコミュニケーションや、共感できなくても何かを受け取ろうとするコミュニケーションを探る活動をしている作家たちの展示だった。

 わたしは、有川滋男氏の「架空の仕事」をコンセプトとした映像作品群のキャプションに書かれていた「人は、共感という解釈のために、自分の中で物語を作り出そうとする」という趣旨の文章にハッとさせられた(原文が思い出せないためにざっくりと書いたので、ニュアンスが違うかもしれない)。

 人間は、文化的背景や人種・宗教の違いや、その日の気分によって、同じものを見てもさまざまな解釈をする。何かを解釈するためには、脳内で自分の理解しやすい物語を組み立てて、結論というゴールへ向かおうとする。答えが見つからないような、判断や解釈がしづらいことについて、なるべく想像力をはたらかせることを諦めずに、簡単で軽率な共感という暴力から遠ざかろうと努めなければならない。

 

 やはり、共感されるというのは気持ちがいいし、共感してあげられることも気持ちがいい。その気持ちよさの中毒になって、本質のところは何もわかっていないのに、なんとなくわかったふりをしてしまったり、わかった気になって満足してしまったりする。

 Twitterは特にそれが顕著なSNSだと思う。「いいね」は必ずしも共感を指さないが(既読や保存という意味で使う人も多くいるだろう)、やはり「いいね」の気持ちよさを求めてそれっぽいことを言おうとしてしまう。すると、思考が「いいね」のほうに寄っていく。「いいね」をもらえそうなことばかりを言ったり考えたりするようになって、無意識的に思考の幅が狭まっていく。SNSのおかげで何かについて考える機会が増えたという人も多いだろうが(わたしもそうだ)、結局はSNS的な事柄しか考えていないのだ。

 「世界はもっと広いんだぞ」とか、わかりきったありきたりなことを言いたいわけではないけれど、少なくとも「いいね」という共感がコミュニケーションのすべてではない。わからないことはわからなくていい。無理にわかろうとして、変な思考の近道をして、間違った結論づけをするほうがよっぽど問題だ。わからないことは怖いけれど、他者を尊重するということは、その怖さをまるごと引き受けることなのだろう。

 

 半ばフォロワーを置いてきぼりにしながら、足早でざっと展示を見た。「絵画は人を救わないけれど、現代美術にはまだ望みがあるかもしれないね」という話をしながら駅に向かう。電車で解散して、再び上野に向かう……つもりが、なぜか気づいたら築地にいた。東京メトロ日比谷線で、逆方向の電車に乗ってしまったようだ。

 都内の移動は本当に難しい。なんなんだ。A駅からB駅に行こうにも、行き方が3種類ぐらいあったりする。駅構内で迷ったりして、乗換案内のようには行けない。

 次のフォロワーとは18:00に待ち合わせをしていたのに、合流できたのは18:50分だった。彼女はとても個性的で素敵なファッションをしていたので、すぐに見つけられた。東京ってみんながオシャレですごい。街がカラフルだな、といつも思う。大阪は黒とかベージュとかネイビーみたいな服の人ばかりだから、その点に関しては東京がうらやましくなったりする。

 

 アメ横のはずれに、喫煙可能の中華料理屋があるということで、20:40東京発の新幹線に乗るために1時間だけ滞在した。

 職場の人間関係がすごく難しい状況にある人で(ツイートしておられるのでなんとなくは把握していた)、「うまくいくといいねえ〜」と思いながら、ウーロンハイを飲んだり、トマトと卵の炒り付けを食べたりした。あっという間に時間が過ぎて、ダッシュで東京駅に向かう。

 

 Twitterをしているうちに新大阪に着いた。JR東海が「新幹線の喫煙スペースを全てなくす」というニュースを発表したので(クソムカつく)、ちゃんと吸い納めもした。あとは喫煙できる電車といえば、近鉄電車の特急ぐらいだろうか。本当に生きづらいねえ。

 移動中に読もうと思っていた、フェリックス・ガタリ「精神病院を社会のはざまで」は、結局1ページも開くことがなかった。旅とはいつもそういうものだ。それぐらいが楽しくてちょうどいいのだろう。

 

 新大阪駅には、一緒に住んでいるマブダチが迎えにきてくれた。東京では時間が足りないぐらいにたくさんの人が会ってくれて(先着順で募集したため断ってしまった人たちもいる)、家に帰れば大好きな友達がいて、本当にわたしは人に恵まれている。

 死んでしまうにはもったいない人生だ。わたしは生きていかなくちゃいけない。と、元気な時はそう思えるのに、どうして元気になりすぎたり、元気じゃないときは自殺のことばかり考えてしまうのだろう。精神病と認知の歪みは恐ろしい。

 

 また近いうちに東京に行きたいな。まためぼしい展示があれば、お金を貯めて行こう。今回断ってしまったフォロワーのみなさんに、次こそは会いたい。東京だけじゃなくて、他の地方にも行きたいな。まだ行ったことがないので、ひとまず東北地方に行きたい。遠いなあ。

 

 

 

 

喫茶店を愛しているという気持ち

 

 

 

 今日は喫茶店バイトの4日目だった。 

 わたしの働いている喫茶店はとにかくランチタイムが忙しい。しっかり食べ応えのあるプレートにスープとドリンク付きで990円。他にもサンドイッチやオムライスやナポリタンやケーキやパフェなど、喫茶店らしいメニューはほとんどある。もちろんクリームソーダもある。なぜかクラフトビールもある(瓶ビール・缶ビールがある喫茶店はたまにあるけれど)。

 コスパがいいこと、そして近隣に喫煙可能な飲食店があまりないことから、平日はサラリーマンやOL、土日はなんば周辺に遊びにきた人でいっぱいになる。

 

 

 飲食店の忙しさとADHDは相性が悪い。ADHDは、一をやろうとすれば十をだめにする生き物だ。

 学生時代の飲食バイト歴が長かったからか、「仕事覚えるの早いなあ」「まだ4日目やんな?」とは言ってもらえるが、店内が大忙しになるとポンコツになる。頭が真っ白になってその場でうろうろしたり、脳内を整理するために一人でぼそぼそ呟いていたりするので、側から見たわたしは本当に変だと思う。

 

 毎日40分前出勤(煙草を吸う時間の確保のためではあるが)をしていて、しかも「やる気満々です!」みたいな顔と声をしているので、自ら信用のハードルを上げにいっている気がする。真面目にやろうと意気込んだあまりに、図らずしも「期待の新人」感を演出してしまっている。

 一方で、例えばお客様の顔面にめがけてアチアチのコーヒーをぶちまけるとか、下げものをしたお盆をすべてひっくり返してめちゃくちゃにするとか、そういう破壊的な妄想の強迫が止まらない。いつかその妄想の通りに手が動いてしまうんじゃないかと毎日びくびくしている。

 

 

 人間関係の調子はわりといい。やはり喫煙可能店ということでスタッフのほとんどが喫煙者で、いつでも喫煙所コミュニティにいるような感覚がある。変なイキリ大学生とか、意識高い系フリーターとかがいなくて本当に助かった。ムカついて殺してしまうから。

 店長のおじさんはいつも機嫌が悪そうな顔をしていて、話しかけるときはいつもおどおどしてしまうのだけれど、店長は実は大の酒飲みで、あの機嫌の悪そうな顔はだいたい二日酔いだということを今日知った。みんなが「お父さん」と呼ぶ理由がなんとなくわかった。

 

 ただ、今日はひとり寝坊してきたスタッフがいて、その人は週1しかシフトに入らない上にほとんどの確率で遅刻や欠勤をするらしいのだけれど、その背景もあってか、喫煙所コミュニティ感のある和やかなみなさんが、その人に対してだけはめちゃくちゃ冷たくて怖かった。

 わたしも遅刻したらあんな感じに扱われるのだろうな、と思うと、自身の”時間感覚の欠如”という特性をよく理解して、毎日40分前出勤を心がけているわたしは正解なのだろう。喫煙者であることによって助かる命があります。

 

 

 今日はなぜか先輩が大量の缶ビールを持ち込んでいて、退勤後に同じシフトのみなさんで飲んだ。酒飲みばかりで会話もおもしろい。退勤後にお酒が飲みたい人は各自持ち込んでいいらしい。なんだそれは。

 あとたまに失敗したオムライスや焼きすぎたハンバーグ、賞味期限が近いケーキなどを店内が暇なときに食べさせてくれるのもうれしい。そしてドリンクは何でも飲み放題なのもうれしい。店内の忙しさが落ち着いたら煙草休憩を取っていいのもうれしい。

 本当にこんな職場に恵まれてしまっていいのだろうか。こんな労働環境、いったい働きに来てるのか遊びに来てるのかがわからなくなる。

 

 

 という感じで最近はかなり調子のいい日が続いている。わたしは、飲食店で働くと客に殺意が湧くタイプ(易刺激性)なので、喫茶店を愛しているという気持ちが、このままそれをカバーしてくれることを願う。

 みんな遊びにきてね。DMをいただければ店名とシフトを教えます。

 

 

資本主義社会の失敗作

 

 

 障害者雇用の求人に落ちまくる。正直なところ、障害者向けの就活をかなりナメていた。どうせどこかは拾ってくれるだろうと思っていた。現実はそう甘くない。

 まあ求人に書かれている採用実績一覧を見ると、身体障害者のことばかりが書かれていて、精神障害の採用実績を持つ企業は少ない。精神障害を採用している企業はIT系が多く、経験者を探しているようだ。

 まあそりゃあそうだろうな、と諦めはつく。社会は、身体に障害はあれど継続的にまともに働ける障害者か、精神に障害はあれどスキルを持ち合わせている障害者を求めているのだ。

 これが”ホンモノ”の弱者王決定戦なのかもしれない。

 

 

 数少ない大学時代の友人に「障害年金ってどんなシステムなん?」と聞かれて、「障害があって就労できない人に月6万〜払われる年金よ」と説明すると、「いいなあ」と言われた。

 至極真っ当な感想だと思った。働かずして1週間分ぐらいの給料に当たる額が振り込まれるのだ。普通に生きていたらありえない話だ。うらやましいと感じて当然である。

 「まあ障害もつらいからねえ」と返すので精一杯だった。

 

 薬さえ飲めばほとんど健常にいられる(と自分では思っている)ので、精神障害者の中でも比較的楽に生きているほうだと思う。薬でどうにかなる程度の生きづらさなのだ。

 だから、障害年金を取得することに一種の後ろめたさのようなものがある。

 今は働き口に困っているだけで、フルタイムで働こうと思えば働ける。おそらく。たった2ヶ月間ではあるができていた。

 

 

 だからこそ、先日までいっしょにいた同居人に「君は社会に向いてないからなあ」と言われたのには驚いた。

 わたしの生きづらさはたぶん自己責任だ。自分で認知を歪ませているのだから、そんなところにまで社会にケアを求めるのは過剰要求だと思っている。

 はたから見てそんなに生きづらそうなのだろうか。確かに生きづらいなあとは思うけれど、薬を飲んでもどうにもならない人に比べれば大したことはないのではないかと思う。

 

 この認識が正しいのか、自分の苦しみを矮小化しているだけなのか、もはや自分では判断がつかない。謙虚でいることと自責的になることの違いがわからない。

 もしただの甘えなのだとしたら、それで障害年金を取得するのはほとんど詐欺ではないか?

 

 

 まあ当分は生活が苦しいだろうから、週末の精神科で主治医に相談するつもりだ。

 少しずつジャブは打っていた。以前、「もし本当に必要ならまた言ってくださいね」と言われたので、たぶんなんとかなる気がしている。

 ただまあ障害年金は申請から取得まで数ヶ月〜半年かかると聞くので、それまで食いつなげるかどうかは微妙だ。どうしたらいいのだろう。

 

 そんな状態で無職でいるわけにもいかないので、今日は夕方からなんばの喫茶店のアルバイトの面接に行く。なんばで喫煙場所に困ったときにしばしば訪れていた喫茶店だ。

 応募の折り返しに来た電話で「うちは全席喫煙可の店ですが大丈夫ですか?」と言われた。そんなものわたしの大好物だ。絶対にここで働きたい。少なくともおしゃれで映えるキラキラカッフェでは働けない。そんなところにいたら気が狂ってしまう。

 

 

 どうにかなればいいなあ。どうにかするしかない。でもどうしたらいいのかわからない。

 エリート志向の母に育てられて、たくさんのものを犠牲にしてきた人生で、こんな修羅の道を歩くことになるだなんて、あまりにも皮肉がすぎる。

 資本主義社会の失敗作。以前、「中学受験は子の人生を狂わせる」というnoteを書いたけれど、あの頃よりももっと狂っている。どこまで狂っていくだろうなあ。もはや逆に楽しくなってきた。

 

note.com

 

 まあいつまでも親のせいにしているわけにはいかない。この人生を生きると決めたのは自分なのだから、自己責任だ。

 

 

 統一教会の件にしろ、京アニ放火の件にしろ、幼少期の家庭環境というものはその後の人生に大きな影響を与える。その親の影響が社会にとっての悪を生み出した。たまたまわたしはあちら側に行かなかっただけで、狂ってしまう気持ちは手に取るほどよくわかる。

 これらを個人の過激思想だと切り捨てるのにはもう限界がある。社会構造の問題だ。親になる可能性をもっているすべての人は、「おかしい人やね」と他人事で済ましている場合ではない。

 誰だって狂う可能性を秘めている。それの程度が違うだけで、たまたま運よく判断がつく状態でいられるだけで、少しでも歯車がずれてしまえば、明日は我が身なのだ。

 

 

 先日、東京藝大の「ヤニカス」展示でツイートが拡散されたときも、引用RTで「ヤク中」「大人しく薬を飲んでろ」という旨のヘイトを受けた。

 社会の認識なんてその程度なのだ。自分のまわりにはメンタルヘルスに問題を抱えた人が多いだけで、蓋を開けてみればものすごくマイノリティで、健常な人にとっては理解の及ばない存在なのだろう。

 

 

 誰もが生きづらさを抱えていると言われる社会で、生きづらさ比べをして、足を引っ張り合っている場合ではない。

 自分がどうにか助かるようになるのにも、社会がどうにか助かりやすくなるのにも、膨大な時間がかかるのだろう。その過渡期にいる人間がいちばん苦しい。

 どうにかなればいいな。どうにかするしかないのだけれど。

 

 

 

絶望ごっこをしていたって、誰も助けてはくれない

 

 今日はわたしの人間関係でいちばんと言っていいほど大好きな友達と、ジャズ喫茶に行ったり、おいしいと評判のうどんを食べたりして、とてもいい日だった。

 昨日は、お昼に「デカ愛さんに一度お会いしてみたいと思っていて……」と言ってくれたフォロワーと喫茶店をはしごした。初対面だったけれど、社会に対する問題意識(特に芸術に携わる学生についての悪口)や、音楽というものの素晴らしさについて語って、喫茶店1件では足りないぐらいに盛り上がった。

 夜はずっと仲良くしてくれているフォロワーと朝まで飲んでいろいろな近況報告をしたり、転職活動の相談をしたり、政治思想について議論したりした。「まうちゃんと社会の話をする日が来るとは思っていなかった」「まうちゃんには社会のことを考えてほしくない」と言われて、わたしのことをよくわかってくれているなあと思った。わたしもまさか自分が社会に迎合して生きていくことを志す日が来るとは思ってもみなかった。

 

 わたしは本当に人に恵まれているなあと実感する。他人といると、生きることの苦しみを一時的に忘れられる。

 一人でいるのが好きなのに、ひとりぼっちでいるのは寂しいというわがまま極まりないスタンスで人間関係をやっている。わたしと交友関係にあるみなさま、振り回してしまって本当にすみません。

 無職になって数日が経つが、人に恵まれているおかげで毎日誰かしらがいっしょに時間を過ごしてくれて、暇せずにやっていられる。こんなにもありがたいことはない。

 

 

 やはり労働は心身に悪い。労働をやめてから生活に余裕ができて、精神が安定している。まあ躁鬱を悪化させないためには必要な時間なのかもしれない。

 とはいえずっとこうしているわけにはいかない。実家も頼れないし、手っ取り早く稼げる夜職ももうやらないと決めたし、お金を得る手段が本当にない。なんとかしなければいけない。

 

 転職活動では障害者雇用を探している。しかし、職歴がほぼない精神障害者を雇ってくれるところはあまりにも少ない。

 だいたいの求人は、職歴と専門的なスキルを持っているが職場の環境を変えたい人向けに用意されている。IT系の求人がかなり多く、その次に事務職。ゆるめの条件でも「社会人経験(一年以上)」。

 第二新卒で探してもいいけれど、4月入社ではそれまで食いつなぐことができない。今すぐに働けるところを探しているのに、条件も相まって全然見つかりそうにない。本当に困っている。抜け道がなかなか見つからない。本当に困った。

 

 

 社会があまりにも健常な人向けにできていて辟易する。心身ともに健康で、ストレートで大学を卒業していることが前提だ。ドロップアウトすると、復帰するための道のりそのものがかなりハードモードになる。

 まあ別に死ぬまでフリーターでもわたしはいいのだけれども……。主治医の反応もやんわり感じたところではあるが、障害年金を前向きに検討してくれているように見える。使える福祉は使っていったほうがいい。変に気張って精神障害が悪化するほうが厄介だ。

 

 

 生きるというのはこんなにも難しいのか。自分の”普通”があまりにも通用しない。どんな属性の人でも健やかでいられることが保証されていればいいのにな。

 誰しもが、自分のままで幸せになる権利を持っているのだ。その権利は誰にも妨害することはできないはずなのに、なんだかみんな不幸比べをして、不幸な人間同士で足を引っ張り合っていて、救いがないように見える。

 社会はおかしいなと思うけれど、闘う気力もない。自分のすこやかさを維持するだけで精一杯。きっと社会にはそんな人だらけだから、みんなヒーローを待ち侘びてその場で足踏みをしているだけだから、社会はどんどんおかしくなっていく。もうこの先どうにもならないのだろうか。

 

 

 本当に、わたしは自分のことだけで精一杯だけど、せめて自分のまわりにいてくれる人だけでも幸せにしたい。全員がそういうふうに心がければ、回り回って全員が幸せにならないかな。さすがに夢見がちすぎるかな。

 どうにかなれ、と思いながらもどうにもできないことに対しての絶望。だけど、絶望ごっこは怠惰だ。この上ない快楽だ。絶望感に酔うことで現実から目をそらすことは簡単だ。

 

 絶望ごっこをしていたって、誰も助けてはくれないんだ。なんとかしなきゃ。

 明日もまた人に会う予定がある。その人になるべくたくさん幸せに過ごしてもらう。それもまたおかしな社会へのひとつの反抗ということにならないかな。